第16話 そして火蓋は切られた
「今日は流石に寒いんで缶コーヒー買ってきました」
「お。気が利くね」
既に12月へ突入し、気温もガンガン下がってきていた。
踊り場に腰掛ける芽依さんもダウンを着込み、前もしっかり締めて完全防御の姿勢。
そうして縮こまっている芽依さんは、メイドじゃなくて黒い塊にしか見えない。
「あったかぁい。ありがたやありがたや……」
俺から受け取った缶コーヒーをチビチビすすって至福の表情を浮かべる芽依さん。
買ってきた甲斐を感じながら、隣に腰掛けて煙草をくわえる。
「こう寒いとさー」
そうつぶやくと芽依さんは煙草を一口吸い「はぁー」と吐いた。
「煙草の煙なのか息が白いのか、よくわかんないよね」
「あー。あるあるですね」
「そして煙草吸ってないときに白い息見ると煙草吸いたくなる」
「パブロフの犬だ」
しばらく吸ってないと、何でもかんでも思考が煙草に繋げてしまうのはよく分かる。
「ヨシくん、犬ネタは前の話題でしょ。もう鮮度落ちてるよ?」
「そういうつもりで言ったんじゃねぇ」
確かにこの前、犬がどうのこうのってわちゃわちゃ話したけど。
「腐ったネタ使ったらお腹壊しちゃうから気をつけよ?」
「だから違うって。むしろ引きずってるのは芽依さんのほうじゃないっすか」
「あははっ、間違いないね。実は結構気に入って――」
言葉の途中で芽依さんは、何か閃いたのか「あ」とこちらを見てニヤリと笑う。
「話題を気に入ったんじゃなくて、ヨシくんを撫でるのが気に入ったのかも」
「……ほう」
「案外いい撫で心地だったからなー。またよしよししたいなー」
「だから俺は犬じゃないって」
「わかってるよ。ヨシくんだから……撫でたいんだよ?」
「っ……」
ニヤニヤ顔のままコーヒー置き、俺の頭へ煙草を持ってないほうの手をゆっくりと伸ばしてくる。
流石に分かってる。これはいうなれば芽依さんからの『攻撃』だ。
停滞を望む俺は正解の対応に悩んでいちいちドギマギしていたけど。今は――
「好きに撫でてください」
「え? いいの?」
断られると思っていたようで、俺があっさり受け入れたことに驚いている芽依さん。
今日の俺は……今日からの俺は一味違う。ノーガード戦法だ。
「むしろ全然撫でてください。芽依さんに撫でられるの好きなんで」
出来るだけ真剣に伝わるように……どっしりと言った。
ノーガードどころじゃねぇ。カウンター戦法で積極的に攻める。
手応えを確認するため芽依さんの様子を伺ってみると、
「え、えっと。じゃあその……失礼しますぅ……」
予想外のカウンターを受けて、芽依さんの語気はもじもじと先細りする。
これは……効いてる! 露骨に! どう見ても照れている!
「では……」
それでも一応、撫ではするようで、芽依さんの手が遠慮がちに俺の頭へ触れた。
この前みたいにわしゃわしゃ撫でるのではなく、そっと触る程度の撫で方にむず痒くなる。
「……ぁりがとうございました」
僅かな時間そうした後、芽依さんは何故かお礼を言って手を離した。
そして俺から顔を背けて、煙草を気持ち長めに煙草を吸い込んでいる。
「ふぅーーーー……」
深く長く、大量の紫煙を吐き出した芽依さんは……
「ねえ知ってる? カバの汗はピンク色なんだよ」
「なんで急に豆しばの話を?」
「たしかに。犬の話してたからかな……というかよく急に突っ込めたね」
「自分でも驚いてます。ちなみにあれ犬でも豆でもないらしいっす」
「あははっ、豆しば博士じゃん。それこそどうでもいい知識過ぎるよ」
くだらないことを言い合い、芽依さんの調子も戻ったようだ。
俺はそんな様子を見ながら煙を吹かし、内心でガッツポーズをする。
今日の俺はイケる。攻めに転じるだけのエネルギーがある日だ。
流されるのではなく、踏み込むなら三段飛ばしの精神を胸に宿すんだ。
~~~
「ふぅ……」
自分が吐き出した紫煙をぼんやりと眺める。
ヨシくんと他愛もない話をしながら過ごす短い煙草休憩は相変わらず楽しい。
でも。こんな今がずっと続くのもいいけれど、やっぱり私は先に進みたい。
今日はちょっとペースを乱されたりもしたけど……この調子で距離感を――
「芽依さん来週休みありますか?」
「へ?」
2本目の煙草に火をくわえたところで、ヨシくんが改まった様子で尋ねてきた。
休み、休み……どうだったかな。くわえた煙草に火をつけながら思い返す。
休日なんてあんまり嬉しくないから思い出すのに時間がかかったけど……
「んー。たしか火曜は丸一日空いてたかな?」
「その日は俺も行けますね、じゃあデートしましょう」
「ん。いい……よ?」
ちょっと何を言われたのか分からない。聞き間違いかな?
「今なんて?」
「デートしましょう」
「……」
聞き間違いじゃなかった。ちょっと焦っちゃう。
その焦りを顔に出さないように努めながら煙を吹かし、考える。
「ふぅ……」
確かに最近は私なりにぐいぐいいってたつもりだけど。
正直あんまり手応えはなかった。なのに……急じゃない?
「うぅーん」
手応えなかったどころか、失敗しちゃったなとすら思ってたのに。
急に変な距離の詰め方しちゃったし。この間なんてネガティブな話もしちゃったし。
諸々鑑みて、現状はちょっと引かれてるくらいのステータスだと思ってたのに。
「うぅーーーん……?」
「嫌ですか?」
現実に頭が追いつかず唸っていると、ヨシくんが心配そうに見つめてきた。
「嫌じゃないです、ケド……」
……どうしよう。自分から距離詰めることばっかり考えてたから、咄嗟の展開に頭が回らないや。
さっきの撫でるくだりもそうだったけど、今日のヨシくんはちょっといつもと違うかも。
~~~
勢いに乗り、意を決してデートに誘ってみたら……芽依さんが壊れた。
ずっと同じ顔で
あれ? もしかして俺……とんでもない思い上がりをしてたのか?
蓋を開けてみたら『そういうんじゃないんだよねー』って奴だった?
さっきの撫でてくれたのも本当は別に触りたくなかったりした?
「うぅーーーん……?」
「嫌ですか?」
ダサいけど、不安すぎて聞いてしまった。嫌って言われたらどうする気なんだ。
「嫌じゃないです、ケド……」
けどって。けどってどういうことなんだ。どんな顔していればいいんだ。
こんなことなら大人しく停滞しておけば良かった……と後悔しながら言葉を待つ。
「えっと……急にどうしたのかな?」
「あんたがいうんかい!!!」
芽依さんから出た言葉に、思わず叫んでしまった。急にスタンスを変えたのはそっちが先だろうに! と言うのは流石に野暮だからツッコミに留めておく。
「ご、ごめん。こーいう展開は想定してなくて」
そう言っている芽依さんはどこか呆けたような顔をしている。
……まさか今の芽依さんがここまで反撃に弱いとは。10月くらいのときは俺が茶化し返しても一枚上手で返してきたのに。
「えっとぉ……うぅんと……」
混乱の末、あわあわしはじめた芽依さんは煙草をくわえたまま両手を虚空に彷徨わせている。見えないけどそこに答えが追いてあるのか?
言ってしまえばもう気楽なもんで、俺は紫煙を吹かしながら答えを待つ。
唸りながら手をわちゃわちゃする謎の儀式の末に導き出されたのは――
「行きます、行きますから許してください……」
ペコペコと何度も頭を下げながらの謝罪だった。……謝罪!?
「え!? 俺脅迫しましたっけ!?」
「許してくださいぃ……」
「えぇ!?」
な、何が起きているんだ。俺は芽依さんを壊してしまったのか?
「……な、なんかすいません。急に変なこと言って」
「う、ううん。ヨシくんが悪いんじゃないよ……私が変なんだよ」
ようやくぶっ壊れていた挙動が落ち着き、居住まいを正す芽依さん。
深呼吸するように煙草を吸い込み、吐き出すころにはシャキっとした様子に戻っていた。
「――うん。行くよ、行こう、行きましょう……デート。しましょう」
噛みしめるように言った芽依さんはまだどこかいつも通りではないけど……無事に了承してもらえたみたいだ。
「じゃあ火曜日に――」
「火曜日了解! 楽しみだね、じゃあまたねヨシくん!」
「は?」
安心しながら話を続けようとしたら芽依さんが爆速で立ち上がり、まだ残っていた煙草を灰皿に放り込み、その勢いのまま走り去った。
「えぇ……過去最高タイムだ……」
目にも留まらぬ速さで扉の向こうへ消えていった芽依さんに驚くしかない。
とりあえず、灰皿でまだ燃えていた芽依さんの煙草を消しておく。
飲みかけのコーヒーも置かれているが……これは俺が飲んでおこう。
「まさか……こっちから踏み込んだ途端これとは」
防御力低すぎか。自分は攻めの姿勢でじわじわ距離を詰めてきてたのに。まさか受け方を想定してなかったとは。
「うーん……どうしよう」
火曜日にデートってことしか決められてないんだけど。どこ行くかとかも話して決めようと思ってたのに。
「……まぁいいか」
詳細は後でラインしておこう。今は誘えたという事実だけで十分だ。頑張ったぞ俺。決意してそうそう前進したな。
「……ふぅーーー」
やりきった後の一服は格別だなと満足しながら、俺は紫煙をくゆらせるのだった。
~~~
どうしよう。どうしようどうしよう。プランと違い過ぎる。非常階段へ続く扉によりかかりながら、私はキョドりまくっている。
私の想定だとじわじわ攻めて距離を詰め、ドギマギしてるヨシくんを絡め取ってなし崩し的に……って予定だったのに。
「違う……考えてたやつと違う……」
恥ずかしいことに、顔がとても熱い。外気で冷えた手を頬にギュッと押し付ける。
いや別に予定と違うけど何ら問題はない。問題はないんだけど……
「ヨシくんが急に男らしすぎるよぉ……」
核心はつかないけどあくまで主導権は握り、ヨシくんを徐々に核心へ導くという作戦はある意味では上手くいったけど……フェーズがぶっ飛んだ感じがする。
「美原先輩、体調悪いんですか……? 顔赤いしクネクネしてますけど――」
「ひゃい!?」
「きゃっ!?」
1人の世界に入ってたところに飛び込んできた突然の声に驚き、叫んでしまう。すると声の主もその叫び声に驚いて短く悲鳴をあげた。
「ご、ごめんね……結菜ちゃん」
「いえ、私こそ急に声かけちゃってすみませんでした」
視線の先にいたのは、私を慕ってくれてる後輩……結菜ちゃんだった。
結菜ちゃんはもう退勤の時間なので、メイド服ではなく私服姿だ。
「体調がよくないのなら早退したほうがいいですよ……?」
潤んだ瞳と、震える声音。心の底から心配してくれているのが分かる。ほんと、いい子だなぁ……結菜ちゃんは。
「ありがと、大丈夫。そーいうんじゃないから」
「ほんとですか? 強がってませんか?」
「ん。ほんとのほんと。もうお仕事に戻るよ」
結菜ちゃんと話して少し落ち着いた。うん、別にヨシくんに嫌われたとかそーいう悪いことが起きたわけじゃないし。
「心配してくれてありがとね、お疲れさま」
「お疲れさまです、美原先輩」
結菜ちゃんに挨拶を済ませ、ダウンを脱ぎながら更衣室へ向かう。
……視界の隅に映った結菜ちゃんが訝しむような目を向けていたのは、きっと私の気の所為だろう。
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