第十二話◇恋愛というタイトルの戦争


「主様、続きの3巻から最終巻の4巻をお持ちしました」

「ありがとう、そこに置いてくれ」


 主様はいつものように椅子に座り、本を読んでいます。


「恋愛ものですか?」

「あぁ、今はこれがおもしろい。映画監督を目指す学生男子と、学校を中退した奔放な女優の卵、周囲の都合でひき離されそうになり、さてここからどうなるか」


 恋愛もの、というのは私=私達にはイマイチどこがおもしろいのか解りません。いえ、他のジャンルでも同じような感想なのですが。

 私=私達は主様のために存在し、それ以外はわりとどうでもいいから、なのかもしれません。

 私=私達は主様のお好きな本を集めるのも仕事なので、主様の好みを把握するのも必要ですが。

 主様は乱読家なのでその好みというのが解りません。ジャンルを問わず本ならなんでも読むお方です。

 ありとあらゆる物語をお読みになります。


「主様、お茶のお代わりはいかがですか?」

「あぁ、頼む」


 ティーポットにお湯を入れ茶葉が開くのを待ちます。その間、疑問に感じたことを主様にお尋ねします。


「主様は恋愛をされたことがおありなのですか?」

「無いよ」

「それでも恋愛を扱った物語を楽しめるのですか?」


 主様は、ふむ、と息を吐いて読んでいる本をパタンと閉じます。私は頭を下げます。


「読書の邪魔をして、申し訳ありません」

「いや、かまわないよ。恋愛経験が無ければ恋愛小説が楽しめ無い、ということであれば、野球の経験が無ければ野球の小説は楽しめない。ボクシングの経験が無ければボクシングのマンガは楽しめない。戦争で従軍した経験が無ければ戦争を題材にした映画を理解できない。超能力バトルの経験が無いと超能力バトルのアニメはどこがおもしろいか解らない、となってしまうね?」


 そういうことなのですか? なにかはぐらかされたような気もします。


「これは言い方がイジワルだったかな? つまり特別な経験が無くても想像力があれば、どのジャンルの物語でも楽しめる、ということなんだ。その経験があればより入り込みやすい、というのもあるけどね。だから物語としておもしろければ、シュバレッティに青春の全てを賭けて挑むレグナン族の若者の、成功と挫折、努力と友情の熱いドラマも楽しめる」

「想像力と理解力、が大事だということですか。しかし、恋愛というのはどうにも私達には理解し難いものです」


「それは私もだよ。だからこそ楽しめる、というのもある」

「左様ですか」

「恋愛の発生する条件としては、まずその種族にオスとメスがあり、交配することで子孫を残すこと。個体の寿命が短く、種族が生き残るためには、優秀な遺伝子を持つ個体が交配し、子を成す必要があること。それが当たり前の世界でなければならない」

「私=私達には性別というものは無いのですが」

「それを言うなら、己は億年と越えて存在する不老の身で、やろうと思えばひとりで子を作ることもできる。ツガイというのも必要は無い。つまり私や君達には恋愛感情というものは必要無い。だから実感することも無い。思索と想像の先に理解はできるとしても、体験することは無いだろう」


 必要の無い器官や機能は退化します。種として子を成す必要も無く、悠久の時を生きられるならば、性別は無くなり子孫を作る機能も無くなりますから。

 ですが、


「私=私達には主様を敬愛する思いがあります。これは恋愛では無いのですか?」

「それは己が君たちを作るときに、主人である私に敬意を持ち、私に尽くすことを喜びに感じるように作ったからだよ」


 私=私達は主様に造られ主様のために存在します。私を造られた主様に深く感謝です。

 生み出していただきありがとうございます。


「では恋愛感情とはなんなのでしょう?」


 私の問いに主様は、ふむ、と腕を組み黙案します。思索に耽る主様のお姿は凛々しくて素敵です。


「恋愛感情は物欲のひとつ、所有欲の延長だろう。相手を自分の物にしたい、自分ひとりの特別にしたいという独占欲、エゴの一種、というところだね」

「なるほど、恋愛に略奪や監禁など強引な手法があるのはそのためですね。計略や策謀を練るのも我欲を満足させるためですか」

「加えて相手の特別なものになりたいという自己顕示欲。これは自分の認めた相手に自分もまた認められたい、というものか。自己存在理由を望む相手に補完して欲しいという願い。自己肯定を望む自信の無い者が落ちる罠のようなものか」

「それは私=私達にも当てはまりますね。私=私達は主様のために存在しますから」

「君たちは役に立ってくれているよ。助かっている」


 主様は微笑んで褒めてくださいます。私も顔が弛み主様のお言葉に礼を捧げます。

 今の主様の素敵な笑顔とお言葉は保存して、共通記憶に削除禁止で保管します。あとで私=私達でじっくりお楽しみします。


「他には相手の奴隷になりたいという被支配願望、従属欲というのもある。依存や共依存と言ったほうがいいか」

「偉大なる主様に身も心も捧げてお仕えすることは喜びです。それは理解できます」

「相手がその献身に応えられるのならばいいのだろうけれど」

「では、従属欲とは私=私達が主様に感じるものと同じでしょうか?」

「似てはいるが少し違うか。従者として仕えることが即、恋愛とはならない。身も心も相手に捧げる自分に酔う、という点と、相手の喜びを自分の喜びと共感する点には違いがある。確かそんな話があったか、賢者の贈り物とかいう」

「仕えるものとして己の分をわきまえぬことが恋愛ですか?」

「なかなかいいところを突くね。身分違いの恋物語は多い。障害が多いほど盛り上がるところは多い。それにこれはこれで硬直化するシステムの階層を混ぜ合わせる文化的英雄トリックスターの役割がある」

「恋愛感情とは身分差のある社会の変化を望む原動力ともなる、ということですか。もともと遺伝子が多様性を産み出すための交配、で、あるならば混ぜ合わせて混沌カオスを作るのが恋愛ですか」


 それならば、恋愛とは様々な具を混ぜ合わせたシチューのように、混沌としたものになるでしょう。なるほど、恋愛物語が関係がごちゃごちゃしたものになるのもそのためですか。


「ということは、人の社会が完成し変化を望まない、となれば恋愛は減少するのですか?」

「技術水準、社会水準が一定のレベルに達すると少子化という減少が起きるのは、そのためかもしれないね」


 システムが固定され、変化や改革を望まなくなったとき、個体数が減少する理由のひとつがこれですか。


「独占欲というのは少し解ります。独占欲の暴走から嫉妬が派生するのですね?」

「この場合の嫉妬は、生物として種の繁栄のために出てくるものだろう。恋愛の結実は優秀な遺伝子の確保と子育てとなる」

「それならば優秀な遺伝子の持ち主は浮気を推奨されるべきでは?」

「浮気を許さないという思いは、ファミリーの限られたリソースを自分の子育てに向けるために発生する。子孫を残すための資源の奪い合い、ということであらば小さな戦争というところだろうか」

「なるほど、浮気の果てに陰惨な結末となるのも、戦争となれば致し方無いですね」


 このあたりはオスとメスの役割の違いというのも、大きな要因ではないでしょうか。種蒔きを領分とする者と、畑を耕し作物を育てる者の仕事の違いでしょうか。


「つまるところ恋愛とは、優秀な遺伝子の確保の為の戦闘好意、その後の子育てのための資源確保が目的の戦い、ですか」

「ところがこれが簡単に結論の出るものであらば、これほど恋愛物語は生まれていない」

「結論は出ないと?」

「どうにも人は、こと恋愛においては結論よりもその過程をこそ重要視する。シチュエーションを楽しむ、シーンを堪能するという面がある。過程の中にある個人の願望、それが叶えられぬ現実への苦悩、不意に理想の叶う望外の喜び、そこに悩みがあり苦しみがあり喜びがあり悦楽がある。そこにドラマがある」

「結果は重要視されないのですか?」

「失恋、悲恋、という結末に至っても、過程こそが重要で物語としておもしろくあればいい、となる。人にとっては現実ではままならぬからこそ、理想を求めて物語が増えるという」

「恋愛物語が多いほど、理想の結婚は少なくなるということですか」

「現実と理想の解離が開くほどに、というべきか。ただ生きるのに必死な状態であれば、恋愛などは雲の上の別世界のことだろう。避妊具の無い技術レベルであれば、結婚という制度など無くても子はできて増える。逆に技術レベルが高ければクローンという手段がある。そこに恋愛は必要無い」


「それでは、もともと人という種に恋愛は必要無い、と?」

「そこがおもしろくないかい? 種として増えるだけなら必要の無い感情。だが、病気に強く賢く頑健な遺伝子を探して奪い合うところに、恋愛が生まれる。見た目が良い、というのは不具合が少ないということだ。モテる者には理由がある」

「それだと生まれつきモテるモテないは決まっているのですね」

「そこを知恵と工夫で補うのが人だ。自分を優秀な遺伝子の持ち主と見せかけるために様々なことをする。化粧、経歴、資産、などなど。これは詐偽のようなものだが」


「資産と地位と権力で、醜い男が美しい妻を手に入れる、というものですか」

「経済が一定の水準に達していれば、異性を落とすのに最強の殺し文句がある。『私は実家がお金持ちだから、働かなくてもいいんだ。君は何か欲しいものある?』これで落ちない異性はいない、という時代がある」

「そのような恋愛小説は見たことが無いのですが」

「本来の恋愛から見れば邪道だからだろう。そこに現実と理想の解離がある。愛も恋もその心から生ずるものであり、それを評価するのもまた心。地位と財産は付属のものであり、当人の心根とは無関係」

「と、いうことにしておけば、誰もが恋愛物語の主役になる可能性はある、となりますね」

「そこがこのジャンルがずっと人気がある理由となるね。誰もが対象となる理由のひとつが遺伝子の要求だ。遺伝子には不具合を解消するため、自分に無いものを取り入れようとする傾向がある。分かりやすい例だと、背の高い者は背の低い異性に惚れやすいとか、ポッチャリさんは痩せてる異性に魅力を感じたりとか」

「感じる魅力がそれぞれの個体で変わるということですね。それに応えようとすれば、なるほど恋愛物語が大量にできることになりますね」


 逆に言うと魅力を感じるものというのは、当人が不足しているもの、欠落していると感じるもの、欲しがっているものとなりますか。


「恋愛など無くても結婚も子育ても可能。恋愛に拘り過ぎた文化は晩婚化したりもするが、生物が子孫を残すために不随する快楽やお楽しみが恋愛。子孫繁栄を願う種ならば恋愛感情はあるのだろうね」

「人以外の虫や鳥や魚にも、ですか?」

「文字にして残せるのは人だけになるけどね。とは言っても私も未だによく解らないからこそ、こうして読んでいるのだけど」

「私=私達には弱く愚かな者の感情や思考は理解できても、同意同調、実感はできませんからね」

「そんなことは無いぞ? 頑張れば同調くらいはできるようになる」

「そうなのですか? 流石は主様です。では私も恋愛物語を読んでみることにします」

「趣味に合わないものを無理に読むことは無いけれど」

「今、主様がお読みになっているものは?」

「これがなかなか面白い。ヒロインが学校の部活の中で起きた事件がもとで高校を中退したのだが、その事件の顛末を聞かされて、しかも誤解している主人公。彼がヒロインへの思いで苦悩して、今、二人はすれ違っている。主人公の誤解は解かれないまま、ここにきて主人公にはヒロインを使ったCM撮影の仕事が来て、二人はギクシャクしたまま撮影に入るのだが――」

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