第20話 出征兵士を送る歌

 故郷に帰ったその日から、良太の多忙な日々が始まった。なによりもまず、家族と共に過ごす時間を可能なかぎり密度の濃いものにしたかった。為すべきことのすべてを為し終えて、悔いを残すことなく出征しなければならなかった。

 11月の末になると、良太が出した手紙に対する返事が幾通もとどいた。千鶴の手紙には、東京を発った日に小川家で撮った写真が同封されていた。その手紙に記された〈良太さんと一緒に出雲を訪ねる日を心待ちにしております〉との言葉を読んで、良太は村の風景をスケッチして送ろうと思った。幼い頃から見慣れた風景だから、家の中で描くこともできたが、自分の眼で確かめながらスケッチすることにした。

 つぎの日、良太はスケッチのための用具を持って家を出ると、腰をおろす場所をもとめてあぜ道を歩いた。

 良太は田圃のあぜ道に板きれを敷き、足をのばして腰をおろした。良太が向かっている先に、良太が生まれ育って、高校を卒業するまでくらした家があった。家々の向こうに斐伊川の堤防が見え、かなたには島根半島の山並みがつらなっている。

 自宅をスケッチしていると、良太の母が庭に現れた。

 良太は鉛筆をとめ、洗濯物を竿にかけている母の姿に眼をやった。幼い頃から幾度も見てきた光景であったが、良太は母親から眼をはなすことができなかった。玄関から現われた祖母が、母親と言葉をかわしてから、縁側の方へと歩いて行った。

 洗濯物を干している母の姿や、ゆっくりと庭を横切って行く祖母の姿には、どこにも戦争をうかがわせるものはなかった。村の眺めも平和そのものであったが、眼に映る家のいくつかは英霊の家だった。名誉の戦死を遂げた英霊の遺族というからには、悲しむ姿をさらしてはならない。それらの英霊の家では、愛する家族の死を悼み、戦争を憎む気持ちを胸の奥にためている遺族が、戦争をもたらした者たちを呪っているに違いなかった。

 良太は思った。もしも俺が戦死したなら、俺が生まれ育ったあの家も、英霊の家と呼ばれることになる。そんなことになろうものなら、母はむろん家の誰もが、あのような姿で庭を歩くこともなくなり、ひっそりと家に閉じこもるような気がする。

 国を率いる者たちの大きな声が、日本の隅々にまで鳴り響いている。神国を護るためには命も捨てよ。命を捧げて護国の鬼になれ。本当に護らなければならなかったのは、平和というものの価値ではなかったのか。国を導く者たちの責務は、国の平和を護り、国民が戦争の犠牲となるのを防ぐことにあったはず。自分や家族を戦争の犠牲にすることなど、国民の誰ひとりとして望んでいないはずだが、この国は国民の意思には意を向けることなく、国民をして戦争への道を歩ませた。戦争などあってはならないと思っていた俺だが、国の命じるままに出征することになった。俺は絶対に生きて還らねばならない。家族のためにも千鶴のためにも、俺は戦死などしてはならない。

 良太は家に帰ると、描いたばかりのスケッチに言葉をそえて、前日のうちに書いておいた手紙とともに封筒におさめた。


 昭和18年12月8日、日本がアメリカの真珠湾を奇襲してからちょうど2年が経ったその日に、良太は村の神社で武運長久の祈願をした。

 その日の午後、国民学校の校庭で行なわれた壮行式で、良太は村人からの声援をうけ、恩師でもある忠之の父親からは、心のこもった餞の言葉を贈られた。

〈出征兵士を送る歌〉の斉唱をもって壮行式が終わると、家族と親戚はもとより近所の人にもつきそわれ、村内を通っている山陰本線の駅に向かった。子供のころから幾度となく汽車に乗り、そして降りた駅だった。

 汽車が動きだした。万歳の声とうち振られる国旗のなかに家族の姿があった。遠ざかるにつれて、家族の姿は人びとの中にまぎれていったけれども、国旗はなおしばらく、それ自体の存在を誇示するかのように見えていた。

 良太の荷物はトランクひとつだった。母親が用意してくれた2食分の弁当と洗面用具、ふたつの千人針と着替えの下着、日記用のノートと筆記用具、そして千鶴からもらった藤村の詩集と数冊の文庫本が入っていた。

 松江で乗り換えた列車には、舞鶴に向かう途中で多くの出陣学徒が乗りこんできた。

 つぎの日の早朝、列車は目的地に着いた。舞鶴海兵団に近い東舞鶴駅だった。

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