二章 明暗の街セインシア

2-1

 レティーリア王国セインシア市。エイヴリルの話を聞いたルカは、すぐにこの街へ向かった。

 ルカが先日居たトルトコック市は比較的新しい街で、魔術連盟の支部もあり、連盟が運営する魔術学校もあったが、この街には魔術連盟の支部すらない。

 それどころか三十年前のヴァルプルギスの夜に教会とその通りを破壊しつくされ、魔術師に排他的な街の一つでもある。

(ヴァプルギスの夜の被害に遭った街のひとつだ……魔術師に良い顔はできねえだろうな)

 ルカは息苦しさを感じた――普通に呼吸は出来ているのだけれど――目に見えぬ圧迫感が、ルカには感じられたのだ。それも、思いこみでしかないのだろうが。

 黒いチェスターコートを翻し、首からロザリオをぶらさげたルカは、ローブの入った革製のトランクを持って何食わぬ顔でシスターの横を通り過ぎた。

 ロザリオをアクセサリーの如く扱う事は女神に対して不敬だとされていたが、最近は教会の意識も変わってきたらしく、ペンダント型のロザリオは若い信者に人気がある。街の人間が今のルカを見ても、ただの若い巡礼者程度にしか思われないだろう。

 魔術師に排他的な街はこの国ではけして珍しくはない。ローブを纏っているだけで入店拒否、暴言を吐かれるくらいはまだいい方で、理由をつけて教会の異端審問官に通報する人間も普通にいる。

「もし、そこの方」

 上等そうな服を着た中年の女が、ルカに声をかけてきた。

「そちらに行くのは止めた方が良いわよ。とても危ないわ」

 ルカが足を向けていたのは路地裏だった。昼だと言うのに薄暗く、ゴミが散乱している古びた石畳が見える。浮浪者が寝転がっているのが視界に入ったらしく、女は不快そうに顔をしかめた。

「不衛生だし……治安が悪いし……この前なんて、教会の窓を割ったのよ。信じられないわ。あの窓の硝子はね、特別なものなの。貴方お若そうだけれど、教会の窓硝子がどんなものか知っていて!?」

 段々とヒートアップしていく女に腕を掴まれたルカは苦笑し、心の中で大きく嘆息した。

「本来、神の賜りものたる鉱石を加工すると言う行為は、女神に対する侮辱ですが……儀式を行う事によって女神に赦しを得、その儀式で浄化された鉱石だけを、教会の硝子に加工できる……とても貴重なものだと教わりました。それを割るとは……とんだ不敬な連中だ」

 ルカは流暢な話しぶりで、心にもないことを言った。それを見て女はどこか感心したような顔だ。

 こういう面倒な人間に絡まれた時のため――ではなく、魔術師という事を隠して仕事をすることもあるルカは、リーズ教に関しての教義をはじめ、ある程度の基礎知識は頭に入っている。

「あら。お若いのに良く知ってらっしゃるわね。でもそのロザリオの付け方は感心しないわ。ロザリオはじゃらじゃらと装飾品の様に、己を飾るものではなく、とても神聖な物なのよ」

「はあ……すみません」

 説教をたれる女に、ルカは困ったように笑いながら、頭を掻いて見せる。

(いるんだよなあ、こういう、なにかにつけて文句を言いたい人間って言うのは……)

 困り顔で苦笑し続けるルカに「いい、この先には行ってはだめよ」と女は釘を刺す。女がその場から立ち去るのを見送ることもなく、ルカは寝転がっていた浮浪者を跨ぎ、路地裏の薄暗さへ溶けて行った。




 ルカはほうっと息をついた。先ほどの息苦しさはもう感じない。

 日が高いうちでも薄暗い、浮浪者がうろついているようなありきたりな裏路地だった。店から顔を出したやたら化粧の濃い娼婦は甲高い声を出してルカの気を引こうとするし、近くにいたゴロツキ然とした数人の男が、下品な罵声を浴びせてきても、ルカはもう息苦しさを感じなかった。ここは気が楽だ。だってひと睨みすれば、彼らはすぐ黙って引くから。

 こういう場所で生きている者たちは感覚的に、強者と弱者の違いが分かる。スリをするのも、客引きをするのも、脅迫するのにも、相手を選んで彼らは行う。いくら容姿が、らしくなくとも――なんとなく分かってしまう感覚を持ち合わせている。力と金だけが全ての単純な世界で生きてきた彼らが生き残るために、それは必要な能力だった。

 相手を選ばなければ、命を落とす――自然界の摂理によく似たこの裏の世界の感覚は、表の世界で人間らしく生きる人々には理解しえないものだが。

女神に感謝をデア・グラティア! このような場所で、信心深き女神の信徒にお会いできるとは!」

 だが、例外もいる事もまたルカは知っていた。大概は、馬鹿か、薬物中毒者か――それとも――なんにせよ、面倒な相手である事が多いので、とりあえずルカは背後から飛んできた軽薄そうな声に無視を決め込むことにした。

「無視なんてひどくねえ? せっかく会ったのに」

 歩調を速めるルカに、声の主はやれ景気はどうだ、彼女はいるのか、どうだこうだと何の益にもならなそうな話題をルカに振ってくる。

「……回りくどい野郎だな、お前。俺に何の用事だ? 喧嘩でも売りたいのか?」

 いい加減、面倒になったルカはぱっと振り返り、初めて声の主を視認した。

 きつねのような目の、無精ひげの生えた声通りの軽薄そうなやせぎすの男だ。年齢は――四十代くらいだろうか。一見は凡庸そうな男にも見えたが、顎から頬にかけての傷が、そうでないことを示していた。うさんくさそうな笑みを浮かべ、ルカが取った距離を詰めてくる。

「一銭にもならなそうだし、アンタには売らねえよ。まあでもしかし? 金の匂いがしたのは確かだが」

「いちいち回りくどい。面倒だ。いいから要件を言え」

 ルカはコートのポケットに手を突っ込み、つっけんどんにそう言った。こういう相手には、処世術のひとつも必要ない。必要なのはごく単純――相手が求める金か、ねじ伏せる力だけだ。それを知っていたルカの顔は、いつもの不機嫌そうな魔術師の顔に戻っていた。

「せっかちだねえ、あんた。なんでもどこぞの魔術師がこの女神の加護を受けた神聖な街、セインシアにやってくると聞いてよ」

「へえ」

「それがあんたじゃねえかって踏んだわけよ」

「で、もし俺が魔術師だったとして――バラされたくなきゃ金を寄越せってか?」

 ルカがそう問うと、やれやれと言った調子で男は肩をすくめた。

「魔術師相手にそんなことするわけねえだろ? んなことしたら、末代まで呪われちまいそうじゃねえか」

 冗談めいて言ってから、男は続ける。

「俺はただ、ビジネスの話をしたいだけさ。頭の弱いケチな聖職者どもより、あんたたちの方が良い客になる」

「風評被害だな。俺が、お前らみたいな連中とお仲間みたいな言い方をしやがって」

「何言ってんだ、そのためにこっちに来たくせに。なあ、

「……どこまで知っていやがる」

 フルネームで呼びつけられたルカは、目を眇めあきらかに不快そうな声でそう尋ねた。

「さあな? しかし、一つ言えるのは……あんたが金を払えば、必要な情報を売ってやれるということかな。生まれも育ちもセインシアの俺は、役に立つぜ?」

「お前から情報を買うとは決めてねえが――この町出身の癖に、魔術師に情報を売るのか?」

 鼻で笑って皮肉気に問うルカに、情報屋の男は表情を変えることなく――うさんくさい笑みをたたえ続けて、口を開く。

「金になるなら何でもいいのさ。魔術師だろうが、人でなしだろうが、なんでもな。この街の少し脳がある奴はみんなそうさ。市長も、司祭さまもだが……セインシアは女神よりも金を尊ぶ。異端審問官に焼き討ちされてもしょうがねえんじゃねえの?」

「なんでもいいが――まあ――」

 ルカは頭を掻き、面倒そうに続ける。

「――どうせ、断ったら教会のお偉方に売り飛ばす気だろう? 俺が、何かリーズ教への妨害工作を企てているとか」

 男はルカの問いに笑みをたたえたまま、何も言わない。無言を肯定と取ったルカは大きくため息をついた。

「いいぜ、お前の話に乗ってやろうじゃないか。どのみち、お前みたいな事情通を探していたんだ。手間が省けた。でなきゃこんなくそったれな場所、来ねえよ」

「そうかい? 慣れりゃ、此処も良いもんだぜ? 住めば都ってな」

「観光だけで十分だ」

 呆れたように言うルカに、男は馴れ馴れしく肩を組んできた。鬱陶し気にするルカを気にする事もなく、上客に出会えた男は機嫌よさげにしている。

「俺はジョン・ドウって言うんだ。よろしくな、兄弟」

「……お前より信用できる人間なんざいないぜ、名は体を表すって言うよな」

 あきらかな偽名を名乗る男に、ルカは半目でそう皮肉を飛ばした。

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