第18話 白昼の逢瀬は紫煙と共に 後編


「むー。この釈然としない気持ち……」


「うーん……納得いかないオチでしたね」


 映画を見終わった俺たちは、シアターを出て早々に近くの喫煙席のあるカフェに滑り込んでいた。


「まぁ……絵面は綺麗でしたね。めっちゃぬるぬる動いてたし」


「ん。キャラデザも今風だったし、背景とかも凝ってたと思うよ」


 そう言って煙を吹かす芽依さんの顔が渋いのは、コーヒーを飲んでいるからではない。


「でもさー。お話がさー。あまりにもあんまり過ぎたと思うなー」


 俺たちが見たのは今一番泣けるという触れ込みでプッシュされているアニメの恋愛映画だったのだが……


「ペラペラでしたね……取ってつけたように最後ヒロイン死んだし」


「誰か殺せば泣くって思ってるんだろうね。舐められたもんだよ」


 お話がとにかくしょーもなかった。俺も芽依さんも見終わった瞬間に顔を見合わせて深くため息をついたほどには。


「なんの伏線もなくヒロインが余命宣告されたときはびっくりしました」


「その直前のシーンまで元気いっぱいに海で遊んでたりしたのにね」


「リアルに考えれば病気なんて急になったりするもんですけど……流石に……」


「せめて必然性は欲しかったぁよ。そこまでの話の流れ的に死ぬ意味ゼロだったもん」


 俺も芽依さんも煙を吐き散らしながら映画への文句も撒き散らす。

 今回映画を見た収穫と言えそうなことは、俺たちのフィクションに対する感性が近しいものだと分かったことくらいだ。


「そもそも。これ言ったら終わりだけど——」


 一通り感想を言い終え一息ついたところで、芽依さんが総括するように——


「好きなら好きって言ってさっさと付き合っちゃえばいいのに」


「まじで元も子もねぇ」


 この世全ての恋愛モノを否定する一言を言い放ちやがった。


「焦ったいなーと思いながら見てたら最後は死別しちゃうしでなんやねんって感じだったよ」


「死別はともかく、こんなもんでしょう。駆け引きなしの恋愛モノなんて一瞬で終わっちゃうし」


 サッカー選手に点が欲しいならシュート打てばいいのにと言うようなもんだ。そりゃそうだけどそういう話じゃないのである。


「それに、そう簡単な話でもないでしょう。好きなら付き合っちゃえばっていうのも」


「そうかな? あんな露骨に好き合ってるなら——」


 そこまで言って芽依さんは突然硬直した。そして脳内で何かを吟味するように、視線を漂わせて……


「あ。あーーー……ソウデスネ……」


 バツが悪そうに俺から顔を背けて煙草をくわえた。……気がついたのだろう、自分の発言が壮大なブーメランだと。

 芽依さんの言葉はそのまま俺たちに返ってくる。お互い自分からは確信に触れないこの関係に。


「案外……リアルな映画だったのかも。だから多分、この後ヨシくんか私が死ぬ」


「そこにリアリティはなかったでしょうが」


「分かんないよー。私たちもウダウダしてたら病気やら事故に襲われちゃうかも」


「どんな呪いだよ」


「あははっ」


 いつものようにケラケラ笑っている芽依さんだが、その言葉は暗に告白してこいと言われてるようでむず痒い。


「ま。一緒に見たのがヨシくんでよかったよ。似たような感性だから気持ちよく文句言えたし」


「ですね。見終わってモヤモヤし続けることもなく供養——」


 そこまで言いかけて「ぐぅぅ」とお腹が鳴ってしまい、思わず言葉を止めてしまった。


「あらあら。ヨシくんは腹ペコみたいですね〜?」


 お腹を押さえる俺を見て、芽依さんはニヤニヤしている。なんだろうこの敗北感。


「煙草とコーヒーじゃ腹は膨れませんからね」


「あれ? 前はそれで十分って言ってなかったっけ?」


「……言いましたっけ。言った気がする」


「9月くらいにそれだけで済むなんて植物みたいだねって」


「した……完全にした。よく覚えてんな……」


「ふっふっふっ。ヨシくんと話したことは大体覚えてるよ」


 得意げな笑顔の芽依さんを見ていると、嬉しさと同時に「下手なこと言えないな」という危機感も覚えたり。


「でもたしかに。お昼からちょっとしか食べてないもんね」


 芽依さんの言う通り、お昼はあの喫茶店から出たくなさ過ぎてサンドイッチを摘んだくらいだし。

 時刻はまだ17時を過ぎたくらいだけど、20時くらいのお腹の空き具合だ。


「ヨシくん私……焼肉が食べたいな♪」


「なんで可愛く言うんすか」


「焼肉食べたいっていうのが可愛くないから中和してみた」


「男の感性だと焼肉食いたい女子が一番可愛いですけどね」


「そうなの? ヨシくんがロリコンだからじゃなくて?」


「なんでロリコンと結びつくんだ!?」


「子どもが好きなご馳走を好む子が好き的な?」


「ロリコン判定が遠回りすぎる」


 なんで芽依さんは事あるごとに俺をロリコンにしたがるんだ。


「今日着てくる服もちょっと悩んだんだよね。もっと少女趣味っぽい服のほうが好みかなって」


「いや、露骨なよりは今みたいな大人っぽい服を着てるほうが琴線に触れますね」


「やっぱり特殊なロリコンなんじゃん」


「それは違います」


「あははっ。じゃあいこっか」


 楽しそうに笑いながら煙草を灰皿に押し付けると、背もたれにかけていたコートを手に取り立ち上がった。


〜〜〜


「焼肉屋って煙モクモクだから気兼ねなく煙草吸えていいや」


 ジョッキ片手にそう言って煙を吹かす芽依さんは、幼めな顔つきからは想像できないほど様になっていた。

 そんな芽依さんの姿とカクテキを肴に飲むビールはうまい。五臓六腑に染み渡る。


「どこいっても煙草ばっか吸ってますね、俺たち」


「ホントなら仕事中も吸ってたいよ私は」


「同意っす……コンビニはともかくそういうメイド喫茶はだいぶありじゃないですか?」


「ヤニ吸いながら接客するの? なしじゃないかな?」


「いやいや、だいぶあり。あったら通い詰めますよ」


 メイドさんが全員煙草を吸いながらダルそうに接客してくれる様を眺める店……かなりあり。めっちゃありだ。


「ただのヨシくんの趣味じゃん。好きだもんねー」


 煙草片手に頬杖をつき、芽依さんは「やれやれ」と呆れたような微笑みを向けてくる。


「まぁそれもあります。でも分かる人多いはず……」


「わざわざお店じゃなくてもヨシくんはいつでも見れるでしょ?」


「確かに」


「むしろお店になったらヨシくんからもお金取らなきゃ」


「勘弁してください」


 芽依さんの隣で煙草を吸う数少ない楽しみが有料化したら俺の人生は潤いを失ってしまう。

 そんなことを話してたタイミングで、注文していたお肉が続々と運ばれてきた。


「ヨシくんって焼き方にこだわりある人?」


「食えりゃいい人です」


「じゃー適当に焼いてっちゃうよー。やっぱタン塩からだよね」


 じゃんじゃん焼いてくれる芽依さん。そしてさらにじゃんじゃん取り分けてくれるので、俺はひたすらに食う。

 食っては飲んで、たまに焼いて。食って飲んで煙草も吸って。そうして……俺たちがほろ酔いになるまで時間はかからなかった。


〜〜〜


「ねえヨシくん」


「なんですか」


 何杯目かのマッコリを飲み干していると、芽依さんが……


「今日はどうして誘ってくれたの?」


 お酒が回ってきたのか、頬をほんのり赤く染めた芽依さんがズバリ尋ねてきた。回りくどいのは無しにしたらしい。


「先に仕掛けてきたのは芽依さんでしょうに」


「それは……そうなんですケド……ね?」


「ただ流されるのは違うなと思っただけですよ」


 俺もそれなりに酒が回っているので、口が軽くなる。少しは意識しないと余計なことまでいってしまいそうだ。

 芽依さんは焦げてしまった肉片を突っついてもじもじしてる。そんな姿を見ながら、俺は煙草に火をつけた。


「もうお腹いっぱい?」


「小休止です、一服したらもうちょい食いますとも」


「じゃー私も」


 焦げた肉片いじりを中断して煙草をくわえる芽依さん。2人して煙を吹かしていると、やっぱり収まりがいい。


「今日さ、改めて思ったんだけどさ。やっぱりヨシくんと一緒にいると落ち着くよ」


 吹かした煙が七輪の上に垂れ下がる換気口に吸い込まれる様を眺めながら、芽依さんがしみじみと言った。


「変な気も使わないでいいし、話してて楽しいし、話してなくてもそわそわしないし。いろんな好みも合うし」


 芽依さんが口にしたことは、まさに俺も感じていたことだ。そして、それを確認するためにデートに誘ったんだ。


「俺もそうです。やっぱり……どこにいようがなにしてようが、芽依さんといると楽しい」


「……ん。そーだね、なんか安心したよ。気にしてたとこではあったからさ」


「というと?」


「悪い意味に取らないで欲しいんだけど——」


 そう前置きして、


「あの場所で何日かに1回、10分だけ一緒に煙草吸うのが楽しいだけなんじゃないかって」


 芽依さんの言葉はマルッとそのまま俺が気にしていたことでもあった。ここまで同じこと考えてるともはや怖い。


「でも……そうじゃなかったから、さ。だから安心してるワケなのですよ」


 優しく微笑む芽依さんに頷いて同意する。これなら俺たちは——


「ま、待ってヨシくん。もしかしこれ私、焼肉屋で告白される感じの流れ?」


「え? いや——」


「さっきは好きあってるならさっさと付き合っちゃえばいいのにとか言った私だけど、流石に風情といいますか、TPOといいますか……」


 何を思ったのか、芽依さんはとんでもないことを口走って手をわたわたさせ始めた。

 というかそれを言ったらもう好きあってるのをガッツリ認めてるじゃん。と思いつつ。どうしたもんかと考えた結果……


「あの……少なくとも今そんなこというつもりはまったくなかったんですけど……」


 ありのままを口にした。それを受けて芽依さんはわたわたを止め……顔を真っ赤にする。

 しばらくそのまま固まっていたが、やがて赤みが引くと冷静に煙を吹かした。


「……先走ってすみません。でもヨシくんそんな顔してたから」


「どんな顔だよ……」


「んー。慈しみに満ちた顔……?」


 いつの間にそんな顔してたんだ俺。自分が慈しみに満ちてるとこなんて想像できないぞ。


「芽依さん酔ってます?」


「酔ってる。酔ってるけど……まだ平気。ほんとに酔ったらもっと変になるから」


「それは……見てみたい気もしますね」


「だーめ。今日はもう飲みませんー。これ以上ヘンなこと言いたくないしー」


「まだマッコリのボトルけっこう残ってるんですけど……?」


「ヨシくんが全部飲んで。ほーら、私がお酌してあげるからさー」


「マジか」


 俺の器に並々とマッコリが注がれる。


「お店だったら私がお酌するだけで飲み物の値段上がるから貴重だよ♪」


「こいつ……」


「さぁさぁ、グイッといっちゃって?」


「くっ……」


 ニヤニヤ笑って俺を見つめる芽依さん。自分の恥ずかしさを覆い隠すために俺を酔わせるつもりだな。


「望むところだ!」


 俺は器を傾けて、マッコリを飲み干す! どうだ、若者舐めるな!


「わぁ……ほんとにやっちゃった」


 ドヤ顔で空にした器を見せる俺に、芽依さんはドン引きした表情を向けていた。


「引くなら最初からやるなー!」


「あはは。ごめんて。ゆっくり飲んで?」


 笑いながら再び俺の器にマッコリを注ぐ芽依さん。結局は俺が飲むんかい。


「お肉ももっとあったほうがいいよね。すみませーんハツ一人前タレでくださーい」


 まぁ……いいか。俺は身を任せてこの時間を楽しむことにした。


〜〜〜


「あー、楽しかった」


 焼肉を食ってお腹いっぱいになったと俺たちは最寄駅の喫煙スペースに戻ってきていた。


「今日めっちゃ一緒に煙草吸ってましたね」


「あはは。喫煙者が集まると煙草吸えるか吸えないかで場所選ぶもん」


「違いない」


 煙草に始まり、煙草に終わる。総括するとそんな一日だった。一箱あった煙草はもうなくなりかけている。

 紫煙をくゆらせながら何を話すでもなく、ぼんやりと過ごす。そんな時間は煙草が燃え尽きるのと同時に終わりを告げ——


「じゃあまたいつもの場所でね、ヨシくん」


「はい。また」


 俺の家とは逆方向に帰っていく芽依さんを、その背中が見えなくなるまで見送った。


「……さて」


 芽依さんと見送り帰路についた俺は、道中にある今時珍しく店前に灰皿を置いているコンビニに立ち寄り、購入したコーヒーを片手に煙草に火をつけた。

 ついさっき芽依さんと一緒に吸っていたばかりだけど、考え事がしたくてつい手が伸びてしまったのだ。


「ふぅ……」


 今日をざっくりと振り返った俺の思考は、ひとつの結論に行き着く。それは——


「なんかもう……付き合ってんのと変わんなくねぇ?」


 お互いにもう好意を隠してないというか。好きです付き合ってくださいって言ってないだけというか。

 前からそんな空気感はあったけど、今日一日一緒にいて改めて思う。


「いやいや、まだだ……」


 もしそうだとしても、どちらかが言葉にするまでは契りは成立しない。

 今日のデートで、俺たちはいつそういう関係になっても楽しくやっていけそうだということは確認できたが……


「それはそれとして——」


 それは最低限のことだ。俺の目標は、その上で芽依さんの救いになること。一緒にいて楽しいだけじゃなくて……ちゃんと彼女を支えられる『何者』かになることだ。


「それまでは……」


 少なくとも俺からは、言葉にはしない。これはエゴでしかないけれど……芽依さんに生半可な気持ちで向き合いたくないからこそ、改めて心に刻むのだった。

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