蒸気絢爛ニ血桜舞フ 其ノ終
蒸気工学研究所の無機質な廊下を、桂皐月は上機嫌で歩く。
出来るのなら、
やがて巨大な扉の前に差し掛かった。この先が彼女に与えられた研究室。彼女以外誰も入ることを許されない聖域だ。壁際の開閉器を押すと、ごうんという音がして
中は光という光を吸い込むかのような暗闇だった。扉を閉めた後、瓦斯燈を点ける。ぼうっと火が灯り、室内がぼんやりと照らし出される。
乱雑な室内に、神経のように走る配管、ちりばめられた歯車。大小さまざまな機械が乱立する中、ひと際目を引くのが中央に居座る巨大な機械だ。研究室の半分は占めようかという大きさのそれは、今はただ泰山の如く鎮座していた。
皐月はそれに歩み寄ると、手に持った
歯車で出来た岩山のようなそれは、名を階差機関と言う。日本で、いや世界でここだけにしか存在しない、蒸気機関を用いた高等計算機。桂皐月博士による試作品であり、技術的にまだ未熟と言う博士の判断により披露はされてはいないが──その実、ほぼ完成しているものを独占しているだけというのが本当である。
「頑張ってね、私の階差機関ちゃん」
皐月が読み込ませたのは、全都監聴機構によって集めた
全都監聴機構。その名の通り、帝都の隅から隅までの情報を聞き洩らさず集めるための機構である。通信機のやり取りのみならず、帝都全域に設置された盗聴器によってありとあらゆる音声を集め、犯罪発見に役立てる目的で先日設置された。
もちろん、そんな膨大な情報を人間が扱いきれるはずもないが──人間でないなら扱える。全都監聴機構の設置を推進したのも、また皐月であった。
階差機関は膨大な情報を呑み込み、内部で処理しては計算結果を吐き出していく。皐月はそれを受け取ってはふむふむと頷く。
それは如何なる計算か。
細かい式などは天才によるため理解の及ぶべくもないが、簡単に言うとそれは悪人を見つけるための計算であった。
正確にいうなれば、これから犯罪を犯す可能性の高い人間を、集めた情報から導き出している。
もちろん、そんな複雑な計算が完璧に行くわけでもない。はっきり言ってしまえば、誤差は当然にある。この計算で導き出された人間が必ずしも犯罪者になるという道理はない。
ただ、桂皐月にはそれで十分であった。
「じゃあ次はこの人たちを殺せばいいのね──」
呟き、椅子に腰かける。傷が触れて、思わず呻き声が漏れた。先輩の前では隠し通せたはずだが、あまりにも傷が多い。先輩が復帰する前に治るといいのだけれど。
壁を見る。そこには華美な仮面と、殺人淑女の機装があった。
「ふふふ、楽しかったなぁ……」
和彩との殺し合いを思い出して、思わず笑みが零れる。
「先輩が私だけを見てくれるように、頑張って他に罪を犯しそうな人を殺さなくっちゃ。特に反政府組織の人とかは、念入りに、ね……」
帝都に自分以外の凶悪犯はいらない。そう成り得る人間は片端から殺してしまおう。
そうすれば先輩が追うべき犯罪者は私だけになるのだから。
反政府組織の人間なら、なおのこと良い。帝都で事件を起こそうとする彼らを事前に殺せば、組織はこの街以外で活動を強化せざるを得ない。そうすれば自然、機装課の面々はそっちに集中することになる。となると、宮本和彩は帝都を守るただ一人の機装刑事として奮闘しなければならない。
我ながらなんと完璧な計画だろうか、と桂皐月は自賛する。この時ほど天才に生まれてよかったと思うことはない。
昨日はそれに加えてあの水戸理衣を始末できたのも良かった。あの女、被害者の一部が反政府組織の人間じゃないかと感づいてその線から捜査をしていたから。
「大方、先輩を見返そうとでも思っていたのかもしれないけど。結果的に一番真相に近づいていたから、ちょっと怖かったー」
たまたま組織の構成員に近づいたところに出くわせたのは僥倖だった。おかげで
「あはは、あはは、あはは……」
哄笑が室内に反響する。大声をあげ、体を揺らし、笑う。傷が痛むが、それすらも今は心地よい。だってこれは愛しい人が付けてくれた傷なのだから。
「嗚呼、和彩先輩、愛しているわ……だからずっと、私だけを憎んで、私だけを追って──私だけを、見てくださいね」
うっとりと、陶酔した表情で傷口を撫ぜる桂皐月。殺戮淑女である彼女の、
<了>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます