第9話 臆土水、甘木石

 エメリナからプレゼントしてもらったのはフェイの体格にあった小振りなナイフだった。基本の解体をする必要がないとは言え、外で活動するにはやはり何をするにもナイフは必需品だ。野宿をするにもナイフはいる。

 初心者向けで手入れは簡単で、きちんとすればそれなりに長持ちするシンプルな片刃のナイフだ。持ち手の手のひらが当たる下の部分を押しながら刃の背中側に力をいれると、折り畳んで持ち手内に収納することができる。


 絶賛したエメリナのナイフに比べると機能面でも外観的にもシンプルだが、料理用のキッチンナイフしか持ったことがないフェイには自分用のナイフと言うだけで心踊った。


 その後、夕食を終えてから2人は宿の廊下で別れた。


 『黒猫の宿』の間取りはそう大きくない。ドアから入ってすぐ右手には水をつかえるよう廃水処理がされた小部屋があり、武器防具の手入れや、自身の水浴びができる。汚れ物をとりあえず置いておくことができる。

 小部屋の奥はメインスペースだ。突き当たりに窓があり、カーテンと突き出して洗濯物を干せる物干し竿がついている。少しスペースをあけて、小部屋側の壁にくっつく形でベッドがある。ベッドはやや大きめで、2人で眠ることができるサイズだ。

 ベッド脇には小さなテーブルとランプがあり、一日一本の蝋燭が無料でついてくる。そしてベッドから窓までの間には荷物を置くことのできる棚。数日間の滞在が前提の宿なので、ある程度荷物を分けておけるようにクローゼット部分もある。

 なおトイレは共用で一階部分にあり、水場でトイレをするのは厳禁されている。


 鞄はないが荷物がなにもないわけではない。財布やカードを片付け、すでに蝋燭がささっている燭台に魔法で火をつけ、そのまま魔法で体と服を清潔にしてから、室内用の服に着替えた。

 山奥での規則正しい生活が身にしみたフェイにとっては、いくら清潔にしても外出した服でベッドにはいるのは抵抗があった。


 そうしてようやくベッドに入り、先ほどのナイフを取り出して眺めた。


「……ふふっ」


 高祖父以外と接したのは初めてで、なのでこれもまた初めてのプレゼントだ。まして高祖父からは魔法以外のプレゼントとなると最低限の衣服くらいしかない。

 冒険者の証はカードだが、それと同じくらいの象徴となるナイフは見ているとなんだかにやけてしまう。


 その日は眠りにつくぎりぎりまでナイフをかざして眺めていた。



 翌日、朝日と共にフェイは目覚めた。

 ベッドから出たフェイは室内用の服から、外へ出るための服に着替える。汚れてもよい動きやすい服の上に上着を羽織れば完了だ。

 財布とカードなど、すぐにでも依頼に出かけられるようにポケットにいれる。

 高祖父からの数少ないプレゼントであるこの上着は、元はケープであり袖がなく左胸を走るように留め具が縦に並んでいる。しかし高祖父から譲り受けたもので少し大きく、通常手首までの丈が指先まで来ている。その為留め具は首元の一カ所だけを止めて、基本的に前開きで肩掛けのように使っている。

 上着の内部には複数のポケットがあり、また魔法によって通常よりたくさん物が入るようになっている。もちろん限度はあり、またポケットの口は伸びないので、そこを通るものしか入らない。基本的に身体能力をあげればどんな荷物も運べるので、あくまでそれなりに便利な程度だ。


「うむ。十分じゃの」


 一応中身は把握しているが、念の為ポケットの中身を一通り確認する。満足したフェイはにやつきながら、腰のベルトにナイフをさした。ベルトに差し込む用の鞘はすでに装着している。


「ふぅむ、ふふふ」


 姿見をだして、くるりと回りながら自分の姿を見る。ケープの下からちらりと覗くナイフの姿がなかなかに『冒険者』っぽいとフェイはご機嫌だ。

 姿見を消して、さて、フェイは意気揚々と部屋を出た。


「おや、おはようございます」

「うむ、おはよう」

「朝食の用意ならできてますよ」

「おお、そうじゃった。今日の朝食を頼んでいたのを忘れていた」


 一階部分が基本的に宿の共用部分となっている。トイレや物置とは反対側に食堂があり、20人くらいなら同時に食事ができる。

 場所はすでに把握しているのでカルメと挨拶をしてすぐに食堂へ向かう。


「おはようさん。お、君は新しいお客さんだね。フェイ君だったか。私はマール・テリーだ。よろしくね」


 鍋をかき混ぜていたマールが、フェイの足音に振り向いてそう声をかけた。


「うむ。お主がコックか」

「そんな大層なものでもないよ。うちはカルメと私とバイトの子が一人いるだけだからね。料理だけってわけじゃない」


 カルメとマールは共同経営者で、二人でこの宿をしている。役割分担では食事を担当してはいるが、コックと言われるとややむず痒くと感じる。

 長テーブルの一カ所に水をいれたカップを置いてフェイに座るよう促す。


「そうなのか。しかしエメリナがここの食事は美味しいと言っておったぞ」

「ハードルあげてくれるなぁ」


 座りながら笑顔で見上げてくるフェイにマールは困ったように言いながらも笑みをこぼす。

 特別な修行や高級店で働いた経験などはないが、料理自体は好きだ。料理を褒められたり、楽しみにしてもらえばもちろん嬉しい。


「さ、すぐに用意するから少し待っていてくれ」

「うむっ」


 楽しみだと言わずとも伝わってくるわくわく顔のフェイに、くすりと笑ってマールは少しだけ多めにスープを入れてあげることにした。

 朝食のメニューは10日ごとにローテーションだ。といってもさすがに、そう代わり映えはしない。基本はパンとスープと軽くもう一品。スープと一品が日替わりだ。

 本日はハムとレタスのサラダにコーンスープとパンだ。


 目の前にそろえてもらったそれらにフェイはにこにこ笑顔で手をあわせ、祈りを口に出しかけて慌て口をつぐむ。


「うむむ、危ない」


 心の中で祈りを唱え、フェイは食事を開始する。

 まずスープを口に入れる。暖かく、優しい甘さがほわっと広がる。


「ふぅ、うまいのぅ」

「そいつはどうも、恐悦至極。食べ終わったら、ここの流しに入れておくんだよ。私はちょっと離れるけど、つまみ食いは駄目だぞ」

「わかっておる」


 マールは鍋に蓋をすると食堂を出て行った。朝から忙しいのだなとフェイは横目に見ながら、わしも頑張ろうともぐもぐ食べた。


 朝食を取り終えたフェイは食器を水がはられた桶にいれ、自分の口をすすいでから食堂を出た。


「フェイさん、お出かけですか?」

「うむ。行ってくる」


 挨拶を軽く交わして宿を出る。フェイとしてはカルメのことは少し気になるが、人のファッションにケチをつけることもない。

 宿を出て教会へ、と行きたいところだが、そう言えば依頼をするのに外に出たら昼食がとれない。お昼を先に買いに行かねば。


 朝8時過ぎたところで、まさに世間は賑わいをみせだしているところだ。

 昨日と変わらぬ人混みに圧倒されながら、フェイはあっちへらふらふこっちへふらふらと、まるで迷子のように街を探索していた。

 というか実際、昨日エメリナと昼食をとった店へ行こうとしているのだが迷っていた。


 (むう、おかしいのじゃ。わしの感覚ではそろそろ見えてもいいはずなのじゃが)


 昨日の店がテイクアウトもしていたことを覚えてはいたが、店の場所は正確には覚えていなかったようだ。

 フェイの感覚は自体は間違っていない。それほど店は離れていない。しかし道を間違っていた。フェイは方向音痴というわけではない。住んでいた山でも迷ったことはない。この街にくるまでも方向は誤らなかった。

 しかしそもそも人混みに慣れないフェイは周りの建物を落ち着いて覚えることができず、曲がる角を間違えていた。またそのことにまだ気づいていなかった。


 こうなればもはや誰かに聞くしかないのだが、皆忙しく道を通り過ぎていき、フェイより足早でなかなか声をかけることができない。


「へい、そこゆくお嬢さん! 寄ってかないかい?」

「む? わしは|男の子(おのこ)じゃが、なんじゃ?」

「おっとこりゃ失礼、坊ちゃんがあんまり綺麗なんで間違えちまった」


 屋台の前を通りかかると話しかけられたので立ち止まる。

 それにしてもどうにも、会う人会う人に女と認識されている。訂正すればすぐ納得してくれるが、しかしこれでは意味がない。とフェイは内心ため息をつく。


「で、なんじゃ?」

「おう、朝飯食べたか?」

「うむ。朝食は済ませたところじゃ。今は昼食に、持ち歩けるものを探しておる」

「ちょうどよかった。どうだ?」

「む? おお、すまんの」


 屋台の男は商品である、ソーセージを挟んだサンドパンをフェイの目の前に差し出された。

 朝ご飯は食べたが、腹十分目ではなきし、しばらく歩いたことで消化したので入らなくはない。フェイは素直にそれを受け取り頬張った。


「ううむ、うまいのじゃ」

「そうかい。嬉しいねぇ。200Gな」

「…金とるのかの」

「は? 当然だろ。商売なんだから」

「ううむ、それもそうじゃ」


 何だか勢いで食べてしまったが、美味しいし、食べたものは仕方ない。フェイはポケットから小分けした財布(全財産を一つに入れて見せびらかすのは危険と言うエメリナの助言により、普段使い用として少額を入れた財布を用意した)を取り出して払いながら尋ねる。


「ところで、この街の地図など、売ってる店はないかの?」

「ん? 道に迷ってんのか? もう一つ買ってくれたら案内してやるぞ」

「いや、さすがにもうお腹いっぱいじゃ」

「んだよ。そんなんだから女に間違えられるんだぞ。ちっさいんだから食え食え」

「むぅ……では、昼用に2ついただくとしよう」


 仕方ないのでもう2つ、今度は違うスパイシーな味付けのものを購入し、ひとまずポケットへいれておいた。


「では、地図を売る店へ案内してもらおうか」

「おう、教会で簡易地図が張ってあるからそこで写せばいい。教会はそこに豚の絵が書かれた看板があるだろ? あそこ右に曲がって真っ直ぐだ」

「ふむ。了解した。ありがとう。アドバイスまでいただき礼を言う」


 お金に困っているわけではないが、無闇と散財する訳にもいかない。ただで地図が見れるなら、わざわざ買うこともない。

 フェイは礼を言ってから屋台を離れ、教会に向かった。


 (ひとまず支度はできたわけじゃし、地図を確認したらさっそく依頼を受けようかの)


 今度こそ迷うことなくフェイは進み、教会へ到着した。

 教会の造形に改めて感心しつつ、内部をよく見ると入り口すぐ近くの壁に地図が張ってあった。

 街の全体図と、街は小さく近隣の地理がおおざっぱに書かれた二つだ。街の地図が細かく詳しいのに比べ、地形図は簡単で絵本の絵のようだ。

 書き写す紙は手元にないが、フェイはそれほど物覚えが悪い方ではない。ひとまず必要な最低限の箇所に絞って地図を覚えた。

 

 (よし、こんなものじゃろ。ではお待ちかねの、依頼といくかの!)


 フェイは昨日エメリナが依頼をとっていた部屋へ入る。中にはそれなりに人がいたが、昨日ほどは混んでいない。おかげで背の低いフェイでも普通に依頼の紙が見れた。


「うーむ」


 (どれを受けようかのぅ……昨日は採取もそれなりに楽しかったが、やはりここは、退治………は、まだ受けれないのじゃった)


 仕方ないのでフェイはひとまずポイントアップを目的に、低ランク依頼の中で比較的高めの採取依頼を受けることにする。

 カードと依頼票を受付に提出する。


「これを頼もう。あ、あとこれらは、いくつ取ってきてもいいのかの?」

「はい。数の規制はありません」

「ランク10になるまでは何ポイント必要なのじゃ?」

「少々お待ちください。……………。お待たせしました。現在累計203ポイントですので、残り546ポイントで10ランクとなります」

「ふむ…」


 頭の中でいくつ採取すればいいかを考える。

 受けた依頼は臆士水100ミリリットルの採取。甘木石10グラム採掘。それぞれ6ポイントと8ポイント。


 (……まあ、どちらも100ずつとれば越えるの)


 フェイは計算は苦手だった。その半分でも十分であり、さすがに余裕なのはわかるが、大ざっぱなフェイは多くても困らないだろうと一人納得した。


「了解した。では行ってくる」

「はい、無理されませんように、お体にお気をつけください」

「うむ、ありがとう」








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る