第27話 特攻隊が果たす役割は?

 2月20日の朝、良太たち120名の少尉は講堂に集められた。

 訓辞を述べようとする飛行長に、良太は緊迫したものを感じた。その緊迫感は飛行長の訓辞にひきつがれ、良太に強い緊張をもたらした。

「ただ今より」飛行長の声が変わった。「特別攻撃隊員を募る」

 良太は飛行長を凝視したまま、心の中で声をあげた。「ついに来たのだ。俺はどうしたらよいのだ」

 飛行長の言葉はつづいた。学徒出身の少尉たちは身をかたくして、特攻隊への志願をもとめる声に聞きいった。

 特攻隊への志願。命にかかわる決断でありながら、そのために与えられた時間は少なく、回答期限はその日の正午とされた。

 良太は渡された紙片を凝視した。そこには回答として選択すべき言葉が三つ記されていた。〈熱望〉〈希望〉〈希望せず〉。家庭環境について問う項目もあったが、良太は志望の有無を問う文字から眼を離せなかった。

 想いの底に沈んでいた良太は、眼をあけて教室の中を見まわした。仲間の多くが椅子に腰かけたまま、それぞれの姿勢で考えている。静まりかえった教室に椅子を動かす音が聞こえた。仲間のひとりが教室から出てゆく。どこへ行こうとしているのだろうか。いつの間にか、かなりの者が部屋を出ている。気持ちを静めて考えるには、場所を変えてみるのも良さそうだ。

 良太は椅子をひいて腰をあげると、紙片をポケットに入れて教室を出た。

 海軍では迅速な行動をもとめられ、歩くにしても常に速足であったが、良太は学生時代と変わらぬ足取りで飛行場に向かった。

 良太は歩きながら思った。来るべきものがついに来たのだ。敵の飛行機と戦って戦死する運命にあった俺たちは、飛行機もろとも敵艦に体当たりして死ぬことになった。とはいえ、特攻隊を志願しなければ、生きて還れる可能性が無くはない。いや、それは無い。俺たちが生きて還れる可能性はないのだ。グラマンF6Fなどアメリカの新鋭戦闘機は、零戦を上回る性能を備えているようだし、その搭乗員は充分な訓練を積んでいるはず。訓練すらまともに受けることができない俺たちは、特攻隊に志願しなかったにしても、いずれは戦死する運命にあるのだ。

 枯れた芝生を踏んで歩くと、斐伊川の堤防が思い出された。堤防で忠之たちと凧上げをしたのは、小学校の5年生か6年生の頃だった。冬の出雲は風が冷たく、遊んでいるとすっかり体が冷えた。体を暖めるため、忠之たちと枯れ草の河川敷や堤防を走った。

 冷たい風が吹きすぎた。良太は我にかえった。良太はあたりを見回した。誰かが枯草の上に寝そべっている。遠くのほうで腰をおろしているふたりも、同じ隊の仲間にちがいない。

 良太は芝生のうえに腰をおろした。仰向けになると、真上にひとかたまりの白い雲があった。その雲は良太の足の方向へ流れていた。

 良太は流れる雲を見ながら、人は死んだらどうなるのだろうと思った。霊魂なるものが死後にも残っているらしいことは、遠縁のお婆さんの存在を通して知っている。あのひとは死んだ人の霊魂を呼びだし、死者の想いを聞きだすことができた。俺は非科学的なものとしてそれを否定していたのだが、あのできごとがあってからは、霊魂の実在を信じるようになった。あのひとは、死んだ者しか知らなかったことを、霊を通して聞きだすことができた。そのようなことが幾度もあったのだから、あれは決して単なる偶然のことでも、まぐれ当たりでもなかった。

 霊魂はたしかに存在するはずだが、いまの科学では説明することも、その存在を証明することもできない。それどころか、現在の科学知識によれば、死んだ人間の霊魂が実在することなどあり得ないことになる。だが、俺はその存在を知っている。それでは、死んでからの俺は霊魂として、どのような存在になるのだろうか。俺の魂はどこへ行くのだろうか。それとも、行きたい所に自由に行くことができるのだろうか。

 遠くで誰かがどなっている。良太は我にかえった。急いで結論をだし、調査用紙に回答を記入しなければならない。良太は体を起こして膝をかかえた。

 俺がこうして悩んでいるのはなぜだろう。死にたくないからだ。なぜ死にたくはないのか。恐しいからだ。死んでも霊魂は残るのだから、恐れなくともよいではないか。俺にはやりたいことや、やらねばならないことがある。まだ死にたくはない。それどころか、俺は死んではならないのだ。もしも俺が死んだら、家族や千鶴が悲しむことになる。そうなのだ、俺が死んだら悲しむ者たちを悲しませたくないのだ。俺は死にたくないし、死んではならないのだ。

 俺が死んだら千鶴はどうなるだろう。死んでしまえば悲しむ千鶴を慰めてやることもできない。俺は死んではならず、生き残るための努力を怠ってはならない。俺の生還をひたすらに願っている者たちがいるのだ。確実に戦死するような道を選んではならない。たとえ俺たちが特攻出撃をしたところで、この戦争に勝てる見込みはまったく無い。国が危急存亡の岐路にあろうと、無駄に死ぬわけにはいかない。

 良太は特攻隊を志願しないことにした。そのように思い定めて眼をあけると、雲間からの陽射しがまぶしく飛びこんできた。

 体がすっかり冷えていた。立ちあがって辺りを見まわすと、枯草の上にはまだふたりほど残っていた。

 良太は歩きながらポケットから紙片をとりだし、そこに記されている文字を眺めた。〈熱望〉〈希望〉〈希望せず〉

 良太は思った。俺は希望しないが、そのように回答した俺を、航空隊はどのように処遇することだろう。飛行長の言葉には志願を迫るひびきがあった。特攻隊を志願しないとすれば、冷たく扱われることを覚悟しなければなるまい。

良太は不安に襲われた。志願しても特攻隊員に選ばれるとはかぎらないが、志願を拒絶したなら、生還を望めない役割を与えられるのではないか。そうだとすれば、志願した方がよいのではないか。

良太は歩みを止めて、紙片に記されている文字をあらためて見つめた。〈希望せず〉を選んだところで、戦闘機乗りの自分が生き残ることは難しいはず。そうであろうと俺は志願しないが、仲間たちはどのように回答するのだろうか。希望しないと回答するにも勇気を要す。厳しい処遇を覚悟し、周囲の眼にも耐える勇気だ。もしかすると、かなりの者が、不本意ながらも〈希望〉を選ぶかも知れない。その一方で、すすんで志願する者も少なくないという気がする。フィリピンでの特攻出撃を知らされたとき、機会があれば特攻隊を志願するつもりだと、興奮しつつ語った仲間が幾人もいた。中には、敗北は必定と思いながらも、救国の念にかられて志願する者もいるような気がする。そのような殉国行為を無駄なものと言えるだろうか。そうであっては断じてならぬ。特攻隊員の戦死を無駄にしてたまるか。特攻出撃が無意味なものであろうはずがない。このまま敗けてしまうわけにはいかない。たとえ敗けるにしても、日本と日本人を残さねばならない。

 戦争に負けても日本を残すこと。そのためには、敵国に日本人の愛国心の強さを見せつけなければならない。その役割をはたすものこそ特攻隊ではないか。多くの特攻隊が出撃することによって示せるではないか、日本人は祖国を限りなく愛しているゆえに、国家の危急存亡に臨めば自らの命を捧げ、自分たちの祖国を護りきろうとするのだ、と。

 飛行場をふり返ると、枯れた芝生に腰をおろしている仲間が見えた。冷たい冬の芝生のうえで、二人の仲間は彫像のごとく固まっていた。良太はその姿を見てうしろめたさを覚えた。自分が安易に卑怯な結論を出したような気がした。

 良太は芝生に腰をおろした。仲間のひとりが立ちあがり、建物に向かって歩いていった。良太は膝をかかえて眼をとじた。

 敗戦国としての日本を思えば、特攻隊の出撃には大きな意義がありそうだ。多くの特攻隊が出撃していたならば、戦後の処理にあたる戦勝国とて、日本人の愛国心を無視することはできないだろう。そうであるなら、我々のはたすべき役割は特攻出撃にあるのではないか。特攻機を操縦できるのは、おれたち操縦員しかいないのだ。このことに気がついたからには、おれは特攻隊に志願すべきではないか。隊の仲間たち全てにそれは言えることだが、仲間たちはどのように考えているのだろうか。

 良太は眼をひらき、辺りを見まわした。芝生のうえには良太しか残っていなかった。

 極めてわずかとはいえ、生還できる可能性のある道を選ぶか、それとも敗戦後の日本に再建の芽を残すべく、この国に命をささげる道を選ぶか、俺はいま、それを決めようとしている。死にたくないゆえに特攻隊を志願せず、しかも運よく生き残った場合、俺はどんな人生を送るだろうか。亡国阻止のための出撃を避けたことを悔い、負い目を抱えて生きてゆくような気がする。

 良太はなおしばらく考えてから、ようやくにして答を出した。良太は腰をあげ、教室のある建物に向かった。

 教室に入ってみると誰もいなかった。教卓に積みあげられた回答用紙が、仲間たちの多くがすでに回答していることを教えた。

 良太は椅子に腰をおろして、回答用紙に眼をおとした。家族や千鶴たちの顔が次々にうかんだ。先ほど俺は特攻隊を志願することにしたのに、ここに座ったら迷いがある。俺は優柔不断に過ぎるだろうか。

 良太は立ちあがり、〈熱望する〉という文字に印をつけた。これでよいのだ、と良太は思った。熟慮のうえで決断したのだ。志願するからには〈熱望する〉と答えたい。とにもかくにもこれで終わった。これでよいのだ。

 志願しても特攻要員に指名されるとは限らなかったが、運命は既に決したような気がした。

 良太は回答用紙を持って教壇に向かった。机のうえには回答用紙が積み重なっている。一番上に置かれた用紙には、〈熱望する〉に印がつけられている。そのことが良太に安堵感に似た感情をもたらした。

 良太は靴音をおさえて教室をでた。威勢よく歩くことがためらわれるほどに、誰もいない教室は静寂だった。

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