第37話 空襲などの犠牲者も対象にした大きな墓標を!

 その午後、良太は家族にあてた手紙を書くことにして、教室の隅で便箋にむかった。翌日の朝まで出撃する予定はないので、日記や手紙を記すに充分な時間があった。

〈………谷田部からの手紙で父上母上をはじめ皆がさぞかし驚かれ、悲しまれていることだろうと思いつつ、そして先立つ不孝を深く詫びつつこれを書いております。あの手紙にも書きましたが、特攻隊には大きな意義があります。報恩なくして先立つ不孝を詫びつつも、報国の志を遂げることについては誉めて頂きたく思います。

 伝えておきたいことや特攻隊員として期するところは、すでにあの手紙に書きましたので、今日はこの地に来てからのことなどを書きます。

 今日は仲間たちと基地の付近を散歩しました。この地では麦がかなり伸びており、雲雀の声が聞こえます。意外に思われるかも知れませんが、蓮華草に腰を下ろしてしゃべっていた我々からは、ときおり冗談が飛び出したりしました。出撃を目前にしていますが、死に対する恐怖はさほどにありません。死んでも霊魂が残ることを知っていますし、当初から戦死を覚悟していたからでもありましょう。出撃を前にしていながら、不思議なほど冷静にこれを書いております。

 三日前から一昨日にかけて、浅井家の千鶴と一緒に忠之の新しい下宿に行きました。忠之が出雲に帰ることがありましたら、そのときの様子を伝えてくれるはずです。

 これまでの手紙には書きませんでしたが、千鶴とは結婚するつもりで付き合っていました。千鶴は俺が特攻隊員と知っておりましたので、むろん覚悟をしていたはずですが、もしも子供ができるようなことになりましたなら、大きな苦労を背負うことになります。そのような事態になりましたなら、忠之から連絡があると思いますので、千鶴が望むような取り計らいをお願いします。親孝行はしないままに心配のみおかけしますが、このことを心に留めておいていただきたく、お知らせしておきます。〉

上野駅で千鶴とわかれて以来、千鶴と過ごした一夜が幾度となく思い出された。いつしか良太の胸に願望がめばえた。もしも千鶴が妊娠するようなことになったら、無事に産んで育ててほしい。

 良太はペンを手にしたまま、身ごもるかも知れない千鶴を想った。あれからの数日、良太は繰り返してはそのことを想ったのだが、そのたびに、妊娠を喜ぶ千鶴の笑顔が思いうかんだ。出雲の家族はこの手紙を読んで、どんな気持になることだろう。今の世情を思えば不安を抱くかも知れないのだが、それでも家族は期待するような気がする、特攻隊員として戦死する俺の忘れ形見を。

良太はペンを持ちなおした。

〈時間がありましたなら、明日も手紙や日記を書くことにしましょう。谷田部からは手紙と一緒に遺書を送りましたが、俺の遺書にふさわしいのは、むしろ日記帳に書いたことだという気がします。ここには学徒出身の要務士官がおりますので、日記帳や手紙を託して出雲へ送り出してもらうつもりです。〉

 良太は書いた手紙を封筒にいれると、ふたたびペンをとって便箋にむかった。

 良太は便箋を見ながら、千鶴のために書く最後の手紙になりそうだ、と思った。するといきなり、千鶴のあの表情が思い出された。上野駅での千鶴の悲痛な表情。

 気を配ってはいたものの、千鶴と忠之には出撃を察知されたおそれがあった。そのことを気にかけながら航空隊に帰着したのであったが、鹿屋の宿舎で手紙を書こうとしたいま、あらためてそのことが気になった。

 上野駅のプラットホームで語り合ったとき、不用意な言葉で千鶴に出撃を覚られたような気がする。あのときの千鶴の眼差と声を思えば、やはり、千鶴には察知されていたとしか思えない。そうだとすれば、あのとき、千鶴はどんな気持で俺を見送ったのだろうか。吉祥寺駅で忠之が涙ぐんだのも、やはり俺の不用意な言葉のせいだろう。

良太は千鶴の気持を想い、そして思い至った。千鶴は俺の出撃を察して恐怖に襲われたであろうが、むしろそれで良かったのではなかろうか。俺の出撃を察知していたのであれば、千鶴は心の内で永別の言葉を告げ得たはずだ。千鶴がくりかえした「私はだいじょうぶだから」という言葉。俺の胸に響いたあの声は、千鶴が俺に伝えようとした別れの言葉だ。出撃を覚られることなく、俺が一方的に心の中で永別を告げていたなら、千鶴はむろん忠之にも悔いを残すことになっただろう。気持ちを抑えきれなかった俺の未熟さが、どうやら幸いしたことになりそうだ。

 千鶴はいま、どこで何をしていることだろう。谷田部で書いた浅井家への礼状を読んで、おれが出撃することを確認しているはずだ。どこで何をしていようと、千鶴は嘆き悲しんでいるのだ。

 千鶴をなぐさめる手紙をすぐにも書きたかったが、その手紙には長い時間を要しそうだった。千鶴への手紙は後で書くことにして、忠之のためのノートを取り出した。

 良太はノートを開いてペンをにぎった。

〈………三鷹でのこと、実にありがたく言葉に言いつくせぬ程に感謝している。千鶴もまた深く感謝しているはず。忠之よ本当にありがとう。

お前や千鶴の取り乱す姿を見たくなかったし、悲痛な別れ方をしたくなかったので、出撃のことは話さなかったが、別れ際でのお前と千鶴の様子を思うと、出撃することを覚られていたような気がする。今になって思えば、むしろそれで良かったのだという気がするのだが、俺の身勝手な気持だろうか。

 今日ここから出した葉書にも書いたが、ここには昨日の午後に着いた。俺の出撃を知って、俺の家族はもとよりお前や千鶴がいかに大きな衝撃を受けるか、そのことを気にかけながら、今はこうしてノートや手紙に書きつづっているところだ。

今日は一緒に出撃する仲間たちと散歩にでかけ、辺りの景色を眺めながら雑談のひとときを過ごした。お前には信じがたいだろうが、仲間の冗談には思わず笑い声が出た。出撃を目前にしていながら、自分でも不思議な程に落ち着いてこれを書いている。

 靖国神社を話題にしたとき、出撃に際して交わされる「靖国で会おう」という言葉は、気持を通い合わせるうえでの合言葉の如きものだと仲間が言った。軍とは関わりのない忠之にも理解できると思う。俺の隊にはキリスト教徒がいるのだが、その仲間ですら言うのだ。自分は靖国神社に祀られるつもりは全くないが、出撃に際しては靖国で会おうという言葉を口にするかも知れない。かく言う俺自身の気持を言えば、その言葉を残して出撃することになろうと、神社に留まるつもりは少しもない。神社の中に閉じこもっているより、俺の家族とお前や千鶴の気持にいつでも応えられるよう、宇宙の中で自由に羽ばたいていたいと思う。俺自身は靖国神社を必要としないが、家族にとっては靖国神社が俺の墓標の如き存在になるだろう。俺が英霊として崇敬されていることを確認できる場所にもなるだろう。それは俺の場合に限らないわけだが、キリスト教徒の場合にはどうであろうか。殉国の至情に燃えているその仲間のことを思えば、国に命を捧げた者のための象徴的な墓標は、靖国神社のほかにも必要ではないかと思う。日本人が過去を振り返り、未来を考えるためにも、空襲の犠牲者などをも対象にした、大きな墓標をしっかりと打ち建てるべきではないか。これを記しているうちに、俺はその実現を強く願うに至ったのだが、忠之はどう思うだろうか。

 俺は精一杯に生きてきたつもりだが、心残りはむろん多々ある。自分なりに人生の目標があったし、家族のために成したいこともあった。岡先生やお前の好意に報いることなく死ぬことを残念に思う。千鶴との約束も果たせなくなった。とはいえ、今の俺はそれをいたずらに嘆くことなく、受けてきた恩愛や友誼などの全てに報いるために、そしてこの国に再生の芽を残すために、この命を捧げようと思っている。それによって日本の未来に良き結果がもたらされるよう心より願っている。

 千鶴はこれから先の人生を、俺とは関わりなく生きて行かねばならない。身勝手な頼みごとだが、千鶴への助力をよろしく頼む。洋子がお前と結ばれるなら俺にはこのうえなく嬉しいことだが、それはお前と洋子のことゆえ、俺はただお前たちの幸福を願うのみだ。

 このノートと出雲の家や千鶴に宛てた手紙などは、信頼できる士官に依頼して送り出してもらうが、全てが無事に届くとは限らない。俺の家族や千鶴が望む場合には、このノートを見せてやってはくれまいか。

 お前に書き遺すのもこれが最後になるかも知れないので、すでに何度も書いてきたことだが、ここで改めてお礼を言わせてもらう。お前のおかげで俺の人生はより良きものとなった。忠之よ本当にありがとう。

 より良き日本を遺すことを願い、そのために俺たちは命を捧げるのだが、将来の日本の姿を見ることができない。忠之には俺の分までそれを見届けてもらいたい。〉

 良太は日本の未来に想いを馳せた。敗戦から立ち直るであろう未来の日本を想っていると、あの不思議な夢のことが思い出された。できることならあのようにして、夢でもよいから見てみたい、これから先の日本の姿を。

 死んでも霊魂は残るわけだから、俺は未来の日本を見ることができるかも知れない。それとも、死んでからはあの世の内側しか見ることができないのだろうか。それにしても、あの世とはいったいどんな所だろう。死んだら天国へ行くと言った木村は、霊魂の実在を信じているに違いない。俺は無宗教に近い生き方をしてきたわけだが、霊魂が存在していることを信じるどころか、それが実在することを知っている。俺の場合には、霊魂の実在を知っていることが、宗教にもまして俺を救ってくれたことになる。霊魂と会話のできたあのお婆さんのおかげだから、あのひとに感謝しなければならない。

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