第17話 白昼の逢瀬は紫煙と共に 前編

普段は出不精な俺だけど、今日は昼間に最寄りの駅前までやってきていた。

 開けた広場をザッと見回し、待ち合わせの相手がいないことを確認する。


「まぁ……まだ10分前だしな」


 平日の昼間だからか人の姿はまばらで、こういうときシフト制の仕事してると得だよなーと思う。

 今日は火曜日……そう、芽依さんをデートに誘った日。

 芽依さんが爆速で立ち去ってしまった後、ラインでとりあえずこの時間に駅前集合でとだけ約束したという経緯だ。


「……早く着いたし」


 こういう時、喫煙者が取る行動はひとつ。俺の足は迷いなく喫煙スペースへ向かう。

 ありがたいことに……街中から喫煙スペースが消えていく中、俺の住むこの町の駅前にはまだ設置されている。

 箱から煙草を取り出し、すぐにくわえながら仕切りの向こう側へ入ると——


「あ」


 そこには既に芽依さんがいた。しかし、いつもと違う見慣れぬ姿で。


「……芽依さんがメイド服じゃない」


「そこ驚くことかな?」


 あったかそうな白いニットにベージュ系のロングスカート。その上からチェスターコートを羽織っていて、いつもより露出が少ない。

 メイドの時はまっすぐおろしている黒髪もゴムで緩く一房に結い肩の前に垂らしていて、落ち着いた印象を醸し出す。


「じろじろ見過ぎじゃない?」


「あぁ……すみません、つい」


「……どう?」


「似合ってますね」


「……そ。ありがと」


 芽依さんは照れくさそうに顔を背ける。その口元には煙草がくわえられているが、まだ火はついていない。


「きたばっかですか?」


「ん。ヨシくんが来る30秒前くらいにね」


 そう言って芽依さんは煙草に火をつけて、手にもっていたライターと煙草の箱をコンパクトなショルダーバッグにしまう。

 俺もそれに倣って火をつけ、煙を吹かす。


「ふぅ……」


「俺、心のどこかで芽依さんがメイド服で現れると思ってました」


「あはは。ついに脳みそ壊れちゃったんだね」


「メイド服に見慣れ過ぎてたんすよ。てか私服見たの初めてだし」


「それで言うと日が出てるときに会うのも初めてだよね」


「……言葉にすると衝撃的だ」


「私、ヨシくんは夜の非常階段にだけ現れる妖精さんかもって思ってたよ」


「んなわけあるかい」


 とは言いつつ。俺もメイド服以外の格好をした芽依さんを想像できていなかったし……それくらい、俺たちの接触は限定された状況下で行われていたわけだ。

 そう思うと……今、俺たちはとんでもないことをしてるのでは? という気持ちになる。


「ねーヨシくん。今日はどこいくの?」


「あー……実は考えてないんすよ」


「……ヨシくんって案外肝が据わってるよね」


 芽依さんは煙を吹かし、半笑いで言った。この様子だと怒ってはいなさそうだ。


「誘うぞーって気持ちだけがひたすら先行した感じっす……」


 考える時間はあったんだろうけど、誘うことにカロリー使い過ぎたと反省する。


「あはは。私じゃなかったら普通に怒ってると思うよ?」


「デスヨネー……」


 そりゃそうだ。目の前にいるのが芽依さんでよかった。

 しかし。この期に及んで次の行動が決まってないのは流石にまずい。この煙草が燃え尽きる前に決めてしまおう。


「芽依さん行きたいとことかあります?」


「んー。まったく思いつかない。休日なんてあんまり外でないし」


「まったく同感です。世の中の社会人は休みの日に何してるんだろ」


「山にいって鹿やら野ウサギやらを狩ってたりするんじゃない?」


「いつの時代の貴族だよ」


「あははっ」


 ……結局その後も、行動指針となる中身ある話は出来ず。

 くだらない話に花を咲かせている間に、俺たちの煙草はすっかり燃え尽きていた。


「最後の希望も燃え尽きた……どーしようね」


「うーむ……すみません、ノープラン男で」


 吸殻を灰皿に放り込みながら謝罪する。俺は申し訳なさでいっぱいだか、芽依さんはいつも通りの微笑みを浮かべていて……


「いーよ別に。私はヨシくんとお喋りしてるだけで楽しいし。どこでだってね」


「そ、そうですか……」


 照れくさいことを言ってくれる。そういうやり取りで使用するエネルギーはデートに誘う段階で使い切ってしまったのに。


「とりあえず……煙草も吸い終わったし——」


 そう言って喫煙スペースの外へ向かう芽依さんの後に続く。どこか行く場所を思いついたのだろうか。


「のんびり煙草吸えるとこ行ってゆーっくり考えよっか」


 煙草からの煙草だった。しかし否定する必要もないし、なんなら大歓迎だ。


「行きましょう!」


「ん。いいお返事ですヨシくん」


 俺たちは意気揚々と歩き出したのだった。


〜〜〜


「ま……まさか煙草吸える店探すのがこんな大変だったなんてね……」


「禁煙化の流れ完全に舐めてました……恐ろしい時代だ……」


 景気良く駅前の喫煙スペースを出発してから数十分が経過し。

 そこまで歩き詰めだった俺たちは、最寄りから何駅か移動した場所の喫茶店でようやく一息ついていた。


「やっと煙草吸えるよ……」


 砂漠で干からびかけた遭難者が水を求めるような必死さで煙草をくわえる芽依さん。

 ことの発端は喫煙スペースを出てすぐ。どうせどっか行くならもっと色々ある街がいいよねと最寄り駅を離れたことだ。

 普段はあまり来ない繁華街に降り立ち、目についた喫茶店に入った俺たちは……


『全席禁煙です』


 という言葉に打ちひしがれた。どこもかしこも禁煙席に支配されていたのである。

 テンパった俺たちはなんの算段もつけずに街を彷徨い……偶然オアシスにたどり着き、今に至るというわけだ。


「ヨシくん何飲む?」


 俺が煙草に火をつけたところで、芽依さんがメニューをこちらに差し出してくれた。


「ブレンド……いや、うーん……やっぱりアイスコーヒーにしますわ」


「一緒のやつだ。あったかいのもいいけど歩き疲れたし冷たいのがいーよね。すみませーん」


 芽依さんは煙草片手に店員さんを呼び、さっさと2人分の注文を済ませてくれた。


「散々彷徨ったけど……いい喫茶店に辿り着けたね。おちつくー」


 店内を見回す芽依さんは満足げな笑顔だ。俺も頷いて同意する。

 個人経営であろう、風情と温かみ感じる昔ながらの喫茶店。もちろん全席喫煙可だ。


「ふぅ……長い旅のゴールに相応しい……」


「あはは。まだ始まってもいないんだけど。これからゴールを決めるんでしょ?」


「……そうだった。いつの間にか手段が目的になってしまってました」


「人生って感じだぁ……人は長い旅路の中で進むべき道を見失ってしまうんだぁね」


「壮大な解釈すぎる」


「あはっ。とりあえず何事も人生で喩えておけば深いっぽくなるのさ」


 芽依さんの適当な話術を「なんだそりゃ」と笑い飛ばす。


「しっかし。禁煙の波すごいしそろそろアイコスとかにするべきですかねぇ……」


 吐き出す紫煙を眺めながらふと思ったことをそのまま口に出す。

 アイコス……いわゆる加熱式煙草。煙も少ないし臭いも残りづらい故、加熱式なら吸ってもいいよという店も増えている。


「ヨシくん、それだけはダメだよ。喫煙者としての誇りを失っちゃう」


 いつになく真剣なトーンの芽依さん。


「誇りって……そんなに?」


「私は見てきたもの……アイコスに堕ちし喫煙者たちが同胞である紙巻きの民を時代遅れと揶揄する誇りなき姿を……」


「芽依さん……」


 瞳に映る悲しみの色。芽依さん……あなたって人はどれだけの修羅場を潜って……


「そして、ヨシくん一番大事なことは……」


「大事なことは……?」


「火つけて煙出るほうがかっこいいもん。だから紙巻きのほうがいいよ」


「はっ……確かにそうですね」


 俺は大事なことを忘れていた。このご時世、煙草吸ってる奴なんて最初はかっこつけで始めてるんだ。……俺もそうだった。


「芽依さん……ありがとうございます。俺、一番大事なことを忘れるとこでした」


「うむ……分かればいいのじゃよ。我らが進むのは後ろ指さされるいばら道……」


「俺たちは社会の隅っこでいつまでも紙巻きの風情を楽しみましょう……」


「アイスコーヒーお待たせしました」


「「あっはい」」


 よりにもよって変なノリの寸劇をしているところに店員さんが来てしまった。

 去っていく店員さんを見送り、何事もなかったかのようにコーヒーをすする芽依さんと俺。


「さて。コーヒーがなくなる前に決めちゃいたいよね」


 謎の寸劇で見失いかけた流れを芽依さんが仕切り直してくれる。


「買い物とか?」


「ヨシくん欲しいものあるの?」


「ないです」


「私もなーい」


「じゃあ……動物園?」


「当日行く決意するの難しくない?」


「確かに。んんーー……遊園地?」


「動物園よりさらに難しいよ」


「違いない……そもそも遊園地、そんなに行きたくもない」


 色々言ってはみたけど、自分ですらどれもピンと来ていない。芽依さんも同じだ。


「私たち……がっつり枯れてきてるね。動くことへの意欲がなさすぎるよ」


「お年寄りの方々のほうがまだアグレッシブな休日を過ごしてることでしょう」


「このままずっとここでお喋りしてる? 私はそれでも楽しいよ」


「俺も楽しいですけど……それはなんとなく敗北感があるというか。わざわざ外出てきたし」


 今日どこでなにをするのか、それを決めるだけなのに話し合いは難航する。

 このままではなんやかんや、白骨化するまで

ここでだらだらすることになりそうだ。


「決めた、決めましたよ芽依さん」


「お。なんだいヨシくん」


「映画をみましょう。なんか適当な奴」


「めっちゃ普通の着地点きたね!」


 俺が出した結論は……映画という無難オブ無難なプランだった。


「でもいいアイディアだよ。歩き回ったりしないで済むし」


「近くに映画館あるし移動は最低限。始まったら座ってるだけ!」


「まさに枯れてる私たち向けのエンターテイメントって感じだね。ビバ映画!」


 俺たちは動き回ったりしたくないという酷く陰キャな理由で団結した。


「じゃあ後は何みるか決めるだけだぁね」


「近くでやってるのは……と」


 映画館のサイトで上映情報を確認。ザッと見た感じ……俺の琴線に触れるものはなかった。


「芽依さんなんか見たいのあります? 俺は特になかったんですけど」


「んー。じゃ私に任せて。えーっとね……」


 芽依さんは俺からスマホを受け取り、上から下まで念入りに確認し——


「うん。特に……ないね!」


 爽やかな笑顔でそう言い切った。これで事態は再びニュートラルな状況に。


「私たち枯れてるってより終わってるって感じじゃない?」


「こういう時ってどっちかが嘘でもこれって決めたりするもんですよね」


 2人も大人がいてこんなに物事が決まらないことなんてあっていいのだろうか。


「やっぱり……その。私、ヨシくんとだらだらしてるだけでいいから他は特に……ね?」


「……」


 伏し目がちに微笑みながら放たれた芽依さんの言葉に、思わず固まってしまう。

 こっぱずかしい言葉に照れてしまったのもあるけど、俺も同じ気持ちだったから。


「必要だったのはデートとかそういうんじゃなかったかもしれないっすね」


「……ん。そーだね」


 俺は照れ臭さを誤魔化すようにコーヒーをすする。芽依さんも同じようにしていた。

 そんなやり取りがむず痒く、しばらく無言で紫煙をくゆらせる時間が続く。

 でもそんな時間も苦じゃなくて、ずっとそうしていられそうだと思う。非常階段で感じる気持ちと、同じだ。


「……まぁその。それでも映画は見に行きましょう。せっかくだし」


 いつまでもそうしていられるが、今日デート

誘ったのは俺だし……最低限の体裁は守らなくちゃならない。


「ん。そーだね、せっかくだし。じゃ……これにしよっか」


 同意した芽依さんが指さしたのは、恋愛モノのアニメ映画だ。興味があるわけでもないし見たくないわけでもない絶妙なラインだ。


「そうしましょう。時間は……丁度いいのがありますね」


 芽依さんからスマホを受け取り、画面を操作して1時間半くらい先の回を予約する。


「もうちょいゆっくりできるね」


「飯とかどうします?」


「んー。ここでだらだらしよ?」


「ですね、煙草吸えるし」


「うん。煙草吸えるもん」


 そう話し、俺たちは同時に新しい煙草をくわえて火をつける。

 そのあとは何をするでもなく、映画の時間がくるまでの間……紫煙漂う穏やかな時間を過ごすのだった。

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