第2章 パイナップルの味
第7話 思わず口にした告白
戦争の実相は国民から隠されていたけれども、楽観を許さない状況にあることは明らかだった。ヨーロッパでは、日本の同盟国であるドイツとイタリアが苦戦していた。良太と忠之は、そのような情勢下に学生生活を送る身として、勉学に全力をつくすべき義務と責任を強く意識した。幼なじみの多くが出征していたし、中学校で同級生だった友人がふたりほど、海軍に志願して太平洋で戦っていた。良太と忠之の親族にも数人ずつの出征軍人がいた。良太がことに気にかけていたのは、海軍に志願した従弟の龍一だった。
昭和18年4月に、千鶴は薬学専門学校の2年生になった。叔父や従兄が出征していたから、千鶴にとっても戦争は身近なところにあった。
食料はますます不足し、外食券なしには町の食堂での食事ができなくなった。配給の食料も乏しくなったので、浅井家では広い庭を畑にすることにした。日当たりを良くするため、良太は忠之や沢田とともに庭木を切り、数本の樹を植えかえた。浅井家では落葉や生ごみを庭に埋めていたので、庭の土は意外なほどに肥えていた。
そのようにして作られた畑に、千鶴の家族が見守る中で、良太は千鶴といっしょに野菜の種をまいた。4月の日曜日であった。
その午後、浅井家で用意された昼食をおえてから、良太は千鶴とつれだって映画を見にでかけた。ふたりで映画を見るのはそれが二度目だった。
並んで歩いていると、ときおり通行人から厳しい視線を向けられた。千鶴の不安をおさえるために、良太は意識して平静にふるまった。
映画は黒沢明監督の〈姿三四郎〉だった。大学の友人たちの間で評判になっていただけに、日曜日の映画館は込みあっていた。座席には座れなかったけれども、むしろその方がよかった。良太と千鶴は体をよせて画面に向かい、映画が終わるまで手をつないでいた。
映画館を出てからの予定は決めていなかった。映画の感想を語りながら、ふたりはあてもなく歩きだした。
良太は言った。「今日は千鶴さんのところで、昼飯をたっぷり食わせてもらったから、お汁粉はやめてコーヒーにしよう」
「コーヒーは高くなっているはずよ、お砂糖はちょっぴりしかつかなくても。いつものように書斎で話し合うのはどうかしら」
良太は千鶴に同意して浅井家にゆくことにした。
「だったらそうするか。忠之や沢田がいたら、あの映画のことを話してやろう」
「映画に誘ったのに、岡さんは断られたわね。どうしてかしら、良太さんと私のために、こんなに気をつかってくださるのは」
「そんなあいつが友達で、ありがたいと思ってるんだ」
「私も岡さんに感謝しなければならないわね。岡さんが私の家に来てくださったおかげで、良太さんと出会えたんだから」
「こういうのを縁というんだろうな、忠之が千鶴さんの家に下宿したことも含めて」
「そう言えば、岡さんは冗談をおっしゃるわね、俺はおまえらの縁結びの神様だって」
「予想もしなかったよ、忠之がありがたい神様になってくれるとは」
「岡さんが神様だったら、どんなお礼をしたらいいのかしら」
「千鶴さんと俺がいっしょに、良い人生を送れるように努めることじゃないかな。俺が縁結びの神様だったら、そんなふうに思うだろうな」
千鶴が立ちどまって良太を見つめた。「いまの……とても嬉しかった」
千鶴の瞳に応えて良太は言った。「俺もうれしいよ、千鶴さんがそう言ってくれて」
良太が働いているパン屋では、小麦粉にサツマイモの粉をまぜるなど、材料の入手に苦労する状況にあったが、どうにか仕事は続いていた。あらゆる物価が上昇し続けているため、ひと月に20円ほどの賃金が、良太にとってますます貴重なものになっていた。
大学での勉学と生活費のためのパン屋の仕事、ときおり浅井家を訪ねて千鶴や忠之たちと過ごすいっとき。それが東京での良太の日常だった。
戦況は厳しいままに推移した。食料や物資の不足が国民につらい生活を押しつけた。山本連合艦隊司令長官の戦死が公表されてまもなく、追い打ちをかけるかのように、アッツ島守備隊の全滅が報じられた。良太が耳にしたのは、日本軍があちこちで玉砕しているらしいとの噂であった。
新聞が報じる悲報を読むたびに、良太の胸にはアメリカに対する敵愾心が湧いた。恩師の影響もあって、良太は高校生の頃から軍部の暴走をにくんでいたし、聖戦と称されている戦争に対しても批判的であったが、その一方で、勝てるとは思えないにもかかわらず、アメリカには何としてでも勝ちたいと、心の底から強く願った。
6月の末にとどいた父親からの手紙が、良太につよい衝撃を与えた。従弟の龍一が南の海ですでに戦死していた。
龍一の家も同じ村にあった。幼い頃の龍一はしばしば良太の家を訪れ、そのまま泊まることも珍しくなかった。良太にとって龍一は弟のような存在だった。
手紙によれば、龍一の葬儀はすでに終わっていた。遺骨もない葬儀ということもあり、良太を帰郷させるようなことはしないで、すべてが終わってから報せてきたのであった。
良太は龍一の父母と自分の家族に手紙を書いて、龍一にたいする哀惜の想いを伝えた。その手紙には、夏休を利用して帰省することも伝えた。戦時のために夏休は短いものとなったが、出雲でしばらく過ごせるだけの日数はあった。
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