第五回「感謝」&第六回「冷蔵庫」親友とハンバーグを食べる話
明日のごはんはハンバーグ
私の名前は
私と彩ちゃんは、一緒に暮らしています。結婚しているわけではないですが、一緒に暮らしています。
私の朝はゆっくりです。学校に行かないので、だらだらと眠れる限り眠ってしまいます。特に夜遅くまでハッスルしてしまった翌朝は、夢に全身簀巻きにされたままこんこんと眠ってしまいます。あまりよくありません。
でも、そんな寝坊助な私を彩ちゃんが起こしに来てくれるので安心です。
「希、ご飯が出来たわよ」
その一言が耳に入ると、どれだけ深い夢の沼に足をとられていたとしても、私の意識は一瞬でぱっと浮上します。布団を押しのけて重たい瞼を精一杯持ち上げると、そこにはいつもと変わらない、少し半目がちでクールな彩ちゃんが、可愛らしい花の髪飾りを付けて立っていてくれるのです。私はその事実に、いつも安心します。
「早く顔を洗ってらっしゃい。冷めちゃうわよ」
「はーい!」
私は嬉しくなって、むやみやたらに元気な返事で洗面所に向かいます。
食卓に向かうと、そこには彩ちゃんお手製の料理が並んでいます。本当は私が作るべきだとは思うのですが、彩ちゃんはキッチンを譲ってくれません。朝に弱い私の気遣っているのでしょうか。その好意に私は甘えてしまいます。……いえ、もしかしたら好意ではなく、刃物を持たせると危ないと思っているのかもしれません。
今朝の食卓にはハンバーグが鎮座していました。
彩ちゃんは、私が彩ちゃんを求めた翌朝には、必ずハンバーグを出します。理由は分かりません。何か彩ちゃんなりのルールみたいなものがあって、それは私なんかには到底理解しえない、深淵の法則、みたいなものに従った結果なのかもしれません。知らないけど。
朝からハンバーグなんて花の女子高生(退学しちゃいましたけど)にはちょっと重たいと思われるかもしれませんが、私は彩ちゃんのハンバーグが大大大大大好きなので問題ありません。満面の笑みを浮かべて手を合わせます。
「いただきます!」
最初に口に運ぶのはハンバーグです。血糖値の上昇? とかを考えると先にサラダを食べるべき? らしいのですが、ハンバーグには勝てません。彩ちゃんのハンバーグが美味しいのがいけないと思います。
一口噛みしめるとハンバーグから肉汁が溢れだし、私の舌を幸福味で包み込みます。
「ん~っ!」
いつ食べても絶品です。彩ちゃんのハンバーグは、私が多分これまでの人生の中で食べたどんなハンバーグよりも美味しいです。何をどうなったらこんなに美味しくなるのかさっぱり分かりません。天才科学者の頭脳に不可能はない、ということなのでしょうか。
彩ちゃんのハンバーグの味は、なんていうんでしょうか、私に食レポの才能がないのが悔やまれます。こう、口に入れた瞬間にほっとする感じがします。なんだか彩ちゃんに包まれているような、そんな感じです。もしくは逆に、彩ちゃんが私の中に入ってくる感じかもしれません。私の体の中に入ってきた彩ちゃんは、血管を通ってあっちこっちに行ってやがて私の体になっていきます。実際一緒に暮らし始めてから彩ちゃんの手料理しか食べていないので、私の体はもうほとんど彩ちゃんで出来ているといってもいいんじゃないでしょうか。なんだか照れ臭くって、嬉しいです。
ハンバーグを食べる私を見る彩ちゃんは、とても素敵な笑顔です。花がほころぶ、というのを私は実際に見たことがないのですが、多分実際に見てもこの笑顔のほうが100倍、1000倍、いやもっと綺麗だと思います。ご飯がますます美味しくなるようです。
彩ちゃんはクールビューティーなので普段あんまり笑わないのですが、私がハンバーグを美味しそうに食べるときと、こらえきれなくなって彩ちゃんに縋りつくとき、その二種類のときだけ、こういう幸せの極限を感じているような笑顔を浮かべます。その顔を見ていると、なんだか私の奥の奥、芯のところがかあっと熱くなって、むずむずしてきます。昨晩のことがなければ堪えきれなくなっていたかもしれません。大丈夫、しばらくは我慢できます。
「おかわり!」
「はいはい、どんどん食べてね。まだまだ沢山あるから」
彩ちゃんは一度にたくさんハンバーグの種を作るのか、ハンバーグの日はしばらく続きます。普通のハンバーグなら飽きてしまうところですが、彩ちゃんのハンバーグならノープレ……ノープラ…………ノープログラムです! 彩ちゃんの方が飽きないか少し心配ですが、元から偏食の気があったので気にしなくていいのかもしれません。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした」
全然粗末なんかじゃないのに彩ちゃんはいつもそういいます。ちょっと不思議です。これもなんか、彩ちゃんなりのルールなのかも知れません。
食べ終わったら、私はさっと立ち上がって食器をシンクに運びます。洗い物は私の仕事です。彩ちゃんはありがとう、と言って研究室に向かいます。生体工学(だっけ)の天才科学者である彩ちゃんに、こんな雑事に使う時間はないのです。……いや、料理は任せっきりですけど。他の家事は掃除も洗濯も全部やっているので許されたいところです。……あ、よく考えると彩ちゃん相手に張り切った後始末は任せきりなので、あんまり許されないかもしれません。でも彩ちゃんは気にしないので大丈夫です。多分。
手始めに食器を洗った後は、いろいろな家事をします。天気のいい日には洗濯をして、お風呂は毎日ぴかぴかに洗って。広いお家の掃除は場所を変えて、一週間で家全部を綺麗にするように。
ただ、冷蔵庫がたくさんある部屋だけは掃除しません。実験に使ういろいろのものがあってとてもデリケートらしいので、私は入ってはいけないときつく言われているからです。私は抜けているところがあるので(チャームポイントでもあります)、正しい判断だと思います。なんで冷蔵庫の部屋に実験のいろいろに使うものがあるかは分かりませんが、多分そういうこともあるのでしょう。
なので、週に一、二回くらい届く荷物(食材と実験に使ういろいろのもの)も冷蔵庫の部屋の中までは運びません。宅配の人に玄関先に置いてもらったのを、冷蔵庫の部屋の前まで運んだら、研究室にいる彩ちゃんに伝えておきます。
そうやって家事が終わると、自由時間です。といっても、外に出るわけにもいかないので、基本的には部屋でゴロゴロして漫画を読んだり録画したドラマを見たりします。あと、たまにニュースを見ては世間の様子にアンテナを立てます。今の私にはあんまり関係ないけれど、なんだか外と繋がっているということを実感できるので大事です。
あとは気が向いたら日記みたいなものをつけます。言うほどあんまり日記という感じじゃないかもしれません。どちらかというと私の記録みたいな感じで、どんなことを考えたか、みたいなことを書いています。家から出れないし、特に家で出来ることもない私なので、せめて何かのために、とつけている感じです。私の死んだ後とかに、なんらかの価値が出たらいいなあと思います。そうしたらいっぱいお世話になっている彩ちゃんにも、少しは恩返し出来るでしょうか。
そんな感じで、私は一日を過ごします。他にはたまに、研究中の彩ちゃんにコーヒーを運びに行ったり、気分転換に誘ったり、一緒に映画を見たりゲームをしたりして過ごします。とても平凡で、穏やかで、幸せな日々。基本的には、そんな感じの一日です。
ただ、ハンバーグが出なくなってからしばらくすると、ちょっと変わります。私が我慢できなくなって、彩ちゃんを求めてしまうからです。
「彩ちゃあん……」
私は涙目で、縋りつくような声で名前を呼びます。
部屋の中は薄暗く、月明かりだけがほのかに照らしています。電気をつけて行うような行為でもないので、これくらいがいいでしょう。
私の中では、たくさんの小さな私が走り回っているようです。
あてどもなく走りまわる小さな私は、体のあちこちにぶつかっては転げます。そのたびに体が熱くなり、むずがゆくなり、なおも走り回る私が指先とかにぶつかってぴくぴくとそれを動かします。息はどんどん荒くなり、抑えがききません。体内の熱はどんどん上昇し、温泉でも湧きだしそうなほど。むずむずは脳みそにまで達して、頭を開いてかきむしりたくなります。
「彩ちゃん、彩ちゃん、彩ちゃん……」
呼びます。繰り返し呼びます。大好きな親友の名前を。内側の熱を、吐息に乗せて届けるように。今の私はどんな顔をしているのでしょうか、少しだけ冷静な頭の片隅が、部屋が暗いことに感謝します。
「ねえ、いいよね? もういいよね? わたし、わたし、もう」
「ええ」
彩ちゃんは、私の親友は、頷き、笑います。
「おいで、希」
お母さんみたいな笑顔で、とろけるような笑顔で、手を広げます。
「彩ちゃん……っ」
堪えきれなくなって、私はその腕の中に勢いよく飛び込んで。
そして、その胸に思いっきりナイフを突き立てます。
肺から流れた血が少しだけ遅れて、彩ちゃんの口から吹きこぼれます。
生暖かな血のシャワーを浴びて、私はしばしうっとりとします。
続いて、喉笛を横に掻き切ります。また血が噴き出し、そのあとで出てはいけない場所から空気が出ている音がします。
とても素敵な音色です。
柔らかなおなかは刃を吸い込むようです。ぐいとひっぱると、月明かりの下でもきれいな内臓がこぼれてきます。綺麗な人って体の隅から隅まで綺麗だなといつも思います。
足首は、斬るときにばつんと音を立てて小気味よいです。
手首は、ころんと落ちるさまが可愛いです。
背骨を少し逸らして突き立てた刃を、下に下におろしていくと、かかかかっ、と骨にあたってリズムを奏で、楽しくなってきます。
「あははっ、あははっ、あははははははははは」
そうやって、私は彩ちゃんの体をむちゃくちゃに犯していきます。
手を、腕を、腋を、胸を、腹を、腿を、足を。
突き立て、刻み、抉り、裂いて、刻んで、潰して、千切って、剥がして、斬って。
余すところなく、隅から隅まで、几帳面に、隈なく、凌辱していきます。
そうして──笑って、犯して、蹂躙して。最後に頭を、ばつんと落とし。彩ちゃんの生首を持ち上げます。
彩ちゃんは、笑っています。
瞳を開けませんが、とろけるように、夢見るように、笑っています。
私はその顔をしばし眺め、まだ血の気のある唇に柔らかなキスをして。
そして生首を抱えて、ひたすらに泣くのです。
この世の悲しいこと全部を見たように、泣く必要なんてどこにもないというのに、ただただ無性に悲しくて、泣くのです。
泣いて、泣いて、泣きわめいて──。
泣きつかれたあとは、襲ってくる眠気のまま、ベッドに向かって眠ります。
後のことを、彩ちゃんに任せて。
その病気になったのは、高校二年生の春でした。
お医者さんはなんだかよくわからない難しい病名を言ってくれましたが、私の病気はもっと簡単な通称で呼ばれているようでした。
──殺人鬼症候群と。
症状としては、簡単です。人を殺したくなります。それだけです。
理由もないのに人を殺したくて、殺したくて、殺したくて、殺したくて、殺したくなります。
お腹がすくように、眠くなるように、トイレに行きたくなるように、殺したくなります。
頑張って抑えても抑えても、抑えれば抑えるほど、気が狂いそうになっていきます。
原因は、不明らしいです。治療法も、ないそうです。
それを知った私は、小学校からの親友の彩ちゃんに泣きつきました。彩ちゃんはアメリカの大学を飛び級した天才です。特許もたくさん持っていて、お金持ちです。彩ちゃんなら、なんとかしてくれるんじゃないかと思いました。他に何も思いつきませんでした。
彩ちゃんは分かった、といい、私の研究が役立つかも、とも言いました。
それからしばらくして、彩ちゃんは、人を殺したくて殺したくて震える私に言いました。
私を殺していいわよと。
彩ちゃんは不老不死になったらしいです。
研究の成果だと言っていました。理屈は分からないけど彩ちゃんがそういうならそうなのでしょう。彩ちゃんはいつも正しいので。
希がどれだけ私を殺しても、しばらくしたら体が再生しているので殺していいよ。
不老不死だから、もう痛覚もないから安心してね──と。
正直信じられなかったのですが、もう我慢の限界だったので、私は彩ちゃんを殺しました。
笑いながら、泣きながら、私は初めての殺人を行いました。
そして震えながら眠りにつき──翌朝、彩ちゃんが起こしに来てくれました。
それ以来、私は彩ちゃんと一緒に暮らしています。
うっかり他の殺したら死んじゃう人を殺すわけにはいかないので、誰とも会わず、彩ちゃんのお家でひっそり暮らしています。
でも、私はとても幸せです。
だって、こんなにも私のことを思ってくれる親友と一緒に居られて、幸せでないはずがあるでしょうか?
私は彩ちゃんに深く感謝しながら眠ります。
涙が溢れる理由は、知りません。彩ちゃんを殺した後は、決まって悪夢に魘されて起きられない理由も、分かりません。
ただ、朝が来ると彩ちゃんがいつものように起こしに来てくれる──それを知っているから、涙が出ても、悪夢が待っていても、私は眠りにつけるのです。
彩ちゃん。私の大好きな彩ちゃん。
あなたに出会えて、私は本当に感謝しています。
明日のハンバーグも、楽しみです。
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