第176話 断絶
「えっ!? ちょっと待ってください!」
アリーの家で魔法について語ろうよ!となった本日、折角だしと実演つきでフェイが魔法を見せたところ、鬼気迫る様子で待ったをかけられた。
驚いてそのままの姿勢でぴたりと固まるフェイは、視線だけアリーに向ける。
「あ、す、すみません、つい。いや、でもだって、魔法陣が、宙に……」
「? うむ。そうじゃな」
「そうじゃな、じゃないですよ! どうやってるんですか!?」
「は? 普通に魔力でじゃけど? そうでなければ、どうやって魔法を使うんじゃ?」
勢い込んで机の上で前のめりになって聞いてきたアリーだが、普通に聞き返されて勢いをなくし、とりあえず座り直してから改めてフェイを見て答える。
「どうやってって、魔法は魔法具を使って使いますけど。それ以外にやり方があるなんて、初耳です」
「なにぃ? そんな馬鹿な話があるか。不便ではないか」
「えー? いえ、そんなこと言われてましても。え、と言うか。えっと、つまり、こう言うことですか?」
「どう言うことじゃ?」
「今から説明しますからちょっと待ってくださいね」
「あい、わかった」
アリーは意味ありげに人差し指をぴんとたてて、ちょっとだけ前のめりになって口を開く。
「つまり、昔の人は当たり前にそうしてたけど、断絶により、その知識が失われた、と言うことですか?」
「ふむ……まあ、確かにその可能性はあるの。しかし、うぅむ。昔の人、と言われると複雑じゃな」
「あ、ごめんなさい」
「と言うか、断絶ってなんじゃ」
文脈から何となくボイコット期間のことを指しているとはわかるが、何とも専門用語っぽい響きの単語に、フェイは思わず尋ねる。
するとアリーははっとしたように視線をそらして、両手の指先をあわせてもじもじしだす。
「あ、ほら、えっと。神がおられなかった期間で、神の存在すらあやふやになって知識がなくなってるってことなので、そのー、何となくそう言ったら格好がいいかなぁと」
「ふむ。確かに聞こえはよいが」
「ですよね! えへへ。私なりに、断絶について調べてみようと思いまして」
フェイの肯定に気をよくしたアリーは、照れ笑いしながら手を机におろした。フェイは片眉をあげて右肘を机にのせて、心持ち身を乗り出す。
「ほう? 興味深いの。何かわかったのか?」
「その答えは、ノーです。残念ながら。昔からの歴史がある、と思っていたわが家ですし、資料も残してますけど、断絶後に大きくなったので。それ以前となると、聖書ですとか、日常の手記くらいですね」
「なに? 手記が残っておるのか? 断絶の前となると、800年以上前なんじゃぞ?」
「はい。元々教会をしていたみたいで、神との会話記録、みたいなものですけど」
「ふむ。そのおかげで正しい信仰が途絶えなかったのじゃな」
神がおられなかったと言うことは、どんなに祈っても願っても、神は答えず加護もいただけない。それでもずっと信じて変わらずに続くのは、すごいことではないか、とよくわからないながらもフェイは思う。
「はい。ウィンクリーン様ともお話ししましたけど、現在他にある信仰も、殆どが正式な信徒になる手順を喪失していて、信徒を名乗っていても加護もない状態だそうです。ただあるだけ、祈るだけ、と言うことですね」
「そうじゃな。考えてみれば、信じがたいの。何もなく、祈っている神の存在を感じることもできぬのに、どうして信仰そのものは、神の名はなくならぬのじゃろう」
「さぁー? 私にはわかりかねますね」
首をかしげるアリーに、フェイもこてりと首をかしげ返す。
「しかし、ウィンクリーン様と話したのであれば、資料がなくてもわかることはあろう? 昔と今ではどう違うのじゃ?」
「残念ながら、あまり」
「そうなのか?」
「放し飼いのペットを飼うのは、生態や能力を詳しく知らなくても可能ですからね」
「ふむ。と言うか、お主意外と言うの」
人間をペット扱いとは。そも、神と言う他に言い表しようのない存在と人間の関係を、人間を神の位置に置き換えて例えること自体が、結構不敬だ。とは言え、言い得て妙でもある。
「そうですか? とりあえずウィンクリーン様からの情報はあまり役に立ちませんから、今のところ、打つ手なしです」
「そうか。まあ、仕方なかろう。昔のことじゃ」
「はい。それより、今はとにかく、なくなった魔法の知識を教えてほしいです。先生! お願いします!」
急にテンションをあげるアリー。成果のなかったことは、すでに興味がないのだろう。
フェイとしてもそれならもう聞くこともないし、先生と言う呼ばれ方は気分もいい。胸を張りながら頷く。
「よかろう! じゃが、何がなくなったのかわからんのじゃけど」
「とりあえず、今の魔方陣が浮かんでるのを教えて欲しいです!」
「うむ、よかろう。と言っても、複雑なことではない。魔法具は使えるのじゃろ?」
「はい、もちろん」
「魔力を操作して、糸状にして魔法陣を描くだけじゃ」
「全然だけではないのですが。操作してって、まあ、魔法陣には魔力を注ぎ込むくらいはできますけど、指先から魔力を放出するくらいで、そんな器用な操作できませんよ」
「なにぃ? まさか、巫女様なのに基礎もできんのか?」
家柄はよいだけで基本的なこともできないのかと、できない子を見る目になるフェイに、アリーは唇を尖らせる。
「巫女様やめてください。あと、言い訳しますけど、私が落ちこぼれとかじゃありませんよっ。普通にそんなことしてる人、聞いたこともありませんから!」
「ふーむ。じゃが、これは基礎も基礎じゃ。魔力の操り方なぞ、教えるほどのこともない。練習せよ」
「うう、案外スパルタなんですね。うーん。そんなこと言われても。えっと、こうですか?」
頭を掻いてから、アリーは右手を胸の前に出して手のひらを上にして、とりあえず指先から魔力を出す。糸になれーと意識しながらしてみた。
「それはただ放出してるだけじゃな」
「うー。コツとか、何かないですか?」
人差し指からは微かに光るもやが漏れ出て手のひらにこぼれ落ち、手のひらからはさらに光が薄くなり、大気に溶けていっているのがわかる。
コツと言われても、こればかりは個人による。しかしすぐに練習を始めて、フェイに聞きながらも眉を寄せて何とか操作しようとして魔力を揺らしている姿勢は好感が持てるし、何か言ってあげたい気になる。
それに、放出が全方向ではなくやや上側に向いていて指向性があるのが見てとれる。これなら可能性がなくもない。
フェイは左手の指先で顎先を撫でながら、右手を開いて指先から魔力を出す。
フェイの魔力はいつも通り、細く長く、意図して曲げたりしていないのでまっすぐ出たときの方向のまま、上に向かっている。
「ふむ。今、自分の魔力が上向きに出ているのはわかるの?」
「あれ? できてます?」
「わずかにの。すぐに落ちておるが、横から見るとわかる。そうじゃの。じゃからまずは、魔力の放出口を絞るようにしてみてはどうじゃ?」
「ん? んー、と。はい。やってみます」
アリーはむむむっと人差し指だけをたてて、睨み付けながら気合いをいれる。
「ふんっ、んんっ、んんんんっ! ど、どうですか!?」
「うむ。僅かに効果がある。細くなったようには見えんが、上に上がる距離が僅かに延びておるからの。そのままもっと細くして、高く伸びる魔力を作れるようになったら、次は体から出た魔力の操作じゃ」
「うっ。出してから操作とは、もっと難しそうですね」
「魔力は自分と繋がっておる。それを意識すれば大丈夫じゃ。少しじゃが、お主はコントロールできておる。その調子で頑張ってみよ」
「はい!」
それなら一日、アリーの魔力操作の特訓をした。と言ってもひたすらアリーが練習して、フェイが見ているだけだったが。
半日ほど、フェイが帰る頃には本人の目に見えるくらいには上向きに発射されてるとわかる程度には、コントロールできるようになってきた。
魔法陣をつくるにはまだまだ遠いが、大きく前進したとも言える。
アリーにはもっと練習すること。そしてウィンクリーンから何か聞いたなら教えることを言い含めて、フェイは宿へ帰った。
○
「戻ったぞ」
「おかえりー」
宿に戻るとリナは机に地図を広げていた。覗きこむと見知らぬ地形が載っている。リナに視線をやりながら、向かいに椅子を持ってきて座る。
「何をしておるんじゃ?」
「忘れないうちに、シューペル、様の教会の位置を確認してるのよ」
「おお。それはありがたい。で、どこじゃ?」
「順に言うわよ。まず、ここが今いるマーギナル国よ。いいわね?」
「うむ」
リナの指先が縮尺の大きな地図の上側の一部を指差す。身を乗り出すようにして、フェイはその指先に集中する。
「で、ここから南へずーっと、あ、街道は無視するわよ」
「うむ」
「進むと、はい、ここがドーバ川、ね」
街道の簡易部分を無視して指先を南下させ、大きな川の部分をとんとんと叩きながら、自分で書いたメモを読む。アリーには書いてもらった文字はリナには読めないので、フェイに読み上げて書き直させたのだ。
ちなみに、地図を読むため、それの横にこの国の文字も写してはいるが発音は不明だ。
「で、ここからさらに南西にある、ここがシンドゥウ国。それでこれがシンドゥウ国の地図ねー」
シンドゥウ国まで指先を動かしてから、リナは別の縮尺の地図を、今の地図の上に重ねて広げる。
シンドゥウ国の大まかな地図だ。それの最北に指先を置き、そこから首都まで移動させる。
「ここが首都のシンドゥウね。で、東の2つの街がアマリルカ。で、ここにはのってないけど、この辺りの森にインドゥカ村があるはずよ」
指先を滑らせて、地図では森にしかなっていない辺りをくるくると囲う。
「ふーむ。結構遠いのぅ」
「そう? 空からだから、正確な算出は難しいけど、以前のベルカから海への移動を考えると、一ヶ月はかからないんじゃないかしら」
「十分遠いじゃろ」
「いや、遠いけど、一ヶ月ってかなり行程としては短いからね」
空から行くので感覚が麻痺しそうだが、普通なら同じ国の中での移動で一ヶ月以上かかるものだ。一ヶ月かけての移動は行商人ならそれほど珍しいと言うほどでもない距離だ。
「そうじゃのぅ。そう言えば、飛行魔法についてアリーに聞くのを忘れておった。今度聞いておこうかの」
「ああ、そう言えば。でも多分だけど、今もうないんじゃない? ほら、あの、ボイコットで劣化してって、多分魔法もなくなってるんじゃない?」
「おお、よくわかったの。確かに断絶により、魔法の劣化もあるぞ。なんせ、基礎の基礎である魔力操作すらできんのじゃから」
「……断絶?」
「うむ、アリーが考えたのじゃ。呼び名があった方が便利じゃし、わかりやすいからの」
「そう」
断絶って、その単語はわかりにくいだろう。確かに神の干渉が断絶していたとか、何とかその単語で言い表すこともできなくはない。だけど何か違う気がする。変だろうとリナは思った。
しかし、他の人に話すこともそうないだろうし、本人たちがいいならいいか、とスルーした。
「まあ、また何か、面白いことがわかったら教えてね」
○
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