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 疲れた様子でルカが教室から出ると、待ち構えたように初老の男が立っていた。

「やあ、お疲れさま」

「ハミルトン・サーストン教授。このたびはお招きいただき、ありがとうございます」

「いやいや、お礼を言うのはこちらだよ。そんなにかしこまらないで。急だったのにも関わらず来てくれてありがとう」

 白髪の、口ひげが特徴的な、黒いローブをまとった恰幅の良い男だった。ふくよかでどこか情けなさすら感じる柔和な笑みを浮かべる人の良さそうな顔立ちは、とても魔術師には見えない――そんな風に、ルカは思った。

「アッシュフィールド君。実に良い講義だった。君を呼んで正解だったよ。君と話したいことがあってね。コーヒーを淹れるから応接室に来てくれ」


 応接室に通されたルカはサーストンがコーヒーを淹れている間、暇そうに窓から外を覗いた。

(――格闘術の授業か)

 数人の生徒たちが二人一組に分かれ、格闘術の修練に励んでいた。力量の差はありつつも、それぞれ工夫して相手に攻撃を当てたり防いだりと――拙いながらも、懸命に訓練をしている彼らをぼんやりみつめていた。

(まあ、魔術一辺倒の魔術師は今じゃありえねえし……杖持ったひょろひょろのじじいやばばあの魔術師なんざ、お伽噺の世界だけだ)

「ああ、掛けていてよかったのに」

(……そうはいっても、戦闘魔術師だけが魔術師じゃないしな。彼のように、教職に就くひともいる。血なまぐさい連中より、ずっと素晴らしい人たちだ)

 ルカはコーヒーと菓子を運んできたサーストンを見て、曖昧に笑って見せながらそう心の中でつぶやいた。

「……ああ、彼らの授業を見ていたのか!どうだい、アルカナ階位の君から見て、うちの生徒は」

「さすがはトルトコック支部直轄で運営しているウィットロック魔術学校の生徒たちだ。とても優秀だと思いますよ」

「……本音は?」

「……コメントは控えます」

「はは、手厳しいなあ。さ、掛けてくれ」

 座るよう促され、ルカは頭を下げて腰掛ける。木製の椅子はかなり年季が入っているのかぎしり、と頼りなさそうな音をたてた。

「サーストン教授。さきほどはお騒がせして申し訳ない。教壇は弁償しますので……」

 顔をひきつらせ、ルカ。さっき教室を覗いたら生徒たちが木片を掃除しているのが見えたからだ。

「ははは、気にする事はないよ。生徒たちも君の魔術を生で見られて言葉を失うほど感動していたし。記念に木片を持ち帰ると言っていたよ」

(あれは感動じゃなく、引いてたんだろうが……)

「魔術師の中でも実力者の証であるアルカナ階位持ちの魔術師の講義を受けられるなんてそうないからね。みんなとても楽しみにしていたんだよ」

「いえ……そんなに、たいしたものでは。俺は、誰かに教えるのは得意ではないですし」

「何言ってるんだ、アルカナ十六階位、破塔の魔術師ルカ・アッシュフィールドの講義が受けられるなんて、彼らは幸運だよ。それに、君はそのなかでも天才といわれている」

「……才能なんて、大したものじゃありませんよ。それを磨きもせず、放置している俺は、凡人以下です。能力や称号だけは、あったとしても」

 サーストンの賞賛の言葉に、ルカは喜ぶこともなく――寧ろ、顔をしかめて――苦虫をかみつぶしたような顔をして、そう口早に言う。

「そのうち、称号は返上しようと思っています。ただ惰性でそこにいる俺には、過ぎたるものだ」

 謙虚なのか傲慢なのかよく分からなかったらしいルカの言葉にサーストンは苦笑していた。

「しかし、差別意識はなくならない、か。君はそのまま受け入れるのだね。どの思想にも当てはまらない。今魔術師たちの中では、思想が錯綜しているし……」

「……思想を掲げている連中が、極端すぎるだけだと俺は思いますがね……。

 で、教授。本題は?まさか俺に学生を薫陶させるために呼ぶなんてことはないでしょう。他のアルカナ階位にはそういう向きの奴がいるし」

「君だって女生徒にモテモテだったじゃないか。彼女たちはいつにもなく真剣に聞いていたよ」

「……教授」

 半目で見てくるルカに、サーストンは誤魔化す様にわはは、と笑った。

「悪いねえ、おじさんになると無駄にしゃべっちゃうんだよ。それでね、君にお願いがあってね」

「……」

 無言ではあったが、ルカの顔には「嫌だ」とはっきり書かれていた。あきらかな拒絶の意思に、サーストンはため息をつく。

「露骨に嫌そうな顔をしないでくれよ。アッシュフィールド君、ジェラルド・ダウズウェルとは旧知の仲だろう?」

「腐れ縁、と言ってください」

 より一層ルカの顔が苦々しいものになる。しかしサーストンは、知らぬふりをしておいた。

「……実はね、彼を術式学の講師として雇っているんだよ」

 その一言に、口に含んでいた珈琲をルカは思わず噴き出した。誤嚥したことにより咳き込んでから、ルカは口を拭って机をたたく。

「あいつが講師!?正気ですか!?意味不明な南国の植物が繁茂したり、逆立ちで踊り狂いながら奇声を上げさせる術式を刻むあいつがですか!?」

 信じられないと言った調子で、ルカは目を見開いてそう問う。

「いや、まあ……実際にその被害に合っているんだが……魔術術式において彼の右に出る者はいないだろう?ただ、講師になる代わりに学校の一室をラボにさせてくれと頼まれてね……まあ、了承したんだけど」

「……奴にラボを貸すのは、殺人鬼にナイフを渡し、なおかつ自分の手足を縛って目の前に転がるのと同じでしょう……」

 呆れたように目を眇め、ルカ。それを聞くサーストンの顔は苦りきっており、ため息を深くつくのだった。

「そうだね。餌を与えなかった猛獣を前に、裸になって転がるのと同じともいうね」

「山道がない自然そのままの山で、命綱無しで逆立ちでスキップしながら登山するのも追加で」

「頭に岩を括りつけて、海に蹴りいれられるのも追加」

「…………」

「……やめよう、不毛だ」

 サーストンがそう言うと、二人はうんざりした顔でうなずき合った。

「えっと……大きい声では話せないんだが……どうやらマズい禁術を開発してしまったようで……」

「………あいつが禁術を開発するのは今に始まったことじゃないですが……」

「まあ、僕もそれくらいなら看過出来たんだけど……というか、学校中、いや町中に密林の植物を繁茂させるぞと意味不明な脅迫をされたので看過せざるをえなかったのだけれどね……」

「何故あいつはなんでも密林にしたがるんだ……」

「その密林化よりも、非常に言いづらいんだが、なんでも禁術を非魔術師に漏洩してしまったらしくてね」

「朗詠?」

「いや、――漏洩」

 ルカは気が遠くなった気がした――――むしろ、そのまま気が遠くなって、倒れてしまえたらよかったのにと思った。

「ろうえい?ろうえい、って……秘匿している情報などを漏らすといういみのろうえい?」

「……そうだ」

 静かに、重々しい風にサーストンは言った。ルカはまた現実逃避をしたくなった。

「……その、大馬鹿マッド野郎のラボに案内してください……」




「な・に・を考えとんだお前は――――ッ!」

 ルカの怒りが爆発すると同時に、怒声が詠唱となってドアを爆破する魔術が発動した。

 木製のドアは轟音を上げ、爆裂。爆風によりドアだった木片は部屋にまき散らされ、部屋にあった家具や物もいっしょくたに巻き上げていた。

「ジェラルド!出て来い!ようやく引きこもり脱却したと思ったら、また面倒ごとを起こしやがって!」

 ルカが苛立たし気にだんっ!と地団太を踏むように勢いよく部屋に踏み込んだ。彼が踏み込んだ床には、資料やら何かの器具やらが散らかっており、おまけに虫が這っていて、ついルカは口元をひくつかせた。

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 男の声が響くと、ルカの足元に刻んであった模様が輝きだす。

「んな――!」

 ルカは咄嗟にその場から離れようとしたが、柔らかいものを踏んずけたような感覚がした瞬間、沼に引きずり込まれるように、足元が液状化した。

「わ――れを導け清らなる乙女の想い糸よ!」

 沈む感覚に焦燥を駆られたルカは慌ててそう叫んだ。

 声が響いた瞬間、何かに引き上げられたようにルカは液状化した床から天井ぎりぎりまで飛びあがった。

「――我招くは冬の姫君!」

 落下しながらルカが手を大きく広げ唱えると冷気を纏った風が強く吹いた。水面のように波打った床は冷気によって見る見るうちに凍って行く。

 凍った床で滑らないように着地すると、ルカは目を眇めて眉を吊り上げた。

「学校の床を液状化させるなんて、てめえは相変わらずだな、このキチガイ野郎」

「非常識な君には言われたくないよ、ルカ。ドアはまず4回ノックして、僕が返事をしたらノブをひねって入ってこなきゃ」

 部屋の奥から落ちている物をまたぎながら、ぼさぼさの髪の男が平然とした声で言った。

 男の茶髪の髪は手入れされておらず、申し訳程度に開いた眠そうな碧眼の下にはくっきり隈が浮かんでいる。魔術師の証であるローブはその辺に脱ぎ捨てられ、適当な場所に置いてあった眼鏡をかけると、よれよれの服装でルカを出迎えた。

「4回だと! お前をなんで目上の人間だと認識せにゃならんのだっ! てめえなんぞトイレノックで十分だっ!」

 どこかズレたルカの指摘に、男は動じずに眠そうに欠伸をするだけだった。

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