第九話◇ファンタジーください
主様が本を読んでおられます。ソファに足を伸ばして寛いでいます。本を読みながら微笑んでおられるので、楽しいものなのでしょう。こういう主様も可愛らしくて良いですね。
「主様、同じ作者の別のシリーズをお持ちしました」
「あぁ、ありがとう」
「これはファンタジーですか?」
「そうだね。賢者の振りをした詐欺師が、村の人を騙して暮らしているところに本物の賢者が現れる。詐欺師は本物の賢者に出会い、そこから二人は旅をすることになるんだけど、なかなかいいね」
「ファンタジーというと、魔法や妖精ですか?」
「不思議なもの、おかしなもの、それと出会うとき人はその在り方を試される。今読んでいるこれも、もと詐欺師が言葉を解する魔獣の仔を育てたり、蛇の化身の少女と出会うことで、人と世界の在り方に思いを馳せるようになっていく。人の生き方在り方を浮き彫りにするのはファンタジーの得意分野かな?」
「そういう区別なのですか?」
「区別でいうならファンタジーは大きく分けて二種類、例外を加えると三種類になる。ひとつは
「出だしから風景描写が長く出てくるものですね」
「それは
「読書が庶民の旅行の代わりですか」
「そういうこと。時代が進み旅行が庶民でもできるようになり、テレビや映画で外国の風景を見ることができるようになると、風景の描写は短く省略されるようになる。マンガなどが普及すると出てくるのが
「科学が進み不思議が少なくなった時代のものですね」
「そうなるね。その現実に妖精や精霊、不思議な世界の住人が迷い込み人と出会う。又は主人公が不思議な世界に迷い込む。現実と地続きの幻想物語が
「3つめの例外というのは?」
「
「ナンセンスファンタジーですか。なんだか凄い名称ですね」
「もともとは『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』のためだけの分類なんだよね」
「ファンタジーというと魔法や妖精の、なんでもありの世界、という幻想文学ですよね」
「それはどうかな? 異なる世界、異なる歴史、人間以外の知的生物、そんなところであっても人は人として存在する。人の哲学、人生観、ものの考え方、人としての在り方、それらをまるで違う環境の中で問題点を浮き上がらせて問い掛ける。寓話的なものを表現するのにファンタジーは適している」
「子供向けの童話に近いのですか?」
「童話というのはいい表現だね。歳をとってから言うには些か気恥ずかしいことを、物語としてファンタジーにくるんで言うには都合がいい。友達を大切に、とかね」
友達、友達ですか。しかし、
「私=私達にも主様にも友達はいないのでは?」
「今のは例えだよ。でもそうだね、宇宙には同格の存在もいるけど、出会えば戦いになるからなぁ。人のように分かりあうことはできないね」
「そこは人の真似をすることも無いのでは?」
「群れで生きる人にとっては同族との繋がりが必要。その部分を見つめ直す物語がファンタジーなのかな?」
「異なる世界で好き勝手自由にしてるのもありますけど」
「それはそれで人の願いの形のひとつ。その結果に何が起きるかをどう受け止めるかを問われる訳だ」
「現実には他の世界に行ける訳でも無いのに、ここでは無い世界を夢想しますか」
「それを思い描いてしまうのが人だからね。その想像力が彼らの世界を作る。三千世界とはよく言ったものだ」
「分岐世界の枝葉のことですか?」
「人の言う世界の数が三千世界なのだと。なんでも世界が千集まって小千世界。小千世界が千集まって中千世界。中千世界が千集まって三千大千世界、なのだと」
「千の三乗数の世界がある、という概念ですか。それだけあれば個人の望みを叶える世界があるかもしれませんね」
「なに、既に人の数を越える世界はあるさ。彼らが作った物語を入れれば」
現実幻想含めて人の数だけ世界はあると、傲慢ですが真理ですね。私=私達には主様のおられるこの世界ひとつで満ち足りますが。
「人はなんのために生きるのか、人が生きるとはどういうことか。そこを追求する思考実験として異なる世界というのは使いやすい。主人公をポンと放り出してその行動を観察するのもおもしろい。シミュレーションというかゲーム的なおもしろさになるけど」
主様はそう言ってまじまじと私を見ます。
「あの、主様? 試しにひとつ世界をでっち上げてそこに私を放り込もうとか、考えてます?」
「剣と魔法とドラゴンの世界に君を入れたらどうなるかな?」
「主様のいない世界など必要ありません。滅ぼします。私を捨てないで下さい」
主様、想像でもそんな恐ろしいことを考えないで下さい。主様がいなければ私は生きていけません。
「あぁ、ゴメンゴメン。泣かないで」
他の世界なんて要りません。ずっとお側に置いて下さい、主様。座り込み主様の足を抱き締めます。不敬ですがお許しを。
「あー、落ち着くまで好きにしていいよ」
主様の膝に頭をグリグリと押し付けます。主様の体温、主様の匂い、ほぅ、ようやく胸のざわめきが治まってきました。
「主様、ファンタジーには人以外の知的種族がよく現れますよね」
「そうだね。エルフやドワーフなんていう種族とか、言葉を解する妖精、精霊、魔獣とか」
「現実には肌の色が違う、目の色が違うというだけで争いあうのに、物語の中では仲良くしたりしてますよね」
「現実には上手くいかないからこそ、物語の中ではなのか、それとも種の違いをテーマに己と姿形の違う人との共存を訴えているのかな?」
「実際にはできもしないことを物語で解消しますか」
「現実では上手くいかないからこそ、だろうね。その罪が神に赦されたとき、白い肌の人間に生まれ変わることができる、なんて宗教を信じてる人もいる。この宗教では肌に色が着いているのは罪人の証らしいよ」
「その考え方の方がよほどファンタジーなのですが」
肌の色など刺青で簡単に変えられるでしょうに。肌の色と言えば。
「エルフと言えば肌が緑色で肌で光合成をする種族ですよね?」
「あぁ、それは作品ごとによって違う。いろいろ考えて変えてるものが多いから、あっちの本のエルフとこっちの本のエルフは、エルフはエルフでもそのエルフとはエルフが違うエルフだよ」
「エルフはそんなに種類が増えましたか」
「人気のあるものは仕方が無いか。エルフを脱がす物語やエルフを乗り回すような物語もあるね。ホムンクルスのような扱いのものもある」
エルフ凄いですね。手広くやってますね。
「最近ではゴブリンやオークが主人公というのもあるか」
「憎まれ役が主人公になることもあるのですね」
「憎まれ役ならではの苦悩がドラマになるね。それにそういったものは昔からあるよ。カフカの変身は主人公がムシだろ?」
なるほど、虫や猫が主人公の思考実験のような話はけっこうありますね。我輩はなんとやら。
「人間以外の種が主人公というのは、人がこれまで気がつかなかった視点を提供するという興味がある。種の特徴が出るとおもしろいね」
「特徴で言うと、吸血鬼が心臓に杭を打たれると死ぬ、というのがありますね」
「たいていの生物は心臓に穴が開いたら死ぬんじゃないかな」
「それではトロールは日の光を浴びると石になるというのは?」
「それはまた古典だね。最近はそういうトロールは見かけないけど」
「ノームにはクリティカルヒットが種族特性で無効なのですよね」
「これはまたマイナーなものを引っ張ってきたね。あれだとノームは即死無効でウサギにもニンジャにも強かったか」
「宇宙に行って歌を歌うノームがいましたよね」
「シェ〇ル=ノームは銀河の妖精だけど、たぶん土の精霊ノームとは関わりが無いと思うよ」
「私としてはスーパーシルフという名称がカッコいいと思います」
「あれはSFでしかも戦闘機、なに? ボケの練習?」
「私では主様の娯楽にはなりませんか?」
「まぁまぁ、おもしろかったよ。それでいうと己は大気の妖精の名前を冠する肌に優しいティッシュは、いいネーミングだと思うね」
「あれは肌に優しくふんわりと宙に浮きますからね、流石です主様」
「ファンタジーというのは想像力があれば何でもアリともなる。一方で、他の世界から現実を風刺するものもある」
「風刺ですか。寓話が子供向けならば、風刺は大人向けのファンタジーですか」
「内政もの、というのが流行った時代もあるけれど、あれこそ現代に対する風刺だと思うのだけれど」
「内政チート、ですか? 大規模農業が大規模自然破壊になるとか、民主主義を可能にする土台には奴隷と植民地が必要とか、都合の悪いところを無視してるようにも見えますが」
「そこを含めて、いろいろと造り直すことを見つめ直そう、という風刺とも取れる。違う視点から物事を見ようとなれば、大胆な発想で産み出されるものが、許される世界観がいい」
「大胆な発想、ですか?」
「飛びすぎると読者がついて行けなくなるから、バランスにリアリティが難しいところかな? これなんて、雷に撃たれたかかしが自我を持って、一人の少年を従者に旅をする、かかし卿の物語だ」
「かかしですか?」
「エルフやドワーフという異種族もおもしろいけれど、かかし卿やブリキの木こりなんていう知的存在も生きているのが、ファンタジーのおもしろいところだろう」
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