20XX年 第二十一話
ユウと真里菜が入っているボストンバッグを提げたクローン兎兎は、自動運転車に乗り込み、病院へ向かった。
真里菜の父は、集中治療室から個室に移っていた。病室に入ったユウたちは、ちょうど里菜の父の点滴の交換をしていた看護師から、容体などの話を聞くことができた。
「交通事故の原因を聞かれていますか?」
ユウは看護師に尋ねてみた。
「通報された方からの話をお聞きしたのですが……突然飛び出してきた犬を避けようとして、車が電柱に衝突したそうです」
看護士の返答に、ユウもボストンバッグの中で聞いていた真里菜も、同じことを推測した。
――飛び出してきた犬は、あのシルエットの犬だ。ヒトによって放たれた犬によって、事故は引き起こされたんだ。
「お世話になります」
クローン兎兎が病室から出ていく看護師に挨拶した。
ユウは病室のドアの死角となる、真里菜の父が眠っているベッド横の床に、ボストンバッグを置いてファスナーを全開にした。
「父の顔色はどう?」
真里菜が心配そうにユウを見上げた。
「顔色は良いぞ」
「よかった」
微笑んだ真里菜は、きょろきょろと辺りを見渡した。
「そこにあるビジネスバッグを、こっちに持ってきて」
真里菜の言う通りに、クローン兎兎はロッカーに置かれてあるビジネスバッグを手に取ると、真里菜近くの床に置いた。
「中身を一個ずつ取り出してみて」
真里菜に向かって頷いたクローン兎兎は、表面が汚れているビジネスバッグを開けると、後はユウに任せるといった感じで、その場から離れた。
ユウは床に腰を下ろすと、ビジネスバッグの中から一個ずつ物を取り出し、真里菜に見せていった。ユウにとっては、初めて目にするものばかりだった。
「それはデジタルカメラよ。何を撮影しているのか見てみよう」
真里菜に操作手順を導かれながら、ユウはデジタルカメラに保存されている写真を、真里菜と一緒に見ていった。
「これは、島にあったバイテク研究所の跡地だ」
スクロールする手を止めたユウは、一枚の写真に釘付けになっていた。
「確かにそうね」
相槌を打った真里菜に、確信を得たユウは、逸るように写真をスクロールしていった。
「なにこれ?」
ぎょっとした真里菜が顔を背けた。
「ウサギの死骸だ」
静かに発したユウだったが、反応したクローン兎兎が座っていた椅子から立った。気付いたユウは、今にも泣き出しそうなクローン兎兎に向かって、慰めるような視線を送った。
「ここは、クローバーが一面にあった場所だ」
ユウは顔を背けたままの真里菜の後頭部に視線を向けた。
「あのクローバーの所で、ウサギが亡くなっているん?」
「そうだ。兎兎の容姿によく似ている」
ユウの言葉に、再びクローン兎兎は反応したが、拳を握って悲しみに耐え、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
「その撮影日は?」
「ちょうど三か月前だ」
真里菜の質問に答えたユウは、写真を最後までスクロールしていった。
「後の写真は、俺たちが見た時と同じように、青々としたクローバーが写っているだけだ」
ユウがデジタルカメラを床に置いた音を聞きつけ、真里菜は視線を元に戻した。気付いたユウは、ビジネスバッグの中にある最後のものを取り出し、真里菜に見せた。
真里菜は首を横に振って考え込み、ロッカーを見遣った。
「父の上着のポケットを探ってみて」
真里菜が前足でさした上着を、クローン兎兎は手に取った。上着は血に塗れ、ぼろぼろだった。思わず目を逸らした真里菜は、お手伝いさんから父の上着の処分はどうしますかという、メールが届いていたのを思い出した。
「これ、手帳だよね」
クローン兎兎の声に、真里菜は俊敏に振り向いた。上着の内ポケットに入っていた手帳は、殆ど破れていなかった。
「それよ」
真里菜は早く持ってきてと、言わんばかりの表情になった。
「手帳ってなんだ?」
ユウが不思議そうに小声で呟いた。
「主に日程を書いているんだけど、出来事など、いろいろと書き綴っているんよ」
聞き逃さなかった真里菜が答えた。その間に、クローン兎兎はユウに手帳を渡した。
「まずは父が事故にあった日付を探して……」
真里菜の導くままに、ユウは真里菜にも見える角度で、手帳を捲っていった。
「その日付の所に何が書いてあるのか……」
真里菜は目を凝らした。
「白壁公園で美咲から新種ウサギの死因を特定したファイルを受け取る」
読み上げた真里菜は、ぎくりとした目付きでユウを見た。目を合わせたユウは、ポリスとしての推測を口にした。
「状況から考えて、待ち合わせ場所である白壁公園に向かう真里菜の父を交通事故に遭わせ、その後、美咲を襲ったといえるだろう。新種ウサギは、写真の中にあったウサギの死骸のことだな」
「ウサギは新種だった……」
考え込む真里菜が、あることに気付いた。
「新種と書いてあることから、この時にはもう新種ウサギだと知っていたことになるよ。だったら、ユウ。三か月前……」
既にユウは、ウサギの死骸の写真にあった撮影日と、同じ日付がある頁を開いていた。真里菜に見せる。
「今回初めて、若い新種ウサギの死骸を発見。美咲に新種ウサギの死因の特定を依頼する」
読み上げた真里菜が首を傾げる。
「ここでも新種だと知っているよ。ユウ。最初の頁から捲ってみて」
ユウは真里菜にも見える位置で、ゆっくりと手帳を最初から捲っていった。
自動運転ボートにあった幾つかの運転履歴と同じ日付に、島へ上陸している記録があり、そこには新種ウサギの生態調査という文字と共に、新種ウサギの様子や気遣う言葉が書かれていた。
「今年よりも以前から新種だということを知っているよ。どういうことだろう?」
ぼやいた真里菜が、怪訝な表情になる。
「死骸が発見される以前は、島に上陸しているのは一か月に一回のペースだったのに、それからは頻繁に上陸していて、上陸の度に新種ウサギの死骸を見つけているよ」
真里菜は新種ウサギに何が起こったのだろうかと、俯いて考え込んだ。
ユウは手帳を閉じようとして、手帳カバーに挟まれていた一枚のメモ用紙に気付いた。
「真里菜」
呼ばれた真里菜が顔を上げると、ユウがメモ用紙を開いて掲げていた。目を見開いた真里菜は読み上げた。
「十五年前に発見された新種ウサギは、バイテク研究所から逃げ出したバイテクで作られたウサギの試作品と、島にいた在来種ウサギとのミックスである。その逃げ出した試作品のウサギは、繁殖はできず短命であること、島からは出られないことから、自然や食物連鎖を壊すことはないと判断され放置されていた。だが、その後、バイテク研究所が閉鎖されたことで、心配性の綾は年に一度、島に上陸して汚染などの様子を窺っていて、新種ウサギを発見した。そのときから綾は月に一度、新種ウサギの生態調査をしてきた。途中から私が忙しい綾に代わって生態調査をするようになり、今では綾の友人であり生理生態学者である美咲に、新種ウサギのことを相談している」
なぜかユウは21XX年のバイテクウサギのことを思い出した。
――バイテクウサギはバイテクペットとは違う。バイテク森を豊かに表現する為に作られたのがバイテク小動物で、その中の一種類がバイテクウサギだ。俺の家があるバイテク建築樹木の根元にある公園には、バイテクウサギやバイテクリスなどのバイテク小動物が沢山いる。バイテク小動物が少なくなったと感じれば、日本吉備バイテクドーム政府によって、バイテク小動物は追加されていく。バイテク小動物の死骸は、バイテク床と同様に、バイテク表層地面によって瞬く間に分解され吸収されてしまう。だから、絶対に汚染や変異につながる恐れはない。それに、バイテク小動物は絶対に繁殖ができない。絶対に? 本当に絶対に?
疑いを起こしたユウは、古びた紙の本を思い出していた。この本は、ユウの祖先を探る唯一の手掛りだ。ユウはこの本と共に棄てられていたのだ。
――本に書かれてあった。変異というものは絶対に止められない。なぜなら変異は進化だからだ。進化を止めることは生命を絶つのと同じことだからだ。この言葉が真実ならば、21XX年のバイテク小動物にも同じことが起るかもしれない。
気になったユウの顔は曇った。
「ユウは新種ウサギの死骸の写真が、兎兎に似ているって言ったよね?」
真里菜は思い当たったようだった。ユウは我に返ったような顔で、真里菜に目を合わせて頷いた。
「兎兎似のウサギは、ミニウサギというミックスに沢山いるから、断定はできないけど、もしかしたら……」
真里菜はクローン兎兎を見遣った。
「オリジナルの兎兎は父が拾ってきたと言っていたことや、兎兎が普通のウサギとは違う感覚や知性を持っていることから、オリジナルの兎兎は新種ウサギだった可能性が高い」
椅子に座って聞いているクローン兎兎は微動だにしなかった。非常に驚いているが、冷静に客観的に受け止めようと努力しているからだ。
「新種ウサギは特別なウサギよ。そんなウサギが不手際から生まれて増えたとなると……。バイテク研究所と関わりの深かったヒトが、公にならないようにと、新種ウサギを殺処分していたのかもしれない。そして、そのヒトが、新種ウサギの存在を知った美咲さんを犬と毒物を使って殺害し、父を殺そうとし、私たちを殺そうとしたのかもしれない」
推測を口にした真里菜の語尾には、バイテクに携わる者が……という悔しさと失望が滲んでいた。
「口封じだな」
ユウは吐き捨てるように言った。
「新種ウサギの死因を特定したファイルは、今どこにあるんだろう? そのファイルが見つかれば、襲ったヒトが誰なのか分かるかもしれないよ」
呟くように言ったクローン兎兎に対し、真里菜は黙ったまま首を横に振った。
「美咲を襲った時に、そのファイルは持ち去られているだろう」
淡々と言ったユウを、クローン兎兎はちらりと見た後、真里菜を見遣った。
「美咲さんはダイイングメッセージを握っていたんだよ」
クローン兎兎の拳を握るような声に、真里菜がはっとした顔付きになった。
「ダイイングメッセージって何だ?」
ユウが不思議そうに尋ねた。真里菜は手短に紙切れのことを話して説明し、気合いを入れるように号令を掛けた。
「行ってみよう!」
真里菜たちは自動運転車で白壁公園へ向かった。
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