1-4
「お疲れ、アッシュフィールド君。どうだった?」
相変わらずの人の良さそうな笑顔でサーストンは疲弊した様子のルカを出迎えた。
「当面密林化はしません」
それを聞いてサーストンは安堵の息をついた。その短い言葉にどれだけサーストンは救われたか分からない。
「お疲れだったね。何かお礼ができたらいいんだけど――」
「――教授、お聞きしたいんですが、最近、様子のおかしい――薬物中毒に近い症状になった生徒はいませんか?」
「……薬物中毒?」
「ジェラルドの奴が、裏社会で出回ってる違法薬物よりも効果の高い薬物を作るための術式を、生徒たちに教えたらしいんです」
言いづらそうに、小声でルカ。少し考えたようなそぶりをしたあと、サーストンは気づいたようにはっとして、それから顔を青ざめさせた。
その様子に、ろくでもない、ひどい状態だったのだろうとルカは断定した。
「やはり心当たりが?」
「いやね、ここ三日間、やたら一部の生徒のテンションが高かったんだよ。とてもいい笑顔で逆立ち歩きしながら挨拶して来たり、魔術の精度を褒めたらバック転しながら喜んでたり……そうかと思えば、吐きそうな顔をして、椅子の下で縮こまってまともに授業を受ける様子でなくなったり……」
「地獄絵図ですね……」
そう言って同情するルカにサーストンは苦笑いし、顎の下についたたるんだ肉をさすりながら、思い出したように声を上げた。
「まあ今日には特に何もなく収まったから、ある生徒以外は放置していたんだけど……」
「そのある生徒ってのは……」
「エイヴリル・ハーディングという女生徒だ。本当は今日の講義にも出席予定だったんだが、急に暴れ出したから謹慎させていてね」
サーストンは今までの穏やかな表情と違い、教師らしい真面目そうな表情で続ける。
「少々素行はよろしくない子だが、まあ普通の生徒だ。精神訓練の成績が芳しくない子だったから、魔術的薬物の効果によっては影響を受けるのも致し方ないかもしれない。彼女のことはともかく――」
(ともかく、ね――この人も教師である前に魔術師だな、やっぱり。一人のガキなんかより、自分たちの保身だ。誰だってそうさ――――勿論、俺も)
言いかけるサーストンの言葉に、ルカは心の中でそう毒づいた。
「まずいな、社会問題になりかねない。しかも、ことが露見して教会の異端審問官の監査が入れば危うい。ダウズウェル君は前々から目をつけられていたようだし……」
独り言のように紡がれるサーストンの無言の懇願にルカは眉をひそめた。
ルカが尋ねなくとも分かる――否、サーストンは尋ねてくるのを待っているのだ。
「……俺が調査をしましょう。どのみち、魔術連盟から話が遅かれ早かれこちらに来るんだから」
サーストンが求めているであろう言葉をルカはため息交じりに言った。
「本当かい! アッシュフィールド君!」
案の定サーストンは心底嬉しそうな顔をして、ルカの手をがっしりと掴んだ。撤回はできないぞ、という意味も込められているような気がした、ルカには。
「いやあ、講義に来てもらったはずなのに、こんなことに巻き込んでしまうなんて……」
「いえ……ジェラルドが自分でどうこうするとは思えませんし、ことが大きくなる前にかたづけた方がずっと良い。……とりあえず、ハーディングと話をさせていただきたいのですが」
「ああ、よかった……! 君が来てくれて助かったよ。じゃあ、彼女のところまで案内しよう」
サーストンは安堵したような笑みを――ルカにはしてやったりと言ったような風にも見える笑みを浮かべ、ルカの肩を叩いた。
(――存外この男は、狡賢い、所謂魔術師らしい男らしい。いや、この男も、か)
ルカはそう心の中で悪態をつきながら、サーストンに失望した――とはいっても、ルカが勝手にサーストンの人間性を決めつけているだけなのだが。
(あの人みたいな魔術師なんて、居るわけない。魔術師でなくたって、いないんだから)
誰かの面影を誰かに重ねようとするなんて馬鹿げている。くだらない、不毛だ、ルカは自分自身を罵り、愚にもつかない思考を停止した。
今自分が浮かべる愛想笑いが穢れ切っているようにも思えるほどに、不毛な思考の先にはルカには眩しくも思える「あの人」の至純の笑顔があった。
サーストンの案内で到着した部屋の扉は、ひどく無骨な鉄製の扉だった。ご丁寧に大きな錠までかけてある――鍵穴のない、錠が。
「教授。この部屋は?」
「精神訓練のための部屋だよ。目隠しをしてただ呼ばれるまでじっと過ごすだけの訓練だ」
訝しんでいたルカはそれを聞くや納得したように「なるほど」と声を上げる。それなら自分も経験があった――そう、ルカはぼんやりとその時のことを思い出した。
視界と、それから聴覚も遮られ、手足を拘束されたまま数日間放置されると言うものだった。確かその部屋は雨漏りをしていて――もしかしたら故意だったのかもしれないけれど、水滴が手の甲に落ち続けた。
水滴のせいで睡眠もとれず、気づけばその水滴が落ちてくることに意識を集中していた――まさに拷問のようなそれは、集中しなければ発動できない魔術の詠唱中に敵からの妨害があっても精神が集中できるようにするための訓練だった。
自分も発狂寸前だったが、同じ訓練を受けた者の中に精神が崩壊し、廃人になった者もいたのがルカの記憶にある。
「俺も精神が壊れかけました。あまり、このご時世に人倫からかけ離れた訓練はしない方がいい。非魔術師の親もいますから、教会に訴えられるかもしれませんし」
真面目くさったように言うルカに、サーストンは眉を下げて苦笑した。
「恐らく、君が経験したものほど厳しいものではないよ。たった半日くらいだ。それでも、ハーディング君には耐えられなかったようだけど……――開け」
サーストンが口早に唱えると、錠に描かれていた小さな模様が光り、音をたててひとりでに外れた。
「(こんな、単純な術式と簡単な合言葉を設定するなんて。俺なら酩酊してても秒で開けられる――まあ、ジェラルドレベルの頭のおかしい術式魔術には手が出せないが)」
術式魔術はあらかじめ術式と呼ばれる刻印に設定しておいたキーワードを詠唱として唱えることで魔術が発動する。サーストンが錠に設定しておいた魔術は「鍵を開ける」というごく単純なものであり、術式の模様も、詠唱すらも単調な物だ。
ルカがジェラルドのラボでみた術式はまるで幾何学模様のようであり、複数の図形が組み合わさってできた常人には理解できない術式だ。
複雑すぎるあの術式は、魔術に明るいジェラルドの旧友であるルカですら理解不能であり、結果としてあの罠に嵌った。刻んだ本人であるジェラルドにしかその魔術の利用も、そして理解することすらもできないのだ。
「(通常、魔術師を監禁する場合は扉の内側にも罠を仕掛けておくのがセオリー。そんな挙動は見られなかったし……相当、ハーディングって生徒は魔術の才能がないのか……それか中で失神してるのかもな)」
ルカはそんな風に思いながら、重量感のある扉に手を掛けた。
「じゃあ、アッシュフィールド君、頼んだよ。私は学長に報告してくるから」
気さくに手を上げて、サーストンはまた人の良さそうな笑みを浮かべてその場から足取り軽く立ち去って行った。
処世術のひとつたる愛想笑いを浮かべながら、ルカは「地獄に落ちろ、狸爺」と心の中で毒づいた。
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