第14話 入浴

 食事を終えて二人と別れ、宿に戻る。距離はそれほど近い場所ではなかったが、幸い曲がり角の数は少なく、角の特徴を覚えるだけで事足りたので問題なく帰宿することができた。


「おや、お帰り」

「うむ、ただいま帰った」


 受付にいたのはカルメではなくマールだった。軽く挨拶してから部屋へ戻ろうとして、ふいに体の汚れが気になった。

 階段をあがりかけたフェイは振り向いて受付台の隣まで戻る。


「マール、桶を借りたいのじゃが」

「うん? ああ、洗い物だね。あれ、でも部屋になかったかい?」

「洗い場にあったのでは小さいのじゃ。水浴びがしたいのでな」

「ほー。そうか、魔法で水やお湯がだせるんだったか。いいねぇ。桶ね。でもごめんね。君が入れるほど大きな物はないよ」

「そうか。いや、無理を言ってすまなかった。休ませてもらうとしよう」


 明日の朝食を頼もうかとも思ったが、しかし元々食べ歩きがしたいが故に申し込まなかった。今日のあれも強引ではあったが味は悪くなかった。

 今のところ依頼も問題なく順調に稼げている。多少の食道楽も構わないだろう。


「お休みなさい」

「うむ、お休み」


 フェイは微笑むマールに微笑み返してから踵を返して、二階にあがった。


「あら、フェイ。こんばんは」

「こんばんは、エメリナ。こんな時間から出るのか?」

「ええ、夕食に。よかったら一緒に食べる?」

「ありがたいお誘いじゃが、遠慮しよう。さっき食べてきたばかりなのじゃ」

「そう。じゃ、またね」

「うむ」


 エメリナとすれ違い部屋に戻る。


「ふぅ、疲れたの」


 昨日は何もかもが目新しく興奮していたが、二日目の部屋なので少し慣れてきたのか、部屋に戻るとどっと疲れが出てきた。

 思わずもれた呟きが自分の耳に入るのを自覚しながら、やはりお湯に使ってゆっくりしようと決めた。


 桶にお湯をはるのが一番簡単だが、桶を使わずとも魔法を駆使すればできなくもない。集中力が必要なので多少気疲れするかも知れないが、体が疲れているのだからこの際無視をすることにした。


「さて、先に着替えを用意するかの」


 失敗時と処理の手間を考えれば入浴は洗い場に限る。着替えを用意して洗い場のドアのすぐ脇に椅子を持ってきて置いた。

 室内ではベッド以外は靴をはくが、すっきりした足でまた同じ靴をはきたくない。洗い場から出ずに着替えられるようにした。


「う、冷たいの。それに、ちょっとざらついておる」


 靴と靴下を脱いで洗い場の外に置くが、そのつい前まで靴で入っていた洗い場の床は当然ながら砂が落ちている。

 ひとまず我慢して、先に全て服を脱ぎ、魔法で清潔にしてから着替えの下に畳んでもいれる。


「よし」


魔法も解除して腕輪だけを残して全裸になったフェイは洗い場の水はね防止の板を立てかける。ドアはないが、使用時にはドアの代わりに板を立てかけて使うことになっている。


「まずは掃除じゃな」


 疲れているので自力でするという選択肢はない。まずは床を流そう。フェイは左手を床に向けて、水魔法で勢いよく水をだす。


「つめたっ」


 跳ね返った水が自分にかかり、慌ててとめる。危ない。風邪を引いてしまうところだった。

 魔法は端から見れば手のひらから出ているように見えるが、実際は手のひらの表面すれすれに魔力で魔法陣をつくり、魔法陣から水や風がでるので手は濡れない。

 なので水でいいと考えたのだが、跳ね返る水まで考えていなかった。


 フェイは改めて手のひらを床に向け、今度はお湯を出す。

 簡単に実行しているが、ただ水をだすのは水魔法の基礎中の基礎だが、お湯にするのは火魔法との複合魔法だ。魔法学応用中では初歩だが、二つの魔法陣を組み合わせるのではなく一つの魔法陣内で完結させている。

 魔力消費は多くないが、応用には魔法への深い理解が必要となる。フェイは人生の殆どを魔法に費やしているが、一般的な冒険者をする魔法師ではそうそう使える魔法ではない。


 (ほー、ぬくいのー)


 しかし魔法使いの数が少ないとは知っても、そもそも魔法研究をしている家系自体が珍しいことも冒険者では殆どいないことを知らないフェイはお気楽だ。

 手を上に向け、雨のようにお湯を降らせて楽しんでいた。そうして体を温めながら、壁や床に向けては水圧をあげて汚れを落とし、一通りざらつきを感じなくなる程度に掃除は完了した。といっても元々洗い場の床はそれほどつるつるではないが。


 (さて、では肝心のお楽しみタイムじゃ!)


 フェイはにやつくのを抑えることなく、結界を床に直立させるように4つ展開させる。

 結界は複数のタイプがあるが、今回は物理的な攻撃を防ぐための防御結界だ。目に見えない盾のようなもので、魔法には効果がないが実存している物には抜群の効果を誇る。例え出所が魔法でも現実に存在する水に対してもその効果は変わらない。今回はそれを利用する。


「む、む」


 フェイは手のひらを出した形のまま少し唸る。結界はいざと言うときの魔法だ。使う機会は殆どなかったが、練習では少なくとも命がけの場面を想定した本気のものしか作っていない。

 なので結界に対して手加減ができない。また4つ同時は初めてだ。作成時の魔力はそれなりに消費が激しい。

 フェイは結界を自分を中心とした完全な球体か、平面でしか作成できないため4つ個別に作る必要があった。


「ふぅ、こんなものじゃな」


 しかし結界自体は万が一の為にとそれなりに厳しく練習をしてきた。普段気にしたことがない魔力がなくなる感覚に思わず呻いたが、危なげなく結界作成には成功した。


 作成してしまえば、後は少しばかり形と魔力を意識していれば維持にはそれほど魔力消費はしない。

 フェイは結界魔法陣を手のひらから宙へ移動させ、再度手のひらからさっきよりは熱めのお湯を出して結界でつくった囲いの中へ注いでいく。


「おー」


 (水も漏れておらんし、完璧じゃ! さすがわし!)


 自画自賛しながらフェイはお湯をはり、そこへざぶんと勢いよく体をいれた。


「はわっ」


 勢いよすぎて、ごく普通に湯船に入るように一面を背中にして入ってしまい、背面の結界が消えてお湯がこぼれた。


「いたた」


 (やってしまったのぅ。凡ミスじゃ)


 結界はよほど意識しない限り、視界から外すと集中が足りずに結界が維持できなくなる。基本中の基本であるし、目をつむるつもりもなかったので集中もそこそこにしていた。

 立ち上がりもう一度やり直す。結界を維持したまま一枚増やし、お湯をはる。


「よし、と」


 今度はゆっくり、角を背中にして四枚ともが視界に入るようにする。まばたき程度では問題ないが、気を抜いて目を閉じてはいけない。


「ふぅ……はぅー」


 意識は結界に傾けつつも、体の力を抜いて足をのばし、腕を下ろす。じわじわと熱さと引き換えにするように疲れが足先から抜けていくように感じる。


「はー…いい湯じゃ」


 魔法を使えばお湯につかる必要はない。汚れも疲れも一瞬で落とせる。けれど、それだけでは足りない。

 魔力を無駄遣いしてでもこの行為には意味がある。これこそ、心の贅沢というものだ。


 しばらく湯を堪能し、そのまま体をこすって垢を落とす。清潔にしてはいてもどんどん新しい皮膚ができる以上、表面の皮膚が落ちていく。

 若いフェイの新陳代謝は活発で、思い返せば家を出てからずっと湯船につかっていない。

 ひさしぶりの入浴はフェイの身も心も癒やした。


 そうしてさっぱりして湯船をでて、再度魔法で新しいお湯をだして浴びながら結界を解除して流す。

 体を乾燥させてからついたて板をどけて服をきる。

 さっぱりした体で着る部屋着は昨日よりも気持ちよく感じた。


「む?」


 そしてベッドへ行こうとして、靴の代えがないことに気づいた。


 (明日は午前中に靴を買うかの)


 10ランクになったことではやる気持ちもあったが、今は湯上がりでのんびりした気分だ。

 なに、仕事にも問題がないのだから、ひとまず生活を整えても問題ないだろう。


 そう明日の予定を決めたフェイは今日のところは靴を持って、そっと浮かんでベッドまで飛んだ。

 飛行魔法は普段使うことは殆どないが、たまには役にたつものだ。特に、今日のようなのんびりした気分の時には。


「ふぅ」


 衣服を棚に置き、ベッドに足を下ろす。そのまま中に潜り込む。

 枕を見ると昨日に抜けていたのか一本自分の髪が落ちていた。元々肩に届く程度の髪を後ろでくくっているが、少し伸びてきたように見える。


 (週末には休みを設定して、髪も切りにいかねばならんの)


 面倒なのでぽいとベッドから捨てる。掃除もまとめて週末にすればいい。今日は魔力も多めに使ったので疲れていた。

 

 横を向いて枕に顔を押し付け、両手を胸の前に持ってくる。眠るときはいつもこの形だ。

 そうして目を閉じるとすぐに眠気が襲ってきて、フェイは逆らわずに目を閉じた。


 (お休みなさい…)


 心の中でだけ、誰に言うでもなく挨拶をしながらフェイは夢の世界へ旅立った。









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