明日のごはんはハンバーグ 下ごしらえの時間

 ぱちり、と。いつものように冷気に包まれて目を覚ました。

 そこは暗い匣の中。私は光を求め、外界へと腕を伸ばす。

 扉が開き、白い気体と共に私は這い出た。室内は、変わらず暗い。寒くない分、まだマシではある。

 動作確認。腕を上げ、伸ばし、畳み、回す。足も同様に。全身の駆動が適切か、感覚は正常か、確かめていく。……オールグリーン、異常なし。

 続いて記憶を確かめる。私の名前は松戸彩まつどあや。年齢18歳。職業、フリーの研究者。専門、生体工学。そして、早津神希はやつがみのぞみの親友。……うん、こちらも問題なし。記憶の引継ぎは問題なく出来ている。ならば、次にやることも分かる。

 一糸纏わぬ姿のまま、私は保管庫を出る。服は着るだけ無駄だ。どうせこのあと汚れるのだから。


 処理部屋の中に入ると、おびただしいほどの錆びた匂いが鼻を突き刺す。たとえ花粉症の人間でも、この匂いの前では尻尾を巻いて逃げ出すだろう。

 一歩踏み出すとぺちゃり、とまだ温かな液体が私の足裏に絡みつく。毎度毎度のことながら、派手にやるものだ。

 ぺちゃ、ぺちゃ、ぺちゃ。血の池を数歩歩き、足元を見下す。そこには

 いや、正確を期すならば死体だが。

 しばらくそうして眺めた後、私は死体の処理に取り掛かる。

 希が起きてくる前に、きれいさっぱり掃除してしまわなければならない。




 不老不死になったというのは、もちろん嘘だ。

 そんなものを実用化するなんていうのは、たとえ私が100年かけても無理だろう。私が実際にやったのは、ヒトクローンの作成と記憶の電子的伝達、そのオートメーション化だ。吸血鬼じみた不老不死なんかではない。ただ単に、私を量産する、それだけのことだ。

 要するに、

 

 それだけの簡単なプロセスだ。不老不死に比べたら、なんと他愛もない仕組みだろう。

 私は自分の生首についた髪飾りを取り外し、装着する。不老不死マジックの一番の種はこれにあるといっていい。

 この髪飾りは極小の脳波スキャン装置になっていて、私の記憶は随時それに読み取られ、電子的に記録されたのち、中枢コンピューターへと転送されている。私の脳波が完全に途切れた時には死んだと判断され、それによって中枢コンピュータはあらかじめ用意してあるスペアボディの脳へとそれまでの記憶を書き込み、起動を促す。そうすれば以前と全く同じ記憶を保った松戸彩の完成だ。あとは死んだ松戸彩の死体を処理すれば、ほら、何も変わらない。

 同一性を保った私が此処にいるのだから、希にとっては私が死んでいないのと同じことだ。

 我ながらなんというペテン。よくもまあこんなものを思いついたものだ。

 いや、正確に言うと思いついたのはオリジナルの──13代前の私だが。



 丁寧に、丁寧に。私は私の死体を処理する。

 骨と肉をばらしていく作業は、何度やっても骨が折れる。いや、折るのは死体の骨だが。

 何度やっても慣れないのは、肉体的には毎回初めてだからだろうか? 少しそのあたりも研究したほうがいいかもしれない。

 肉を選り分け、骨と臓器を壁に隠した焼却炉へと放り込む。血だまりも起動させたシャワーで流す。天井から降る水と交じって、私だった赤血球が排水口に吸い込まれていく。処理室を作った私の判断は偉大だ。そして毎回、衝動に苦しみながらもきちんと処理室に来るまで我慢する希も、なんて偉いのだろう。

 体を処理し終え、最後に残った生首を持ち上げて、私は私と対面を果たす。

 とろけるような、夢見るような。恍惚とした表情だ。

 ……不老不死が嘘だということは、当然痛覚の話も嘘になる。

 

 文字通りの、の痛み。

 それはいったい、どんな痛みだろう。私は知らない。髪飾りが記憶データを読み取って送信するのには多少のラグがある。私が持っているのは、あの子を受け入れる直前の記憶までだ。

 殺されている最中の記憶は、感情は、痛みは、死んだ私だけのものだ。

 私の知らない私の記憶。

 恐らくだが、想像を絶するような痛みのはずだ。この頭脳をもってしても計算できないほどの、耐えがたい苦痛のはずだ。

 それなのに私の顔は、こんなにも幸せそうに笑っている。

 今まで死んだ十三人の私は、皆こんな風に笑って死んだ。

 ──羨ましい、と思う。

 死んでいった今までの私が羨ましい、と。

 きっと、激痛なんて気にならないくらいに、あの子に殺されるのは恍惚だったのだろう。

 愛した女に必死に求められて、これ以上ないほど体の全てを捧げるのは、ああ、至福の瞬間だったのだろう。

 吹き出す血はまるで天からもたらされた甘露で。肉を断つ音はさながら天使のラッパで。全身に走る痛みさえも、きっと祝福だったのだろう。

 ……私はそれを知らない。

 本当に羨ましい。私も早く、この私とおんなじになりたい。

 そのために、やるべきことを先にやらないと。

 私は生首を焼却炉へと投げ込んだ。燃え盛る炎が、私ではない私を舐めつくしていく。至福の笑みが灼け溶けていく。

 その様子を横目に、私は立ち上がる。




 死体の処理を終えたら、最後にまた保管庫に戻る。

 保管庫は、希が言うところの冷蔵庫の部屋だ。そこだけは立ち入り禁止にしている。

 中に入ると、壁一面に並んだ冷蔵庫……のように見える装置。この中に、スペアの私が一人一人眠っている。極低温下で丁寧に保存され、来るべき時が来れば解き放たれる。私たちにとって、この装置は揺りかごであり、棺だ。

 ただ、一つだけ本物の冷蔵庫がある。業務用の大型だ。私はその扉を開ける。オレンジの光が私の顔を照らす。

 中に入っているのは、主に私の材料だ。クローン製作の素材として、肉やら水やらいろいろの元素やらが保管されている。たまに希が受け取って扉の前に置いてある。

 私はその中に、を入れる。

 人間一人の肉は、非常に多い。痩せ型の私でさえ持て余すほどだ。だからすぐに使わない分は、こうやって保存しておく。

 必要な分だけを取り出して、保管庫を出てキッチンに向かう。

 ……友人に自分の肉を食べさせることを、悪趣味だと思うだろうか。

 もちろん、これには意味がある。ちょっとした臨床実験だ。歴史上多くの殺人鬼が人肉食を嗜好してきた。ならば、殺人鬼症候群の患者にも人肉を食べさせることで何か変化が見られないか……もしかしたら、ある程度殺人衝動を抑えられはしないかという実験。

 それはそれとしてという気持ちも、なくはない。

 死んだ後もあの子の糧となって、あの子の一部になって、あの子を助けられるなんて──こんなに幸せなことがあるだろうか?

 実験は実験だが、悪趣味は悪趣味だ。

 悪趣味な私は、だから廊下の窓から見るあまりにも綺麗な満月に手を合わせて、こっそりと祈る。


 神よ。

 あの子をあんな病気にしてくれたことを、感謝します。

 希を私抜きで生きられなくしてくださって、感謝します。


 さあ、下ごしらえの時間と行こう。

 明日の献立は、希の大好きなハンバーグだ。


<了>



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