20XX年 第八話

 自動運転ボートは島の南側、漁港の片隅にある小さな桟橋に着いた。

 「ユウ。感染発症日時って、その日時に感染して発症するって事?」

 思い出したような顔付きで、真里菜はユウを見上げた。

 「そうだ。俺の時代で悪さをするバイテク危険分子には、潜伏期間などない」

 「発症する前に片付けられちゃうもんね」

 得意気に言った真里菜だが、はたと顔を曇らせた。

 「未知の細菌も、そんなバイテク危険分子と同じなんだ」

 「そうだ。だから、危険だから俺一人で行く」

 ユウはクローン兎兎と一緒に、出港準備の反対の手順をしながら答えた。

 「その体は私の体よ!」

 声高に言った真里菜の言葉に、ユウはすっかり忘れていたという顔付きで振り向いた。そんなユウを見上げて、真里菜は畳みかける。

 「私の体が感染発症したら同じこと。だから、私も行く」

 「僕も行くよ」

 クローン兎兎はユウの顔を見て微笑んだ。力になれることは少ないかもしれないけど、真里菜やユウを守りたいと強く思っているのだ。

 ユウはクローン兎兎に目を合わせて微笑み返し、真里菜を見て頷き返した。

 桟橋に降りたユウたちは、海に向かって足を投げ出して座った。感染発症時刻になるまで待つことにしたのだ。

 漁港では数十人のヒトが忙しく働いていた。どんな作業をしているのかは、遠くてそこまで見ることはできないが、クローン兎兎は珍しそうに見遣っていた。

 「感染発症時刻だ」

 腕時計を見詰めていたユウが神妙に言った。

 「じゃあ、観察に行くよ」

 相槌を打つように声を上げた真里菜が、クローン兎兎の膝の上から飛び降り、桟橋を飛び跳ねていく。

 「この島は狭く、一日あれば十分、歩いて一周できる。集落は島の南側だけで、この辺り一帯だ」

 真里菜の後を追いながら説明するユウは、記憶ゲノムにインプットされた情報を思い起こしていた。

 「そのインプットには、バイテク研究所の跡地の情報はなかったんだね」

 「ああ」

 あっさり返事をしたユウは、真里菜に指摘されても別に疑問には思わなかった。なぜなら、注目度の低い歴史情報というものは、殊更曖昧な点があるからだ。

 「バイテク研究所の跡地は、集落の北側にある山の頂よ」

 鼻先をその方角へ持ち上げた真里菜に、並んだユウは見遣った。そのまま並んで狭い道を歩いて行く。

 「おはよう」

 集落の中に入ったユウと真里菜の背後から、クローン兎兎の挨拶が響いた。振り返ったユウは、門扉から出てきた島民と目が合う。

 「おはよう」

 かなり年配の女性が挨拶を返してきた。見たところ、元気そうだ。

 「おはようございます」

 ユウは軽く頭を下げた。

 こんな感じでユウたちは、ゆっくりと集落を歩きながら観察していくが、出会うヒトは皆元気そうで、異変の様子は全く感じられない。加えて、本州の町とは違って、伸び伸び感に溢れている。また、遭遇する猫や犬、植物や羽ばたく鳥なども、皆元気そうで、異変の様子は全くない。

 観察に神経を尖らせているユウと真里菜とは違って、クローン兎兎は猫や犬に対して敏感になっていた。ウサギにとって猫や犬は怖い存在だからだ。だから、犬や猫を見掛けると、俊敏に真里菜を抱きかかえて守った。だが、この行動は、自分の体だからというわけではなく、真里菜を守りたいという一心からだ。

 「集落は観察したから、バイテク研究所の跡地に行こう」

 真里菜の発言に頷いたユウは、山の頂を見遣った。そこへ通ずる道を見分けると、車が一台ようやく通れるような坂道を登っていく。

 眼前に柵が見えてきた。そばまで行くと、その柵は錆び付いた金網で、左右にずっと続いている。

 「この柵は、バイテク研究所の跡地の周りを、取り囲んでいるみたいだな」

 ユウは眼前にある柵の扉に触れてみた。錆び付いているが、素手では壊せそうになかった。そんな扉の向こう側は、古びたコンクリートの一本道が遠くまで続いていて、その周りは木々が鬱蒼と生えている。

 「扉に鍵はついていないみたいだから、開くかもしれないよ」

 真里菜の促しに、ユウは扉を開けてみようと思ったが、記憶ゲノムにインプットされた情報を思い起こしても、このような扉を開ける情報はなかった。その様子に気付いた真里菜がユウを導こうとした時、クローン兎兎が両開き扉の中央にある取っ手を握った。それを上にあげて右横にずらした後、左側の扉を左横にずらして扉を開けた。

 「なんで知っているん?」

 真里菜の真ん丸の目がより一層大きく見開いて、クローン兎兎を見上げた。

 「真里菜が観ていたテレビドラマのシーンにあったのを思い出したんだ」

 クローン兎兎の返答に、真里菜は知能の高さに気付いた。すると、クローン兎兎の今までの言動が思い出され、それら全ても、知能の高さに繋がっていることに考えが及んだ。

 ――クローン兎兎の記憶ゲノムは、ヒトと同程度だ。

 「真里菜。何をしている?」

 ユウの声で、真里菜は我に返ったように見遣った。ユウとクローン兎兎は既に、扉を抜けてバイテク研究所の敷地内に入っていた。

 真里菜は慌てて向かった。ユウは前方を向いて歩き出したが、クローン兎兎は真里菜を待っていた。

 「兎兎。ありがとう」

 真里菜はクローン兎兎の足の間を擦り抜けて、ユウの横に並んだ。クローン兎兎は真里菜の後をついていく。

 アーケードのように枝葉が覆い被さっている古びたコンクリートの道を抜けると、開けた場所に出た。取り壊された建物の基礎部分であるコンクリートやその周りの地面を固めていたコンクリートが残っている為、草木が生えていないのだ。だが所々、コンクリートのひび割れや破損する部分から、草が生えている。

 ユウと真里菜はこのだだっ広い空間を見渡し、それぞれが観察する範囲を決めると、二手に分かれた。

 暫くして、クローン兎兎の弾む声が聞こえてきた。

 「ユウ。綺麗だよ」

 真里菜ではなくユウだけを呼んだのは、自動運転ボートでユウと一緒に景色を眺めたからだ。また、真里菜は愛でるというよりも、観察する感情の方が強いということも知っているからだ。

 聞き付けたユウは素っ飛んでいった。迫り出す岩の突端に立つクローン兎兎の横に並ぶ。

 「ここからの展望は最高だな」

 見渡すユウは満面の笑みで、他島や水平線が見える海を眺めた。だが、そんな見惚れるユウの耳に、冷ややかな声が入ってきた。

 「ほんとね」

 振り返ったユウに、真里菜はそっぽを向くようにして去っていった。ユウは名残惜しそうに踵を返すと、決めた範囲に戻り、観察していった。

 暫くすると、またクローン兎兎の弾む声が聞こえてきた。

 「ユウ。たくさんのクローバー(シロツメクサ)が生えているよ。かわいいよ」

 クローン兎兎に呼ばれ、そわそわするユウだが、すぐには向かわなかった。急いで、だが丁寧に、決めた範囲の観察をし終えると、クローン兎兎の元に向かった。

 コンクリートの端のところで、クローン兎兎は真里菜と並んで座っていた。近寄ったユウは、見渡すほどの広範囲に、青々としたクローバーが一面に生えているのを捉え、目を細め微笑んだ。

 「私が観察した範囲には何もなかったけど、ユウはどうだった?」

 冷ややかに聞いた真里菜は、うずくまって目を閉じているが、長い耳でユウを感知している。

 「俺の方も何もなかった」

 「ここを含めたこの周りも、感染発症の兆候すらないよ」

 目を開けた真里菜は四肢を立て、もう一度辺りを見渡した。ユウも見渡してみる。

 コンクリート部分の開けた場所を囲むようにして、生えている鬱蒼とした木々も健康そのものだ。

 「ユウの情報だと、この島は歩いて一周できるみたいだから、一応、観察してみる?」

 真里菜はユウが疲れていないかと、観察するような目付きで見上げた。

 「真里菜の体は運動不足だが、大丈夫だ。行ってみよう」

 悪態をついたユウは、もっと運動不足そうな体を持つクローン兎兎を窺うように、視線を向けた。

 「足が痛くて、体は元気ないけど、僕の心は元気いっぱいだから、大丈夫だよ」

 正直なクローン兎兎に、ユウは笑った。

 「じゃあ、行こう」

 体は元気いっぱいの真里菜が、高々と飛び跳ね、宙で反転した。

 来た坂道を下り、島を一周しながら、ユウと真里菜は日が暮れかかるまで観察を続けた。そして、もう一度集落を回ってから、桟橋へと戻った。

 「感染発症の兆候すらなかったよ」

 自動運転ボートに乗った真里菜は疲れたような声を出し、甲板から飛び跳ねて運転席横の席に乗るとうずくまった。

 クローン兎兎は出港の準備を手伝った後、わくわくするように海を見遣った。

 「何もなかったな」

 ユウは納得がいかないと顔をしかめながら、ボートナビゲーションの画面左上に表示されている帰航の文字に触れて決定し、出港させた。

 「ユウ。腕時計に向かって、感染発症日時に何か異変はなかったか、ネット検索をしてみて」

 唐突な真里菜の提案だったが、思い当たったユウは急いで腕時計に向かって検索指示を出した。

 腕時計からは蔓が伸びず葉の画面も形成されなかったが、デジタル表示されていた年月日と時刻が消え、そこに検索結果が出た。スクロールしながら確認していくが、世界的にも感染発症の兆候すら示す情報はなかった。

 「なんで何もないんだ?」

 呆然とするユウの耳に、クローン兎兎の弾んだ声が聞こえてきた。

 「ユウ。すごく綺麗だよ。夕日が海に溶け込んでいくよ」

 咄嗟に振り返ったユウは、飛び跳ねるようにしてクローン兎兎の横に並んで海を見遣った。あまりの美しさに、ユウは何もかも忘れて見惚れた。真里菜は関心を示すことはなく、うずくまったままの姿勢で深い眠りについた。

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