20XX年 第二十六話
「新種クローバーの根にある複数の小さな根粒の中に、タマネギくらいの大きさの根粒が一つあり、それを解剖すると、それはヒトの脳に似た脳だった」
読み上げたユウが、仰天の表情で真里菜を見た。真里菜は食い入るように画面を見詰めている。
「ユウは言ったよね。タイムトラベルで体として使用する死骸の脳に記憶ゲノムが入ると、化合物が産生されて脳神経から心筋などの全細胞が復元されるって……」
真里菜はユウと目を合わせた。その目は驚愕だけでなく畏敬の念も抱いている。
「その作用で、新種クローバーに脳が作り出された可能性が高い。でも、ヒトになったわけではないみたい」
そう言って真里菜は、ユウから目を逸らすと、ファイルを読み上げていった。
「脳はあるが、心臓などの臓器はないし、光合成エネルギーであることに変わりはない。視覚はないが、それを補えるほどの聴覚がある。聴覚は格段に優れている。聴覚器官は複葉の中央にあって、耳を澄ませる時には複葉がパラボラアンテナの形態になって音を集める。視覚がなくても聴覚で立体的に把握することができる。また、気孔の中に嗅覚もある」
真里菜はちらりとユウの様子を窺い、続けて読み上げていく。ユウは食い入るような目付きで画面を見詰めている。
「群生地帯から採取したのは一株だけだが、推測では、群生地帯の地下には三十株程度の根粒の脳があるだろう。また、根粒の脳は、地中を縦横無尽に伸びる根によって、何処へでも移動できる。だから、もしかしたら、一株採取したことで、この場所は危険だとして、別の場所に移動したかもしれない。そして、その行動は、いずれ、より深く地下に根を下ろし、海底の下を進み、島から出て本州の地に移動する可能性がある。そうなれば数も増え、世界各国に移動し、増え続けていくだろう。彼らが世界各国に散らばったとしても、彼らのコミュニケーションはインターネットと同じで、根と根で繋がっている彼らは、いつでもどこでも会話ができる。ヒトと植物のハイブリッドと言える彼らは、近い将来、ヒトと同レベルの知能になるだろう。もはや、彼らは新種クローバーでなく、知的植物であり、知的生命体だ」
はたと真里菜が思い当たる。
「そういえば、一面に生えていたクローバーは青々としていたけど、どこか元気がなかったよ。もしかしたら、感染発症日時に、場所を移動していたのかもしれない」
「……ってことは、ヒトに擬態していた植物は、ヒトに毒物を注入されて擬態していたのではなく、知的植物だったということか? 知的植物が本州に移動してきたということか?」
ユウが真里菜に目を向けると、真里菜は頷いた。
「港で襲ってきたヒトのシルエットは、感染発症日時に島から本州に移動した知的植物。そして、その港の場所は、21XX年で観測された感染発症地点のはずよ」
推測した真里菜から察したクローン兎兎は、ユウが被る帽子から出るケーブルをパソコンに繋げ、記憶ゲノムプログラムを起動させた。ユウは記憶にある観測データの感染発症地点を思い出し、そのとき一緒に表示されていた経緯度をイメージした。
観測データの感染発症地点の経緯度がパソコンの画面に映ると、クローン兎兎はケーブルをパソコンから外し、記憶ゲノムプログラムを閉じた。
真里菜の導きでユウは、港の経緯度と照合した。
「一致した」
そくぞくした声を上げたユウは、逸るようにファイルの続きを開いた。真里菜が読み上げていく。
「根粒の脳以外の小さな根粒を調べると、全ての根粒から未知の細菌が検出された。未知の細菌には未知の遺伝子があり、新種ウサギから検出された未知の細菌と同定した。未知の細菌は知的植物と共生している為、知的植物が死ねば未知の細菌も死ぬ。未知の細菌が根粒から外界に出ることはない。そのことから考えると、知的植物が故意に、新種ウサギに未知の細菌を注入したといえる。未知の細菌は、毒物が効かない唯一の天敵である新種ウサギから身を守る為に、根粒菌が異様な変異をしたといえる」
「真里菜」
割って入るように呼んだユウは、重要な事を思い出したと力んだ。
「未知の遺伝子はトランスポゾンだ。21XX年の未知の細菌は、異様なスピードで変異し続けている」
思い当ったと長い髭を上下に揺らした真里菜は、すぐにユウを導いてシミュレーションを始めた。
「20XX年の未知の細菌が変異したら、21XX年の未知の細菌になる可能性は……」
真里菜もユウも息を詰め、パソコンの画面を凝視した。
「百パーセントだ!」
声を張り上げたユウは、三世因果の因を見つけたと興奮した。
「ユウ。犬の死骸に入っていた記憶ゲノムは、あの場合、どうなるん?」
尋ねた真里菜は考え込んでいる。
「使用中の死骸が事故に遭うなどの強い衝撃を受けた場合は、その時点でタイムトラベルは強制終了となり、記憶ゲノムは帰還する」
「そうなんだ。死ぬ訳ではないんだ」
呟いた真里菜は推測した後、意味深な目付きでユウを見詰め、近くに引き寄せた。ぐっと顔を近付けたユウに、真里菜は耳打ちした。
クローン兎兎が首を傾げる中、ひそひそ話を終えた真里菜が、机から床に飛び降りた。
「ユウはいつ帰還するん?」
真里菜がユウを見上げた。ユウが窓に目を向けると、窓外は日が暮れていた。
「明朝だ」
「そう」
真里菜はしんみりとなった。
「ユウが帰還したら、私たちの体は元に戻る?」
「ああ。俺が帰還すれば、元に戻れる」
「本当?」
「ああ。時間の自浄作用があるからな」
「だったら、美咲さんも元に戻る?」
思い出した真里菜は、期待する目でユウを見上げた。
「美咲に関しても、真里菜の父に関しても、俺が帰還すれば……」
ふとユウは考える。
――どこまで戻るのだろうか?
「歴史は変わらないってことだ」
ユウは歴史が変わらない範囲で元に戻るのだろうと思ったのだ。微妙な返答だったが、真里菜は科学者として理解し、ヒトとして希望を抱いた。
クローン兎兎は複雑な思いに駆られていた。
――元の体に戻りたい。でも、体が入れ替わっていた間の記憶は無くならないで欲しい。真里菜と気持ちが通じ合い、僕の凍てついた心は溶けたと感じられたから……でも、そうはいかないだろう。
下唇を噛んだクローン兎兎は、悲しい表情になった。
「俺の記憶には、兎兎や真里菜と触れ合った時間は消えない。俺はこの時間を、この記憶を、一生の宝にする」
察したユウが、クローン兎兎を見て微笑んだ。クローン兎兎はユウの思い遣りが嬉しかった。
「もしかしたら、俺のことを時折、夢で見るかもしれないぞ」
そう言って笑ったユウは、この時代に到着する時に見ていた夢のことを思い出した。だが、どんな夢だったかは全く思い出せない。
「それはないよ。だって、ユウの姿、見たことないもん」
真里菜の指摘に、ユウは肩を窄めた。
「でも、姿がはっきりしないんだけど、そこに存在するヒトの夢ってあるよね」
真里菜は微笑んだ。
「うん。そんなユウの夢を見るかもしれない」
クローン兎兎も微笑んだ。
ユウはにこりと微笑み返した。
「ユウ。これから帰還時刻まで、ずっと眠っていても帰還できる?」
しんみりと真里菜はユウに聞いた。
「ああ。その方がいいかもな」
ユウは名残を惜しむように、真里菜とクローン兎兎を見た。
「真里菜。一緒に寝よう」
誘ったクローン兎兎は、真里菜を抱き上げると、ベッドに向かった。最後となる真里菜との時間を愛おしむように、クローン兎兎は真里菜を抱き締めて眠りに落ちた。
ユウもソファに横になると深い眠りについた。
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