第二章 20XX年
20XX年 第一話
灰色の長い耳。口周りから鼻筋が白い、灰色の顔のウサギが、いかにも悲しそうな目付きで、棚の上にある写真立てを見上げている。
「僕の名も兎兎」
写真には全く同じ容姿のウサギが写っている。
「飼い主は優しいよ。でも、僕を見てくれていない。僕を通して君を見ているんだ」
湧き上がってくる憎しみと苦しみで胸が一杯になり、目から涙がこぼれ落ちる。
「僕は君のクローン。なぜ僕は生まれたんだろう? 僕の生きる意味は?」
クローン兎兎は俯いた。
「僕は僕で、僕は君じゃない」
くるりと背を向けたクローン兎兎は、飼い主の家を出た。
向った先は、さほど遠くない場所にある公園だった。クローン兎兎が小さい頃から飼い主と一緒に行く公園で、いつも広場で遊んでいる。だが、今日はいつもの広場ではなく、年に一度、飼い主一家と訪れる広場に向かった。そこでは、ヒトがキャッチボールやバトミントンなどをしている。そんな開けた場所を取り囲むように、桜の木が沢山あるが、今の時期は緑色の葉に黄色の葉を混じらせている。
「桜も綺麗だよ」
クローン兎兎の脳裏に、年に一度、愛でる艶やかな桜の花が思い出された。
「でも僕は……」
桜の木の後方にある、雑草の中に入った。
「食べないよ」
ぽつりと呟いて、ギザギザの葉を伸ばしているタンポポに近寄った。
「僕は桜よりタンポポが好き。だって、みんな桜だけに注目するから」
クローン兎兎はタンポポを自分と重ね合わせているのだ。
「来年の春も金色に輝く花を咲かせてね」
タンポポに話し掛けた後、公園内でまだ行ったことのない場所へ、目立たないように気を付けながら行ってみる。
ふと、クローン兎兎が驚いたように足を止めた。先に見える池が煌めいているからだ。駆け出し、池の目前で急停止した。水面が夕日に照らされ、きらきらと黄金に輝いている。
クローン兎兎は初めて目にした光景に、胸の高鳴りを覚えた。わだかまりが消えるような心地よさを感じた。ずっと見惚れていて、何時しかうずくまったままで深い眠りについていた。
疲れていたのか、クローン兎兎が目を覚ました時には、朝日が昇りかけていた。四肢を立てようとして違和感が襲った。前足に目を落とし、びっくり仰天する。
「ヒトの手だ」
無我夢中で両手に力を入れ、俯せの状態から立ち上がった。一歩踏み出そうとして、何かに蹴躓いてこけた。見ると、それはマガモの死骸だった。慌てて立ち上がろうとしたが、今度は立ち上がれない。鼓動が跳ね上がった。だが、気持ちを落ち着かせ、冷静になるように心掛けた。そしてゆっくりと立ち上がった。丁寧に足を踏み出し、一歩一歩、ふらつきながら歩んで行く。目の前にある池に近寄るまで、かなりの時間を要した。池を覗き込もうとして、不安に襲われた。脳裏に浮かぶ事態が的中しても、狼狽えないようにと覚悟を決め、一気に覗き込んだ。
不安は的中した。
「ヒトだ。僕がヒトになっている」
水面に映ったクローン兎兎の顔は、紛れも無くヒトの顔だった。
「女性だ。でも、誰だろう?」
そう考えて、はたと振り返り、自分の体であるウサギの姿を探す。だが、見当たらない。
「同じ池だけど、場所が違っているんだ」
池に目を向けて見渡す。広い池の周りは似たような景色だった。だが、池の脇は小低木が密集して植えられている場所と、何も植えられていない場所が交互にあった。
クローン兎兎はぎこちない歩き方で遊歩道に出た。
ゆっくりと遊歩道を歩きながら、何も植えられていない場所を見つけると、池に向かって歩き、自分の体であるウサギを探す。そんな事を繰り返していくうち、二足歩行の要領を掴み、しっかりとした足取りになった。
「見つけた」
嬉しそうに声を上げたクローン兎兎は、駆け寄ってしゃがむと、自分の体であるウサギを抱きかかえた。ヒトの掌から伝わってくるウサギの温もりを感じたが、鼓動を聞き取る為に、心臓あたりに耳を近づけようとして、仰け反った。ウサギの目が開いたからだ。びっくりして思わずウサギを落としそうになったが、抱き締めて地べたに座った。
眠気眼のウサギが、クローン兎兎の顔を見詰めた後、名前を呼んだ。
「美咲さん?」
ウサギはクローン兎兎が入っている体の主を知っていた。
「僕のこと、知っているん?」
クローン兎兎の問い掛けに、小首を傾げたウサギだが、普通に答えた。
「母の友人の美咲さんですよね」
「美咲。美咲っていう名前なんだ」
クローン兎兎の返答に、再びウサギは小首を傾げ、きょろきょろと辺りを見渡した。
「ここはどこ?」
いきなり大声を上げてウサギが暴れ始めた。クローン兎兎はぎゅっと抱え直した。そのことで、ウサギが自身に起こったとんでもない異変を感じ取った。
「私の体、小さくなってる?」
「うん」
クローン兎兎は大きく頷いて、徐に立ち上がると、池の手前まで歩いた。
「落ち着いて」
声を掛けてクローン兎兎は、水面にウサギの容姿が映るように、前屈みになった。
「姿、映ってる?」
クローン兎兎の促しの後、ウサギの呆然とする声が聞こえてきた。
「私、ウサギになってる」
「そうだよ。ウサギだよ」
言い切ったクローン兎兎に、ウサギは助けを求めるように目を向けた。
「美咲さん。私は真里菜よ」
か細い声で不安そうに名乗った真里菜に、クローン兎兎の心臓は波打った。飼い主だったからだ。
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