20XX年 第十一話
深夜、自動運転車はバイテク製品設計開発所に到着した。
「真っ暗ね」
真里菜は窓枠に前足を掛け、外を見遣っている。
駐車場に止まった自動運転車から見える、バイテク製品設計開発所から漏れる灯りはなかった。
「母と連絡がついて、母は病院に駆け付けたままなのかな」
真里菜が呟いた。
「真里菜の父の容体は良くないのか?」
ユウは気遣うように声を掛けた。
窓の外をぼんやりと見ていた真里菜が振り返り、クローン兎兎の膝の上で丸くなった。
「手術は成功して、このまま順調にいけばって感じだったんだけど……」
悲しそうに濁した言葉の先には、体の入れ替わりがあった事を意味しているんだとユウは気付いた。
「でも……きっと父はもう落ち着いているよ」
自分に言い聞かせるように言って真里菜は言葉を続けた。
「だから前にも話したように、忙しい母はお手伝いさんに任せて、ここへ帰ってくるはずよ。今晩はここで眠ろう。おやすみなさい」
真里菜はそのまま眠りについた。クローン兎兎は既に眠っていた。ユウも釣られるようにして深い眠りについた。
翌朝、ユウは窓を叩く音で目を覚ました。窓を開けると、女性が覗き込んできた。
「真里菜さん。今日はやけに早い出勤ですね」
女性はバイテク製品設計開発所に勤める事務員だった。微笑んで挨拶する。
「おはようございます」
「おはようございます」
挨拶を返したユウは、緊張して声が裏返った。いつもと違う真里菜の物言いに、事務員はきょとんとした。
「母はまだ病院ですか?」
察したユウが素早く問い掛けた。
「病院? 所長が病院? プレゼンバトル中の所長の身に何かあって、真里菜さん宅に連絡がいったんですか?」
事務員の驚きとこの言葉で、真里菜の母は病院には行っていないし、真里菜の父が入院していることも、事務員は知っていないことが分かった。ユウが真里菜の方へ顔を向けると、クローン兎兎が真里菜の口元を両手で押さえていた。
「説明しますから、中で話しをしましょう」
気を利かせたユウは、事務員にそう言って先に行かせた。事務員は入り口の鍵を開けていないことに気付き、急いでバイテク製品設計開発所に向かった。
「プレゼンバトルって、どういうことだろう?」
疑問を口にした真里菜の口元からは、クローン兎兎の両手は離れていた。
真里菜はユウに、事務員に聞きたいことや言いたいことなどを依頼した。
「真里菜さーん」
鍵を開けた事務員が、入り口のところで手招いている。
「行こう」
真里菜の声掛けで、ユウたちは車を降り、バイテク製品設計開発所の中に入っていった。
応接間の三人掛けソファの端に座ったクローン兎兎は、抱えていた真里菜をソファの中央に下ろした。
「三日前に父が交通事故で入院しました」
ユウは真里菜の隣に座りながら言った。
「えっ……」
絶句した事務員が腰を抜かすように、テーブルを挟んで向かい合うソファに崩れ落ちた。
「三日前って言ったら、プレゼンバトルの開始日です」
「母と連絡は取れますか?」
「プレゼンバトル中は、こちらからも所長チームからも、連絡はとれない契約になっています」
事務員は真里菜の心中を推し量る表情で言った後、同じ表情でちらりと美咲の顔も見た。美咲がなぜ一緒にいるのか、その理由を推察したからだ。
「所長から、プレゼンバトルの話は、夫にはしてあると、聞いています」
「プレゼンバトルは、いつまでですか?」
「プレゼンバトル開始から八日間ですので……」
事務員が日付を割り出しているが、ユウにはもうどうでもいい話だった。
――八日間ならば無理だ。その前に俺は帰還する。もう真里菜の母に話を聞くことはできない。
がっくりとするユウの太ももを、真里菜が鼻先で突っついた。
「プレゼンバトルとは、どういうことですか?」
真里菜の依頼を思い出したユウは急いで聞いた。
「我が所の方針である、他チームの開発には関わらず己の開発に没頭せよ、という言葉がありますが……」
ばつが悪そうに言った事務員の指摘で、ユウは真里菜が何も知らない理由が分かった。
「それを聞かないと、己の開発に没頭できません」
ユウは機転を利かせた。
「そうですね。こういう状況だと、そうだと思います」
事務員は納得した。
「プレゼンバトルは、三年前、投資家であるムサシさんからの提案で……」
「投資家ムサシとは、どういうヒトなのですか?」
気になったユウは思わず、話の腰を折っていた。
「私も所長も投資家ムサシさんに会ったことはなく、メールや電話でのやりとり、仲介人を通してのコンタクトでしたので……」
事務員は首をすくめた後、話を元に戻した。
「投資家ムサシさんは、ヒトゲノムの応用は一切しない、ヒトの遺伝子さえも扱うことはしないなど、バイテク製品設計開発所の理念をよく理解し、高く評価してくださっているとのことで、所長はプレゼンバトルを引き受けたと言っていました。プレゼンバトルは、バイテク製品(バイオテクノロジー製品)とロボテク製品(ロボットテクノロジー製品)で行われ、バイテク製品で開発していくかロボテク製品で開発していくかを決めるものです。投資家ムサシさんがある新進気鋭のベンチャー企業に投資して開発した量子AIと共に、成熟経済に革新的な風を巻き起こす、新しい需要を生み出す製品を開発していく為のプレゼンバトルです。だから、プレゼンバトルの為の製品開発費用などは全て、投資家ムサシさんが資金を出してくれました。また、ここ以上の設備が整った施設も提供してくれました」
――投資家ムサシには謎めいたものを感じるが、真里菜の母が認めたのなら間違いはないだろう。それよりも、バイテク量子AIの誕生の裏に、こんな重大なプレゼンバトルがあったとは……。歴史書ではバイテク量子AIは来年末に誕生するが、それだけしか書かれていない。なぜバイテク社会にとって、こんな重大な歴史となるプレゼンバトルが、歴史書に載っていないんだ?
考えれば考えるほど、ユウは混乱した。
「大丈夫ですか?」
狐につつまれたような顔付きになっているユウを、事務員は心配そうに声を掛けた。真里菜はユウの太ももを鼻先で突っついた。
はっとユウが問い掛ける。
「なぜバイテクとロボテクで競う必要があるのですか? ハイブリッドならば、バイテク製品もロボテク製品も同じようなものだと思うのですが……」
ユウのこの質問に、真里菜が睨み付けた。真里菜ならばこのような質問をすることはないからだ。事務員は首を傾げたが答えた。
「生物と機械の配合率が違います。バイテク製品は生物がメイン、ロボテク製品は機械がメインです」
事務員はそう言って、急に質問の意図を掴んだという表情になり、言葉を継いだ。
「この観点から、バイテク製品には倫理的な問題が出てきます。ですから、通常ならば、投資家ムサシさんはロボテク製品を選んだでしょう。でも、前述したように、所長チームのバイテク製品は、倫理的な問題を解決し易い植物細胞や植物遺伝子を使用しています。だから、投資家ムサシさんは革新的な風を巻き起こす製品として注目されたのです。ですが、それだからこそ、バイテク製品は既存産業からの反発や妨害行為を受けるというリスクもあります。だから、バイテク製品とロボテク製品を競わせて決めようというのだと思います」
ユウにはそんな質問の意図はなかったのだが、興味のある話を聞くことができたと満足した。
「プレゼンバトルは何処でされているのですか?」
「瀬戸内海にある無人島に建てられた施設で開催されています。七つのテーマに沿って開発されたバイテク製品とロボテク製品のプレゼンバトルが、テーマ毎に毎日繰り広げられています」
「わかりました」
締め括ってユウは言う。
「病院にも行かなければいけないので、空き時間に開発を進める為、私は今晩からここに寝泊まりします」
「左様ですか。でしたら、バイテク製品設計開発所の鍵をお渡ししておきます」
事務員は腰を上げると、鍵を取りにその場を離れた。
胸を撫で下ろしたユウは、真里菜を見た。真里菜は長い耳を立てたままで目を瞑っている。どんなプレゼンバトルが繰り広げられているのか、空想に耽っているのだ。
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