第22話 土浦海軍航空隊

 良太は1月29日に土浦航空隊に到着し、各地の海兵団から集まってきた三千余名の仲間とともに、2月1日の入隊式にのぞんだ。

 その日をもって第十四期飛行科予備学生となった良太は、支給された海軍士官の第一種軍装に身をかため、腰には短剣をつっていた。舞鶴での水兵服姿とはあまりにも異なる身なりであった。

 その夜、良太は日記をつけた。

〈土浦航空隊の入隊式。予備学生として海軍士官の正装にて参列。式が終わったら直ちに訓練開始。ここでの訓練は苛烈なものと予想される。

 我ながら意外に思うこと、それは第一種軍装にて整列しているときに満足感を覚えたことである。当分の間は通信が許されぬゆえ誰にも知らせ得ないが、俺が海軍士官への道に入ったことを家族の者はむろん千鶴や忠之はどう思うだろうか。〉

 士官に対する憧を抱かなかった俺だが、軍に身をおくことになったからには士官になりたい。家族や千鶴はむろん喜ぶはずだ。士官になれば兵士と比較して待遇面に大きな違いがあるだけでなく、多少なりとも納得できる役割をはたせそうな気がする。とはいえ俺が目指すのは飛行科の士官だ。飛行科とわかれば家族や千鶴は喜ぶどころか不安におそわれるだろう。心の底に不安を抱えている俺だが、入隊式に臨んだときには満足感を覚えた。海軍士官の制服を着た姿を、家族や千鶴に見せたいと思った。俺には未熟で子供っぽいところがあるのかも知れない。

 良太はふたたびペンをとり、数行の文章を書き加えてからノートを閉じた。


 飛行科将校育成の基礎教程は、本来ならば半年間を要す課程であったが、第十四期予備学生に対しては、期間を短縮して過密教育を施し、4カ月で修了すべく計画されていた。教育内容は肉体的な訓練と座学と称される学科であった。学科は理系に関わるものが多く、気象学や物理学さらには飛行理論や力学など、良太には不得手とするものばかりであったが、必死で学んでいるうちに知識が身についてきた。誰もが必死で学ばざるをえなかった。座学の教習に続いて行われる試験の成績によっては、もとの水兵にもどされるおそれがあった。

 2月20日の日曜日、夜の温習時間に良太は日記をつけた。

〈日曜日課。一週間毎に与えられる貴重な一日を、身の回りの整理と読書に費やす。

 同班の相沢と雑談していると彼曰く。ここに来てから俺たちの眼つきが変わってきたとは思わぬか。貴様の眼もえらく鋭くなってきている。確かに俺たちは学生時代の名残を急速に捨てつつある。言動が俊敏になっただけでなく、表情も変わってきている。

 終日を緊張のままに過ごし、命令には瞬時に反応。周囲に気をくばり、身のこなしにも一瞬たりとも気を抜いてはならぬ。かくのごとくあれば学生気分も抜けようというものだが、昨日の課業整列時、上空の練習機に眼を向けたことを見とがめられ、分隊士からきつい修正を一発。分隊士からの指導。お前は搭乗員の直接指揮官となる身である。空中戦では一瞬の油断が、お前のみならず部下の命をも奪うことになる。部下の信頼を得るために、いかなる場合に於いても将校としての態度を保つべし。確かにその通りである。頬には昨日の修正の痛みが残るが、分隊士からの戒めとして、この痛みを噛みしめるとしよう。〉

 予備学生たちは、修正と称される鉄拳制裁をしばしば受けた。軍人としてあるべき姿に修正するためのものとされたが、良太には承服できない場合が多かった。

 良太は久しぶりの長い日記を書きおえた。日課と試験に追われる日々が続くと、日記をつけようとする意欲が低下し、数行しか記さない日も珍しくなかった。


 苛烈な訓練と教育の合間に、良太たちは適性検査をくりかえし受けさせられた。検査がひとつ終わるたびに、良太は操縦員への道に近づいた。

 土浦航空隊での基礎教程では、異性との通信を禁じられていたので、千鶴へのハガキは祖父あてに出した。千鶴からのハガキは差出人が祖父の名前になり、その文字は忠之の代筆だった。ものたりなくはあっても、それに代わる手段はなかった。

 3月26日になってようやく、良太たちは初めての外出を許されたが、行動範囲は土浦周辺に限られていた。

 その夜、良太は日記をつけた。

〈土浦航空隊で初めての上陸。海軍とはいえ陸上にある航空隊だが、それでも隊の外に出ることを上陸と称す。

 海軍士官の体面を僅かであっても傷つけてはならぬとばかりに、身なりを徹底的に検査されてから町へ向かう。航空隊支給になる弁当の白い包を腰に、同班の仲間たちと連れだって歩く。町につくなり土浦館に立ち寄り、安藤や佐山たちとしばし歓談。〉

 良太はペンをとめた。土浦館を出てからの行動を記すわけにはいかなかった。

 良太は次の上陸日を利用して、ひそかに千鶴と会うつもりだった。そのためには町の様子を調べておかねばならない。良太は仲間たちと別れて、あちこちに予備学生が見られる町を歩いた。

 古本屋に入ってみると、老人が店番をしていた。良太が店にいた30分ほどの間に、入ってきた客はたったひとりで、まだ名前を知らない他分隊の予備学生だった。

 良太は文庫本を一冊だけ買って店を出た。

 本屋の横に狭い道があった。付近の住民しか歩きそうにないその道をたどると、いきなり国民学校の前にでた。良太は誰もいない日曜日の校庭を見て、ここでなら千鶴と話し合うことができそうだと思った。校庭を通りぬけて校舎の横から裏にまわると、枯れた草花が放置されたままの花壇があり、さらに進むと人目から完全に隠される場所が見つかった。古本屋と学校をうまく利用すれば、千鶴との逢瀬を楽しめそうだった。

 良太はノートにペンをおろした。

〈ひとりで町を散策す。古本屋に立ち寄ったあと土浦館にもどり、お茶を飲みながら航空隊支給になる弁当を食う。故郷に送る写真をとりたいという小林につき合って、相澤や園山も一緒に写真屋に行き、軍服姿の写真をとった。〉

 良太は日記を書きおえると、忠之と千鶴の祖父にそれぞれハガキを書いて、次の予定外出日が4月2日の日曜日であることを知らせた。その2枚のハガキが良太の計画を伝えるはずだった。


 3月31日の夜、千鶴は書斎で日記をつけた。

〈………あさってになれば良太さんに会える。東京に近い土浦に移られたので期待していたけれど、二ヶ月待ってようやく会えることになった。もうすぐ良太さんの誕生日だから、良太さんに喜んでもらえる食べ物を持って行き、一緒にお祝いをしたい。〉

祖父と忠之に届いたハガキを読みくらべたら、良太の意図していることがすぐにわかった。古本屋の場所は大まかにしか示されていなかったが、土浦の町を歩けばすぐに見つかりそうに思えた。

 良太の工夫がこめられた2枚のハガキを手にしていると、それまでに受け取ったハガキをすべて読みなおしたくなった。

 千鶴は10枚ほどのハガキを机のうえにならべた。出せるハガキの枚数には制限があるということで、土浦から送られてきたハガキはまだ4枚だけであり、しかも宛て名は祖父の名前になっていた。

 舞鶴からとどいた賀状を見ると、思わず笑いがこみあげた。千鶴は声に出して読んだ。「いつも心の中でチーズとパイナップルを食っている」

 千鶴はハガキの絵を見ながら、あの夏の日を思い返した。この部屋でパイナップルを食べながら話し合い、そして口付をした日だ。暑かったあの日が懐かしい。

 千鶴は読み終えたハガキを机にしまい、心のうちで良太に告げた。「私も心の中でいつも良太さんと口付けをしています」

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