21XX年 第九話
「カスミソウ。バイテクタイムトラベル装置のタイムトラベル設定を起動」
ユウの指示を受け、識別バイテク量子コンピュータから蔓が伸び、蔓先に葉が付いた。葉は六インチのタッチパネルに分化し、そこにタイムトラベル設定が表示された。
ユウは未知の細菌の感染発症日時と感染発症地点の名称を思い出しながら、到着したい感染発症日時の一日前の年月日と、到着したい場所である感染発症地点の経緯度と名称を入力した。
タッチパネルに文字が表示された。
「暫くお待ちください」
年月日と場所さえ入力すれば、体として使用可能な死骸を選別して表示してくれる。その表示の中から選んだ死骸に己の記憶ゲノムが入ることで、死骸を体として操り、遡った時代をタイムトラベルできるのだ。
タッチパネルが切り替わって文字が表示された。
「選択してください」
タッチパネルの縁から蔓が伸び、蔓先についた葉が四インチの画面に分化した。そこに、到着年月日と到着時刻と死骸の種類と死骸がある場所の名称がセットになった、五つの候補が提示された。
ユウはバイテクペット兎兎にも画面がよく見えるようにと、手を振って画面を下にした。ゆっくりと、画面に提示されている候補を一つずつ、中指でタッチして詳細を確認していく。ユウは両手の指紋登録から、各指によって決まるタッチ設定をしている。
「死骸の種類はマガモ。死骸がある場所は、感染発症地点である瀬戸内海の島ではなく本州。到着年月日は感染発症日時の一日前。体となる死骸は鳥だから、本州でも十分に感染発症日時に島である感染発症地点に飛んで行ける。この候補がベストだと思う」
「うん。これがいいね」
提案してきたユウに、バイテクペット兎兎は目を合わせて頷いた。
ユウはその候補を人差し指でタッチし、選択の決定をした。
タッチパネルに決定した候補が表示されると、四インチの画面は枯れてバイテク床に落ちた。
タイムトラベルでは、体として使用する死骸は、同種の死骸が提示されることはない。ヒトがヒトの死骸に入ることはないのだ。なぜなら、死亡と同時に脳にある記憶ゲノムが抜けて消え去っても、全細胞に刻まれている記憶は残るからだ。その残記憶と、入った記憶ゲノムが同種だと共鳴し、記憶が混同してパニックに陥り、危険な状態に陥るからだ。ちなみに、バイテクペットが使用する時、同種ではないがヒトは除外されている。また、選ばれる動物の死骸は、脳に損傷がないもの、活動できる状態にあるもの、死後二時間以内のもの、となっている。そんな死骸の脳の記憶ゲノムが存在していた領域に、バイテクタイムトラベル装置を使用する記憶ゲノムが入るのだ。入るとその脳から化合物が産生され、それが全身に行き渡り、速やかに脳神経から心筋などの全細胞が復元される。そして、死骸の脳は、入った記憶ゲノムと同等の脳レベルとなって機能する。タイムトラベル期間は十日間以内だ。記憶ゲノムが入ってから十日後に、化合物の産生が止まるからだ。
タッチパネルが切り替わって文字が表示された。
「帰還年月日と帰還時刻とタイムトラベル期間を入力してください」
ユウはポリストップの指示通りに、ポリスバイテク建築樹木に居るヒトが感染発症する予測日数の一日前の年月日と時刻を入力した。タイムトラベル期間は、現時点から帰還年月日の間となる、六日間と入力する。
タッチパネルが切り替わって文字が表示された。
「記憶ゲノムにインプットする基本情報が不要な場合は、基本情報不要と入力してください。また、基本情報以外のインプットを希望する場合は、詳細を入力してください」
インプットとは、バイテクタイムトラベル装置で時間を遡っている間に、タイムトラベルする時代の文化や経済や一般常識といった基本情報などを、記憶ゲノムに組み込むことだ。
ユウは基本情報以外のインプットとして、死骸がある場所から感染発症地点に向かうマガモ視点での鳥瞰図などを、入力していった。
タッチパネルが切り替わって文字が表示された。
「設定が完了しました」
数秒後、タッチパネルは枯れてバイテク床に落ちた。
ユウはバイテク長椅子から腰を上げると、隣室にあるバイテクタイムトラベル装置である巨大なハスの蕾に向かった。バイテクペット兎兎は、その後をついて行く。
識別バイテク量子コンピュータであるブレスレットを外したユウは、基本形であるカスミソウの種に脱分化させると、バイテクタイムトラベル装置を支える短くて太い茎から伸びる単葉の上に置いた。くるりと単葉が巻き上がって識別バイテク量子コンピュータを包み込むと、バイテクタイムトラベル装置がタイムトラベル設定を読み込んでいく。
「調査に行ってくる」
振り返ったユウの足元で、バイテクペット兎兎は居住まいを正すように、お尻をバイテク床につけ両前足を揃えて胸を張った。敬礼するようにユウを見上げる。
親指を立てたユウは、バイテクタイムトラベル装置に向き直った。だが、ふと顔を曇らせる。後ろ髪を引かれる思いになったのだ。
――バイテクペットの特性である優れた知性を持つ兎兎は、既に事情聴取のリストに挙がっているだろう。ポリスがここへ来た時、兎兎一人で心細くないだろうか?
「僕は大丈夫。ユウは任務を果たして」
ユウの気持ちを察知したバイテクペット兎兎が、勇ましい声を上げた。
思わずユウは振り返りそうになったが堪えた。バイテクペット兎兎の顔を見たら、泣いてしまいそうだったからだ。
「カスミソウ。バイテクタイムトラベル装置のタイムトラベルを作動」
自らの士気を鼓舞するように声を張り上げたユウの指示通りに、バイテクタイムトラベル装置である巨大なハスの蕾は花開いた。その巨大な花弁をかき分けて進んだユウは、中央に位置する花托状の寝台に横たわり目を瞑った。それを感知した巨大な花弁は、ユウを包み込んで閉じ、蕾になった。
バイテクペット兎兎は視線を落とし、バイテクタイムトラベル装置を支える短くて太い茎を見詰めた。その茎から、一本の長い葉柄が伸びた。その葉柄に、左右交互で段違いに小葉が付いていく。小葉の枚数は過去に遡っている年数で、深い眠りについたユウの記憶ゲノムが、設定した到着年月日に向かっていることを示している。
記憶ゲノムが到着すると、設定した死骸の脳の記憶ゲノム領域に入る。そして、記憶ゲノムが死骸に順応すると、葉柄の先に頂小葉が付き、その葉に帰還年月日と帰還時刻が刻まれる。それから、意識が死骸で目覚めると、頂小葉の先に花が咲く。ユウの花はカスミソウだが、まだ花は咲いていない。遡っている途中だからだ。
バイテクペット兎兎は、葉柄に付いていく小葉を見ながら、識別バイテク量子コンピュータに指示を出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます