第20話 クリスマスが今年もやってくるらしい

「下手したら死ぬなこれ」


 仕事を終えた俺はいつもの非常階段を、いつもより慎重に一歩一歩昇っていた。

 踏み締める鉄製の踏板にかすかに雪が積もっていて滑りやすくなっているからだ。

 昨晩から始まった雪は、弱まってはいるものの……今なお降り続いている。

 ゆっくりと歩みを進め、ようやく芽依さんのいる踊り場に近づくと——


「やっほーヨシくん。今日は一段と寒いね」


 芽依さんがビルの壁面に寄りかかって煙草を吸っていた。雪で濡れているからだろう、いつもと違う立ちスタイルで。


「あったかそうな格好っすね」


「流石に今日はさみすぎるもん。客引きの子が着るやつ借りてきちゃった」


 今日の芽依さんはマフラーを巻いて、脚まですっぽり収まるベンチコートを着ている。ダウンを着た姿が完全体なら、さしづめこの形態は究極完全体だ。


「ヨシくんおいで。人口密度高めよ?」


「名案ですね」


 寄りかかる芽依さんと密着するくらいのところに収まり、ここにくる道中で既にくわえていた煙草に火をつける。


「私が灰皿持っておくから、灰はこっちに落としてねー」


「あざます」


 俺から遠い右手に持っている灰皿を差し出してくれる芽依さん。その動きで、密着する『くらい』くらいだった体が密着する。

 右側に芽依さんの温もりを感じて、なるほどたしかに暖かい……気がする。


「帰る頃には止むといいなー」


「明日の朝くらいまでは続くらしいっす」


「そんな情報聞きたくなかったぁよ……」


 非常階段の外を眺める芽依さんはうげーと顔をしかめる。


「大人になっちゃうと雪が嬉しいことってないですよね」 


「私は子どもの頃から嬉しくなかったよ。インドア派だったし」


「流石に外出て雪だるまつくったりしませんでした?」


「外の雪眺めながら家ん中で雪だるまの絵なら書いてたよ」


「特殊な楽しみ方だ」


「絵面だけなら綺麗だし好きだけどね。寒いし濡れるし実物はやだなって」


 らしいと言えばらしいが。


「昔からありがたくもなかったけど、今はとにかく憎いよ……いいことなんもないもん」


「それは同感です」


 滑るし靴ぐちょぐちょになるし。何より店の前の雪かきしなきゃいけないのがだるい。


「どうせ降るならさ、もうちょい遅れてくればホワイトクリスマスだったのにね」


「お。それなら流石にありがたいっすか?」


「いんや。ぜーんぜんありがたくない」


「なんだよ」


「世間的にはそーだろーなーってだけ」


 それはそうだ。世間様は今、来るクリスマスに総出で色めきだっている。さらに雪でも降ればウハウハだろう。


「でも雪降ると歩きづらいしきっちり予定詰めてた人はだるそうじゃないですか?」


「そーいう煩わしさも含めて楽しい思い出にするんだよ。世の恋人たちは」


「分からん……そういうもんなのか」


「そーいうものなのさ。知らんけど」


「知らんのかい」


「想像上の恋人たちが言ってました」


「ソースが妄想すぎる」


「私は万物の代弁者なのですよ」


「危険思想だ……」


「あははっ」


 適当言いながら煙を吹かす芽依さん。なんかこういう感じ久々な気がするな。やっぱりとても落ち着く。


「クぅーリスマスが今年もやぁってくる〜」


 ほっこりしながら煙を吹かしていると、芽依さんが隣で突然歌い始めた。この時期CMでよく聴くやつだ。


「楽しかったできごとを消し去るように〜」


「いや悲しいことを消し去れよ」


 あまりにもあんまりな間違いに思わず爆速でツッコミを入れてしまった。


「あれ? そうなの?」


「素で間違えてたんすか……」


「ずっと『楽しかった』だと思ってた」


「だとしたら相当ひどい歌ですよ」


「ん。だからひどい歌だと思ってた」


 キョトンとしているし、まじで間違えていたんだろう。

 真実を知った芽依さんはなぜか残念そうな顔をして、煙と共にため息を吐いた。


「人の幸せを憎むひどい歌だと思ってたから好きだったんだけどなー」


「それがCM曲になることある?」


「人らしい幸せなんて捨ててとにかくチキン食べにこいってメッセージだと思ってたぁよ」


「演出意図が強気!」


「明るい曲調で楽しかったできごとを次々と消し去ってたらかっこいいもん」


「かっこいいのか……?」


 なんとなく……ロックな気はする。ロックがなんなのか知らんけど。


「でも結局クリスマスが来たところで悲しかったできごとは消え去らないよね」


「むしろ悲しい出来事増えましたよ俺は。後輩の代わりに夜勤まで出ることになったし」


「うへー。かわってあげたんだ。その優しさはいつか身を滅ぼすよ、ヨシくん」


「用事もないのに1人で家にいるより精神衛生上いい気がしたもんで」


「それは……一理あるかも。夜勤って何時までやるんだろ」


「準夜勤なんで2時までっすかね。芽依さんも遅くまで仕事ですか?」


「ん。2時までコースだぁよ」


「お互い灰色っすね」


 楽しいことを消し去りもしないけど、悲しいことを消し去ってもくれない……それが我らのクリスマス。


「ヨシくんも働いてるなら一緒に煙草吸えるし私的にはオッケーだよ」 


「……たしかに」


「むしろクリスマス激務の合間に愚痴れるし去年よりいいかも」


「たしかに!!」


 そう思うとクリスマスイブ出勤への意欲が湧いてきた気がする。

 去年よりはマシなクリスマスになりそうだとニヤニヤしながら煙を吐いていると——


「はぁーあ」


 コツン、と俺の二の腕あたりに芽依さんが頭を当ててきた。


「どうしたんですか?」


「んーん。なんでもないよ」


 そういいつつも……側頭部をゴリゴリと押しつけてきて、妙にくすぐったい。


「ただ……さむいなーと思ってさ」


「そうっすねぇ……火でも焚きますか」


「ん。やる? 新聞紙とか持ってくるよ」


「マジでやったら消防車呼ばれますけどね」


「あはは。煙草で我慢しなきゃだぁ」


 体が触れ合っているから、芽依さんが笑うと振動が伝わってくる。そんな心地よさに浸りつつ、ポケットの中、次の煙草に手を伸ばす。


「吸殻どーぞ」


「んあ、ありがとうございます」


 その動きを察知して、ささっと灰皿を差し出してくれる気遣い上手の芽依さん。

 吸殻を捨て、新しい煙草に火をつけて……トントンと灰を落とす。


「ふふっ……たくさん灰を落としたまえ」


「何を笑ってるんですか」


「ヨシくん女の子灰皿にするの好きだからさ」


「そんな趣向はねぇ。どんな鬼畜だよ」


「灰塗れの女の子好きなんでしょ?」


「拡大解釈すな」


 突っ込む俺を見てニヤニヤしながら吸殻を捨て、次の煙草をくわえる芽依さん。そんな姿を間近に見て……さらにニヤニヤする俺。


「どーしたの? なんのニヤニヤ?」


 火をつけながら俺を見たため、上目遣いの芽依さんと視線がぶつかる。煙草の明かりに照らされ、俺の言葉を待つ姿にドキッとする。


「灰塗れはともかく。やっぱり芽依さんが煙草吸ってんのは絵になるし……好きです」


「……そ」


 そんな顔を正面から見ていたかったのに、芽依さんはプイッと顔を背けてしまった。何時間でも見ていられそうだったのに。

 無言の時間が続くが、芽依さんの体はくっついたまま離れない。……ちらりと見える顔が赤いのは寒さのせいではなさそうだ。


「ねーねーヨシくん」


 しばらくそうしていると芽依さんが呼びかけてきた。


「ヨシくんがさっきみたいなこと言ってる限り私ぜったい煙草やめられないから、肺炎で死んじゃうかもよ?」


「そしたら俺の肺あげるんで生きてください」


「どーせヨシくんの肺も真っ黒だからどっちにせよすぐ死んじゃうよ」


「た……たしかに」


「まー……そうなったら一緒に死のっか。仏壇にお線香のかわりに煙草あげてもらお」


「肺あげて死んでたら俺あの世じゃもう吸えなくないすか?」


「じゃああの世で私が吸ってるとこ見てて」


「それでもいいけど」


「あはは。いいんかい」


 芽依さんは視線を外したまま笑う。すると相変わらず振動が伝わってきて、いつも一緒にいるときとは違う身近さを感じる。

 一生こうしてられるなとしみじみ思いながら煙草を吸っていると……


「私……ちょっと嘘ついちゃった」


 ポツリと、隣で呟く声が聞こえた。


「俺、なんか騙されたんすか」


「ん。騙しちゃった」


 静かなトーン。いつもの冗談とかではないのかもと思って芽依さんのほうを見やると、視線が重なった。


「——雪、好きかも。ヨシくんとくっついてられるから」


「っ……」


 上目遣いで放たれたその言葉はかなり……効いた。言ったあと照れくさそうに目を背けて煙草をくわえ直したところまで含めて。

 この前ようやく固めた決意を投げ捨てて今すぐ告白して抱きしめたくなる。


「……」


 だが、踏み止まる。今ここで踏み込めば、俺は満足して停滞してしまうから。

 踏み込まずにいながら、どう答えるべきか悩んでいると……


「私いくね。次会うのはイブかな?」


 芽依さんはカラッとした口調で話題を変え、吸殻を灰皿に放り込んだ。


「……そうなりますね」


「風邪ひいて休んだりしないでよ? クリスマス出勤唯一のモチベなんだから」


「這ってでも出勤します」


「ん、よろしい。……じゃーね、灰皿ここ置いとくからね」


 芽依さんは灰皿を踊り場に置いて、階段を登り始める。このまま、先の言葉に反応しないまま見送っていいものか……


「あ……芽依さんっ」


「なに?」


 と、考えた結果。特に言葉も思いついてないのに芽依さんを呼び止めてしまった。


「ん? どーしたのさ」


「あー……えっと」


 どうしたものか。テンパった頭脳が捻り出した言葉は——


「俺も……好きです、雪」


「…………ふふっ、そーだね。雪、いいよね」


 芽依さんは俺の言葉に微笑みで返し、再び階段を登り始める。


「はぁぁぁぁ……」


 その姿を見送って初めて肩の力が抜ける。どうやら俺は相当緊張していたらしい。


「雪……いいなぁ、畜生……」


 もう少し雪を見ていたい気分だった俺は、もう一本だけ、煙草をくわえたのだった。

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