第二十二話 初めての――。(平穏)

 映画館に行って俺たちが見たのは深夜アニメの劇場版。

 特に下調べもしていなかったらしいが、偶然放映されていたらしい。


 二人揃って見終わり——グッズコーナーでクリアファイルとパンフレットを購入する程度には非常に面白かった。


「クリアファイルって、買うけど使わないから凄く溜まるよね」

「わかる」


 阿知賀さんの言葉に同意を示す。

 好きなアニメの奴とか、買った後どうしようってなる。


 そんなことを話しながら駅まで歩く。

 時刻は午後五時前。


 映画を見終わってからもカフェでお茶したため、だいぶ時間が過ぎていた。


 しかし、おかげで阿知賀さんともだいぶ打ち解けられた。

 少なくとも、短い言葉のやり取りだと緊張が無くなり、噛んだりドモったりすることが無くなった。


 これは大きな一歩ですねぇ。


「っと、ごめん。ちょっとトイレ行ってくる」


 映画館でジュース、カフェでお茶と続いたため尿意を催した。


 近くのコンビニでトイレを借りて、手を洗うとき、鏡を見る。


 そこに映るのは、何だろう。いつもよりキラキラした自分だった。


 髪型も、当初は似合っていないと思ったが、こうしてみると切ってよかったと思えて来る。

 今の自分を評価するのなら、中の下だろうか。

 服装のシンプルさが、逆にいい感じに思える。


 これは、単純に阿知賀さんに感謝だな。


 彼女が居なければ、こんな感慨を抱くことも無かっただろう。

 少しだけ乱れていた髪の端をちょいちょいと整えてから、阿知賀さんの元へと戻る。


 すると——。


「ねぇねぇ、一人?」

「これから飲みに行くんだけど、どう? まぁ、飲むだけじゃあ済まないかもしれないけど、ギャハハッ」

「あ、あの……」

「ちょ、センパイ。直球過ぎっすよ。ビビってんじゃないっすか」


 三人のガラの悪い男が、阿知賀さんを囲んでいた。


 何でこう、この地域は不良が多いんだよ。

 すでに不良と接敵するのも三回目。

 しかもすべてここ一週間以内の出来事である。


 意味が分からない。

 頭脳が大人な名探偵が殺人事件を呼ぶように、俺も不良を呼んでいるのだろうか。


 呆れ半分に彼らに近づく。

 因みにもう半分は恐怖。

 普通に怖い。だって殴られたら痛いじゃんね。


 でも、ここで阿知賀さんを見捨てるなんて論外。

 しかしどうやって助けるか。


 案外話せばわかってくれる人だったりするのだろうか。

 俺は周りをきょろきょろと伺い見る。

 うん、人も多いし、無くはない話だろう。


「あ、あの、その、その子俺の連れ何で」

「あぁ?」「何こいつ、キモ」「ん……!?」


 三者三様の反応を拝見し、次に阿知賀さんに視線を向ける。

 彼女はぽかんとした表情で俺を見ていた。


「なので、失礼し、します」


 噛みながらも阿知賀さんに近付き、彼女の手を取って立ち上がらせる。

 そのまま駅に向かおうとして——。


「おいおい、待てよ」「ありえねぇってお前みたいな陰キャがよぉ。ヒーロー気取りですかぁ?」「あ、あのセンパ……」


 最後の一人が、突っかかって来る二人に何かを言おうとしている。


 というか彼——確か、曽根川さんの知り合いだと言われた人じゃないだろうか。

 あの特徴的な赤い髪には覚えがある。


「んだよ裕司」「黙ってろって」


 裕司と呼ばれた赤髪の彼を黙らせ、二人が近付いてくる。

 俺の後ろでは阿知賀さんが怯えるように袖を握ってきた。


「さ、佐藤君」


 なにこれ、めっちゃ萌えるんですけど。


「イきってんじゃねーぞ、陰キャがおらぁ!」


 二人の内一人が大きく振りかぶり、俺の顔面を殴打しようとして——しかしその手は後ろから赤髪に止められた。


「んなっ、裕司なにを!」「そうだぞ! 何してんだ」


 驚く二人に、赤髪は焦った声で吠える。


「こいつは『オーガ』っすよセンパイ! 関わったら、殺される……っ!」

「あぁ? 何言って――」

「いいから! センパイ、俺より喧嘩弱いんっすから、言うこと聞いてくださいよ」


 声を震わしながら語る赤髪を見て、突っかかってきた二人は何かを察する。

 俺は全く分からない。


 『オーガ』って何ですか?


「……チッ、行くぞ」「裕司の顔に免じて今回は勘弁してやるよ」「…………」


 去っていく三人。

 わけわかんねぇが、何とか助かった……のか?


「はぁ、はぁ……」


 と、後方で過呼吸になりしゃがみ込む阿知賀さん。


「大丈夫?」

「う、うん……怖かった、けど……ありがとう」


 額に汗をかき、笑みを浮かべる彼女は、どこか痛々しかった。


 俺たちはそのまま駅に向かい、電車に乗る。

 行きとは違い、互いに無言。


 二人座席に並んで座りながら、窓の外に視線を飛ばす。

 ガタンガタンと揺れる電車。


 駅の名前を読み上げる車掌の声が響き、阿知賀さんが、立ち上がった。


「私、ここだから」


 俺の最寄り駅はここからさらに二駅行った先である。


「送るよ」

「いいよ、別に」

「俺の家もここから近いから」

「……うん」


 電車を降りる。


 この駅はあまり人が下りないのか、ホームは閑散としていた。

 改札を抜けて彼女の横に並ぶ。


 何と声を掛ければいいのだろう。

 勢いで着いてきたが、キモがられてはいないだろうか。


 ぐるぐると、頭の中で様々な思いが駆け巡る。

 空は茜色が薄くなり、あと三十分もすれば夜の帳が下りるだろう。


「佐藤君」


 名前を呼ばれる。


「なに?」

「ごめんね、今日は」


 何故、謝るのだろうか。


「何が?」

「いろいろ。散髪とか、カフェとか。迷惑だったかなって」

「そんなことは……うーん」

「佐藤君?」


 腕を抱えて悩みだした俺に、阿知賀さんが視線を向けて来る。


「まぁ、散髪は正直マジかって思った」

「あはは、そっか……」

「でも、さっきトイレに行ったとき、鏡を見て『おぉ』って思った」

「……」

「それにカフェとかいろいろ、あんまり行ったことのないところに行って……最後はちょっと変なのに絡まれたけど……でも、総合的には非常に楽しかったです、まる」


 いつもは心の中で思うことを、口に出して伝えてみる。


 すると彼女は、いつものジト目を向けて、向けて、向けて。

 薄く、微笑んだ。


「だったら、よかった。私も楽しかったよ」


 なら、よかった。

 安心していると、阿知賀さんは鞄から水筒を取り出し、傾ける。


 今日は基本的に飲食店や映画館に居た都合、出していなかったが、持ってきていたのか。

 その様子を見ていると、彼女はちょっと照れた表情で尋ねて来た。


「な、なに?」

「いや、こうやって出かける時に水筒を持ってくる女子ってアドだよねって……ハッ!」


 やば、心の中の声を口に出す、なんてことをしていたから、すんごい気持ち悪いことを口走ってしまった。

 俺は謝罪しようと向き直り——。


「……飲む?」

「え、あ、あぁ……い、いただきます」


 差し出された水筒を受け取る。

 水筒を傾け、中のお茶を一口。


 ほぅ、と息を吐き、空を見上げる。

 何といったか、この時間。


「ありがとう」

「う、うん」


 水筒を返すと、阿知賀さんはこくりと頷き、カバンにしまう。

 その表情は夕焼けを過ぎたにもかかわらず、朱色に染まっていた。

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