番外編

第202話 番外編 回想 ブライアン

 ある冬のことである。フェイの高祖父であるブライアンは、余命いくばくもないことを自覚していた。

 随分と長く生きた。神の力の減った現代において、ブライアンは常識外なほど生きたほどだろう。実年齢を言っても信じてはもらえないほどに。もっともそれは、本当に生まれた年を信じてもらうよりは簡単だろうが。


 ブライアンがこの世に生を受けたのは、今から5千年ほど前のことだ。途中、暦の読み方がばらけたりと世界規模での変革があったので正確なところはわからないが、それでも普通の人間が生きられないほどの昔だ。

 ブライアンが今生きているのは、そのほとんどの時間を飛ばしたからだ。魔法による時間軸の移動。それはブライアンが生涯かけて研究した魔法だった。


 だけどそれは失敗し、まだ走るのもおぼつかない玄孫のフェイを巻き込み、もう親族は誰もおらず、常識も変わって、何もかもちがう現代へと放り出されてしまった。

 失敗してしまうことも覚悟をしていて、何とかなるよう準備はしたつもりだった。しかしそれも、自分一人ならの話だ。フェイと言う小さな子供を育てるには、何もかもが足りなかった。


 ブライアンにできる限りのことはした。きちんと食べさせ清潔で健康的な日々を確保し、そして教育も覚えている限りのことを施した。

 必死にやってきた。できるだけのことはした。それでも、あとから思い返して、あれもすればよかった、こうすればよかった、ああしなければよかった。と、後悔することばかりだ。


 もう、春を迎えることはできないだろう。そんなぎりぎりになって、やり残すことはないか、もっと今からでもフェイにしてあげられることはないか。

 最近では一日の殆どを過ごす安楽椅子に座って、そんなことばかりを考えている。


「お爺様? 難しい顔をしておるの。何の魔法陣を考えておるんじゃ? わしでよければ手伝うぞ」


 と、ブライアンの席のすぐ横にあるテーブルについて魔法書を開いて勉強しているフェイを見ながら考えていると、視線に気が付いたフェイが無邪気にそう言ってきた。

 この気遣い。可愛い。めちゃくちゃいい子。天才。と惜しみない称賛が脳内に湧き上がる。


「うむうむ。フェイはいい子じゃなぁ。じゃが心配はいらぬよ。わしはただ、可愛いフェイを見ておっただけじゃからな」

「ふーむ? そうなのか? ならばよい……よいのか?」

「よい。それはそうと、フェイ、今日の晩御飯は何がいいかの?」

「む。それは難題じゃのぉ」


 真剣に考え込むフェイ。その可愛い姿に、気づかれないようブライアンはこっそり目じりを下げて、それから心の中でつぶやく。

 死にたくないな、と。死んでも惜しくないはずだった。だけどフェイを、この可愛いフェイを置いていくのは、とても怖いことだ。


 もしフェイがこの先困ったら? 泣いていたら? 誰がその手を引くのだ。ここにはもう、フェイと血がつながった家族はブライアンしかいないのに。


 もっと早く、街に降りるべきだった。そうすれば友達くらいはできただろう。だけど、それはどうしてもできなかった。現代では魔法知識はすたれ、神すら信じないありさまだ。

 そんな中で育てば、フェイもまた、神を信じなくなるだろう。それはどうしたって、許せることではない。今はまだ、フェイは話せない。だけどシューペル神はいつも自分たちを見守ってくれた大事な神なのだ。いなかったことになんてできない。それに魔法も、ここまで培われたものすべてがこの世界からなくなってしまうなんて、それもまた、学問への冒涜だ。研究者の一員としても見過ごせない。


 結局他に、選択肢はなかったのだ。フェイはもう、十分に魔法を習得している。世界の魔法の衰退をみるに、十分やっていけるだろう。少なくとも暴力的な危機には対処できるだろう。

 お金だって馴染むまで数年間無駄に浪費したって問題ない程度にはある。街に行けば宿があり食事処もある。どうしても必要な買い出しなどで小さな村に行くときにフェイを連れて行って、お金のやり取りは見せているので、そのあたりの常識は大丈夫だ。


 フェイは物怖じもしないし、実力もお金もあって、口も達者で、頭もよくて、才能もあって、可愛くて、愛らしくて、どこに出したって恥ずかしくない、立派な子だ。

 きっと世間に出たってやっていける。そう思っていても、不安で仕方ない。


「うむ、今日はふかし芋とベーコンのかりかりに焼いたやつはどうじゃ?」

「それはいいのぉ。美味しそうじゃ」

「うむ! 絶対美味しいに決まっておる!」

「フェイ、それ、昨日、も、食べ、て、ました、よね?」

「うるさいぞ! 美味しいものは毎日食べてもいいんじゃ!」


 人口精霊のジンのちゃちゃに、フェイは机をたたきながら抗議した。

 ジンはブライアンが青年期に作り出してから人生を共にしてきたパートナーだ。フェイがこのままこの家で一生を過ごすなら、十分な話し合い相手だろう。

 だけどそれでは、あまりにもつまらないだろう。フェイはまだ成人したばかり。人生はこれからだ。若い人生は、もっとたくさんのものを見て、たくさんの人と出会って、たくさんの冒険があってしかるべきだ。


「フェイ、もしもの話をしてもいいかの?」

「む? なんじゃ?」

「もし、わしが死んだら、の話じゃ」

「……うむ」


 遠回りに言ったところで変わらない。もしも、と前置きをしたが、かしこいフェイはちゃんと真剣な顔で頷いてくれた。ブライアンがそう長くないことだって、うすうすわかっているのだろう。


「以前、フェイは外に出たいと行っておったじゃろう。わしが死んだら遠慮することはない。外に出て、街に行き、たくさんのものを見るがいい」

「外に……以前は、駄目だと言っておったではないか」

「以前は幼かったからの。じゃが、もう大人じゃろう?」


 拗ねたようにして、うん、とは言わずに誤魔化したフェイの頭をそっと撫でる。どんなに頑張っても、この場所に二人しか話し相手がおらず、人に会うこと自体が稀で同年代の友人なんてできるはずもない。そんな環境のフェイが、外に興味を持つのは自然なことだ。

 だからこそ、いずれ大人になったら、とそれに備えた教育や準備もさせていたし、本人も納得していた。


 だけど昨年に成人を祝っても、フェイは旅に出るとは言わなかった。すでにブライアンの節々にガタがきていたことが隠しようもなく、それを案じていたことはわかっていた。

 わかっていても、それを無下にして旅立ちなさい、と強制するには、すでに目前に迫っている死に対しての不安が強く、フェイに甘えていた。


 こちらに来た時点から相応に年は取っていたのだ。フェイの成人までは、とだましだましやってきて、何とか成人を迎える年になり、その安堵感か、急に体も魔力も鈍くなってしまった。

 ジンもいるのでなんとか日常生活は遅れているが、精神的な変化はどうしようもなく、結局、最後までフェイに甘えているのだ。

 だからこそ、死後までフェイを縛ることはできない。悔いがなく、堂々を出ていけるように、ちゃんと言い聞かせておかなければ。フェイは優しい子だから。この家を、ジンを置いていくことに抵抗を持たないとは限らない。


「わしも、フェイくらいのころに、旅に出たんじゃ。そして、たくさんの出会いがあった。友ができ、愛する人もできた。お主にはたくさんのことを教えてきたつもりじゃ。じゃが、言葉だけでは伝わらないことはたくさんある」

「……わかっておる」

「お主の知らないことはたくさんある。世界は広くて、素敵なことであふれておる。もちろん、嫌な思いをすることだって少なくないかもしれん。じゃが、それ以上に、そんなことが気にならなくなるくらいの幸せが、お主を待っておる」


 ブライアンを忘れろとは言わない。だけどそうなったとしてもいい。フェイには、幸せになってほしい。過去に縛られる必要はない。今のフェイなら、言わなくたって魔法を忘れないし、伝えてもくれるだろう。もうここから教えることなんて何もない。

 フェイは立派な魔法使いだ。だからこそ、幸せになってほしいと言う、それだけは伝えたい。


 ブライアンの言葉に、フェイはぐっと強く口を一文字に閉じてから、震える声をだした。


「わかっておる。お爺様、わかってるんじゃ。わしはお爺様の孫じゃぞ? そのくらい、わかっておるっ」


 そして大きくなってしまった声に自分ではっとして、右手で自身の頬をなでつけてから、じっとブライアンを見上げた。その目はどこかうるんでいて、耐えるように眉を寄せている。


「世界を見たいし、友達だってほしいし、もっとすごい魔法使いにだってなりたい。じゃけど、じゃからって、お爺様が死んだらとか、そんな風に、念押ししなくてもよかろう。わかっておるから。全部、わかっておるから」

「……すまん。わしが、無粋じゃったの」


 フェイは賢くてもう立派な大人だと、頭ではわかっていた。なのに伝えたい気持ちばかりが先行して、以前にも似たような話はしていたのに、念押しをしてしまった。

 死んだら、なんてのは元気な時だから普通にフェイも話せたのだ。こうして目前に迫っている時に言えば、もうすぐ死ぬのだと宣告するような、まるで死を待つような、そんな言葉に思えたのだろう。


 ブライアンはもうじき、死ぬだろう。それは全員わかっている。だからこそ、最後まで一緒にいたいのだ。涙にくれるのではなく、何もないみたいな日常を送りたいのだ。

 だと言うのに、幼いフェイが日常を守る努力をしているのに、他ならぬブライアンがそれを壊してしまうところだった。


「すまんの、つい。まだ、遠い話じゃったの」

「うむ。そうじゃ、わかっておるから。わしはちゃんと、幸せになるから。じゃから、先の話はしなくてもよい」


 雪が降っている。この雪が晴れるまで。それまでくらいは、持つだろうか。少なくとも、今日中ではないだろう。だから、まだだ。まだなのだから、ゆっくりとして、何もないみたいに、そう過ごせばいい。


「フェイ。今日は一段と寒いようじゃ。少し、こちらに寄ってくれるかの?」

「うむ。よかろう」


 フェイは席を立つと、躊躇なくブライアンの膝の上に座った。背中を預けてくる。今のブライアンにとっては、持ち上げずに乗せているだけで非常に重く感じる。だけどその体温が心地よく、まだ抱きしめてあげられることが嬉しい。


「ああ、フェイは本当に、あたたかいのぉ」


 フェイに幸せになってほしい。心から愛している。その思いが伝わるように、できるだけの力で抱きしめた。フェイを抱きしめられなくなったとしても、抱きしめてもらっていた記憶がなくならないように。それが少しでも、フェイの力になるように、ただ祈った。


 それから、雪解けを待たず、ブライアンはある朝目を覚まさなくなった。それにフェイはもちろんたくさん泣いて、すぐに旅立つなんてことはできなかった。

 できるだけその時がまだ来ないのだと願いたくて何も旅立ちの準備もしていなかった。だからちゃんと準備をして、旅立ちをきめたのは雪もとっくに解けた春のことだ。


 そうして、物語は始まった。

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