第22話 イヴ、深夜の行軍

 長かった勤務を終えて、ようやくサンタ服を脱ぐことが出来たのは深夜2時過ぎ。

 慣れない夜勤は体に堪える。普段の労働の何倍も疲労感がががが……


「お疲れさまでした……」


 バックヤードでつまらなそうに発注作業をしている店長に挨拶して、さっさと店を出る。

 さっさと帰って寝たいところだが芽依さんとの約束を果たさねば。俺はヘトヘトの体を引きずって非常階段を昇り始めた。


「キツい」


 本日2度目の非常階段アタックは、疲れた体をさらに痛めつける。

 折れそうになる自分を奮い立たせるため、5階を過ぎたくらいで煙草をくわえて進み……


「……?」


 いつもの踊り場にたどり着いた俺を出迎えたのは、うずくまる黒い塊だった。


「芽依さん?」


「んあ……」


 声をかけると黒い塊はもぞもぞと動き、芽依さんが顔を出す。

 塊のように見えたのは、黒いダウンを着た芽依さんが自分の膝を抱き抱えるようにして顔を埋めていたからだった。


「やほ。サンタさんこんばんわ」


 全貌を表した芽依さんは、当然だけどメイド服姿じゃない。白いTシャツの上にダウンを羽織り、下はジーンズというラフなスタイルだ。


「もう卒業したんすけどね」


 煙草に火をつけながら塊……もとい、芽依さんの隣に腰掛けた。

 ちらりと横目で見やると、彼女の顔は数時間前と変わらずほんのり赤い。


「まだ酔ってますね」


「ん。労働という現実から目を背けるためついね……やってしまったぁよ」


「結局さっきはそれで辛くなってたのに」


「私は学習しない女……存分に笑ってくれていいよ、ヨシくん」


 そう自虐しながら、芽依さんはポケットから取り出した煙草をくわえて火をつける。

 お互い疲れているからか、口数はまばら。特に話すこともなく隣り合っていると——


「ヨシくん今日おくってって?」


「はい。……ん?」


 今なんと言ったんだろう。あまり聞き慣れない言葉を言われたような……?


「聞こえませんでした」


「疲れて歩けないから家まで運んで?」


「最初よりも要求が過激化してる!」


「あはは。聞こえてたんじゃん」


 とんでもないこと言っているのに、芽依さんはいつものようにけらけらと笑う。


「酔っ払いの妄言でしょ、聞き流しますよ」


「酔っ払いだけど妄言じゃないよ」


「正気ですか? まじで送れと?」


「ん。そーだよ。ヨシくんに置いてかれたら私このまま寝ちゃいそ」


「死にますって」


 本気度を測るために芽依さんを見てみる。赤く染まった頬と蕩けた瞳からは何も読み取れないが……拒否したらこのまま寝てしまいそうなのはまちがいなさそうだ。


「……嫌?」


「っ……」


 思案していると、芽依さんが潤んだ瞳で覗き込んでくる。不安げなその顔で見つめられて嫌だなんて言えるわけがない。


「承りました」


「やったーサンタさんありがと」


「だからサンタじゃないって」


「でもこれから私を背負って歩くわけだし、ほぼサンタでしょ」


「まぁ……たしかにでかい袋みたいなもんといえばもんか……って。背負うんですか??」


「ん。だってもう歩けないもん。降参です、私はお酒に敗北しました」


 両手を上げて恥も外聞もなく敗北宣言。吐き出している煙は白旗だとでもいうのか。


「そんなまさか……いい大人がそんなになるまで飲み散らかすなんて」


「今日はヨシくんが待ってるから……きっとなんとかしてくれるって信じてたんだよ」


 信頼が嬉しいような嬉しくないような複雑な気持ちが胸中で渦巻く。


「はぁ……そんなに体がお酒を求めるほど仕事大変だったんですか?」


「そりゃーもうね。いっちゃなんだけどイブにメイド喫茶来るお客さんって『本物』だから」


「あー……なんとなく想像出来るような」


「そんな『本物』たちと渡り合うためには素面じゃいられないんだぁよ」


「なるほど……」


「ヨシくんのほうはお仕事どうだったの? チキン売りのサンタ稼業は」


「特に何事もなく……チキンもケーキもまったく売れずにフィニッシュです」


「わお。甲斐がないね。サンタさんっていうよりはマッチ売りの少女って感じ」


「俺は最後まで商品に手をつけなかったんで俺のほうが偉いですけどね」


「あはは。張り合おうとした時点でヨシくんの負けだと思うよ」


 しょーもない話をしながら煙草を吸う。たとえクリスマスだろうがそれは変わらない。変わらないんだけど——


「……ん。そろそろ行こっか」


 いつもと違うこともある。それはこれから芽依さんを背負って家まで連れて帰ること。違うどころか、だいぶ異常事態だ。


「ばっちこいです」


 考えていても仕方ない。俺は腹を括って、乗りやすいように背中を差し出した。こういう時は階段なのがありがたい。


「ん」


 芽依さんはなんの躊躇いもなく背中に身を預けてきたので、太ももに手をあてて体重を支える。


「やん。ヨシくんのえっち」


「ぶん投げてやろうか」


「うそうそ。やめてよー死んじゃうよー」


 自分からおんぶさせておいて茶化すなんて酷い人だ。

 ……まぁ太ももに触れて良からぬことを考えそうになったのは確かだけど。生足じゃなくてよかった。 

 姿勢が整ったので「よいしょ」と気合いを入れて立ち上がったが、想像よりもずっと楽々と立ち上がることが出来た。


「軽いですね。ちゃんとご飯食べてますか」


「ヨシくん好みの小さな女であることを心がけて生きてるんだよ」


「別にロリコンじゃないですけど??」


「じゃあ私がぐんぐん成長して大人のお姉さんになっちゃってもいいの?」


「よくないんですけど??」


「あはは。よくないんかい」


 いつものノリの会話だけど、芽依さんの声がすぐ耳元で聞こえてこそばゆい。

 ……がしかし、意識をそこから逸らそうとすると今度は背中に感じる体温にばかり気がいってしまうので逃げ場はない。


「暴れられたりしたら2人とも転げ落ちてお陀仏なんでなるべく大人しくしてください」


「一緒に死ねるなら私は構わないよ……死因がイブの日に転落死でも……」


「いいわけあるかい。……降りますけどまじで暴れないでくださいね?」


「急に耳に『ふー』って息を吹きかけたりするのはありだったりする?」


「なしだったりします」


 そんな不意打ちをされたら暴れられるより危険だ。いろんな意味で。


「ん。りょーかい。ヨシくん号しゅっぱーつ」


 ご利用上の注意を理解した芽依さんの号令で俺は一歩踏み出す。

 背中に芽依さんの体温を感じながら、いつもの階段を降りるのだった。


〜〜〜


「こっちで大丈夫ですか?」


「ん。あってるよ」


 芽依さんを背負い、夜の住宅街を行く。ド深夜故に人気がまったくないのが救いだ。こんな姿、目撃されたら生温かい視線を向けられること間違いなしだから。


「あ。次の道を右ね」


 耳元で鳴り響く芽依さんナビに従って歩みを進める。常に芽依さんの存在をすぐ側に感じ続けるこの状況にも、少しは慣れて——


「はぁー」


「どわっ!?」


 突然耳元に生温かい息を吹きかけられて思わず叫び声を上げてしまう。


「びっくりしたぁ……ヨシくん、急に叫んじゃダメだよ。深夜なんだから」


「誰のせいだと思ってるんすか……というか芽依さんの息酒臭いんですけど」


「ひ、ひどい……乙女に向かって……せめて煙草くさいって言って欲しいな」


「暴言としての違いがわからねぇ」


「あっはは。……はーあ」


 ボリュームに気を使った笑い声をあげた後、俺の肩に顔を押し付ける芽依さん。服越しでも分かる温もりに緊張する。……やっぱり少しも慣れていないや。


「今、芽依さんだけ酔っ払ってる状況に悔しさを覚えてます」


「なして?」


「俺もお酒入ってたらもう少し堂々と受けて立てたのにな……と」


「ふっふっふ。ヨシくんもあのとき飲んでおけばよかったのにね」


 こんなことになるなら仕事なんかほっぽり出して飲んでしまえばよかったと切に思う。


「ねーねー、ヨシくん。内緒のお話があるんだけど……聞きたい?」


 不意にささやかれた言葉が耳をくすぐる。


「こんな状況で内緒話もクソもないでしょ。なんだって言うんですか?」


「んーとね。私が今日ついた嘘の話」


「……最近ちょくちょく嘘つきますよね」


「流行ってるんだ、ヨシくんに嘘つくの」


「最低の流行だ……」


 そのブームが広がってしまったら俺は芽依さんの発言を何からなにまで疑ってかかる羽目になっちゃうぞ。


「……私ね。歩けないほど酔っ払ってるっていうの、嘘なんだよ?」


「……」


「ヨシくんとくっつきたいから適当なこと言っちゃった。ごめんね」


 芽依さんが語った真実は、薄々勘付いていたことだった。そもそも受け答えがハッキリし過ぎていたし。


「……俺もわかった上で乗っかってましたよ」


「乗っかってるのは私だけどね?」


「そういう話じゃねぇ」


「あはは」


 ささやくような笑い声がむず痒い。……それに、くっつくためだけの方便だったという事実も、むず痒さを加速させる。


「最近の芽依さんはほんと、攻めてますよね。……色々と」


「ん。とくに今日の私は酔っ払いで前のめりだからね。普段言えないことも言えちゃうのさ」


「……恐るべし酔っ払い」


「あはは。……はーあったかい」


 肩にグリグリと顔を押し付けられる。その感触が、その熱が……心地よい。


「あ。そろそろおうち着く」


 イブの夜を芽依さんを背負って行く行進ももうすぐ終わるようだ。肩の荷が降りるような、寂しいような。


「ねーヨシくん。あがっていくよね」


「それは流石に——」


「一仕事した後の一服……したくない?」


「お邪魔していきます」


「あはは。チョロいねヨシくん」


 ……即答してしまったのは、煙草を吸いたいのもあるけど。芽依さんと離れたくないと思ってしまったのもまた事実。

 なし崩し的に始まってしまった芽依さんと過ごすイブの夜は、もう少し続きそうだ。

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