一章 再び動き出す運命
1-1
「ん……」
窓からさしこむ日光の眩しさにルカは目を眇め、けだるそうにベッドから身を起こす。
「ふあぁ……」
大欠伸をしながら、身支度をするべくルカは鏡を覗き込んだ。
二十代くらいの、黒髪の青年だ。黒い髪は寝癖であらゆる方向にはねていたが、元々癖っ毛でもあるようにみえる。顔立ちは整っており、いわゆる美形と呼ばれるような顔つきをしていたが、鏡の中のからきつい印象を与えるつりぎみの紫の瞳がルカを睨み付けていた。
(似てねえな、やっぱり……)
適当に髪を整えてしまうと、ルカは忌々しそうに鏡から目を離す。
昨夜枕元に準備しておいた黒いタートルネックのノースリーブのインナーを頭から被った。彼の戦闘や訓練で鍛えられたしなやかな筋肉のついた体のラインがインナーの上からもはっきりと分かる。
ベルトに愛用しているナイフを忘れずに装着する。未だ眠い様子のルカは、その間に何度も欠伸をしていた。
(そうだ、今日は……なんだっけな……なにをするんだっけ……)
ベッド脇のサイドテーブルに置いてあったピッチャーから水を注ぎながら、ルカはぼんやりした脳をまわすため思考する。
(ああ、そうだ……学校。講義をしなきゃなんないんだった……)
グラスを口につけながら、ルカはようやくベッドから重い腰を上げた。一気にぬるめの水を飲み干すと、遠出用の鞄を漁り、事前にまとめておいた資料を取り出す。
(魔術師の社会の立ち位置と、魔術連盟の在り方……なんだって俺なんかが、この内容で呼ばれたんだか……)
ハンガーからずり落ちかけた黒いローブを羽織り、とどめとばかりに黒の肘まである指ぬきグローブを嵌めた。それから鞄をまた漁ると、小さな箱を取り出した。
確認するようにルカが箱を開けようとするが、開くことはなく安堵の息をついた。鍵穴もなければ錠もない箱。だが、開く様子はない。
「鍵は此処にあり」
誰に言うでもなくルカがそう呟くと、箱はひとりでに開く。中から彼の瞳にそっくりな色のブローチがしまってあり、大事そうに扱いながら、ブローチでローブを留める。袖を通していないので、ローブと言うよりはマントのようだ。
資料をひっつかんでローブを翻し、黒ずくめの魔術師ルカは宿の部屋を後にした。
学校の講堂というにはさして広くもない教室のような部屋で、ルカは教壇に立っていた。
魔術師の学校は学校と言っても需要が少ないためか、そこまで大規模な建物は少ない。塾を少し大きくしたような小さな学び舎だ。
十五、十六くらいの少年少女たちがどこか緊張した面持ちでルカの講義を聞いている。
「――魔術師が社会的に存在を認められたのは、おおよそ5年前ほどのことだ。
俺たちの所属する非魔術師に対して魔術師の理解を深めるための組織、魔術連盟発足に至ったわけだが―――そうだな、きみ。エレイン・バージェス」
「は、はいぃ」
すっとんきょうな声を上げたのはおとなしそうな眼鏡を掛けた少女だ。驚きでズレた眼鏡を直しながら慌てて立ち上がる。
「魔術師は長年お伽噺の存在として認識されてきた。 非魔術師に存在を知られたきっかけを答えて」
「は、はい。100年前の魔女狩りと呼ばれる、リーズ教会による、魔術師の大量殺戮がきっかけです。殺戮された魔術師は、力の弱い子供たちや老人ばかりだと聞いています」
「そうだな。教会はなぜ魔術師を大量殺戮するに至ったんだ?」
「教会の上層部は魔術師が現実に存在すると知っていました。そして、魔術師は、何もない場所から炎や水を生み出した物語られる神と酷似する術、魔術を扱うことが出来る。そうすれば神を至上とする教義が揺らいでしまう。それを教会側が危険視したから……だと思います」
「そうだ。模範解答だな。よく勉強してる。もういいぞ」
ルカがそう声をかけると、エレインはぺこぺことお辞儀をし、静かに席についた。
「そして、魔女狩りは幾度となく行われた。魔女狩りを推奨した教皇が代替わりしたことで、それから数十年間は魔女狩りは行われなくなったが、魔女狩りを禁じた教皇が死んだことによって過激派の枢機卿が教皇となり、魔女狩りを再開した。魔術師たちは一般人にまぎれて隠れ住んでいたが、とある事件が――」
「ヴァルプルギスの夜です!」
興奮気味に答えたのは根暗そうな猫背の男子生徒だ。ルカが眉をひそめるのもおかまいなく、興奮気味に続ける。
「一夜にして魔女狩りに関与したと思われる枢機卿どもを優秀な魔術師達が始末した出来事です!約30年前に一度、そして5年前にもう一度行われました! 非魔術師に魔術師の存在と強大な力を知らしめたきっかけになりました」
「……いささか偏りのある解釈での回答だが……正解だ、トラヴィス・ヘーゼルダイン。一度目は公にならない程度の被害だったようだが、二度目は甚大な損害だった。しかし二度目のヴァルプルギスの夜に関与した魔術師たちは処罰され、教会側とも表面上は和解した。魔術連盟は社会に受け入れられるための現在のように魔術師たちにルールを課すようになった。二度目の事件をきっかけに、皮肉にも魔術師は一般社会に受け入れられた、と言える」
ルカはちらりと時計を見やる。もうすぐ講義の終了時間だ、と気づき、まとめるために情報を整理しながら口を開いた。
「しかし、ヴァルプルギスの夜が原因で非魔術師たちは魔術師に対しての恐怖、不信感から差別的な態度を取ることが多い。このレティーリア王国は実質的な権力を教会が握っているからな、国民の大半が魔術師に対しては厳しい眼を向けていると言ってもいい。つまり、社会全体が魔術師に監視の目を向け、何か問題を起こせば教会による異端審問が行われる。そう言った問題を回避するために魔術連盟があるわけだ。互いを守りあい、非魔術師たちとの共存を目指す組織。それが魔術連盟の―――」
「しかし、僕は納得がいきません。非魔術師たちは認識不足で僕たちを非難し、迫害しようとします。彼らは魔術が使えない――力が無いのに。僕たちは何故彼らに従い、彼らに合わせなければならないのですか? 僕たち魔術師は優れた存在だ、従うべきは彼らです」
(――――ああ、やっぱりなんか言うと思ったよ、お前みたいな奴は)
ルカは心の中で嘆くと、頭を掻きながらトラヴィスに視線をやった。
「ここはきみの思想を主張する場じゃない。しかるべき場所で主張しろ、ヘーゼルダイン」
「僕は貴方に会えるのを心待ちにしていたんです、ルカ・アッシュフィールド。魔術連盟幹部アルカナ十六階位にして、魔女狩り被害者遺族の貴方に!」
生徒たちがざわめく。魔女狩り被害者、という言葉に生徒たちは驚きを隠せないようだ。
「静かに! ……今は講義中だ、個人的な質問は後にしてくれ。少しくらいなら時間を割く」
ルカの言葉を気に留めることもなく、トラヴィスは熱に浮かされたように続ける。
「何故貴方は今の魔術連盟を是としているのですか! 軟弱な非魔術師共と、妄想上の存在を信仰している愚か者共が、僕達が大人しくしているのを良いことに平気で僕たちを迫害する! 再び先人のようにヴァルプルギスの夜を起こすべきです! だからこそあなたのような魔術師が必要なんです!」
「聞こえなかったか? 静かにしろ、席に座れ」
「聖エステメリア教会を爆破した魔術を、あなたのような魔術師なら―――」
「――うるせえ!」
耐えきれなくなったルカがそう怒鳴ると、前にあった教壇が爆裂し、木片が飛び散った。
バラバラになった木片を蹴とばすと、ルカは眉を吊り上げ、眉間に皺をよせ口を開いた。
「いいか!俺や大多数の魔術師がヴァルプルギスの夜を起こさない理由を教えてやる! それは俺たちが人であるからだ! 人には考える知能があり、欲望を抑える理性がある。それができねえのは、人じゃねえ。お前が崇め奉る先人は、そこら辺にいる魔獣と同レベルだ。腹が減れば肉を食い散らかし、繁殖期が来れば交尾し、そこら辺でクソを垂れる。本能のままに生きる害獣と同じなんだよ。だから駆除されるんだ」
トラヴィスは信じられないと言うような顔をしていたが、ルカは鼻で笑って続ける。
「お前が崇める英雄様は、復讐って大義名分を翳して、ムカつく奴らを殺したいだけの良い年こいたくせにガキみたいな奴等なんだよ。……だが、俺だって昔ほどじゃあないが、今でも非魔術師たちに対しての差別意識はある。お前らだってそうだろ?」
そうルカが言いきると、一人の女生徒が手を上げた。切れ長の眼のストレートヘアーの理知的そうな少女だった。ルカが怒鳴ったときも彼女はひとり慌てる様子もなく冷静だった。
「非魔術師たちこそが我々の親であり、彼らに魔術と言う技術を還元しようと言う非魔術源流主義の方たちは、平等だ、非魔術師と魔術師に差などというものはない――と謳っています。これについてはどうお考えですか?」
そう問う。とくに動じる様子もなく、ルカは彼女に視線を向ける。
「じゃあ…リオノーラ・ハヴィランド。非魔術師が数十メートル先からナイフを持って君を殺しにかかったとする。逃げ場はないと言う前提で、君はどうする?」
「私の下に到達する前に、魔術で殺します」
(この世代の魔術師が平然と殺す、とはな。親か兄弟の教育の賜物か?)
平然と言ってのける彼女にルカは意外そうな顔をし、その答えに頷いて解説するべく口を開く。
「それが、差だよ。ハヴィランドの言う通り、彼らが攻撃を仕掛ける前に俺たちは瞬時に命を奪える。非魔術師たちは弓かクロスボウあたりで暗殺するか、はたまた銃で撃つかくらいでしか俺たちに太刀打ちできない。その二つの方法も正直現実的じゃないしな。埋められない差があるのさ。平等だというのは詭弁だ。彼らは決定的に俺たちより弱い」
「確かに……私の兄は源流主義ですが、その辺りの議論を避けていました……非魔術師たちは暗殺者でもない限り気配を消すのが下手だし……ありがとうございます」
そう言って軽く頭を下げると、リオノーラは何食わぬ顔で着席した。
なんとなく、ルカは怒りが冷めて、生徒相手にムキになった自分が恥ずかしくなり、冷静になった。
「ハッキリ言うが、差別意識をなくすのは絶対に無理だ。俺たちは勿論、非魔術師たちも。哀れみも、蔑みも、彼らと違うから来るものだ。生まれついてのものはどうにもならない。
なら殺しあうか?殺しあいは次の殺しあいを呼ぶ。それが魔女狩りとヴァルプルギスの夜だ。あの出来事は後始末にヴァルプルギスの夜の首謀者や幹部クラスは処刑、その後のやれ復讐だなんだかんだと仇取り合戦になり、死傷者の数も増加。というわけで、殺しあいに生産性はないし不毛だと言う事が分かると思う」
トラヴィスは唇をかみしめ、ルカに憎悪の視線を送る。ルカは気に留めることもなく――どちらかと言うと、もうどうでもよくなって話し続ける。
「で、だ。殺しあいがダメならどうすればいいと思う?――――そこの、寝てたか起きてたか微妙な。イライジャ・カッセルズ」
イライジャと呼ばれた癖っ毛の生徒は、びくっと体を震わせ、慌てて顔を上げた。
「え……そ、相互理解が必要かと思いますです!」
「それらしいことを言ってごまかしたな。まあそうだ、相互理解。で、それをするには?」
「そ、そうですねえ……思いやり的な――人と人との絆が肝要になってくるのではないかと――」
眼を泳がせるイライジャに「もういい」とルカは呆れたように言い、しどろもどろの彼を解放してやる事にした。
「……思いやりやら絆やら言ってられるほどの関係性じゃねーだろ、そもそも思いやれるのであれば殺しあいになんて発展しない。――いいか、相互理解には譲歩が必要だ。一番理想的なのはお互いが譲り合う事だが、それが出来なきゃどちらかが譲歩すればいい。そして、もし武器を向けられたとしても、俺たちにはそれを防ぐ術がある。きっと待ち続ければ、相手も武器を収めるはずだ……それが何年かかろうと、待ち続けるんだ。それが、殺し合いを回避する方法だ。魔術連盟の、今の在り方だ」
「その、貴方の言う譲歩ができない魔術師はどうするのですか」
怒りで声を震わせ、トラヴィス。ルカはそれを知ってか知らでか、いたって冷静に続ける。
「そりゃ決まってるさ、牢屋にぶち込む。お前も知ってるだろう、魔術連盟の規律を。特に緊急事態でもない限り非魔術師に対して魔術で危害を加えるのは重罪だ」
「……貴方も魔術連盟も腐っている!」
「そうかもしれないな」
平然とルカが答えると、トラヴィスはいきなり立ち上がって教室から飛び出していった。ルカはその姿を見送ると、動揺している生徒たちに向き直った。
「――話が脱線したが、おおよそ俺が伝えたいことは伝えた。別に俺は非魔術師たちに隷属しろとか従えとか言ってるわけじゃない。自分の身を守るために魔術を使うのなら、しようがないことだ。きっと連盟も考慮して、罪も軽くなるだろう」
一瞬だけ目を伏せ、ルカは真っ直ぐ生徒たちを見やる。生徒たちは様々な表情でルカの方をみつめていた。
「けど、結局争いは少ない方が良いと思うんだ。彼らと俺たちは決して同じではない。それを理解し、共存することが出来ればお互いに幸せのはずだ。彼らにも俺たちにも、家族や大事な人たちがいるはずだからな」
授業終業を知らせる鐘が鳴り、ぴりついた空気がやわらいだような気がした生徒たちは安堵した。ルカもまた、ひとつ息をつく。
「……俺の講義はここまで。きみたちが優秀な魔術師になって再会できるのを祈る」
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