第七回「砂」 貴重品の砂を作って生活する姉と妹の話

あるいは永遠に建たなかった城

 風が吹き、砂塵が舞う。吹き上げられた細かな粒はアタシのゴーグルとスカーフに容赦なくぶちあたり、ぴしぴしと音を立てる。後部座席で妹のアトがけほけほ言うので、やかましいよ役立たず、と私はスカーフ越しに怒鳴る。

 砂は嫌いだ。触ると熱いし、飯はじゃりじゃりにされるし、車は壊すし、目に入ると痛いし、アタシの体は真っ白になる。ろくなもんじゃない。それでも、砂は金になる。だからアタシとアトは砂を作りに向かうのだ。

 怒鳴りつけられたアトはぷるぷると震えている。それは大いに結構だが、車は砂にしてくれるなよとアタシは思った。



 今最もホットなのは砂だ、といったのはグリットだった。

 アタシは冷めた目を、夜の砂漠のように冷めた目を向け、当たり前だろうがいっつもいっつもお天道様に照らされてるんだからよお、そんなことも分かんなくなっちまったかイカレ親父といい、グリットはアタシを強かに蹴り飛ばし、アタシは床に転がった。

「バカはてめえだデーザ」グリットは床に蹲ってえずくアタシに言う。「今は、砂が金になる時代なんだよ」

「砂が、金になる? 寝言みたいなこと、いいやがって。そんならアタシたち、あっという間に金持ちじゃねえか。何せ、砂なんてのは周りにあふれてやがる」

「あんなのが金になるか間抜け。そこらにあるような丸くて細かい奴は糞の役にも立たねえ。お前らと一緒だよ、ゴミ姉妹」

 吸い殻が床に放り投げられ、じゃりじゃりと足でもみ消される。

 砂の音だ。

「街の方じゃな、今や金よりも砂の方が貴重だっていうやつもいるくらいなんだぜ」

 なんでも、今や世界中で砂が不足しているらしい。

 大都市では毎日毎日大量の砂が消費されている。

 アスファルト。

 ガラス。

 歯磨き粉。

 化粧品。

 スマートフォン。

 どれもアタシたちには関係ない代物だ。だが街じゃそんなものを作るためにたくさんの砂を必要としている。

 砂をめぐってマフィアやらも動いてるとかいう話だ。

「だからな、デーザ」

 まくしたて、煙臭い口を近づけてグリットは言う。

「これからはあのどんくさい妹と一緒に、使える砂を採ってこい。お前らみたいに小さくて丸い、そこらにいくらでも溢れてるようなクズじゃねえ。ちゃーんと使える砂をな。採って来たら来るだけ、金をやろうじゃねえか」

「……分かった」

 アタシは頷くしかない。金は必要だ。それにこの仕事は悪くない。少なくとも、撃ったり撃たれたりするよりかはよっぽどマシだ。

 ありったけの金を稼いでやる。そして、こんな砂まみれの生活から抜け出して、アタシは綺麗なものに身を包むんだ。

 アタシを置いていなくなった母さんみたいに。


「ねーちゃ、おかえり!」

 優しさの欠片もない日差しに辟易しながらねぐらの洞窟に帰ると、アトが先に待っていた。朗らかな笑顔に、アタシの眉は顰められる。

「仕事はどうしたの」

 アタシが厳しい顔で言うと、アトはびくりと体を震わせた。

「仕事は」

「……あのね、アトね、もう来なくていいって。お前は役立たずだからって。だから今日は早く帰って、ご飯の用意してたの」

「……そう」

 アタシは荷物を放り投げ。

 アトの小さな頬を、思い切りはたく。

 ぱあんと小気味よい音がして、アトの目に涙が浮かぶ。

「ねーちゃ」

 ぱあん。もう一発。アトが泣き出すより早く、こんどは逆からビンタする。そのまま胸倉を掴み、アタシは恫喝する。

「ふざけてんじゃないよこのトンマ!! 誰がお前を拾ってやった? 誰がお前を食わせてやってるんだ!! 少しは役に立って見せないか糞カスが!!!」

 そのまま荷物より乱暴に、アトを床に放り投げる。小さなアトの体が、二度ほど弾んだ。ごめんなさい、ごめんなさいと泣き出すアトを横目に、アタシはまずい飯に口を付ける。

 アトは、アタシの妹だ。

 妹といっても血がつながってるわけじゃあない。たまたま見つけたみなしごが懐いてきたから、一緒に暮らしているだけだ。どっちかっていうと手のかかる娘のほうが近い。アトは小さくて、力がなくて、役立たずだから、アタシが母代わりとしてこの愚図を大事に大事に育ててやっている。

 夜は抱き着いてくるアトの背中を撫でながら寝かしつける。

 適当なぼろ布で新しい服を作ってやる。

 仕事から帰って来たら、アタシの残り物を食わせる。

 悪いことをしたら殴りつけ、大きな声で自分がいかに役立たずか教えてやる。

 母さんがアタシにしてくれたように、アタシは親代わりとして、しっかりアトを育てている。


 翌日、アタシはアトを連れて仕事に向かった。四方八方から音を立てるおんぼろ車を怒鳴りつけながら砂漠を走らせ、大きな岩が転がる一帯までやってくる。グリットの指定だと、このあたりの砂ならコンクリ用に売れそうだ、ということだった。

 適当な大きさの岩の近くにアタシは車を止める。しばらくぷすぷす言っている車の後部座席から、目に砂が入ってごしごしとしているアトをつまみあげ、岩まで連れていく。

 グリットはアタシらが手作業で砂を掘り出してくると思ってるんだろう、スコップなんて渡してきやがった。機械なんてやるまでもないということだ。キロいくらで買い取るとか言ってたから、多分他にもいろんな奴らに砂を集めさせて、まとめた分を売り払っているんだろう。別のどっかで、スコップ片手に汗をかいているガキどもが見えるようだ。

 だがグリットにとっては残念なことに、アタシらはそんなちまちましたことをしないで済む。アトが仕事を辞めさせられたのは、案外ちょうどよかった。

「アト、言ったとおりにやりな。わかるだろ?」

「うん、ねーちゃ」

 アトは大きく手を広げ、岩に抱き着いた。しばらく何かを確かめるようにしていたアトだが、やがてその体が少しずつ震えだす。ぶるぶる、ぶるぶる。小刻みな振動はやがて抱き着いた岩にも伝わり、岩がその巨体を揺らす。ぶるぶる、ぶるぶる、ぶるぶるぶるぶる。

 そして──ある瞬間、耐えきれなくなったように、震えていた岩は崩れ、砂へとその姿を変えた。

 アタシは大急ぎでズダ袋に砂を詰め込み、それを車に放り投げる。疲れてへたり込んでいるアトをどやしつけ、せっせと砂を運ばせる。全部詰め込み終わったら、次の岩へ。

 こうしてアタシたちはグリットから大量の金をせしめることに成功した。

 その翌日も。そのまた翌日も。



 アトは、体に触れたものを砂に変えることができる。

 手に持ったり、あるいは抱き着いたものにしばらくぴったり肌を付けていると、やがてそれにぴったり合う震え方が分かるという。それが分かるとアトの体は小刻みに、ものすごい速度で震えだし、やがてその振動が触れているものとぴったり合うと、そいつは一瞬で小さな砂に変わる。

 なんでそんなことが出来るのか、アタシは知らない。多分誰も知らないだろう。とにかく、出来るものは出来るのだ。

 一昨年くたばったイカレ婆は、このあたりには神の愛し子として生まれてくる子供がたまにいて、こういう変わったことが出来るんだ、その代わり神様のところに行くのも早いけどね、と言っていた。

 アタシに道案内を頼んだ学者を名乗るメガネは興奮した様子で、過酷な環境における遺伝子がどーのこーのと言い、足元不注意でコブラに噛まれて死んだ。

 アタシは神も信じてないし、遺伝子とやらもよくわからない。だからどうでもいい。

 重要なのは、今まで無意味だと思っていたこの特技が、今やとても有用なものになったという事実だ。

 砂は金になり、そしてアトは砂を作る。つまりはアトが金を作るのと一緒だ。

 アトを大事にしておいてよかったと、本当に思った。



 アトと砂のおかげで、アタシたちの稼ぎはどんどん良くなっていった。昔、砂ほどの小さな金を集めて金を稼ごうとした連中がいたらしいが、そいつらが聞けば羨ましがるだろう。砂の中から金を集めなくても、アタシらにとって、砂そのものが金みたいなものなのだ。

 もう腹が減ったからって蛇とかトカゲを捕まえてきて食べる必要はない。ねぐらの奥に置いてある金庫には、砂が形を変えた金がたまっていく。

 アタシらは幸せになるんだよ、とアタシは言う。

 アトは首をひねり、幸せってなあに? という。

 幸せってのは、きれいなものに囲まれて、きれいなものを身に着けて、大きな家に住むことだよ。こんな洞窟なんかじゃなくてね。

 アトはまた首をひねり、それならアトはもう幸せだよ。きれいなものは周りにたくさんあるから。さらさらしてて、白くて、太陽をはねかえして、きれいだよ。

 何を言っているの、このあほ。こんなのが幸せなわけないだろ。抱き着いてくるアトの背を撫でながらアタシは言う。アタシらは幸せになる。きれいなものを身に着けて街に行った母さんみたいに、幸せになる。そのためにはもっと砂が必要だ。アト、お前にかかっているんだよ。

 アトは眠そうな声で、うん、わかった、たくさん砂を作るねと言い、アタシにしがみついて眠りに落ちる。

 アタシもアトの背を撫でながら、いつか立つはずのお城の夢を見る。



 けれど、大変困ったことに、その生活はあまり長く続かなかった。

 砂がなくなったのだ。正確に言えば、砂になるような岩が。

 毎日毎日アタシらはいくつもの岩を砂にした。するとどうだ、あんなにあったはずの岩がなくなって、あたりは見渡す限りの地平線。なるほど、世界中で砂不足になるというのも分かるものだ。

 車で遠くに出かけては、岩を探して砂に変えさせた。それでも見つからなくなって、やがて錆鉄も細かい砂に変えさせた。そのほかにもいろんなものを砂に変えた。

 それでも、追いつかない。アタシらの砂はどんどん少なくなる。アタシらのもらう金はどんどん少なくなる。城を立てるにはまだまだ足りないのに。

 日に日にアトを怒鳴る時間が増え、アタシはどんどん苛立ちを募らせる。

 砂さえあれば。砂さえあれば。それがアタシの口癖になる。



 そして、その日がやってきた。



「ねーちゃ、ねーちゃ」

 その日は珍しく雨だった。雨の日は頭が重い。アタシは水音に思考を沈ませて、自然に浮き上がってくるまで放っておくことにしている。

 それなのに、アトが体をゆするもんだから、アタシは不機嫌に目を覚ました。

「ねーちゃ、砂、作った。これで大丈夫」

 ニコニコ笑いながら言うアトの指さす先を、アタシはいまだに開かない目で見る。確かに、なんだかこんもりとした砂の山が出来ていた。一体何を砂にしたのか。やたらにキラキラして……。

 その瞬間、アタシは目を見開き、事態を認識して、アトを思い切り殴りつけた。

「バカ!!! バカ……このバカ!!! なんてことを!!」

 このバカ、あほ、トンマ、愚図、間抜け!!

 よりにもよって、

 アタシはアトを殴りつける。殴りつける、殴りつける、殴りつける。

 なんてことを、なんてことを!!! おしまいだ、もうおしまいじゃないか!!!

 アタシは城を立てたかった、アタシはきれいなものを身につけたかった、アタシは母さんみたいにきれいになりたかったのに!!!!

 ごめんなさい、ごめんなさい、アトは言う。縋りついて、泣きながら、震えながら、アトは言う。許すもんか、ああ、許すもんか!!

 ごめんなさい、ねーちゃ。アトは震える。許して。アトが、ねーちゃを、

 ──え?

 その瞬間、アタシの全てが崩れていった。

 夢も、城も、金も、腕も、足も、顔も。


 どうして。どうして。あんなにも優しく、母さんみたいに、優しくしてあげたっていうのに。

 言葉を紡ぐ喉も崩れ。

 そして、最後に、一握の砂だけが残った。



<了>

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