21XX年 第五話
「ポリス会議の議題は、危険分子の対策」
日本吉備バイテクドームのポリストップの声が、まだ何も表示されていない画面から聞こえてきた。年配だが張りのある声だ。その声の後、画面枠の全ての蕾が、一斉に分化していく。
あっという間に、全ての蕾が個々のヒトの顔に分化した。だが、顔付きは皆、無表情だ。これらの顔は発言する時にだけ、その声調から内面を捉え、喜怒哀楽の表情になるからだ。
「バイテク社会になってから一世紀、このような事態に陥ったのは初めてのこと」
前置きするポリストップの画面枠にある白髪の顔の表情は、穏やかに話した声とは裏腹に硬く険しい。
「日本吉備バイテクドームの監視システムからの観測データでは、危険分子の感染発症地点はB地区V九Qにある施設、日本四季バイテク建築樹木のバイテク案内コンピュータで、そこに繋がるバイテク菌糸から感染発症は広がった。だが、ポリスバイテク量子コンピュータの回答は違っていた」
何も表示されていなかった画面に、観測データの感染発症日時と感染発症地点の名称が表示された。次に、ポリスバイテク量子コンピュータが回答した感染発症日時と感染発症地点の名称が表示された。上下に並んで表示されたものを、ユウは前のめりになって凝視した。それと同時に、画面枠がざわつき始めた。
「現にここで、今日起こった出来事だ」
「なぜ過去なのだ?」
「ありえない」
思わず声を発した者たちの画面枠にある顔が、驚きの表情になっている。
日本四季バイテク建築樹木は、自然区域の季節に合わせ、バイテクで作られた四季折々の花や紅葉などを愛でることができる施設だ。そこが観測データの感染発症地点だが、ポリスバイテク量子コンピュータの回答は、自然区域にある瀬戸内海の島が感染発症地点となっているのだ。そして、感染発症日時は、観測データもポリスバイテク量子コンピュータの回答も月日と時刻は同じだが西暦が違い、観測データは現在である21XX年で、ポリスバイテク量子コンピュータの回答は一世紀前の20XX年となっているのだ。
「なぜこのような齟齬が生じているのかも含め、今までにない異常事態の為、バイテク量子AIムサシに直接アクセスを行う」
ポリストップがこのような決断をしたのは、メインに位置するバイテク量子AIムサシが、このような回答を出しているからだと分っているからだ。
ポリストップの声が響いた。
「アヤメ。バイテク量子AIムサシに直接アクセス」
アヤメはポリストップの識別バイテク量子コンピュータの基本形植物だ。
通常は、バイテク量子AI制御プログラムの理由から、バイテク量子AIに直接アクセスはできない。だが、喫緊で重大な事件の時には、ポリストップだけがバイテク量子AIに直接アクセスできる。
「声紋と識別バイテク量子コンピュータを認証しました」
画面に文字が表示された。これは、ポリストップの声紋と、ポリストップの識別バイテク量子コンピュータを認証したということだ。ユウがアクセスしている訳ではないのに、ユウが見ている画面にも文字が表示されたのは、この画面がポリス会議そのものだからだ。また、ポリスバイテク量子コンピュータで進んでいた会議から、バイテク量子AIムサシで進む会議に移行する為でもある。
「ゲノム認証が必要です」
画面が切り替わって文字が表示された。映像はないが、ポリストップの識別バイテク量子コンピュータから蔓が伸び、蔓先がポリストップの地肌に突き刺さっているだろうと想像がつく。その蔓先は、蚊の口器の遺伝子が発現した針となっている。
「ゲノムと識別バイテク量子コンピュータの一致を確認しました。ゲノムを認証しました。バイテク量子AIムサシにアクセスします」
画面が切り替わって文字が表示された。暫くして、画面が切り替わった。
「アクセス完了。移行完了」
文字が表示されるや否や、ポリストップの凛然とした声が聞こえきた。
「ムサシ。危険分子の状況を報告せよ」
これを受けて思わず声を発した画面枠の顔が、待っていたと言わんばかりの表情になった。危険分子は変異し続けているというのに、状況報告は止まっていたからだ。
「危険分子はバイテク菌糸からバイテク培養地に感染発症しました。危険度九十五パーセント」
何も表示されていない画面から、バイテク量子AIムサシの声が聞こえてきた。バイテク量子AIムサシの声は、中年の男性だ。だが、声調は殆ど無い。表情に現すと、無表情になるだろう。
「バイテク培養地に感染発症したということは……」
ポリストップの考え込むような声が聞こえてきた。それと共に、画面枠のポリストップの顔が渋面になった。バイテク培養地は、バイテク菌糸の周りにあり、バイテク菌糸の修復などをしているからだ。
「ムサシ。予測できることを伝えろ」
指示を出したポリストップの画面枠の顔は緊張している。
「危険分子の変異を止められない為、あらゆるところに感染発症していきます」
「ムサシ。ヒトにも感染発症するということか?」
「ヒトにも感染発症します」
バイテク量子AIムサシの答えに、驚きの声を漏らした画面枠の顔がぎくりと強張った。
「ムサシ。ヒトへの感染発症率が高い地区から順に、ヒトを誘導し、隣のバイテクドームへ避難させよ」
「実行します。観測データの感染発症時刻から現時刻までの変異。それから予測される変異。あらゆる面からのシミュレーション結果から、該当順にそれぞれの地区バイテク量子コンピュータに割り振ります。所要時間は九分。その後は、地区バイテク量子コンピュータが、バイテク量子コンピュータと連携し、ヒトを誘導します」
所要時間を伝えてきたのは、この間は指示を受けられないと、バイテク量子AIムサシが伝えているのだ。画面に所要時間のカウントダウンが、秒単位で表示されていく。
「避難指示が出た地区に住むポリスは、速やかにポリス会議から退席……」
ポリストップの言を最後まで聞かずに、声を上げる者がいた。
「私はB地区に住んでおりますが、ポリスである私は避難する気はありません。その場合は、どのようにしたらよろしいのでしょうか?」
感染発症地点があるB地区は、最初に避難指示が出ると、誰もがもう知っている。ポリスは各自宅で指示を受け、個人で動いたり、指示された場所に集合して動いたりしている。
「避難指示を受け入れないというポリスは、ここに集合せよ」
ポリストップが言ったこことは、ポリスバイテク量子コンピュータがあるポリスバイテク建築樹木のことだ。ポリスバイテク建築樹木は、バイテクドームに一つしかない。また、ポリスバイテク建築樹木にポリストップの自宅がある。
ポリスバイテク建築樹木は大抵、バイテクドームの中央にあるハブバイテク建築樹木の隣にある。また、バイテクドーム政府も、ハブバイテク建築樹木の隣にあり、重要な施設は皆、ハブバイテク建築樹木を中心とする同心円状に並んでいる。
バイテク量子AIムサシは、ハブバイテク建築樹木の中にある。だから、非常事態に陥った時には、ハブバイテク建築樹木と重要な施設だけを堅固に隔離することができる。
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