第23話 聖夜の2人 死闘編

「入って入って」


「お邪魔します……」


 アパートの前で俺から下車(?)した芽依さんの先導で、俺は未知の領域へ足を踏み入れた。

 ……まぁつまり、芽依さんの根城に上がり込んだわけだ。


「狭くてごめんね」


「うちより全然広いんですけど」


 靴を脱ぎながら観察する。たしかに聞いてた通りのワンルームだが、メインの生活スペースは広め……10畳はありそうで、玄関から続く通路のキッチンスペースも十分なサイズ感だ。


「ほぼ1Kって感じっすね。これで俺と同じワンルームとは思いたくない……」


 我が家はもっとこうキュッとしていて、生活スペースとクソ狭いキッチンが一体化した誰もが思い浮かべるワンルームだ。


「あはは。Kと1の間に仕切りがなければワンルームっていうのも残酷な定義だよね」


「芽依さんはこれから自分の家を語る時は広めのワンルームって表現してください」


「あはは。そんなん気にしてるのヨシくんだけだと思うよ。……こっち座って」


 うちより遥かに広いワンルームを恨めしく思いつつ、芽依さんに導かれるままローテーブルの脇に置かれたちっちゃなクッションに腰を下ろした。

 くつろぎたくもあるが、いつでも帰れるように上着は脱がないでおく。

 暖房を入れたりダウンをクローゼットにしまう芽依さんを横目に見つつ、それとなく部屋を見回してみる。


「……ふむ」


 ベッドとローテーブルとテレビ台と……極々普通の部屋構成だ。

 キャピキャピした感じはしないが、カーテンや布団のカバーはパステルグリーンで統一されていて清潔感もあるし、片付いていて綺麗ではあるのだが——


「けどなぁ……」


 その清潔感を台無しにしている存在が、ローテーブルの中央に鎮座している……吸殻山盛りの灰皿だ。

 女性の家に上がってきて『なんかいい匂いがする!』ってのはありがちだが……


「芽依さんの部屋めっちゃ煙草くさいっすね」


 ローテーブルの前に座る俺の後ろ側、ベッドの上に腰掛けた芽依さんを見返りながら正直な感想を述べた。


「随分ハッキリ言ってくれるじゃん。デリカシーって言葉知らない?」


「デリ……? すみませんあんまよくわからないですね」


「あはは、知らないんかい。ちゃんと勉強しなきゃダメだよー。うりうり」


 高い位置にいるのをいいことに、芽依さんが俺の背中を足蹴にしてきた。背中を縦横無尽に弄られ、くすぐったさから身をよじる。

 でもまぁわざわざ止めることでもないしされるがままにしてい——


「拒否らないってことはヨシくんは女に踏まれて興奮するタイプの人類?」


「そうじゃないんでやめてください」


「あはは。流石にそれで興奮するタイプのロリコンだったら救いようないもんね」


「どっちも違うって」


「あはは。……と、ヨシくんちょっとズレて」


 いつものロリコン疑惑にムッとしながら言われてた通りクッションごと横にずれると……


「んしょ」


 空けたスペースに芽依さんが収まった。肩が触れ合うくらいの密着した距離感で。


「……狭いっす」


「ここが煙草吸うときの定位置なんだもん」


「じゃあ俺が動きます」


「だーめ。一緒に煙草吸お?」


「別に移動したって吸えますって」


「んーん。この狭いエリア以外は禁煙です」


「その分煙になんの意味が!?」


「条例で決まってるからしょうがないよ」


 謎の条例まで持ち出して俺の移動を阻止しようとする芽依さん。

 正直今日は芽依さんとの距離が近すぎて色々と堪えるのが大変なのだが……


「……まぁ、煙草は吸いたいですしね」


「やったー」


 あくまで煙草を吸うためだと自分に言い聞かせて状況を受け入れる。


「まじで部屋でばかすか吸ってるんすね、換気扇の下とかでもなく」


「ん。回しっぱにはしてるしいつか換気されるでしょの精神だぁよ」


 お言葉に甘えて煙草をくわえ火をつけた。家ではベランダに出て吸っているからなんだか新鮮な感じがする。


「ふぅ……」


 吐き出した煙がワンルームを白く満たす。副流煙も含めてモクモクだ。

 穏やかな喫煙を楽しみつつ壁にかかった時計を見てみると、時刻はもう3時を回っていた。

 今日一日の疲れが表に出てきて、暖房が効いてきて暖かくなってきたことも相まってウトウトとしてくる。


「ゆっくりしていたまへ。私はシャワー浴びてくるからさ」


「はぁい」


「冷蔵庫の中になんか飲み物あると思うから勝手に飲んでもいーよ」


「はぁい」


「暇だったらゲームでもしててね。コントローラーそこに置いてあるから」


「はぁい。…………ん?」


 ヤニによるくらくら感と程よい眠気でぼんやりとしていた俺は何も考えずに返事をしたのだが……なんて?

 確認する前に芽依さんはクローゼットをガサゴソ漁ってから、キッチンのほうへ。しばらくするとガラガラと音が2度響く。

 俺の位置からは伺い知れないが……明らかに浴室の扉の音だろう。


「……まじか」


 混乱する頭を落ち着けるためにニコチンを吸引すると……割とすぐに状況を理解できた。


「まじか!?」


 俺は煙草をくわえたまま立ち上がり、早足でキッチン側の浴室前へ向かう。


「芽依さん!?」


「んー?」


 扉の向こうから聞こえるのは、芽依さんの声と衣擦れの音。

 すりガラス越しに見える芽依さんの輪郭はモゾモゾと動いている……


「おトイレなら我慢してね、うち風呂トイレ一緒の物件だから」


「じゃなくて!!」


「一緒にシャワー浴びたいの? いいよ、恥ずかしいけど」


「いやいやいや。そうじゃ——」


 なくて。と訴えかけようとすりガラス越しの芽依さんに目を向けると、先ほどより肌色成分が増えていて……慌てて目を背けた。


「お、俺これ吸ったら帰るんで! 後でよくないすかシャワー!」


「今浴びたいなー。労働でかいた汗をさっぱり流させてよ」


「じゃあもう帰るんで! 俺が消えた後にゆっくり流してください!」


「シャワー浴びてる女を残して鍵も閉めずに出ていっちゃうの?」


「ぐ……ぬぬ……」


 そう言われると確かに、万が一……億が一を考えると無用心な気がしてくる。

 俺が丸め込まれているうちに、扉の向こうからはシャワーの水音が聞こえてきた。


「ぐぬぬぬぬ……」


 この状況をよしとした訳では決してないが扉の前に立っているのも紳士的ではない。

 一旦クールに考えて判断するため、もといた位置に戻ってクッションに座り煙を吹かす。


「どうしてこうなった……」


 思い返せば今日は流石に流され過ぎた気がする。芽依さんに言われるがまま、おんぶしてここまできて部屋に上がり込んで。


「鋼の意思……」


 クリスマスイブの深夜、付き合ってるわけでもない女性の部屋に上がり込んで煙草を吸っている俺は一体なんなんだ。


「酷な話すぎる……」


 さっきは酒飲みたいと思ったけど、今は素面でよかったと心から思う。もし酔っていたら暴走していたかもしれない。

 ぺたぺた引っ付き、あまつさえ部屋にまであげるなんて。強硬手段が過ぎる……芽依さんは俺を獣に変えたいのか。


「耐えろ耐えろ耐えろ……」


 もはやお互い好意を隠せてなんていない。据え膳食わぬは……なんて言葉もある。あるがしかし……俺は自分でした決意を思い出す。


「あくまで清く正しく……流されるな」


 そうだ、俺は責任を取れる人間になってから芽依さんに想いを告げるんだ。だからこの流れに乗ってしまうのはよろしくない。


「そうと決まれば……!!」


 俺は勢いよく立ち上がりテレビの側へ向かって……そこに置かれていたゲームのコントローラーを手に取った。


「ゲームだ!!」


 今はこの危うい現実から目を背けろ。聖夜の空気に身を任せるな、一線どころか二線も三線も越えてこようとする芽依さんに負けるな!

 目一杯ゲームを楽しんで、それどころじゃない気分に自分を持ち込め!

 そんな気持ちで俺は、テレビとゲームの電源を入れるのだった。


〜〜〜


「クソが!!」


 数十分後。俺は画面に表示された『dead』の文字を見てブチ切れていた。この文字を見るのはもう何回目になるだろうか。

 芽依さんちのゲーム機に入っていたのはいわゆる死にゲーと呼ばれる類のアクションゲームだった。仄暗い雰囲気のファンタジー世界を冒険して数多のボスと死闘を繰り広げるやつ。

 幸い前作は少しやったことがあったので、手際良く新しいセーブデータを作り意気揚々と始めたところまではよかったのだが——


「最初からクソボス過ぎんだろ!!」


 開始して割と早い段階で戦うことになるボスに連敗して、コントローラーをぶん投げそうになっていた。


「全然楽しい気持ちにならない」


 一旦コントローラーを置き、煙草に火をつける。やはりイライラしたときはニコチンだ。


「ふぅ……攻略の糸口が見えん……」


 クールダウンした頭で考えても、憎きボスの倒し方がさっぱり思いつかない。

 大体、主人公キャラの身の丈くらいあるでかい剣をあんなに振り回されたら近づくことすら出来ないじゃないか。

 脳内で戦いをシミュレートしながら煙を吹かしていると……浴室の扉が開く音がした。


「あれ。まさかほんとにゲームしてるとは」


 芽依さんが出てきたようだ。……咄嗟に視線を向けてしまいそうになるが、踏み止まる。

 今日の芽依さんの攻め具合から考えるに、下手すると……際どい部屋着を着ている可能性がある。

 もしそうだったら俺は大ダメージを受けて理性を失うかもしれない。

 そうならないため、精神の対ショック姿勢を万全にしてからゆっくり視線を向けると——


「めっちゃジャージじゃん!!」


 くたびれた紺色のジャージを着た芽依さんがいた。それもよく見ると胸元に『美原』と刺繍が入っているし——


「めっちゃ学校指定のやつじゃん!!」


 際どい部屋着は!? やばいと思いつつ少しは期待してた面もあるのに!!


「あはは。ほんとはヨシくんに可愛い寝巻きでもみせようかと思ったんだけど……」


 芽依さんは首からかけたタオルで髪を拭きながらそう言って、


「よく考えたら部屋ではずっとジャージだから可愛い寝巻きなんて持ってなかったぁよ」


「詰めが甘すぎる!」


「でもまー、ヨシくんロリコンだから中学の頃のジャージ好きでしょ?」


「好きか嫌いかで言えば好きだけど!」


 大人になってもいまだに中学の頃のピッタリなところもいいし、物持ちの良さにも好感度しかないけど!


「あはは。好きならよしだよヨシくん」


 そう笑って、芽依さんはすたすたと歩み寄ってきてベッドに腰掛けた。改めて、すぐ側に芽依さんの存在を感じてドキッと——

 いや、そんなことでドキッとしないために俺はゲームを始めたんだろうが!

 煙草をくわえながらゲームを再開。リスポーン地点からボスまでの道を走る。もちろん雑魚敵は全部無視だ。


「まだ最初のボスじゃん」


「……全然勝てないんすよ」


「まー慣れないと中々ね」


 そんなこんな話してるうちにボスへ到着。まずは開幕の薙ぎ払いをかわして——


「んな!」


 かわしたと思ったのに俺の操作していたキャラは敵の剣に直撃して一撃で死んでしまい、再びリスポーン地点に戻ってくる。


「流石に下手すぎない? あたりに行ったようにしか見えなかったよ?」


「心では避けてたんすけどね……」


「ふっ。言い訳も下手な人のそれだね。練習あるのみだよ、ヨシくん」


「くっ……屈辱だ……」


 芽依さんに笑われながらも、俺はもう一度ボスまで走り……一瞬で殺される。


「髪乾かしてもいい? 音聞こえなくなっちゃうと思うけど」


「いいっすよ。どうせ音聞いててもなんも活かせてないんで」


「あはは。たしかに」


 程なくしてブォーーーとドライヤーの音が背後から聞こえてきて、それをBGMにしながらボスに挑んでは死に挑んでは死にを繰り返す。


「髪多いから乾かすの時間かかるんだけど。まさか終わってもまだ勝てないなんてね」


「自分が情けないっすわ……」


 ドライヤーの音が止んで、髪を乾かし終えた芽依さんがベッドから降りて俺の座るまで進捗はゼロだった。

 何度やっても攻撃を避けられずに殺されてを繰り返す学習能力のない俺……


「悔しい……」


 敗北のループで折れかけたメンタルを立て直すべく、煙草に火をつける。……このゲームを始めてから煙草の本数が尋常じゃないな。

 勝利の糸口を求めてあれこれ考えながら煙草を吹かしていると、ふわりといい香りが鼻をくすぐった。喫煙中なのに。

 真横にあるのは……芽依さんの頭頂部。なるほどこれはシャンプーの匂いか。


「……流石に風呂上がりはいい匂いしますね」


「かぐ? すーはーすーはーしていーよ」


「しませんて。……ちょっ」


 しないと言ったのに。芽依さんは体ごと俺に寄り掛かってくる。そうすると必然的に、俺の顎あたりに頭がきて……シャンプーのいい香りがする。しかし——


「煙草吸いづらいんですけど」


「私の良い香りよりヤニ優先なのー?」


「芽依さんの頭じゃニコチン摂取できないっすからね」


「あははっ。素直なやつめ。まーいいや、私も一服しよっと」


 スッと俺から体を離し、机の上に置いてた箱から煙草を取り出してくわえた芽依さん。

 肩を並べて俺たちは静かに喫煙する。それはいつもの日常だけど……今はクリスマスの深夜を通り過ぎて朝4時近く。

 そしてここは芽依さんの部屋。いつも通りなことは少なく、非日常感しかない。


「ふぅ……」


 それでも結局は落ち着いてしまうのは、やはり芽依さんの隣にいるのが心地いいからだ。


「ね。ヨシくんコントローラー貸して」


「まさか……倒せるんですか、あいつを」


「私このゲームクリアしたことあるし」


「すご……」


 俺からコントローラーを受け取ると、芽依さんはくわえ煙草をしながら慣れた操作でボスまでの道を走る。

 そして迷うことなくボスに挑みかかり、俺が当たりまくった攻撃を軽々避けていく。クリア経験者は伊達じゃないようだ。


「ヨシくん、こーいうのはわざと振らせて避けてから攻めるのが基本だよ」


「なるほど……」


 余裕綽綽といった様子で、解説を交えながらボスのHPを削っていく。

 ……あれだけ苦戦していたボスを軽々倒されるのも面白くないので、話しかけて気を散らせてやろう。


「芽依さんがこんなゲーム持ってんの、少し意外でしたわ」


「そお? 私けっこーゲーム持ってるよ。職業柄ってやつでね」


「職業柄……メイドの嗜みってやつですか」


「メイドじゃなくてイラストレーターの。だから元職業柄って感じかな」


 なるほど。俺が知らないだけで、メイド喫茶では客とゲームで対戦したりするサービスがあるのかと思った。


「昔はエンタメに敏感だったからね。その名残で今も買っちゃうのさ。……っと、おしまい」


 芽依さんは雑談しながらも、俺の苦戦していたボスをあっさりと倒してしまった。


「悔しい……芽依さん次のボスは絶対俺に倒させてください」


「お。火がついたねヨシくん。いーよ、私が手取り足取り教えたげる」


 悔しがる俺をみて、芽依さんはニヤリと笑う。このまま負けっぱなしじゃ……男として格好がつかねえぜ!!


 ……なんで具合に。一服したら帰ろうと思っていたことなんか忘れて、俺たちはこの後めちゃくちゃゲームした。

 そして。一切色っぽい展開にはならず、そのまま見事に寝落ちした。

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