第七話◇グルメを巡る刻


「今日はこれでお茶を入れてくれない?」


 主様が持ってきたのはサモワールですね。

 確か寒い地方の喫茶用湯沸し器。


「雰囲気を出したいから、木炭に松かさを燃やしてお湯を沸かしてね」

「かしこまりました。ではお菓子はハルヴァにプリャーニキを作りましょう」

「解ってるねぇ」


 主様が雰囲気を出したいと仰せなら、サモワールのある地域のお菓子でなければなりませんからね。

 分隊に思念通信、ハルヴァとプリャーニキを作成してください。ひまわりの種は在庫にありましたっけ? ちょっと確認してください。


「主様、お読みになった本にサモワールが出て来ましたか?」

「そのとおり。それでひとつ作ってみた」

「料理もの、グルメものですか?」

「料理が主題のものでは無かったけれど、食事の描写があってね」


 私は以前からの疑問を主様に聞いてみます。


「グルメものの物語ですが、料理の作り方やレシピ本というわけでもありませんよね。料理を楽しむというなら実際に食べてみればいいのに、何故それを本で読むのでしょうか?」

「料理そのものの話では無くて、その料理に関わる人達の話になるから。ひとりで食べるよりは皆で囲んで食べる方が美味しい、ということらしい。実際の料理を味わうのでは無く、雰囲気を味わうというものだ」

「食事の雰囲気を楽しみ、栄養の補給を娯楽に変えるのですね」


 さっそくサモワールでお湯を沸かします。お茶に入れるジャムはイチゴにしましょうか、リンゴにしましょうか。

 主様が椅子に座り足を組みます。


「味覚というものは本来、身体に必要な栄養素が含まれるものを美味しいと感じ、身体に悪いものを不味いと感じるもの。毒や腐敗を判別するためのものだ」

「人は身体に悪いものでも美味しいと食べるようですが?」

「そこが料理の妙だね。ピーマンの嫌いな子供がいる。ピーマンは苦くて食べられないと。これは正常な反応で、ピーマンにはアルカロイド系の毒が含まれている。それが苦味の原因」

「ピーマンは毒ですか」

「ピーマンに含まれている程度の量なら、心臓の薬にはなるか。その毒素が分かるからピーマンを嫌いな子供がいる」

「大人になると食べられるようになるみたいですが」

「口内の味蕾が減少して味に鈍くなると食べられるようになる。老化の一種だよ」

「身体に取り入れるものの判別器官、それが子供の頃は鋭敏だということですね」


「味覚というのは身体を作る食料を選ぶものだからね。こんな話がある。ガン患者が医師に余命半年と言われた。患者の家族は残りの余生を患者の好きにさせたいということになり、患者の欲しいものを聞くと『マグロが食べたい』と言った」

「死ぬ前に好きなものを食べたいというものですか」

「ところがそうでも無い。その患者はもともと魚よりは肉が好きだった。だけど、マグロやカツオなどを食べたいというので、家族は好きなだけ食べさせることにした。そうすると、余命半年と宣告されていたのに1年以上生きた。後の研究で赤身の魚にガンの進行を抑える成分が見つかった」

「身体に必要なものが本能で解ったということですか。なかなかやりますねその患者」


「人は体質や感情に合わせて味覚も変化する。他にも、船から投げ出され救命ボートに漂う男が、その味覚を大きく変化させたことがある。生魚を食べる風習の無い地域の出身なんだが、魚しか食べるものが無くて魚を煮て食べながら漂流していた。やがて身体の栄養素の欠乏から、魚の目玉がとても美味しそうに見えるようになった。試しに生の魚の目玉を食べると、とても美味しかった、という」

「ビタミンの欠乏から味覚が変化しましたか」

「知識は無くとも本能が、身体が理解したのだろうね。調理とはその本能をごまかすための手段でもある」

「本能をごまかしてどんな得がありますか?」

「どんなものでも、身体に悪いものでも美味しいと食べることができるようになる」


 サモワールで沸かしたお湯で紅茶を淹れます。微かに松かさの焼けた匂いと炭の匂いがします。


「調理というのはそのまま食べると身体を壊すものを、なんとか食べられるように加工するための技術。ちゃんと調理すれば木の皮も藁も泥も食べることができる。調味料の種類が豊富であらば味覚も騙すことができる」

「食料不足でも無ければ味覚を騙す理由が思いつきません」

「技術が進み食料不足が解決する時代には、代わりにひとつの問題が現れる。食料への信頼性だ。消毒、農薬、保存料、添加物、成長促進剤による促成栽培、遺伝子改造、クローン食材、ホルモン剤投入で病気になる家畜の肉、大量生産のための重金属混入、ブランド品の偽装と、飢えることは少なくなり食料が豊富にあっても、安心して食べられる食料が少なくなる」

「人は簡単で便利なものが好きですからね。その結果に公害があったとしても」

「そうした食への不安がある時代には、安心できる本当の食事がしたいという潜在的な要望が高まる。これがグルメブームの下地になる」

「メシテロは食への不安を解消するための物語ですか」

「実際のところ、ホルモン異常を起こした家畜の肉を食べ続けることで、男性でも母乳が出るようになったり、女性は乳ガン、子宮ガン、卵巣ガンが増えるのだけど、それでも1度手に入れた便利さは手放せない」

「その危険性を調理の工夫と調味料で、人の味覚に気づかせないようにするのが料理人の腕の見せ所になるのですね」

「そういうこと。安心して食べられる食品ならば余計な調理は味を損ねる。肉もいいものは塩を少しつけるだけが1番美味しい。加熱しないと食べられないもので無ければ、そのまま生で食べるのが旨い」

「調理したものを食べるのに慣れたがために、内蔵を鍛える機会を失ってしまいましたからね。人も昔は肉を生で食べていたというのに」

「カモシカの腸を生で啜って食べる民族がいたね。他にはリスを生でボリボリ食べる民族もいた」

「美味しいものを食べようと調理技術を発達させて、その結果に内臓は弱くなっています。調理のために燃料を使うのも、やり過ぎれば資源の無駄使いですね」


「大量生産に大量消費はそこで利益を出そうとするとけっこう危ないことになる。冷凍肉に注射器で水を入れて重量を増やしたり、ミンチ肉に学校の給食の残り物のパンをミキサーにかけて、混ぜて量を増やしたり。そんなアイデアが横行する」

「自分で獲物を捕まえて自分で捌けば、そんな不安を抱えることは無いでしょうに」

「どこだったかな、世界大戦のあと肉屋が人を拐って人を解体して、人の肉をソーセージに混ぜて売っていたのがいたろう。映画の題材になった事件の」

「見知らぬ他人に食を任せれば、何を食べさせられるか解らないということですね」

「そこに信頼というものが必要になる。信頼と値段と手軽さを天秤にかけて、生き抜くためには意外と知覚の鋭さと本能が必要になる」


 分体がおやつを持って来ました。出来立てのハルヴァとプリャーニキです。主様は笑顔で手に取ります。


「もちろん君たちを信頼しているから、安心しておやつが食べられる」

「私=私達が主様におかしなものを食べさせる訳が無いじゃないですか」


「技術が発達して作られた調味料なんかはけっこう凄いよね。グリシンなんて究極の調味料じゃないか」

「たしか長寿効果がある、といわれる物質ですよね?」

「水分が抜けて酸化した古米でも、白い粉末グリシンを混ぜて炊けば、新米のようなツヤと食感がでる。1週間前に炊いた米でも、レンジで温めれば店で客に出してもバレないというのだから、まるで魔法の粉だ。防腐効果もある」

「ごまかすことには熱心になりますか。そんなのが広まっては真面目にお米を作ってる方がやる気を無くしますよ」

「グルメものはこういった素材にはあまり拘らない。調理方に注目はするけどね」

「素材をちゃんと調べたら、知りたくも無かったことを知ってしまうからではないですか? 知らないままなら美味しく食べられると」

「マンボウを鯛といって出しても、ウミヘビをアナゴといって出しても、意外と気づかれないものだからね」

「赤マンボウはマグロと味が似てますよね」


 主様と私と分体の二人、四人でテーブルを囲んでおやつタイムになります。サモワールで入れた紅茶にジャムを入れて、ハルヴァとプリャーニキをいただきます。

 分体のひとりが口を開きます。


「主様と一緒にお茶をするだけで、いつもより数倍美味しくなりますね」

「やはり雰囲気が重要か。そんな実験結果もあるね。全く同じ料理なのにひとりで食べるときと、友人と一緒に食べるときでは、味の評価が変わるっていう」

「そんなに変化するものですか?」

「試してみようか?」


 主様がハルヴァを手に取って一口サイズに千切ります。何を試すのでしょう? 主様を見てると指に摘まんだハルヴァを分体の顔の前に差し出します。


「はい、あーん」


 ……あーん? 主様があーん! 主様が手ずから分体にあーんして食べさせる?! なんですかそれは?! 分体! 今すぐ私と代わりなさい! 分体! 何を顔を赤くして目を潤ませているのですか! すぐに今の体感情報を重要情報として共通記憶にセーブしなさい! 分体! 分体!!


「い、イタダキマス、あーん」


 ぶ、分体が、分体の口が主様の手のハルヴァを! しかもついでといわんばかりに主様の指をはむはむしてますね! 主様の指先を唇で蹂躙してますね! 口の中でなにしてくれてるんですか! 不敬! 不敬です分体! 私と代わりなさい!! 

 あ、あ、主様の指先が分体の唇からちゅるん、と抜かれて指先から唇に唾液のアーチが、ぶ、分体、リーダーの私を差し置いて主様の指先はむはむ……。おう……、どうしてくれよう……。

 主様は小首を傾げて分体に問い掛けます。


「どう?」

「とても美味しかったです。天にも昇る気持ちです……」


 顔を赤く染めてプルプル震える分体……。くぅ……。

 主様、あーん。私にもあーん。あーんしてください、主様。主様ぁ。

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