第33話 ミナイル山脈9
その日、午後いっぱいつかって何とか巣を見つけること二回。大人三匹と子供オス二匹メス三匹だ。大人は殺して子供は何とか生け捕りにすることに成功した。加減を間違って一匹足を折ってしまったが、その程度なら問題ない。
「ふー、これで十分ね」
震え狐の子供は基本的に無力だ。力もなく牙も爪も穴を掘ることもできない。その為こうしてロープで首をくくってしまえば逃げられない。
「これで依頼は全部じゃな。どうするんじゃ? 今からなら走れば今日中に帰れると思うが」
「えー、んーと。そうね。でも夜になったら面倒だし、急ぐこともないわ。予定通り明日の出発でいいでしょ」
「そうじゃな。わかった。ではテントに戻ろう。ほれ、こっちにくるんじゃ」
震え狐は声は出さずに引かれるままに歩き出す。捕まえてしまえば震え狐は大人しく、臆病であるが故に従順だ。
「可愛いのぅ」
「そう?」
「そうじゃ。エメリナにはこの可愛さがわからんのか」
「うーん。可愛いけど、魔物だしね」
どんなに大人しい魔物でも人間を襲うこともある。特に冒険者にとっては魔物と言うものに対して常に非情であらねばならない。
エメリナとて正直に言えば、くるくるの毛にあふれたもふもふした体で、その顔も毛でまんまるになっていてつぶらな瞳が覗いていて、可愛いと感じる。実際、魔物でも可愛いからとペットとして買う酔狂な人間もいる。
だが理性ではそのように感じてはいけないとブレーキをかけている。可愛い、でも魔物だと自分に言い聞かせる。そうでなければ、食卓にあげる以外の理由で、しかも一部分の採取のために生き物を殺すのに抵抗がでてしまう。生き物ではなく魔物だ。
基本的に魔物は定期的に狩らなければすぐに増えるし、増えすぎると弱い魔物でも人間を襲ったりする。なので人間都合な理由でもとにかく、どんどん魔物を狩ることが世界的に推奨されている。
例え弱くても大人しくても可愛くても魔物は魔物。魔物は人間の敵になりうる脅威だ。もちろん人によっては、街では可愛い可愛いとペットの魔物を可愛がっても外では同じ種族の魔物を普通に殺したりと、その切り替えができる人はいる。
だがエメリナとしては魔物は魔物で区切っているので、可愛いと言葉に出して認めてしまうとやりにくくなってしまう。
「魔物でも可愛いぞ。ん、折った足を引きずっておるな。よしよし、治してやろう」
「えぇ、回復魔法なんて……そんなのお金とれるのに」
回復魔法が使えることにはもはや驚かないエメリナだが、回復魔法と言えば習得している人間は少なく、首都にある回復魔術師が勤める病院では治療費が高いと有名だ。
「言われてものぅ。魔力は寝れば回復するんじゃし、出し惜しみしても仕方なかろう」
「うー、そりゃそうだけど」
手をかざして回復魔法で治してやると不思議そうな顔をしてから震え狐は数歩歩き、嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねだした。
「可愛いのぅ」
「フェイ、あんまり可愛がらないほうがいいわよ」
「何故じゃ?」
「何故って、可愛がると離れがたくなるし。他の震え狐を殺すのに抵抗できたりするでしょ」
「いや、問題ないぞ」
「え、そう?」
「うむ。あくまで今は仕事中じゃ。仕事中に出会ったものに執着したりせんよ。それに、もしこやつをペットとしたとしても、他の震え狐は震え狐じゃ」
「頭でわかってても、姿がだぶっちゃうでしょ?」
「わしはエメリナが好きじゃが、それは人間全て好きと言うことではない。それと同じことじゃろう?」
「………同じ、かしら?」
全く違う気がする。気がするのだが、エメリナはそれを具体的に表現することができずに首を傾げるだけに留めた。
人間は自分も人間なので全部見分けがつくが、震え狐は顔が同じに見えるとか? しかしそれでは特徴的な顔ならいいのかと言うことだ。
「うーん」
「まあ、わしのことを心配してくれておるのはわかった。そう悩むでない」
「そう、ね……」
フェイの言いぶりでは確かに心配はいらないのだろう。しかしなんだか、逆に自分の覚悟が足りないと言われているような気がしてなんだか納得できないエメリナだった。
実際のところフェイは全く抵抗がないわけではない。そもそも魔物も生き物も食用でもそうでなくても殺す経験自体が少ないので、抵抗ならいつでもある。しかしそれは仕方のないことだと全て割り切っている。
人間は常に何かの命を奪って生きていると高祖父から教わっている。その考えが根本にあるため、フェイは命のやりとりについて割り切りをつけている。
「テントまでペースを合わせると、ちと遅くなるかの」
「そうね。せっかくだし、途中で何か見かけたら狩りましょうか」
「そうじゃな。では魔物除けはかけずに行こう」
そうして歩き出したはいいが、しかし途中で見かけた鳥にエメリナが矢を放ったが逃げられてしまい、捕まえられないままテントについた。
仕方ないので依頼分ではあるが量のある炎輪熊を一部夕食にした。仕方ないことだが美味であった。
○
「……はふぅ」
「どうかした?」
「ん、起こしてしまったか?」
「いえ、起きてたわ」
夕ご飯を終えて震え狐たちにも餌をあげて逃げられないようにして、明日すぐ出られるように荷物をまとめ、テントに入って早めのお休みなさいをしたのは30分ほど前のことだ。
「寝られない?」
「うむ、疲れてはいるんじゃが。何だか目が冴えてしまっての」
「じゃあ、何かお話しましょうか」
「いいのか?」
「ええ」
「じゃあ、ユピテルの冒険の話をしてくれ」
「え?」
「ん? 知らぬか?」
「い、いえ。知ってるわ。うん、いいわよ」
エメリナの言った『お話しましょう』はその言葉通りに話そうという意味で、けして御伽噺をしてあげようということではなかった。しかし、まあそれもいいだろう。
ユピテルの冒険は有名な御伽噺だ。どれだけの子供が憧れたことか。かく言うエメリナも子供のころは、父からこの話を聞くのが好きで何度もねだったものだ。
ユピテルの冒険は様々な冒険をして、最後は王様になる、ありきたりとも言える物語だが、その冒険の数が半端ない。地方ごとでも様々な種類があるがユピテルという青年冒険者なのだけは共通している。
「じゃあ、ユピテルが精霊の泉に落ちてしまった時の話をしましょうか」
「おおっ、なんじゃそれは。聞いたことがないぞ」
「そう。よかった。じゃあ行くわよ」
「うむ」
昔々ある時、ある場所に、一人の冒険者、ユピテルが旅をしていました。
ユピテルは森の中を迷っていました。丸一日歩き通しのユピテルはくたくたで、今にも倒れてしまいそうでした。
「喉がかわいたなぁ」とユピテルが呟くと、ぴちゃん、と、どこかから水がはねる音がしました。
ユピテルはその音がする方へ歩きました。するとそこには綺麗な泉がありました。透き通っていて、魚もいて、きらきらしています。
「わー、なんて美味しい水なんだ」
その水を飲むとぐんぐん力がわいてきました。
「こらっ、どこかへ行け!」
しかしそんなユピテルを後ろから怒鳴りつける声がして、ユピテルは驚いて泉に落ちてしまいました。
慌てて足を底につけようとしましたが、どうしてか底がありません。慌てて上を見ても、どんどん水面は遠くなります。
そうです、この泉はただの泉ではありません。底深く精霊が作り出した精霊の国へと続く道を塞ぐ特別な泉なのです。精霊の許可なく入ってきた人間を精霊の国とは別の、暗い闇の世界へと吸い込んでしまう泉なのです。
もう駄目だ。そうユピテルが思った瞬間、急に腕を引っ張られて水面へ引っ張り上げられました。
「助けてくれてありがとう」
何とか水からあがって自分を引っ張り上げてくれた人にお礼を言うも、辺りには誰もいません。
「ごめんなさい、私が悪かったわ」
しかし返事が帰ってきました。びっくりするユピテルに、泉が光って人型をとりました。水の彫刻のような美しい何かが言うには、彼女は精霊の国に住んでいて今日はたまたま外に遊びに出ていたのだけど、水音をたててユピテルを呼び込んでしまった。
人間に見つかってはいけないので、ユピテルを追い払おうとした彼女ですがユピテルが落ちてしまったからさあ大変。人間は自力では出られないようになっていましたから、なんとかユピテルを引っ張り上げたのです。
「驚かせてごめんなさい。でもどうか、この泉のことは内緒にして」
「もちろんです。あなたのおかげで命拾いをしました」
ユピテルはこの泉がなければ空腹で倒れていたので、助かったのだとお礼を言いました。その優しさに心打たれた彼女はユピテルに誰にも内緒だと言って、水筒いっぱい分の泉の水をくれました。
「この泉は特別な泉で、一年間くらいなら半分まで飲んでも、次の日には元に戻るわ」
「ありがとうございます。このご恩は忘れません」
ユピテルはこうして森をぬけることができました。ユピテルの冒険はまだまだ続きます。
さあ、今日の冒険はここまで。
「後はゆっくり、お休みなさい。ふぅ、どうだった?」
「………」
「フェイ?」
「………ーー」
いつの間にか寝てしまったようだ。自分からねだったくせにと思うが、御伽噺はそんなものだ。いつの間にか寝てしまっている。どうしてだろう。
とても懐かしい。幼い頃のことを思い出して、エメリナは少しだけ悲しくなった。だけど今の生活も悪くない。
フェイと言う少し変わった、友達だってできた。悪くない。冒険者は夢見たほど素敵なことばかりではないけど、それなりにわくわくすることもある。
「……おやすみなさい」
特に、フェイといればなおさらだ。明日は何があるだろう。ひさしぶりにわくわくしながら、眠りについた。
○
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