第八話◇もふもふ死すべし
主様が読んでいる本をパタンと閉じて、どこか遠くを見るような顔をしておられます。
「もふもふ、かぁ……」
主様の呟きに思わず落としそうになったポットを慌てて掴み直します。
もふもふですと?
主様を見ると目をつぶり何やら夢想しておられる様子。口許が薄く微笑んでおられます。
私は内心の動揺を隠して、
「主様、お茶のお代わりはいかがですか?」
「あぁ、頼むよ」
主様のカップに紅茶を注ぎます。主様の微笑みに不安を感じて聞いてみます。
「もふもふ、ですか?」
「あぁ、もふもふ、いいよね」
戦慄です。恐怖です。私=私達は頭部に毛が生えていますが、それ以外は全身無毛です。頭頂部からは獣耳が生えていますが、もふもふというからには主様がお求めになるのはきっと長毛種。
分体の耳を思い出してみても、猫、犬、狐といろいろなタイプの獣耳が生えていますが、首から下は無毛でもふもふというものはいません。
主様がもふもふを求めている?
私=私達以外の従僕、又は愛玩動物をお作りになるというのですか? もふもふが求められていますか?
私=私達は用済みですか? 主様の寵愛をもふもふな獣に奪われるというのですか?
でも主様が私=私達に飽きたと仰せになられたら、いったいどうすればいいのですか?
何が悪かったのですか? 毛ですか? 毛なんですか? 毛がもっさもっさしてないとダメなのですか?
こうなれば分体を改造して長毛種に、全身毛ダルマに、主様の愛玩動物の座は私=私達のもの。
「いや、その、泣きそうな顔をしないで欲しい」
主様が困った顔をなされています。
私は頭を下げます。
「申し訳ありません主様。もふもふですね? 今すぐに分体を改造してもふもふにしますので、しばらくお待ち下さい」
「ちょっと待って、落ち着こうか」
主様が私の手を掴みます。
「何か勘違いでもした? 君たちをデザインしたのは己で、その造形は気に入ってるからおかしな改造はして欲しくないのだけど」
「ですが、主様がもふもふを求めておられるようでしたので」
もふもふ、私=私達には無いもの。癒しの代名詞、毛の長い、愛玩動物。
お、おのれ、もふもふ。
殺シテヤル。
主様の寵愛は私=私達のもの。主様のペットの座を奪うというなら、許しはしない。私=私達は全力で迎え撃とう。もふもふよ、決死の覚悟を見せるがいい。私=私達は最後のひとりまで死兵と化して――
「ちょっと、その、怖い顔をしないで欲しいんだけど」
「申し訳ありません主様。気が昂ってしまいました」
「えーと、今読んでいたのは、もふもふな獣人の男と、婚期を逃してやさぐれる魔女の異類婚姻ものの、ほのぼの日常系なのですが」
「主様、どうして敬語なのですか?」
「なんとなく。もふもふという言葉が何かは、は具体的には説明されてはいないが、おそらく毛の長い獣に顔を埋めたり、指でその毛を弄んでの肌のふれ合い、スキンシップで心を癒す行為のことと推測される」
「肌のふれ合い……、指でワシャワシャスキンシップ……。ぬ殺……」
「怖い顔しないで」
「毛ですか? 毛がないとダメですか? 毛はそれほど重要なのですか? 手触りですか? 匂いですか? そんな毛などただの飾りです! ですが主様が求めるのならば、生やしましょう! 毛を!」
「生やさなくていいから、落ち着こう」
主様が両手を伸ばして私の頭の獣耳に触れます。指でつまんで獣耳の内側の敏感なところを親指でコショコショとされると、力が抜けていきます。ふあぁ、くすぐったい。
「もふもふが癒しとなるのは、ペットを可愛がるのと同じといえば同じ。違うと言えば違う」
「どっちなのですか?」
「ペット、つまり獣に癒しを求めるという点で実はかなりの問題がある。ペットが飼えない環境で暮らしていて、日常的にストレスがある生活をしている」
「それで癒しを求めると」
「癒しを求める対象が同じ種族の人では無くて、獣であるということ。つまりこの人物のストレスの原因が人であるということ。人から受けるストレスの解消に人外を求める、というのはどうなんだろうね?」
「その時点で
「繊細な人間は傷つきやすい。人の言葉で傷つく脆い精神ともなれば、言葉は心を切り刻む刃物と同じ。となるとその心を慰めるのは言葉の通じない獣となる。アニマルセラピーというのは人間への恐怖、人間への不信の裏返しになる」
「なるほど、もふもふ愛とは人間不信から出る病理なのですね」
「人間とは何か、知れば知るほど、飼っている猫が愛しくなる。と言った詩人もいる。だが、人は社会的な生物であり群れで生活する生き物でもある。その精神の根源には同じ人を求める気持ちがある。しかし人によって傷つけられた、と感じると人間不信や人間嫌いを発症する」
「相反する感情を抱えることになるわけですか」
「そこでペットやもふもふを求めるならばマシな方だろう。言葉への不信と嫌悪を募らせると、喋らない異性を求める
「なんというか、種としての婉曲な自殺のようですね」
「違いない。遠回しな同族への復讐ともとれるね」
「そうなると、猫カフェの流行も人の種の絶滅願望に比例するということになりますね」
「けっこう当たってるんじゃない? 少子化が問題になる都市で流行してるし。そんなわけで自分を傷つける心配の無い、信頼できる、そのうえ人では無い獣と思う存分戯れる癒しがもふもふなのだろう」
「それが獣を対象とする性愛欲求に進化したりするのでは?」
「つまり、もふもふの最上位行動は獣姦であると?」
「最も深く結び付く行為がそれであれば」
「そこまで追求する求道者は限られるんじゃないかな」
主様はソファに座っておられます。私は主様に手招きされて床に座り主様の足の間におります。
先ほどから主様は私の気を沈めようとしてくださるのか、頭の獣耳を手で触っておられます。くすぐったいけど気持ちよいです。
これも、もふもふでしょうか?
「人として言葉を解しつつ、獣のような純粋さを併せ持つ獣人や、人型にして人では無い種族が出てくる物語は、人の人間不信を解消するための物語、なのかもね」
「経済が発達し
「特殊詐欺で年寄りが溜め込んだ貯金を奪い、社会に還元することを、現代に甦った義賊と言う者もいるからね。行きすぎた経済社会への不信からスローライフを要求する思いも高まるわけだ」
「しかし、その頃には弱体化し家畜のようになった人間には、自給自足に戻る力もありません」
「だからこそ物語が増えるのだろうね。電気の無い生活に戻ることができれば、原発の問題も解決するだろうに」
「主様が夢から覚めたのであれば、未来のことを夢想できる人も少ないでしょう」
「そこまで繋がってたはずは無いんだけどなぁ」
主様が私の脇の下に手を差し込み持ち上げます。え? 何をなさいますか主様?
「さて、飼い主としては不安を感じたペットのご機嫌をとらないとね」
私をソファに座らせて、頭を手で押して私の身体を横に倒します。
これは、この体勢は、もしかして――
『分体より全私=私達に緊急連絡! リーダーが主様の膝を枕にしています! 繰り返します! 緊急連絡! リーダーが主様の膝枕!』
分体の慌てた思念通信が響いて、全私=私達が今の私に緊急アクセス。リアルタイム共感で今の私の感覚を、この、主様の膝枕を感じています。
みんなまた仕事を放り出しましたね。
おぉ、主様、暖かいです。頬を擦りつけて主様の太股を堪能します。あぁ、主様の膝枕、至福……。
主様が私の耳に顔を近づけます。
「近くにいる分体、耳掻きセットを持ってきてくれないか?」
主様の指示に分体のひとりが大慌てでハンカチに耳掻きを持ってきます。
え? まさか? 嘘ぉ?
「耳掻きセットをお持ちしました」
その分体が主様の前に膝を着きます。
『ただ今より主様の目前にいる私が視覚映像を最重要記録として録画を開始します』
あのですね、私=私達。
『リーダーより全私=私達へ。重要な仕事を任されている分体は作業中断による不備が無いようにしなさい。場合によっては作業に戻るように。ちゃんと共通記憶に保管するので心配しないでも大丈夫です』
『はぁ? ですがリーダー、もしも分体のひとりが主様の膝枕で主様に耳掻きされるとしたら、リーダーならどうします?』
『その分体に強制アクセスかけてリアルタイム共感します!!』
『ですよね』
あぅ……、
主様が耳掻きを丁寧に拭きまして。
「分体みんな準備できたみたいだね。じゃあいくよ」
主様の手に持つ耳掻きが、わ、わたっしのっ、み、耳のあ、穴にぃっ! ひあっ! はぁあっ!
「はい、動かないでねー。膝を掴んでもいいから」
主様のお言葉に甘えて主様の膝頭にしがみつきます。こ、これぇ、刺激的ぃっ! 痺れる、震えるぅ! ふぁっ! 声が出てしまいますうっ!
「人耳ふたつに獣耳ふたつだから、合計四ヶ所だね。ひとつひとつ丁寧にいこうか」
よ、四ヶ所……。意識が持つのでしょうか。もう何処かに飛んでしまいそうなので、ふぁあっ! ひぅっ!
「綺麗にしてるみたいだから、あんまりする必要無さそうだけど。せっかくだし、じっくりとしてみようか」
じっく? ぅあっああっ! これが癒し? 癒しというのですか? これをほのぼの日常系と呼ぶにはなんだか刺激が強いような? もう、もう、なにか出てしまいそうな? 漏れ出てしまいそうなっ!? はぁうっ! 主様ぁ!
「くりくりくり、と」
ぴ? ひうっ! くふぅっ!!
「主様ぁ……、あ……」
「はい、動かないで我慢して。このへんを、こしこしこしこし……」
ふぁー! ぶるすこ! ふぁー!!
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