第11話 出陣学徒壮行会

 10月2日、在学徴集延期臨時特令が公布されるとともに、学生を対象とした徴兵検査の実施計画が公表された。10月の下旬に行なわれる徴兵検査を受けるため、良太は期日までに出雲に帰らねばならなかった。

 軍に身を投ずることになった学生に対して、文部省主催になる壮行会が行われることになった。10月21日のその壮行会は、首都圏に住む出陣学徒を対象に挙行され、女子学生や出陣予定にない男子学生に対しては、送る側としての参加が求められた。会場は明治神宮外苑競技場だった。

 送られる側の良太や沢田には、前日のうちに大学から歩兵銃が渡された。教練や野外演習で扱いなれた三八式歩兵銃だった。

 国による壮行会が行なわれる日の前夜に、浅井家は良太と沢田のための壮行会を行うことにしていた。千鶴の祖父にとっては孫にあたる沢田が、休学して横浜の家族のもとに帰ることになったからである。

浅井家での壮行会が行われる日の夕方、良太は翌日の国による壮行会に必要な歩兵銃などを持って浅井家に向かった。その夜は浅井家に泊めてもらい、翌日の国による壮行会には、千鶴や忠之たちとともに出発することになっていた。

 その夜、良太は沢田や忠之とともに浅井家の食卓についた。にぎやかな、そしてなごやかな宴会のような壮行会だった。食卓には収穫したばかりのサツマイモも載っていた。

 良太と忠之があとかたづけを手伝っていると、千鶴が近づいて、「良太さんのおふとんは岡さんの部屋に運びましたから」と言った。

 その夜、良太は忠之の部屋で寝ることになっていた。

「良太よ、少しくらい寝相が悪くてもかんべんしてやるからな、安心して熟睡しろよ」と忠之が言った。

つぎの朝、千鶴を交えた4人はいっしょに家を出て、千駄ケ谷の競技場に向かった。雨が降っていたが傘を持つ者はなかった。それぞれの腰には千鶴と母親が作った握り飯の弁当があった。

 競技場の周辺にはおびただしい学生が集まっていた。良太と沢田はそれぞれの隊に配属されて、雨の中で分列行進の開始を待った。千鶴と忠之もそれぞれ指定された場所に向かった。

 かなりの時間を雨の中で待機させられてから、ようやくにして分列行進がはじまった。800人が一つの隊をなし、軍楽隊の演奏に合わせて8列縦隊で進んだ。

 先頭を行く校旗がゲートをくぐりぬけると、あたりを圧するどよめきが沸きおこった。良太は銃を肩にして、前を進んでゆく校旗を見つめ、泥水をはね返しつつ進んだ。

 良太はスタンドに眼を向けた。右前方の台に立っているのは文部大臣だろう。胸に勲章をつけた軍服姿は東条総理大臣だ。

 バックスタンドに向かう頃になって、女学生たちが並んでいる場所が見えてきた。良太はまっすぐ前をむいたまま、女学生たちが集っている場所をながめた。あそこから千鶴は必死で俺に呼びかけているのだ。千鶴は今どんな気持でいることだろう。

 千鶴はスタンドの一角から、良太の姿をさがしもとめた。誰もが同じ制服と制帽をつけている。良太を見わけることなどできなかったが、それでも千鶴は良太の姿をもとめ、濡れた制服の腕をふりながら、良太に届けとばかりに叫びつづけた。

 行進をおえて整列した学徒を前に、総理大臣たちの訓示がつづき、出陣学徒の代表が答辞を読むときがきた。代表者が進みでてゆく。

 答辞を読む声が静寂の中にひびいた。千鶴は思った、良太さんは答辞の声をどんな気持で聞いておいでだろうか。良太さんはあそこに立って何を考えておいでだろうか。

 壮行会が終わろうとしている。〈海行かば〉の歌声が競技場をおしつつむ。千鶴は整列している学生たちを見つめつつ、精一杯の声で歌った。

 万歳の奉唱をもって壮行会が終わった。出陣学徒が行進をはじめた。宮城を遥拝するために退場してゆく。千鶴は思わず隊列の方へと歩きだしていた。周りの女学生たちもいっせいに学生たちに向かって動きだした。満場に漲る想いが重なりあって、感動が感動をよび、その感動に突き動かされて、女学生たちは叫びながら涙を流し、泣きながら手に持つ小旗やハンカチをうち振った。千鶴もまたひたすらに旗を振り、涙を流しながら叫びつづけた。

 良太はその午後も遅くなってから浅井家を訪れ、忠之の部屋で千鶴や沢田をまじえて語りあった。そのあと、浅井家で用意された夕食をとり、入浴してから下宿に帰った。

 早朝に起床して始まった一日が終わった。日記をつけさえすれば、あとは寝るだけだった。

 良太はノートを持って寝床に入り、腹ばいになってペンをにぎった。

〈前日の20日に浅井家にて壮行会をしていただく。忠之や沢田と共に馳走にあずかり、ご家族を交えて歓談す。なごやかな宴のごとき壮行会だった。そのまま浅井家に泊めてもらう。浅井家の御厚意に深く感謝す。

 今日は明治神宮外苑競技場で文部省などの主催になる壮行会。雨の中を千鶴を含めた4人で千駄ケ谷へ。

 スタンドを埋め尽くした数万人の気持を受けつつ雨の中を行進。あの数万人の気持は、国民すべての願望に通じている。戦局の前途容易ならざるとき、自分は如何ほどにその期待に応えることができるだろうか。今はただ我らの出征に意義あれかしと願うのみ。〉

 日記をそこで終えることにした。ノートを閉じてふとんの上に仰向けになると、千鶴のことが想われた。千鶴は何をしているのだろうか。握り飯を作る用事があったから、そのぶん千鶴は早く起きたはず。もう寝床に入っているのかも知れない。濡れた制服を冷たく感じながらの食事だったが、あの握り飯はうまかった。

 まもなく良太は眠りにおちた。

 その夜、千鶴は疲れをおして書斎に入り、机の上に日記用のノートを置いた。

〈神宮外苑競技場での出陣学徒壮行会。雨の中を良太さんと岡さんに純ちゃんと私の4人で千駄ケ谷に向かった。雨のためか式は少し遅れて開始。

 先頭の集団が現われたとたんに全身が震えるほどの感動におそわれた。声をかぎりに良太さんたちに声援を送った。総理大臣や文部大臣が演説したが、私はほとんど聞かずに整列している良太さんたちだけを見ていた。

 良太さんは午後遅くに来てくださった。見なれた制服姿ではなく毛糸のシャツを着ておいでだった。岡さんの部屋に4人で集まって話し合った。

 良太さんの感想。雨の中を行進していると、スタンドから呼びかけているこの人たちのために、日本に生まれ育った者のために、自分たちは出征して征くのだという気持ちが沸きあがってきた。それを聞いて、私は良太さんたちに感謝しなければならないと思った。私たちは感謝しながら、出陣される良太さんたちの無事を祈らなければならない。

 岡さんの感想。良太さんたちが出征されるのだから、理科の学生も何らかの形で戦争に参加しなければならない。岡さんはそのために何ができるか考えているとのこと。

 良太さんは徴兵検査を受けるために故郷へお帰りになる。しばらく会えないけれど、十日ほど待てばまた会える。良太さんを送って玄関を出たとき、あちこちから虫の声が聞こえた。虫の声を聞きながら、良太さんとしばらく立ち話をした。こんな戦争をしているときでも、虫の世界は平和なとき変わっていないはず。人間はどうして戦争などをするのだろうか。

 大学を休学した純ちゃんが明日には横浜の家に帰り、出雲から帰ってきた良太さんが代わりに入られる予定。しばらくの間とはいえ、良太さんはここでお暮らしになる。良太さんのためにできるだけのことをしてあげたいと思う。〉

 今このとき、良太さんは下宿で何をしておいでだろうか。お疲れのはずだから、もしかしたらすでにお休みになっているのかも知れない。昨日の夜、岡さんが冗談に良太さんの寝相のことを口になさった。良太さんの寝顔を見たい気がするけれど、いつになったら見ることができるだろうか。

 千鶴はノートを引き出しに入れ、机の前をはなれた。

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