第15話 ひよこ食堂

「おはよう」

「あら、おはよう」


 朝起きて支度を済ませて部屋を出るとちょうどエメリナも出てくるところだった。


「私はこれから顔を洗って朝ご飯だけど、フェイは?」

「朝飯は外じゃ。しかし顔は洗いに行こうかの」


 そう言えば昨日は朝、顔を洗っていなかった。朝一で色々するのは面倒で、濡らしたタオルで拭っただけで済ませていたし、今日もそうした。しかし野宿中ではなく、水場のある宿にいるのだ。せっかくなので顔を洗っておこう。


 一階に降りて、受付にいるカルメに挨拶をしてから食堂に入り、裏口のドアをあける。裏口側の庭側には小さいが井戸がある。


 湖を内部に持つアルケイド街は水に溢れた街だと認識されているし、それは正しい。しかし実際に生活するとなると、湖の水を汲んできて使う、とする人はほぼいない。

 近くに住んでいても、水浴びをしている人の横で生活飲料をくむ気にはならない。昔はそれでも利用していたが、昨今では一定地区ごとに井戸が配置され、今では湖は街のシンボルではあるが実利に利用されることは少ない。

 黒猫亭では裏庭に井戸があり、近隣住民にも開放しているが個人所有だ。井戸から水を使い放題なのは当然として、とても使い勝手がいい。

 井戸を所有しない宿では個人宅のように井戸から水をくんでくる手間があるので、多少の手間賃がとられる。しかし黒猫の宿では基本客が自分で汲むとは言え、食事の際には普通に無料で飲ませてくれるのだ。


「よっ、と」


 エメリナは慣れた手つきで桶を井戸の中に落として両手で紐をひき、水の入った桶を井戸のふちに置いてから顔を洗い、タオルで拭きながら顔を上げてからフェイに場所を譲る。


 フェイも水を汲み直し、同じように真似をして桶を置いて顔を洗う。地下の冷えた水はフェイをほどよく緊張させた。


「と、フェイ、タオルは?」

「うむ、ない」

「胸をはらない。もう、仕方ないわね」


 エメリナは自分の使っていたタオルを裏返してフェイの顔を拭いてきた。目を閉じてそれを受け入れる。


 (人にしてもらうのは気持ちよいのぅ)


 お風呂上がりに高祖父に体を拭いてもらっていた記憶が蘇る。顔全体を優しくくすぐるように拭かれ終わり、フェイは頬をゆるませながらお礼を言う。


「ありがとう、すまんの」


 タオルがなくとも乾燥させられるが、しかししてもらったことはとても嬉しい。ニコニコと邪気なくお礼を言うフェイに、エメリナはついつい年齢より年下扱いをしてしまう。

 思わずしてしまったが、年下とはいえ男の子だからむくれるかと一瞬心配したが、全く無用の心配だった。


「どういたしまして。身だしなみはキチンとしなきゃ、女の子にもてないわよ」

「うむ、エメリナがそう言うならそうするのしよう」

「あら、口説いてるの?」

「いや、単にエメリナが好きじゃから、好かれたいと思っただけじゃ」


 からかおうと半笑いで尋ねたエメリナだったが、フェイの返答に思わず言葉につまる。

 それと同時に顔が熱くなる。あまりに真っ直ぐで、他意がないのはわかるが、だからこそ照れる。男性から異性として好かれること自体は経験があるが、これほどストレートに好かれたのは初めてだ。


「あ、ありがとう。光栄だわ」

「うむ」


 照れ隠しに視線をそらすエメリナだが、人間関係経験値0に近いフェイはそのささやかな感情の動きには気づかない。


「さて、ではわしは外へ出かけるとしよう。またの」

「え、ええ」


 そう言いフェイはそのまま裏庭から外へ出た。


 (さて、では少し街の探索でもするかの)


 とりあえず午前中いっぱいは街を歩くことにする。

 この街に来て3日目だが、街の通りはまだほとんど知らない。どんな店があるのか。また、迷わないためにも歩いて地理を知るのは重要だ。


 そうしてフェイは気ままにどことは考えずに足を動かした。もちろん、迷わないための探索で迷ってしまっては意味がない。

 フェイは方角だけは意識して、頭の中にだいたいの地図を描いていく。人混みにも慣れてきたので、それほど気をつけなくてもぶつからずに歩けるようにはなった。

 それでもこうも人が多いとやはり、真っ直ぐに歩くことは困難であった。昨日と同じようにふらふらと歩いている。


 しかしフェイはそんな自分のことも楽しい。歩きにくいことも、街の匂いも、鮮やかな店舗も、一歩歩いて街をマッピングごとに、少しずつフェイの体に馴染んでいく。


 ぐぅ。


「む」


 小一時間ほどそうしてふらついていると、お腹の虫が自己主張を始めたのでフェイは右手でお腹をさする。

 先ほどから朝食をとろうとは考えているのだが、中々店が決まらない。どこもかしこもいい匂いをはなっていて、道に向けてあるメニューも美味しそうな名前が並んでいて、また外から見える店内で人々が食べているものの実に美味しそうなことよ。

 空腹度合いが高まるごとに、フェイへの誘惑は強くなるばかりで決めかねている。


 (迷っているのも楽しい時間ではあるが、限界じゃ。次に気になった店にはいろう!)


 フェイは心を決めた。そしてすぐ近くの屋根から下げられた、すこしくすんだ赤い看板の店に目標を定めた。看板にはひよこ食堂と書かれている。

 オープンの札が下げられた入り口脇の壁には広告紙が張られていて、店の名前と名物料理が書いてある。


「オムレツか…うむ」


 名物料理と言うにはパンチは弱いが、オムレツは好きな料理の一つだ。自分でも作れる数少ない料理でもあるが、料理人がつくるとどんな味になるのか。

 フェイは口の中に湧き出す唾を飲み込みながら、勢いよく店に入った。


 からんからん、とドアベルがなる。

 入り口すぐの会計受付にいた少女がはっとしたように顔をあげる。


「いらっしゃいっ、ませっ。一名様ですか?」

「うむ」


 二人掛けの席に通される。フェイがついた席はすこし間をあけて存在する壁にちょうど窓があった。窓にはめ込まれている木製のブラインドの隙間から外を歩く人々が見えた。

 窓ガラスは各家庭で使うにはやや高価だが飲食店など客商売をする店舗においては、中を見えるようにするのが一般的にひろまっている。

 しかしこの店においては窓ガラスではなく明かりとりの為のブラインドですませている。窓ガラスがない以上、埃が入らぬようについたてるものが必要なのは仕方ないが、ブラインドからの光だけなので店内はやや薄暗い。


「あの、お水です。ご、ご注文はお決まりでしょうか?」


 店内には壁のあちこちにメニューの紙が張り出されている。それをちらりと確認しつつも、すでに注文するものは決まっている。

 フェイはカップに右手をかけながら高らかに言った。


「そうじゃのぅ、ではオムレツを頼もうかの。パンもつけてくれ」


 伝えてから水を口に含む。少し美味しくない。水自体に味は求めていないが、時間を置いたような味がした。


「は、はい! おとーさん! オムレツ一丁!」


 少女は慌てたように踵を返し、キッチンがあるのだろう部屋へ向かった。


「ふむ……」


 (それにしても…もしや選択をミスったかのぅ)


 フェイは背もたれにもたれ、右手で顎を撫でながら不安になりそうな気持ちを誤魔化す。


 店内には現在、フェイだけだ。先ほどの店員が奥に引っ込んだので正真正銘独りきりだ。

 寂れて薄暗く、新鮮でない水が提供され、他に客がいない。不安になる要素しかない。


 少しすると、仕切のない隣の部屋からは料理をしているらしき音がしてきた。

 リズミカルな包丁がまな板を叩く音、炒めるときの弾けるような音、そして何より漂ってくる香ばしい良い香り。

 急に期待感が胸に湧き上がる。考えてみれば料理を食べずに料理店の価値を判ずるとは、なんと馬鹿げたことだろうか。清潔であったりすることはもちろん大事だが、しかし何よりまず第一は料理の味だ。


 フェイはテーブルに備えてある入れ物からナイフとフォークを取り出して両手でそれぞれ持ち、準備満タンで今か今かと料理を待つことにした。


「お待たせしました!」

「うむ、待ちかねた!」

「えっ、す、すみません」


 盆を持って出てきた少女に喜びでテンションがあがり何の気なしに言ったのだが、びくついたように体を強ばらせて一歩下がる少女にフェイは慌てて右手をあげて指先を曲げて手招きする。


「冗談じゃ冗談じゃ。じゃからはよう、こっちへこい」

「は、はい」


 恐る恐る近づいてきて、少女は湯気たつ皿をフェイの前に置いた。


「おぉ…」


 バターの香ばしい香りに包まれ、置かれた衝撃で僅かに震えたその鮮やかな黄色く大きなその体。

 実に美味しそうなオムレツだ。添えられたレタスとミニトマトも新鮮そうだ。

 心の中のお祈りをいつもの半分の時間で済ませ、フェイはさっそくフォークをさしてナイフで切り込みをいれる。


「おおっ」


 ナイフをさすと断面からとろけるように卵がこぼれてくる。フォークで切り落とした右端を持ち上げると糸が落ちる。チーズが入っているのだ。


 垂れないように顔を出し、フォークを回転させながら垂れるチーズを巻き取り、フェイはそっと舌へ運んだ。


「んーーっ、美味じゃ!」


 ふわふわとしたオムレツは舌の上でほどけるようだ。まさに美味しいという感想しか出てこない。

 

「ですよね!? お父さんの料理は美味しいですよね!?」

「うむ! お主の父は天才じゃ!」


 通常有り得ない店員からの問いかけにもフェイは満面の笑顔で頷くと、勢いよく残りを食べにかかった。











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