第36話 気持を通い合わせる合言葉「靖国で会おうぜ」

 良太は航空隊に帰着するなり士官舎にむかった。進発準備は二日前におえていたので、時間にゆとりがなくても慌てることはなかった。残り少ない時間にやるべきことは決っていた。谷田部に残る仲間と別れの言葉をかわす。飛行服に着替えて進発前の儀式にのぞむ。訓練を共にしてきた仲間に見送られて零戦で発つ。その先にあるのは鹿屋からの出撃だった。

 士官舎に入ると佐山が近づいてきた。

「遅いから心配したぞ。貴様のことだから間に合うとは思っていたけど」

「心配をかけたな。せっかくの外出だから、大事につかってきたんだ」

「あのメッチェンと一緒だったか」

「ちょっと会ってきた」

「うらやましいぞ、森山。おれたちにはせいぜい片想の相手しかいないからな」

「おれたちには片想が理想的だよ。悲しませる相手などいないほうがいいんだ」と良太は言った。

 良太は急いで飛行服に着がえた。それまで着ていた軍服はトランクにつめる最後の品物だった。沈丁花と芍薬の造花が入っている紙箱を布袋からとりだし、ノートや筆記用具などといっしょに風呂敷に包んだ。

 トランクの遺品は出雲の家族のもとに、布袋の品物は千鶴に宛てて送り出されるはずだった。そのための作業は佐山に依頼してあった。

 支度を終えた良太は、航空隊に残る仲間たちに声をかけた。「これまでありがとうな」「先に征くぞ」

 仲間たちが応えた。「しっかりやってくれ。俺たちも必ずあとに続くぞ」「靖国で会おうぜ」

 進発する者たちのための儀式が、指揮所の前で行われることになっている。良太は同じ隊の仲間たちと指揮所へ向かった。佐山たち航空隊に残る仲間もついてくる。

 航空隊でやるべきことの全てが終わり、出発のときがきた。

 良太は佐山の手を握って言った。「ありがとうな、これまで。あとは頼むぞ」

「しっかりやってくれ。俺たちもあとに続くぞ」握った手に力をこめて佐山が言った。

 良太は残る仲間たちに別れを告げ、ノートなどを包んだ風呂敷包みを持って零戦に向かった。整備員が精根をこめて整備してくれた零戦は、列線にあってプロペラが回っている。

 良太は整備員に感謝の言葉をつたえ、零式艦上戦闘機の操縦席に入った。

航空隊に残る者たちが、「帽振れ」にそなえて帽子を手にしながら、滑走路の近くに並んでいる。

 良太は右手で操縦桿をにぎると、見送ってくれる仲間たちをながめた。佐山たちが思いつめたような表情を見せている。良太は笑顔で左手をあげ、大きな声で叫んだ。

「先に征くぞ」


 特攻機の多くは機体が古く、性能も劣化していたけれども、良太たちは全機そろって中継地の鈴鹿基地に着いた。そこで一泊している間に機体を整備してもらい、谷田部を発った翌日、南九州の鹿屋に着いた。海軍特攻隊の出撃基地のひとつだった。

 出撃命令が下されるのは、攻撃目標が見つかって、気象条件にも支障がない場合であった。予測のつかないその命令を待ちつつ、良太たちは宿舎で暮らすことになった。

 良太たちにあてがわれた宿舎は、使われていない国民学校の校舎であった。その建物には爆撃された跡があり、天井にあけられた穴を通して光が射しこんでいた。

 その宿舎には電灯がなく、夜の照明はカンテラだった。わびしいその明かりのもとで、良太は数枚のはがきを書いた。出撃命令は翌日にも出される可能性があったから、それが最後の便りにならないとはかぎらなかった。受けとる者たちの悲しみを悲しみ、良太の胸はふさがった。

 次の朝、校舎の側を流れる小川で顔を洗っていると、子供の頃から聴きなれているヒバリの声が聞こえた。良太は辺りを見まわした。畑の麦が勢いよく伸びている。向こうに見える赤い花はれんげ草らしい。風が通り過ぎると、川べりの草がいっせいになびいた。

 吉田少尉が言った。「俺が生まれた村とよく似てるんだよな、この辺りの景色は。俺の故郷からは遠くはなれてるのに」

「同じ日本だからな。俺は島根なんだが、島根にもこんな感じの風景がある」

「きょうの出撃は無いらしいから、飯を食ったらその辺りを散歩してみないか」

「そうだな、歩いてみるか、俺たちがこの世で暮らす最期の場所を」と良太は言った。

 朝食をすませてから、良太は吉田とふたりで散策に出かけた。川べりの道を歩いてゆくと、同じ隊の遠藤二等飛行兵曹と木村二等飛行兵曹が、道ばたの草に腰をおろしていた。良太は、予科練出身のその少年たちを、散歩に誘っていっしょに歩こうと思った。

 4人で歩いてゆくと、れんげ草が群がり咲いている場所があった。良太たちはそこで語り合うことにして、満開の花の上に腰をおろした。

「きのう聞いた話だと敵の特攻対策も相当なものらしいな。予想はしていたことだが」

「なんと言っても問題は敵の戦闘機だから、直掩機にはしっかりやってもらわんと。死に物狂いで護ってくれるとは思っていますけど」

 吉田と木村の言葉に遠藤が口をはさんだ。「ゆうべ聞かされたじゃないですか、小林少尉や吉野たちの隊から、我突入すの無電があったこと。先に征ったみんなは絶対にうまくやっていますよ。私はたとえ火だるまになってでも、必ずうまく突入してみせます」

「なあ、遠藤」と良太は言った。「俺たちは最後まで突入を諦めてはならんが、それでもうまく行かないことはあり得るんだ。これは仮定の話だが、敵艦に突入できないようなことになったら、お前はどんな気持ちになると思うか」

「絶対に空母か戦艦を撃沈します。それ以外のことを考える必要はないです」

「俺の考を言おう」と良太は言った。「たとえ海に突っ込むことになっても、日本人の愛国心がどんなものかを、世界中に思い知らせてやったことになるんだ。敵艦に突入できなくても、国のためには立派に役立つことになるんだ。だから、敵艦を撃沈できないようなことになっても、俺は使命を果たしたと思いながら突っ込む。後悔しながら死ぬよりも、家族のことを思いながら死んだほうがいいじゃないか」

 吉田と木村は良太に賛同したが、遠藤は、いかなる状況にあろうと、敵艦への突入を果たすべきだ、と主張して譲らなかった。

 遠藤が言った。「森山少尉の言われることもわかりますが、私は絶対にうまくやって見せます。天皇陛下万歳と絶叫しながら突っ込みますよ」

 良太は思った。命と引き換えにして国を救おうとする気持を、遠藤は天皇陛下万歳という言葉に込めようとしている。遠藤はその言葉を叫ぶことにより、自らの戦死を価値あるものと思いつつ、最後の一瞬を迎えることができるのだ。

「ところでな、木村」と吉田が言った。「お前は聖書を持っているらしいが、靖国神社に祀られたらどうする気だ」

「ことわって天国へ行きます。天国に受け入れてもらえるかどうか、まったく自信はないですが」

「心配するな、お前なら天国に行けるぞ。靖国神社に閉じこめられるより、天国で羽根をのばす方がずっとましだよ」

「小林が谷田部を発つときに叫んだよな、靖国で待ってるぞ、と。あのとき貴様は、あとから俺も征く、靖国で会おうぜ、と応えたじゃないか。どういうつもりで言ったんだ」

「俺たちの合言葉みたいなもんだろうが、靖国は」と吉田が言った。

「気持を通い合わせる合言葉……そうだよな、たしかに」

「ここを発つときには、私だって言うかも知れないです、靖国で会おうって」と木村が言った。「靖国神社に祀られる気はまったくないですが」

 良太は小林の笑顔と声を思い返した。谷田部の飛行場を発つとき、操縦席の小林は笑顔を見せて、「ひと足先に征く。靖国で待ってるぞ」と叫んだ。

 小林のあの笑顔は、彼が叫んだあの言葉によって支えられていたのだ。俺たち特攻隊員は、死にゆく想いを共有しているわけだが、小林は靖国で会おうという言葉にそれを凝縮させたのだ。そのことは小林にかぎらず言えることだが、木村のように神道を受け入れない者はどうであろうか。木村は20年に満たない人生を、自ら国に捧げようとしておりながら、靖国神社に祀られることを拒絶しているのだ。木村の殉国の至情に対して、この国と国民はどのように応えるべきであろうか。

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