第188話 鉄棒5
「うー、痛いんじゃ」
夕方まで頑張り、ついに逆上がりを習得したフェイだったが、家に帰るともう夕食の時間だと言うことで、明日午前中にリナとエーリクにお披露目する約束になった。
それはいいのだが、手のひらの皮膚が固くなり豆ができて、ついにそれが潰れてしまったのだ。
手当てをして夕御飯を食べ終わって部屋に戻っても、まだ痛みはおさまらなくて、フェイはうーと唸りながら意味なく腕を振る。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないのじゃ」
「って言われても……手当てした以上、どうにもできないんだけど。キスでもする?」
「お主は馬鹿か」
「いや、気が紛れるかと思って」
「むー……する」
「ん。どう?」
「全然足りぬ」
「はいはい」
そうしていちゃいちゃしていると、部屋がノックされ、ドア越しに声がかけられる。
「おーい、お風呂の時間っすよ。さっさと入るっす」
「はーい」
「わかった」
ヴィリオが知らせに来てくれたので、早いところ入ってしまおう。一応入浴は女が先で、時間まで浴場には近づかないことになっている。
最初は意外にルールがハッキリしてるなと思ったのだが、どうも恋愛沙汰になると修行にならなかったりするので、絶対禁止とエーリクが決めて、ドッキリハプニングとかは起こらないように厳しいらしい。
もちろん、単なる客の二人には関係ないルールですけどね。
「包帯は巻いたままでも大丈夫かのぅ」
「大丈夫だけど、あんまり濡れないようにした方がいいわ。染みるでしょうし」
「ひぃ。うう。リナ、わしの手になってくれんか?」
「はいはい」
フェイをなだめながらお風呂に入る。服を脱ぐのは問題なくできるが、ついでなのでそれもリナがやった。ばんざーいと言いながら脱がせるの楽しい。純粋な意味で。
お風呂場に入ってからも、フェイには万歳させた状態で体と頭を洗ってやる。されるがまま大人しかったので、ついでにちょっと体を撫で撫でしたら怒られた。
自分も洗ってから湯船につかる。ふーと息をつきつつ、両手がお湯に触れないよう気を使っているフェイを見る。
包帯を巻く前に、腕ごと一度洗っているので、このまま腕は洗わずに済ませればいい。湯船の縁に肘をのせて、手先をぶらぶらさせるのは子供みたいでちょっと微笑ましい。
「それにしても、マメが潰れるってそんなに痛いの?」
「なに? お主、マメあるじゃろ? 潰れたことがないのか?」
リナの手は、結構あちこち固い。弓や剣はもちろん、火打ち石など生活の為にも、タコができている。固い皮膚になる前はフェイの言うようにマメになったこともある。しかし潰れて大事になる前に対処している。そうすれば、潰れる前に手を休ませてやることにもなる。
「対処とな?」
「ええ。マメは針でついて水を出すの。そうしてると、段々皮膚が固くなってタコになるから、ヤスリで削り取るのよ」
「は? 針? しかもヤスリでって、どれだけ野蛮な治療をしておるのじゃ。信じられん」
「はー? いや、普通だから」
「自分の手じゃぞ? 刺したり削るのが普通のわけあるまい」
「えー、そんなこと言われても」
めっちゃ疑われている。まるで蛮族でも見るような目だ。リナはちょっと田舎出身山育ちなだけで、けして未開の地で生まれたわけでもないのに、何だこの扱いは。
フェイは基本的に怪我とは無縁の生活だった。よっぽど無茶をしても擦り傷や痣くらいだ。このよっぽどの無茶とは、山の上から下まで転がり落ちるとか、そう言うレベルの話だ。
身体強化さえしていれば、鉄棒だっていくらしようとマメひとつできない。
そんな状態が、かつては当たり前だったのだ。そしてそれ以上の大怪我は魔法で治す。フェイの知識のもとである生まれた頃の方が、よほど医療自体が未発達な未開時代だ。
「と言うか、それならいっそ、魔法で治したら?」
「うーむ。しかしのぅ」
「どうせ、いつも身体強化をつかっていて怪我をしないんだから、困らないでしょ」
「う、うーむむむ。リナよ、あまり誘惑するのはやめてほしいんじゃけど。痛いんじゃから」
「えー、だから治したら?」
「緊急の大怪我でもないのに、使う訳にはいかん。いかんのじゃ。うう」
「はいはい」
頑なに使おうとしないフェイ。お爺様から言われたからって、そんなにムキになる必要もないだろうに、とリナは思うのだけど、さりとてじゃあ自分が仮にマメを潰しても治してもらう気はさらさらないが。
マメが潰れたからといって、元の綺麗な状態に戻したって意味はない。マメが自然治癒すると皮膚が固くなり、出来なかったことができるようになるものだ。ぷにぷにお手てに治したら、痛い目を見た意味がない。
だがフェイは別に今後も鉄棒をするわけでもないのだから、魔法をつかってもいいのに。ようはリナは、自分だったら別にいいけど、フェイが痛がっているから何とかしてあげたいなと思ってるだけだ。
「さぁて、じゃあ、そろそろあが」
「あー! もうお風呂に入ってるっぽいよ!」
「あー! 本当だ! えっめりっなさーん! アンナ、入りまーす!」
「レイナも入りまーす!」
そろそろあがろうか、と立ち上がりかけた時、お風呂の外から騒がしい足音と声がして、ばたばたしながら勢いよくお風呂のドアが開いた。
「って! ええっ!? フェイじゃん!」
「ええっ! 今女の子風呂なのに!?」
そして全裸で突入してから二人揃って驚いた。フェイのことを男だと思っていたらしい。エーリクがすぐわかったし、弟子二人も説明されて驚かなかったので、あ、格闘家ってそんな感じなんだーと思っていた。
しかしこの双子姉妹、驚いている割りに隠そうともせずに、フェイを糾弾するためさらに一歩前に出てくる。
「変態じゃん!」
「スケベじゃん!」
「これ。何を言うか」
「二人とも、フェイ、女の子よ?」
とは言え特にこの姉妹の反応も驚くほどのこともない。中性的な格好でわしわし言ってれば男だと錯覚するのが普通だ。
リナがあっさりネタばらしすると、姉妹は顔を見合わせた。
「……ええー!?」
「うっそだー!」
「嘘ではない」
「証拠を見せろ!」
「おっぱいを見せろ!」
「はいはい。もうわしら出るから、よいじゃろ」
相手をするのが面倒になったので、フェイは手を振りながら立ち上がる。湯船に浸かっていた体は当然タオルを巻いていることもなく、普通に全裸がさらされる。
「おー。意外とあるね」
「ほー。よし。許した」
スルーして、お風呂を出た。リナは甲斐甲斐しくフェイの体も拭いて服を着せてとお世話した。
○
「ふん! ふんー! どうじゃ! リナ!」
「完璧だわ! さすがフェイ! 一週間経たずにマスターしちゃったわね!」
台をもらった翌日、得意満面で逆上がりを連続して披露するフェイに、リナは歓声で答えた。
「ふっふっふ。まぁの。わしにかかれば、容易いことよ」
「凄い! 凄すぎるわ!」
手放しで褒めるリナに、さすがに引きつつも、リナと同じく見届けるため呼ばれているエーリクも、まあそうだなと頷いて声をかける。
「頑張ったな。手に豆もできてるんだって?」
「うむ。今は痛み止めだけしておる」
魔法で治すのはちょっと……と悩んでいたのだが、あっさり解決した。治すのが駄目なのであって、痛みを感じないように魔法をかけるのはセーフセーフ。全然ありです。
「ふぅん? ちょっと俗世を離れてる間に、便利な世の中になったもんだ。ま、そんな軟弱なのは、絶対に御免だがな」
「そんなことより、次の課題はなんじゃ?」
本日はここに来て四日目の朝で、誕生日の当日を除いても丸三日と半日以上ある。もうひとつくらい余裕余裕と欲を出してきたフェイ。
そんなヤル気満々のフェイに、エーリクもにやりと嬉しそうに笑って自慢の顎髭を丁寧に撫で付ける。
「そうだな。まあ、やっぱり基本が大事だからな。体力だ。走り込みを10、いや、5周休まずに走れるようになれ」
「なるほどの。それはよいが、どこを走るんじゃ?」
「ここだよ、ここ。ほれ、障害物の外側にもちゃんと線がひかれてるだろ?」
「ほ。ふむ。ここを5周か。余裕じゃの。何なら10周を目標にしてやろう」
エーリクなりに、今後にもいいだろう体力づくりで、かつ気持ちよく旅立てるようにクリアできそうな範囲で課題を出したのだ。だと言うのにこのクソガキときたら、勝手に増やしやがる。
確かに最初は双子が最初にした課題から引用して10周と言いかけたが、双子より圧倒的に体力がないようなので下方修正したのに。
「まあ、できるなら好きにしろ」
「うむ。リナもやるか?」
「そうね。私も最近がっつり体を使うってないし、まにはいいわね」
「……ほぅ」
この山では身体強化をしていないので、当然リナも素の身体能力だ。しかし狩りは普通にできるし、山歩きも木登りも全く苦にせず、息を切らすこともない。すでに十分に鍛えられた体と言える。
もっとも真面目に鍛えていた時の体のまま、身体強化を続けているので、特になにもしなくてもピークを維持し続けられているのだ。
共に狩りをして、十分な能力を知っているエーリクは、しかしあれだけしてもがっつり体を動かしたと認識していないリナに感心する。
もちろん長年続けたエーリクほどではないが、本気で修行をしないか勧誘したい。これで本人がそれほどではない、と認識しているのだから、世界はひろいなぁとエーリクは思った。
「ん? なんじゃ? エーリク。課題ももらったし、ずっと見ていてくれんでもよいぞ?」
「へいへい。んじゃ、また後でな」
用なしだからどっか行けと言われたも同然だが、エーリクは軽く頷くと踵をかえした。今日はリナなしで、先日のリナと共同の狩りを越えてやるつもりだ。
久しぶりに目新しい目標ができて、それなりに燃えているエーリクだった。
「さて、ではやるか」
「そうね」
そしてリナはフェイと共に走り、フェイの持久力のなさに驚くのだった。
○
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