第4章 海軍飛行専修予備学生

第21話 新兵訓練の日々

 舞鶴海兵団に到着した12月9日をもって、良太の海軍生活がはじまった。

 仮編成の分隊と班に配属された良太たちは、その日のうちに身体検査をうけさせられ、身上調書の提出を求められた。良太は命じられるまま、食事をとり、食器を洗い、ハンモックの扱いかたを習得し、そして、慣れないハンモックで最初の夜をすごした。

 二日目の朝、挨拶に立った人事部長より、入団した二千名の学徒出身者から士官候補者を選抜するにつき、全員がそれに応募するようのぞむが、とくに飛行機搭乗員を積極的に志望するように、との言葉があった。

 前日につづいて再度の身体検査がおこなわれ、良太は飛行機搭乗員として適格であると判定された。良太には正しい判定結果とは思えなかった。いかに視力が優れていようと、機械の操作が不得手な俺に、飛行機の操縦ができるはずがない。たとえ求められても志望はしまい。そうは思いながらも良太は不安であった。飛行機搭乗員に適していると判定されたからには、飛行科への道が用意されたと思わねばならなかった。生還の可能性が極めてとぼしい道だった。

 入団して三日目に、正式に所属すべき分隊と班が決められた。班は出身大学をもとにして編成されたので、名前を知らないまでも顔を見知っている者がいた。

 入団式が行われた12月14日になって、良太たちはハガキの発信を許された。良太は出雲の家族や千鶴たちに第一信を送ることにした。

 千鶴へのハガキには、近況を記したあとの空白に文字を加えた。〈チーズの香りとパイナップルの味が懐かしい〉

 12月15日から新兵教育が開始されたが、同じ日の午後には予備学生の採用試験を受けさせられた。予備学生とは、予備士官になるための教育を受ける学生であり、少尉の下であって兵曹長の上に相当する階級だった。無事に予備学生としての教育期間を終了すれば、海軍少尉に任官されることになっていた。

 試験科目は作文と国語、それに数学と物理であった。不得手な数学や物理の試験をおえた時点で、良太は士官への道をあきらめた。

 予備学生への道を早々にあきらめた良太であったが、筆記試験の翌日には口頭試問を受けさせられた。良太は試問を受けながら思った、どうやらこれで俺が士官になる道は閉ざされたようだ。このような回答で合格できるわけがない。

 冬の舞鶴は寒かったが、屋外での訓練は悪天候であろうと強行された。そのような日々を送って迎えた12月25日に、良太は父親と忠之、そして千鶴の祖父からの手紙をうけとった。

 父親の手紙には家族の者たちの手紙が、千鶴の祖父からの手紙には千鶴の手紙が同封されていたが、それらはすべて検閲のために開封されていた。

 良太は千鶴からの手紙に返事を書いた。

〈本日のお便り嬉しく拝見。故郷を描いた絵を喜んでもらえて嬉しく思う。勤労奉仕が増えるとのこと、健康に留意しつつがんばってほしい。ここでは6時すぎに朝礼があり、そのあとで故郷に向かって黙祷し、家族の安全を祈る。俺は向きを変えて千鶴や皆さんの無事も祈っている。千鶴や皆さんが良き年を迎えられ、健勝にて過ごされるよう祈っている。〉

 受け取った手紙はいずれも良太の出したハガキに対する返信だったから、急いで便りを出す必要はなかったが、軍需工場で働くことになった忠之には激励のハガキを書いた。


 大晦の夜、千鶴は暖房のない書斎に入った。厚着をしていても寒かった。

 千鶴は写真の良太に眼をとめてから、裏に記されている文字をながめた。いつもは黙読するだけであったが、大晦日のその夜、千鶴は声に出して読みたいと思った。

 千鶴は声をおさえて読んだ。「千鶴は良太の一番大切な宝物」

 音読していると涙が出た。涙で文字がにじんでも、千鶴は暗記している言葉を続けて読んだ。「千鶴と出会えたことに感謝している。千鶴と出雲で星を見る日を………」

 千鶴は写真の良太を見ながら思った。今ごろ良太さんは何をしておいでだろうか。大晦日のこんな時刻だから、この一年をふり返りながら日記をつけておいでかも知れない。

千鶴はノートをひらいてペンをにぎった。

〈昭和18年も今日で終わるが、大東亜戦争はまだ続いており、いつ終わるのか見当さえつかないありさま。正月には良太さんが特高に呼び出され、12月には良太さんが海軍に入団された。そんな年であっても私と良太さんは婚約することになったのだから、私たちには忘れ得ぬ記念すべき年になった。〉

 そこまで書くと、良太と過ごした一年の全てを思い出したような気がした。

〈良太さんと過ごしたこの一年をふり返るつもりだったが、改めてここに記す必要はないことに気づいた。良太さんとのことは日記に書いてきただけでなく、少しも忘れずに覚えている。けれども良太さんとの約束だけはここに書いておきたい。そうすれば約束したことが早く実現するような気がする。

 私と良太さんは一緒に人生を送ることを約束し合った。良太さんの故郷を見るために、出雲に連れて行ってもらい、一緒に出雲の星空を眺めようと約束している。約束を守るためにも必ず無事に還ると良太さんは約束してくださった。〉

 戦争が終わらなければ、良太さんとの約束が実現することはないのだ。11月に結婚した友達が、たとえ敗けてもいいから早く戦争をやめてほしいと言った。それを聞いて本当に驚いたが、勝てない戦争ならば一刻も早くやめるべきだろう。良太さんや岡さんによれば、戦争が長引くほど日本は不利になるとのこと。友達の言うようにすぐにも戦争をやめるべきだと思う。こんな考え方をする私は非国民だろうか。

千鶴はペンをにぎりなおしてノートに向かった。

〈神様、どうか早く戦争を終わらせてください。私や良太さんだけでなく、日本中の誰もがそう思っているはずですから、神様どうかお願いします。〉

 千鶴は日記をおえることにしてペンをおき、良太の写真をノートにはさんだ。


 大晦日の夜、良太も兵舎で日記をつけた。

〈大東亜戦争の渦中に迎えて渦中に過ぎた昭和18年。その間に戦局は様変わりして、わが国は守勢に立たされるに至り、我々学徒が出陣する事態となった。……

 航空戦力の強化が最緊要事となっているとき、自分には飛行機操縦員への道が開かれようとしている。今はただ与えられた道を全力を尽くして進むしかなく、その先にいかなる結果が待ち受けているのか、それを考えようにも手がかりがない。

 今年は思いがけない出来事に始まって思いがけない出来事で終わったが、その間を千鶴と共にあった時間が満たしている。来年は果たして如何なる年になるのだろうか。〉

 日記をつけおえた良太はノートの表紙裏を開いて、挟んである写真に眼をとめた。

 良太は心の中で千鶴に告げた。「千鶴と共に過ごせたことに感謝している。千鶴よ、ありがとう。早急なる戦争終結を願いつつ新年を迎えようではないか」


 昭和19年の元日、海兵団の食事はふだんより豪華で、はじめて白米の飯がだされた。元日であろうと規律にしばられてはいたが、時間的にはゆとりがあった。

 良太は幾枚かの賀状を書きおえてから、千鶴宛にもう一枚の賀状を書くことにした。

 良太はハガキの文面に机を描き、窓とカーテンの絵をそえて、千鶴の机らしい情景を表した。パイナップルを載せた皿をふたつ描き加えると、夏の日のあの書斎を思い出させる絵になった。

 良太は鉛筆でかいた下絵を万年筆でしあげてから、絵の上部に〈謹賀新年〉と記し、下には〈いつも心の中でチーヅとパイナップルを食っている〉と書きそえた。

 書きおえた賀状をながめ、良太は思わずほほえんだ。これを見て検閲官はどんな顔をするだろう。こんな賀状では発信不許可とされるかも知れないが、首をかしげながらも検閲済の印鑑を押してくれそうな気もする。このハガキが無事に千鶴にとどいたら、千鶴を大いに喜ばせるはずだ。検閲の通過を願いながら、良太はハガキに宛名を書いた。

 良太はノートをとりだして年頭の所感を書いた。

〈………数カ月前には予想もしなかった場所と環境で新年を迎えた。徴集兵として新兵教育を受ける身となったが、我々学徒出陣者は一般の新兵よりも恵まれた状況に置かれているらしい。

 子供の頃から空を飛びたいとの願望はあったが、自分で飛行機を操縦することは夢想だにしなかった。そのような自分に操縦員としての素質ありとの判定がくだされ、飛行機乗への道が開かれようとしている。先行き全く不透明、運は天に預けるしかない。

 周りを眺めてみれば、誰もが眼前のことにのみ関心を抱いているように見える。命令に従って行動する日々を過ごし、規律にしばられた生活をなすうちに、向上心が低下したということではないか。俺自身も読書に対する意欲の減退を覚える。これからは意識して積極的に本を読むとしよう。〉

「何を書いてるんだ、森山」

 聞こえた声に良太は肝を冷やした。日記を教班長などに見られては、困った事態にもなりかねない。声の主は同じ班の園山だった。

「元日だから日記を今のうちに書いてるんだ」

「貴様も娑婆気が抜けないようだな。俺の声にびくつくようじゃ、教班長や分隊長に見られたら困ることでも書いてるんだろう」

「やましいことは書いていない」

「心配するな。俺の見るところでは、貴様と俺は同類だよ」と園山は言った。「簡単に娑婆気が抜ける奴より、俺は貴様みたいな奴を信用するよ。うまくやろうぜ同類」

「俺も貴様を信用してるぞ、娑婆気の抜けない貴様をな」と良太は言った。

 園山はたむろしている仲間の方へ歩いていった。良太は園山を見送りながら、貴様と呼びあう海軍のしきたりに、俺もどうやら慣れてきたと思った。

 良太はいったん閉じたノートをふたたび開き、所感をしめくくる文字をつづった。

〈年頭に願うは戦争の終決。日本人として日本の勝利を強く願いながらも、戦争の早急なる終決を念願せずにはいられない。それが最善の方途と信ずるゆえに。〉


 良太たちは悪天候であろうとカッターボートを漕がされ、雪解け水の練兵場を走らされた。その合間には精神訓話や戦訓を聞かされ、戦局がいかに厳しいかを思い知らされた。ガダルカナル戦の悲惨極まりなかった実態を聞かされた良太は、戦争の先行がすでに絶望的な状況にあるのだと思った。消耗する一方の日本の航空戦力に対して、アメリカは質と量に勝る状況で航空機を投入しており、戦力の格差は大きく拡がりつつあった。国民には隠されている実態が、新兵である自分たちに知らされることが、良太には意外に思われた。

 1月15日の面会日には両親が訪ねてくれた。時間に追われながらではあったが、嬉しい歓談のひとときを持つことができた。母が心を尽くして作ってくれた食物を口にしながら、互いの近況などを語り合っているうちに、あたえられた時間はあっけなく過ぎたが、面会は良太に大きな満足感を残した。

 新兵教育が終った1月25日、海兵団での修了式に先だって、予備学生採用試験の結果が発表された。試験を受けた12月の時点で、良太は士官への道を諦めていたけれども、飛行科の予備学生に採用されることになり、そのための基礎訓練を、茨城県の土浦航空隊で受けることになった。

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