第二十九話 曽根川冬華のゴールデンウィーク。(不穏)
こちらに近づいてくる曽根川さんを見て、赤髪が口を開く。
「……冬華。違うんだ、こ、これは……その、お、俺はお前の為に」
「はぁ?」
明らかにドン引きの様子の曽根川さんは俺に気付き、駆け寄って来る。
「佐藤君!」
「ぁ、うぇ? しょ、しょねがわしゃん?」
彼女は俺の近くにやってくると、僅かに息を飲んだ。
大方、俺のボロボロの姿を見て驚いたのだろう。
「な、なんで……、どうしてこんなになるまで反撃しないの?」
は? 何言ってんの?
無理に決まってるじゃん。
俺っち、ただの陰キャでっせ?
不良相手に喧嘩とか、妄想の中でしかできまへんわ。
しかしそれを伝えようにも口の中が痛いでやんす。
もぉおお、泣きそうなのぉおおおお!
「もしかして、私のため……?」
んぇ? にゃにが?
沈黙していると、曽根川さんがポツリと呟いた。
「裕司が私の知り合いって言ったから、手加減してくれたの?」
「ッ! オーガてめぇ! お、俺は、俺はお前と真剣勝負がしたいんだよ!」
憤怒の様子の裕司君。
ちょっと待って、ちょっと待ってって!
もう意味が分かんないの!
キミたち俺を置いて話を進めないでよ!
大体俺オーガじゃないですしおすし。
でも口が痛くて言い訳もできない。ぴえん。
「裕司、アンタ一体何考えてんの?」
困っていたら曽根川さんが会話を進めてくれた。ラッキー。
そうだよ、お前は何がしたいんだよ!
「お、俺は……俺はッ! このクズからお前を救いたいんだ!」
「……え?」
「……うぇ?」
困惑の俺と曽根川さん。
「こいつは二股をするようなクズだ。だから……だから、俺が冬華をこいつから救い出すッ!」
ちょ、え? ちょっと待って?
そんな疑問を口にする間もなく、顔面を殴られ後ろに倒れる。
痛い。
「佐藤君! ……裕司。ふ、二股ってどついうこと?」
「こいつは――オーガはお前と付き合っていながら別の女とデートしていやがった!」
……えぇ、なにそれ。知らない。
というか、曽根川さんという彼女が居ながら浮気する人類などいるのだろうか。
考えられない。
だって曽根川さんって可愛くて料理も出来て、それでいてなんかこう、何というかこう、優しいんだもの。
全く意味の分からない言葉の数々は、しかし、ちらりと曽根川さんを伺うと顔を真っ青にしていらっしゃる。
どういうこっちゃねん。
「……なるほど、そう言うこと、か」
だからどういうこと?
一人で納得しないで欲しい。出来たら俺にも教えて欲しい。今のご時世、報連相は大事だよ? もっと情報を共有しようよ。
「私、佐藤君に謝らなきゃいけない」
「……」
何で?
「私、裕司に佐藤君と付き合ってるって、そう言っちゃったの」
何で?
「お、おい、てことはまさか……」
「うん、佐藤君とは普通の友達。だから、別の人とデートしてようが、私とは無関係」
「は、はぁ?」
困惑の裕司君。だが、それ以上に俺も困惑している。
つまりは、曽根川さんが裕司君に対して『私、佐藤君と付き合ってます』と言って、それを聞いていた裕司君は先日の阿知賀さんのデートを目撃して、どういうことだ、と逆上した、と。
それで、白黒つけようと、俺に決闘を申し込んできたわけだ。
まるで意味が分からんがおそらくそんな感じだろう。
これ以上のことは彼と彼女の関係性を知らない都合、推し量りようが無いしな。
しかし二人は一体どういう関係なのだろう。
どうして、俺がボコられるような結末になったのだろう。
口の中の痛みもだいぶ引いてきたし、ちょっと尋ねてみようかしら。
「え、えっと、その、お二人はどういう関係で?」
その質問に答えたのは、曽根川さん。
「……元カレと元カノ」
おっと、そう言うの止めて欲しい。
何だか無性に胸のあたりがチクッとするからやめて欲しい。
俺は処女厨ではないけれど、何だかこう、モヤっとする。
チューとかしたのかなとか考えると、モヤモヤが収まらない。
これが俺の妄想ならいいのだが、他人の口から聞くとリアリティが有り余るから童貞陰キャにはハードルが高いんよな。
「って言っても、付き合ってから会ったのは一回だけ……それも、最悪な形で」
「?」
そうして曽根川さんは話しだした。
ゴールデンウィーク最終日のことを。
†
私、曽根川冬華には彼氏がいた。
中学の卒業式に、告白してきた裕司だ。
それまで、好きな人すらできたことのなかった私は、当然の如くそれも断るつもりでいた。
しかし、出来なかった。
彼は、クラスメイトの前で告白してきたのだ。
それでいて周りの男子や女子も囃し立てている。
つまり、そこには『断れない空気』が存在したのが。
意図したことなのか、偶然の産物なのかは知らないが、外堀を埋められた時点で、私に選択肢は一つしかなかった。
告白を了承し、しかし、それ以降会うことは無かった。
春休みは独り暮らしで引っ越す準備に忙しく、連絡が来たら返す程度。
新学期が始まっても、お互いの学校のこともあるし、私に至ってはバイトもしていた。
だから必然的に会うことは無くて——私は思った。
これ以上、付き合っていたとしても意味がない。
形から入ることで、恋愛感情というものを抱くかもしれない、とも思ったが、形にすら入れないのなら意味がない。
私は彼にメッセージを送った。
『別れよう』
と。
電話などで話すよりも淡泊な印象御覚えるように、ただ、その一文だけを送った。
しかし、彼はいつまでも食い下がり——ゴールデンウィーク最終日に、一度だけ会えないかと、そう言ってきたのだ。
気持ちは変わらない、とだけ伝え、私は彼に会うことにした。
そしてゴールデンウィーク最終日、会ってそうそうに腕を掴まれ、どこかへと連れていかれる。
離すように言っても聞く耳を持たず、だからと言って力強い彼を振りほどくこともできない。
「ねぇ、放して」
「いいから、いいから来い!」
荒っぽい仕草に、語調。
恐怖心が腹底で発芽する。
そうして彼に引っ張られて連れてこられたのは、所謂ラブホテルの前だった。
「いや、無理だから」
「大丈夫だ」
「いや、いやだって!」
私は思いっきり裕司の足を踏みつける。
そして全力疾走。
電車に飛び乗り家に帰る。
恐怖で自然と涙が零れ落ちる。
身体が震える。
家に入って玄関に錠をして、布団に包まる。
暫くそうしていると、メッセージが飛んで来た。
『悪い、どうかしてた。だからもう一度話せないか?』
気持ち悪い。
私は吐き気を覚えた。
『警察には言いませんので、もう連絡してこないでください』
そうして、彼との関係は完全に切断できた——はずだった。
なのに、なのに……っ!
†
「裕司は、どこから聞きつけたのかバイト先にまで押しかけてきて——そんな時、佐藤君が近くにいて……それで」
曽根川さんの表情はとても暗い。
何を思っているのか、その感情を推し量ることは俺には出来ない。
裕司君への恐怖か、俺を巻き込んだことに対する後ろめたさか。
とにかく、俺が思ったことはただ一つ。
裕司君、無理やりはダメだよ。
ちらりと彼の方へと視線を向ける。
すると彼は俯いたままこぶしを握り締めており——。
「……んだよ、それ。そんな風に、思ってたのかよ。俺は、俺はただ、くそ、この糞アマ。くそくそくそッ!」
「……ッ!?」
バッ、と顔を上げたかと思うと、彼は勢いよく拳を振り上げて、迫って来る。
俺は咄嗟に顔を庇おうとして——いや、違う。
狙いは俺じゃなくて——ッ!
「死ねぇああああああッッ!!」
絶叫と共に放たれた怨嗟の一撃は、正確に曽根川さんを捉えていた。
だが、当たらない。
何とか寸でのところで彼女を庇う様に身を前に出す。
そして、彼の全体重の乗った一撃が俺の顔面に抉り込み——。
「がぁっ!」
「きゃぁ!」
勢いを殺しきれずに曽根川さんともみくちゃになりながら地面を転がる。
「ハァ……ハァ……ッ! ……っ!? く、くそっ」
自分のしでかしたことに気付いたのだろう。
彼は大慌てで踵を返し、人目を気にするようにしながら夜の闇に消えていった。
何とか、なったか?
「ご、ごめん曽根川さん、大丈……ぶっ!?」
上体を起こしながら、気付く。
左腕に、何だか柔らかい感触。
視線を向けると……、何というか、うん。
曽根川さんのおっぱいを俺の左腕がそっと掴んでいた。
あ、あわわわわわ。
「ご、ごめ、ごめんなさい!」
慌てて手を退けると、曽根川さんは起き上がり、俺に捕まれていた方の胸に手を当て——それからもう一度俺を見て、一言。
「えっち」
伏せ目でそっと、呟いた。
なにそれ、滅茶苦茶可愛い。
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