ベルカ街

第86話 猫耳幼女

「おぉ、すごいのぅ」


 ディアリ街を朝早く出発し、二人は矢のように飛んで、ついにベルカ領にたどり着いた。ベルカ領に入ったことがわかるラインとして街道に置かれた看板は早すぎて見えなかったが、ベルカ街までたどり着いたのだから嫌でもわかる。

 ディアリ街でも比較するとそれなりの数の猫耳が見られたが、ベルカ街は一歩入る前の見張りからして猫耳。一歩入って猫耳。右を見ても左を見ても猫耳。

 男も猫耳。女も猫耳。子供も猫耳。大人も猫耳。老人も猫耳。毛繕いをしている猫も猫耳と、圧巻の猫耳だった。


「と言うか、猫多いわね」


 ベルカ街は猫の街だった。人間だけでなく、普通の猫もたくさんいて歩けば蹴飛ばしそうなほどそこらに転がっている。


「うむ。じゃが、普通の猫もよいが、わしの狙いは猫耳一択じゃ!」


 フェイは左手で空をつかむ動作をしながら宣言すると、回りから人が引いていった。リナはフェイの頭を軽く叩いて注意する。


「フェイ、勝手に触るのは駄目だからね」

「わ、わかっておるよぅ」

「とりあえず、しばらくここで暮らすわけだし、宿をとりましょうか」

「うむ。そうじゃな。見知らぬ他人に体を触らせたくないのは道理じゃ。まずは根をおろし、警戒心をとかねばな」

「……そうね」


 複雑な気持ちになりながら、リナは頷いた。別に他意はなく興味だと知っていても、他の人に執着するのはなんとなく面白くない。まして耳と尻尾を触るのは特別な意味を持つのだから。


 元々フェイは動物好きで、見かけた犬や猫、鳥に食べ物を与えたり、稀に人懐こいものには触れることもあった。なので猫耳を触ったことがないわけではない。しかしそれとこれとは違うのだ。

 猫の耳と、猫の尻尾を持つ人間。そんなものはフェイは知らなかった。成り立ちを聞いて、それはあり得る話だとは思ったが、しかしお爺様はそれを教えなかった。つまり彼も知らなかったことだ。

 それだけで、無性にわくわくする。全くの未知があるのだ。知りたい。触れてみたい。猫と全く同じ手触りなのか。同じような反応をするのか。機能は、毛は、動きは。とても気になる。


 そんな訳で触りたい触りたいと言っているのだが、リナはそこまでわからない。単なる好奇心で片付けている。もちろんその通りではあるのだが。


「どこにしましょうか」


 大きな街だし、1日泊まるだけでなくしばらくの間とどまるのだ。宿選びは重要だ。


「どこでもよいじゃろ。猫耳がおればなおよいが」

「はいはい。んー、まぁ、見て回って料金とか聞いてまわりましょうか」

「うむっ」









「わーい! よろしくです、お兄ちゃん!」

「うむ!」

「……」


 宿を探すこと15分。通りすがりに客引きしてきた宿屋の自称看板娘の幼女にひっかかり、宿が決まった。フェイはちゃんとカルメのアドバイスである、子供なら触れると言う言葉を覚えていたのだ。

 しかしどうにも、あっさりと幼女の客引きに引っ掛かった様にしか見えないし、リナはとても複雑な気分になった。意図的に大人でなく子供を狙って、体に触れようとする。表現によっては非常にいただけないことになってしまって、なんとも言えない。にこにこする幼女に対抗するようににこにことするフェイに、他意はないのよね、と確認したくなる。


「基本的に夜の12時以降は休んでいますので、出る時には鍵を入れておいてください。入るのは朝6時までご遠慮ください。203号室の鍵です」

「うむ」


 猫耳幼女、マリベルの母親のマルタから説明を受ける。多少食事の時間など多少のルールの違いはあるが、基本的にどこも似たようなものだ。


 父親のエメ・アルドゥランの三人の家族営業の宿で、食事処を兼業していて、金額もサービスもごく平均的だ。食事処は他国人である父親のつくる異国料理が人気を呼んで割合繁盛しているが、反面宿屋にさく労力が低めなので部屋は普通で、埋まり具合はあまりよくない。と言うのがマリベルからのリークされた情報だ。

 だから泊まっていって、と言う猫耳をぴくぴくさせたおねだりに完敗したフェイだった。


「お兄ちゃんたちっ、夕食は絶対隣来てくださいね! 絶対美味しいから!」


 二人のパーティーにおいて、フェイが即断即決で宿を決めてリナが反論しなかったことから、リーダーをフェイだと見抜いたマリベルはフェイに念押しした。


「うむ、わかっておるよ、またあとでな」


 ちらちらと猫耳を気にしつつも、フェイはリナと共に鍵を渡された203号室へ行った。


 室内は特に特長もない。入り口脇に洗い場があり、その向こうの突き当たりが窓で、直角に窓を挟んで2つベットが並んでいる。ベットの手前に椅子と机があり、さらに手前の壁に棚がある。


「さぁて、さっそくこの街を見て回りたいところじゃが、じきに夕食じゃし、ゆっくりするかの」

「そうね。ところでフェイ、一つ聞いてもいい?」


 荷物を棚に置きながら、視線をフェイに向けずにリナは声をかける。フェイはベットに座りながら聞き返す。


「なんじゃー?」

「フェイって、…恋愛対象とか、どんなのが好みとかある? いや、別に他意とか全然なくて、ただの好奇心なんだけど」


 背中を向けられたまま尋ねられた唐突な内容に、フェイはその背中を見つめながら首をかしげる。


「んー? 恋愛ぃ? うーむ、考えたこともないのぅ。どうしたんじゃ、急に?」

「いや、どうしたってことはないんだけど、気になって、ね」


 なおも振り向かないリナ。気まずさも含めて自身の感情を悟られたくないため自然さを装って振り向かないのだが、さすがのフェイも意図的に顔を見せないのではないかと気づく。


 (この質問にいたる何かがあったのかのぅ? 言いにくくて顔をそらすと言うことは……!? も、もしや!?)


 はっとしてフェイはふらついていた視線を勢いよくリナに向け、それだけでは足らずに立ち上がる。その物音にリナは少しだけ振り向く。


「ど、どうかした?」


 振り向いた視界の端にある、フェイの驚愕顔にリナはぎょっとしながら、改めて体ごと振り向く。フェイはわなわなと体を震わせながら、ゆっくりとリナに近寄る。


「リナ」

「な、なに?」


 そのフェイのいつにない真剣な雰囲気に、リナは圧されて背中を棚にぶつけた。


「リナ、もしや、気になる男の子(おのこ)がおるのか?」

「へ? 私?」

「ここにはリナとわししかおらんぞ。誤魔化さずに言うがよい!」

「お、落ち着いて。わしになってるわよ」

「む、……落ち着いておる。で、どうなんじゃ?」


 (落ち着いておる。わしは落ち着いておるぞー! じゃからリナ、はっきりせんか! わしをさし置いて他の者を選ぶつもりか!)


 全く落ち着いていないフェイの勢いにリナは視線をそらしたくなったが、ここでそらしてはまた誤解されると思い、なんとか我慢して口を開く。


「いっ、いないわよっ。気になる男の子なんて、いないわ」


 そう、リナに気になる男の子なんていない。気になる女の子がいるだけだ。もちろんそんなことを言うつもりはない。


「まことか?」


 じいっと、リナの顔を覗きこんでくるフェイに、リナは頬を染める。ふざけて額をぶつけても何ともないが、こうして正面から真剣な顔で顔を近付けられては、意識せずにはいられない。


「まことよ!」


 悲鳴のようにされた返事に、フェイはほっと息をついて今度こそ落ち着いて、微笑んで詰め寄るのをやめた。


「そうか。なんじゃ。リナが突然聞いてくるから、てっきり、わし以外に共にいたくなるような者がおったのかと思ったぞ」

「そんな訳ないでしょ。私が一緒にいたいのはフェイだけよ」

「そうか!」


 (そうじゃな。リナがわしを捨てるなどあり得んものな)


 リナは思わず言ってしまった言葉が状況的に告白じみていることにどきりとしたが、フェイがにこにこしてベットに座り直したのを見て、通じてないなとほっとした。

 永遠に秘めておくつもりはないし、いつか胸にしまいきれずに伝えるかも知れない。しかし少なくとも今は、フェイが恋を知らぬほど幼い内は、伝えるつもりはない。


「そ、それで、納得してもらったところで、質問に答えてもらってもいいかしら?」

「ん? ああ、恋愛対象とする好みじゃったな。ふむ……と言われてものう」


 (恋愛とはどのようなものなのか、よくわからん。結婚してずっと一緒にいたい相手となるなら、リナか? しかし結婚せんでも一緒にいるしのぅ)


 フェイはただただリナが好きで、他の人に対して特別なことは何も思ったことはない。リナへの気持ちは大親友に対する友愛だと思っているので、それ以外と言われてもわからない。

 腕を組んで考え込んで首を捻るフェイに、リナはあ、これはやっぱりないわね。と確信した。元々まさかだが、フェイが猫耳を異常に執着しているようだし、それが恋愛に絡むものではないか確認したかっただけだ。そうでないなら問題ない。


「ごめんごめん、別にないならいいのよ。ちょっと気になっただけだから」

「ふむ。そうか。む、ところでリナは好みがあるのか?」

「えっ、……あ、な、ない、かなぁ? うん。私、今はフェイだけで手一杯って言うか、そんな感じで」

「そうか。私もリナだけで充分じゃ」


 素直なフェイの笑顔に、リナも素直に伝えたくなってしまって、頬を染めて沈黙した。








 

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