1-5
扉の先は、頼りなさげな照明が申し訳程度に照らしている薄暗い部屋だった。
窓一つなく、閉塞感が漂うこの空間は、子どもたちが通う学校にはあるまじき、まるで罪人を捕えておく牢屋のような部屋だとルカは感じた。
「エイヴリル・ハーディングか?」
部屋の隅でうずくまっている女に、ルカはそう声を掛ける。声をかけられ、女――エイヴリルは顔を上げると、真っ赤になった眼でルカを睨み付けた。
ピンクブロンドのウェーブがかったロングヘアの少女――だったのだろう。綺麗に整えられていたはずの髪は、ぼさぼさになっていてはいたが。
涎を口の端から垂れ流し、血走った眼には涙が浮かんでいる。服は自分で引きちぎったような破れ方をしており、彼女の座っている床には失禁したらしいシミが残っていた。
どれもこれも典型的な症状だと、ルカは断定した。
「なに、よぉ……あんた誰っ、薬、薬くれるの…!?」
「俺の問いにきちんと答えてくれたら考えるよ」
「わかったっ! あたし、あたしなんでもこたえる、なんでもっ!」
半狂乱に言いながら、エイヴリルはルカに泣きながらしがみついた。ルカのローブを掴む彼女の腕の掻きむしったようなあとのミミズ腫れが痛痛しい。
禁断症状を堪えるためなのか――想像の域をでなかったが、ルカは不機嫌そうに眉をひそめた。
「ならまず精神訓練を思いだせ。意思疎通できない中毒者と話す気はない」
ぴしゃりと言い放ち、腕を振り払ったルカに、エイヴリルはわっと声を上げ泣きだした。
「できないぃっ……あたしっ、精神訓練の授業、いつもダメだったぁ……」
(まだ、思考は保ててんのか……非魔術師だったらこうはいかねえな、コイツが見習いでも魔術師で良かった)
ルカはまたうずくまって泣きじゃくり始めたエイヴリルを見やり、安堵の息をついた。
「……エイヴリル、精神訓練はどんなものだったんだ?」
「暗くてっ、ひとりぼっちで……何も見えなくて……手も、脚も縛られてたっ……あたし、こわくて……」
きわめて優しげな声を掛けたルカに、エイヴリルは少し落ち着いた様子でそう返答した。
先ほど振り払ったエイヴリルの手を、ルカはおもむろに握った。その様子にエイヴリルは目を丸くした。
「君は今、一人か?」
真っ直ぐ見据えてきたルカに、居心地悪そうにエイヴリルは目を背けた。そうして彼女はしばらく黙り込んでから、ゆっくりと首を横に振った。
「……ううん」
「なら君は、大丈夫だ。そうだな、エイヴリル?」
にやりと笑うと、ルカはエイヴリルの手を離した。不敵な笑みの意味が全く理解できないらしいエイヴリルは、不機嫌そうに口を尖らせた。
「……そもそも、あんた誰なのよ。なんで、こんなところに入ってきたわけ? あのデブのおっさ――サーストンの奴がドアに魔術をかけてあたしを閉じ込めたって言うのに」
ふん、と鼻を鳴らし、エイヴリル。先ほどの涙はどこへやら、エイヴリルの高慢な言動にルカは苦笑した。
「君に少々話を聞きたくてな――俺はルカ。よろしく」
「よろしく。何故かあたしの名前まで知ってるみたいだけど、どうでもいいわ……あたしをこっから出してくれるなら答えてやってもいいわよ。今すぐサーストンの奴をぶん殴ってやりたいの」
(とんだじゃじゃ馬だぜ……少々素行が悪いってのは、本当みたいだな)
「あいつ、あたしのことを影で落ちこぼれだとか言うのよ! ちょっと魔術失敗しただけなのに! いつか見返してやるんだから」
手櫛で荒れた髪を直しながら苛立った様子で言うエイヴリルを見て、ルカは引きつった笑みを浮かべた。すぐに「何よ」と鋭い声と視線を飛ばしてきたので、目を逸らしたが。
「君が使った薬物って言うのは、ジェラル――ダウズウェル先生の授業で習ったものを、君が自作したものか?」
「最初は、友達がつくった、やつを……だってあたし、術式も苦手だし」
「最初は?」
「みんなは、一回だけしかやってないけど、あたしは何故かやめられなくて、代わりの薬物を使えばいいやって……思って」
言いながら、エイヴリルは肩を抱いて震え始めた。顔色がまた一層青くなり、目をぎょろつかせている。
(術式魔術によって精製された薬物は、精神に起用するものもある――思いだせば、その時の感覚も思いだしちしまう……――ジェラルドめ、厄介なものを作りやがって)
ルカは舌打ちすると、エイヴリルの両肩を強く掴んだ。
「エイヴリル! しっかりしろ、気を強く持て――お前は、あの狸爺――サーストンの奴をぶん殴ってやりたいんじゃねえのか!」
過剰とも言えるほどの大声で、ルカはそう怒鳴った。エイヴリルは気が付いたように――というよりは溺死しかけたところを引き上げられたような顔をして、苦しそうに息を吐き、口を開いた。
「……あたし、セインシアっていう街の出身なんだけど、そこのスラムで、友達の伝手で売人を紹介してもらって、ダウズウェル先生のクスリと同じものがあったから、それを買ったの……」
「……その薬の名前は?」
「
「どんな奴と取引を?」
「蛇の刺青をしてた女が売人だった。顔は、見えなかった……お面みたいなの、してたから……あとね」
絞り出すように、エイヴリルが言う。ルカはゆっくりと彼女が続ける言葉を待った。
「交渉してる部屋の奥のドアの前に、用心棒っぽいオレンジ髪の背の高い男。あたしのこと、娼婦だと勘違いしてた失礼な奴だから覚えてるわ。あと、確実とは言えないけど、奥の部屋から魔力を感じたから、魔術師がいたと思う……あとは、覚えてない。場所も分かんない。だって、行き帰りは目隠しされたもの」
エイヴリルが言い終わると、ルカは掴んでいた両肩をぱっと離し、立ち上がった。
「協力ありがとう。助かったぜ、エイヴリル。じゃあな」
ルカはそう言うなり、さっさとその場から立ち去ろうとした。慌ててルカの腕にしがみついてきたエイヴリルに、ルカは訝し気な視線を送る。
「待って! ねえ、あたしに何をしたの? どうやって、薬物の症状をなくしたの?」
「別に、なくしたわけじゃねえよ。一瞬、薬への依存から気を逸らしただけさ」
ぶっきらぼうにルカは言いながら、またエイヴリルの腕を振り払う。
「人間は常に百パーセントの力を発揮することはできない。なぜなら、脳がそれを抑制しているからだ。ジェラルドの作った薬物はそのリミッターをはずし、まるで自分が超人になったのかのように錯覚させ、切れたときの脱力感から薬がなければ自分は何も出来ないと言う恐怖感に襲われる。それで薬に依存させる」
淡々と続けるルカに、エイヴリルは顔をさあっと青ざめさせた。
「お前がどれくらいの間、その薬を使ったのかは分からねえが、精神コントロールが下手くそな非魔術師並みのお前は、薬物を継続して使ってしまった。他の生徒より体はボロボロになっているはずだ。今サーストンの奴をぶん殴れば、顔の骨を粉砕するくらいはできるかもしれねえがな、おすすめはしねえよ」
「そんな、あたし……どうすればいいの……だって、あたし……」
エイヴリルは動揺したように呟き続けたと思うと、ルカにいきなりしがみついて、目を吊り上げた。
「ねえ、あたしのこと助けてよ! あんた、ルカっていってたけど……講義に来たって言う魔術連盟のスゴイ魔術師の、ルカ・アッシュフィールドなんでしょ!? あたしのこと助ける魔術も知ってるんでしょ! だったらお願いだからあたしを助けてよ!」
「エイヴリル!」
窘めるように厳しい怒気のまざる声で呼びつけられ、エイヴリルは唇をかみしめて黙った。
「……お前がしでかしたことだと自覚しろ。自分で考えるんだ。……つうか、俺には、お前がどうすればいいか分からないほど、馬鹿には見えないがな」
ルカはそれだけ言うと、再び立ち去ろうと踵を返した。
「……ねえ、あたし、魔術師向いてないかな」
自信なさげに言うエイヴリルの声に、ルカは大きなため息をついた。
「向いてねえよ、やめちまえ。魔術師なんかやめて、可愛いお嫁さんにでもなったらいいんじゃねーの。お前、落ちこぼれだしさ」
ルカがそう言うと、エイヴリルは顔を真っ赤にして俯いていた顔を上げ、眉を吊り上げる。
「なんですって! あたしは絶対、魔術師になるから! 後悔するわよ!」
エイヴリルに怒声を背に浴びせられ、ルカは何やら楽し気に笑いながらドアに手を掛けた。
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