第十話◇推理します、犯人はこの地球上にいます
主様が椅子に座り、読書をしておられます。少し難しい顔をしておられます。
「主様、推理小説ですか?」
「あぁ、定番の密室殺人だ」
「以前から疑問だったのですが、密室であれば自殺に見せかけるようにするのが、隠蔽には良いのではないでしょうか?」
「密室自殺なら誰でもできるかな? 密室殺人という結果を見せつけつつ、犯人は捕まりたくは無い、というものだろうか」
「その場合、目的は復讐ですか?」
「そう考えられるよね。他には他人に罪を擦り付ける算段がある、のかもしれない」
「自分が捕まらないための計画に自信があるのですね」
「その自信を見せつけて『解けるものなら解いてみろ』という挑戦状かもね、密室殺人とは。他には誰かに解決されることが目的というのもあるか」
「仕掛けた謎を解かれることが目的なのですか?」
「謎を解かれることが次の仕掛けの発動になる、というのもアリじゃないか? 特に誰かに濡れ衣を着せることが目的となれば」
「密室殺人とは、殺人が罪となる社会でこそ生まれる物語ですね」
「全ての人の心から殺意を消せない以上、捕まらずに誰かを殺せる手法には魅力がある。反面、どのような手練手管を用いたとしても、悪人には正当に裁かれて欲しいという願いもある。死後、悪人は地獄に、善人は天国に、というのも人が善悪には相応の報いを、という願いだろう。そこに名探偵が現れるのは現実の中で謎が解かれ、人の手で正しく罪には罰を、という希望なのだろう」
「名探偵で無ければ解明されないのですよね?」
「人はほとんどが愚かなものだけど、稀に賢いもの、パズルや謎を解くのに特化したものがいる。彼らが活躍するには、彼らにしか解けない難問が用意されないといけない」
「推理物語とは人のパズルゲームの一種ですね」
「パズルかクイズのようでもあるか。現実には真犯人が裁かれずに無罪となることも多い。逆に無実のものが犯人とされて冤罪で有罪となったりね。悪を為したものにはそれに相応しき罰を、現実の中で人の手で。そう願う思いが推理、裁判、弁護士や警察刑事の物語を作り出してゆくのかもね」
「現実では不可能な、人の不備を物語で解消しようと?」
「法で全てを裁くのは不可能だし、人の作る法に間違いもある。ふむ、ひとつクイズを出そうか。あるところに完全犯罪を目論む男がいた」
「はい」
主様は紅茶を一口飲み、唇を湿らせます。クイズの文を整理しておられるようです。
顎に手をあてる仕草も素敵です、主様。
「その男は飛行機に乗り旅行に出かける」
「飛行機旅行のある技術レベルの時代ですね」
「そうだね。一般庶民でも頑張れば国外旅行ができる、ということにしておこう。その男はいかにも旅行者という姿で飛行機に乗る。飛行機は男を乗せて飛び立つ」
「飛行機はその男以外の乗客は?」
「ほぼ満席ということにしておこうか。その男以外にも乗客は多数乗っている。彼らが事件の目撃者、となるね」
主様のお言葉を脳内で映像でイメージしてみます。飛行機、旅行、乗客、完全犯罪を目論む男。
「その男は飛行機が飛び立ってから、しきりに腕時計で時間を確認している。飛行機が空港から飛び立ち、かなりの時間が過ぎた頃、男は腕時計で今の時間を見て立ち上がる。いよいよ決行の時だ」
飛行機の中で立つ男、飛行中の飛行機の中で起きる事件ですか。これはこれで密室ですね。
「その男は客室乗務員のひとり、女性で胸の大きい客室乗務員の背後に足音を忍ばせて近づく。客室乗務員が気配に気がついて振り返る前に、ガバッと背後から女に抱きついた」
「それは飛行機内部のどこですか?」
「客室の通路で、他の乗客が見ているところだ。男は客室乗務員の女に背後からしがみつく。女は暴れるが男のほうが腕力があって逃げられない。男はそのまま女の大きなおっぱいをわしづかみにした」
「おっぱいをわしづかみですか?」
「それが男の目的だからだ。客室乗務員のおっぱいを思う存分モミモミと揉んで撫でて触りまくった。やがて異常に気がついた他の客室乗務員と乗客が、興奮する男を女から引き剥がして押さえつけた」
「男は暴れましたか?」
「客室乗務員のおっぱいから引き剥がすと、男は大人しくなった。これが男が起こした事件の一部始終だ」
「その男の目論む完全犯罪とは痴漢ですか?」
「その通り。この飛行機が着陸したあと、男は警察に逮捕された。しかし、無罪として釈放された。男が目論んだ完全犯罪は成功した。完全痴漢というわけだ」
「完全痴漢とは初めて聞きました」
「さて、何故この男は無罪となったのか? これがクイズだ。ちょっと考えてみてくれ」
完全痴漢が無罪となるトリックの解明ですか。主様の話を聞いていた分体が思念通信してきます。
『主様、その男が権力者で犯罪を揉み消したのでは?』
犯罪とおっぱいを一緒にモミモミしたのですか?
主様が応えます。
「その男にはなんの権力も無い。航空会社や旅行会社の上役でも無い。ただの一般人だ。貴族王族といった特権階級でも無い」
更に別の分体が思念通信。ちょっと、私=私達、仕事しなさい。私経由でみんなで主様のお話を盗み聞きしてましたか?
『主様、その客室乗務員の女がグルで、乗客全員に対するドッキリ企画、又は痴漢を目撃した人の反応を観察する実験だったのでは?』
「客室乗務員の女と男は知り合いでもグルでも無い。女は男を見たのがこれが初めてだ。男の方はこの女を見たことがあり、以前から狙っていた。女の勤務状況を調べて、女がいるこの飛行機のチケットを買った。飛行機の中にはテレビカメラも無くテレビクルーもいない。男に協力者はいなくて、この男の単独犯だ」
ひとり痴漢の旅ですか。おっぱいを揉むことだけが目的ですか。ふむふむ。
次々と分体が思念通信で考えたことを喋ります。私と主様の語らいを私にアクセスしてリアルタイムで共感したがるのが多いです。仕事の邪魔にならなければいいんですけど。
ちゃんと仕事してますか? 私達?
主様は分体の推理にひとつひとつ丁寧に応えられます。
更に集まる情報を並べて考えます。
完全痴漢、移動中の飛行機の中、目撃した乗客多数、着陸後官権により逮捕、その後無罪放免、単独犯、痴漢以外の目的では無い、男の目的は純粋に客室乗務員の大きなおっぱいモミモミ。
分体のひとりが尋ねます。
『実は痴漢が罪とはならない国だったのでは?』
「痴漢は犯罪で、罰金や禁固刑などの罰則がある」
ん? 主様の応えに引っ掛かるものを感じます。
「痴漢が犯罪とその法に示されているのですね?」
「その通りだよ」
痴漢は犯罪。犯罪は法で裁かれる。しかし男は無罪放免。法で裁かれなかった、法で裁けなかった?
「飛行機はどこを飛んでいたのですか? 陸上ですか? 海上ですか?」
「飛行機の航路は陸上だよ」
男は飛行機が飛び立ってから、しきりに時間を気にしていた。それが時間では無く、飛行機が今、何処を飛んでいるのかを気にしていたのならば。
移動時間で飛行距離を計っていたのならば。
「男が痴漢をした時、飛行機は国境線を跨ぐところを飛んでいたのでは?」
主様はニヤリと笑います。そのままおいでおいでと手で招くので主様に近寄ります。
主様は私の頭に手を置きます。
「流石だね、正解だよ」
主様が私の頭に置いた手を優しく動かします。おぉ、主様のご褒美ナデナデです。うっとり。
「正確には飛行機が飛んでいたのは県の境目だった。飛行機の中で起きた痴漢事件。どちらの県の条令で裁いていいか解らなくなって、その結果、男は無罪で釈放された」
「男はそれを知って利用したのですね」
「そういうこと、人の作った法なんてこの程度のものだ」
細かくゴチャゴチャ書いてても、肝心なときに役に立ちませんね。
「人の社会では悪事を為したものが無罪となることもある。ときにこれが必要悪ともされる。反面、人には正しさを求める気持ちもある。群れとして社会を成り立たせるためにね。そのために悪人を見つけて吊し上げて晒し者にするのも、人の娯楽となる」
「社会と人の思いが相反する、それを解消するのが推理物語ですか」
「真実と正義を追求するところも推理もののおもしろみだね」
「それで複雑で奇妙な謎解きが増えるのですね」
「ただの複雑怪奇な謎を探偵役が解くだけでは、パズルゲームの解き方解説のようになってしまう。それはそれでおもしろいけどね。解決できない事件を迷宮入りと言うように、事件を迷宮と見立てるとおもしろい。名探偵は迷宮の出口を求める探索者となる」
「冒険活劇になるのですか?」
「ちょっと違う。犯人の作り上げた事件という迷宮。それが犯人と事件に関わる人の心という迷宮とリンクするとき、推理ものはグッとおもしろくなる。名探偵は事件の謎とともに、人の心の闇を覗き暴くことになるから」
「人の心理分析となるわけですか」
「隠された真実を追い求め、全てが解明されたとき、事件に関わる人の心理もまた暴かれる。人の業や社会の闇が見えるところにドラマがある」
「識ることで人の善悪を見定め、社会を良くしようという人の願望でしょうか」
「おそらくね。だから考えることを諦めず、知恵で解明しようという風潮では推理ものは人気がある。考えることをやめて理解不能なものをただ盲信する時代には、推理ものは流行らない」
人間は考える葦といいますからね。考えない人間はなんというのでしょうね。
「推理ものは読者に一定の水準の理解力、思考力を要求するから、難しくて解らないという人もいるだろうけどね」
「主様が今、お読みになっているものは? 何やら難しい顔をして読んでおられましたが」
「これかい?」
主様は手に持つ本を掲げます。
「トリックそのものはさほどでは無いのだけど、探偵役の行動がちょっとね」
「探偵役が事件を解明して終わりなのでは?」
「そこに続きがあった。犯人は家族を殺された復讐に密室殺人を計画して人を殺したんだけど」
「復讐ですか。殺された人物が悪人だったのですか?」
「そうなる。そしてそいつが無罪として安穏と暮らしていることが、犯人には我慢ならないことだった。トリックが解明されて犯人は殺人を認め、滔々と殺人の動機を、復讐の正統性を訴えた」
「解決編ではありがちでしょうか。犯人の動機が語られるというのは」
「探偵役がその犯人に同情しちゃったんだよ」
「はぁ?」
「探偵役が見つけた密室殺人のトリック、それを探偵役が犯人に同情して、その不備を補って完全犯罪に仕立て直してしまったんだ」
「探偵役が共犯者になってしまったのですか?」
「そうなんだ。で、犯人は『密室殺人に仕立てたのは、まだ家族の仇がいるからだ。そいつを殺すまで捕まるわけにはいかない』と言う。それを聞いた探偵役が『解った。俺も手伝おう。これまで俺が解決してきた事件のトリックを応用して、その敵討ちを応援しよう!』となるんだ」
「……斬新な推理小説ですね」
「次の巻はいったいどういう話になるんだ? 探偵役が共犯者になってしまったら、次の事件を解決するのは誰なんだ?」
「これはこれで後味の悪い事件ですね。おっと、推理小説の締めのような発言をしてしまいました」
「この小説だと探偵役が『俺たちの事件はこれからだ!』と言って終わるのだけど……」
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