第15話 過去と覚悟と三段飛ばし

「……うーん」


 非常階段を登る最中。芽依さんの待つ目的の階まで半分は残っている地点で立ち止まる。


「気まずいかもしれない」


 思い出されるのは先日のやり取り。芽依さんが俺たちの間に引かれた見えない境界線を踏み越えようとした日のこと。

 今までもああいうやり取りはあったが、空気で分かる。アレはガチのやつだと。


「でもなぁ……」


 困ったことに、どんなスタンスでいけばいいのか分からないとしても、俺は芽依さんに会って他愛ない話をしたいと思っている。


「ここでうじうじしてても——」


「うじうじ中ごめんね。邪魔だったかな?」


「どわぁ!?」


 飛び跳ねた。比喩じゃなく。想定しなかった場所で芽依さんの声が聞こえたから。


「や。遅いからきちゃったよ」


 慌てて見上げると、上階から芽依さんが灰皿片手に煙草吸いながらというストロングスタイルで立っていた。


「この間合いに入るまで気づかないなんて……流石は芽依さんですね」


「まだまだ修行が足りんよ、ヨシくん。出直してきなさい」


「はい……失礼します……」


「うそうそ。帰んないでよー今日もだらだらおしゃべりしようよー」


 本当に踵を返してみたところで呼び止められる。振り返ってみると、芽依さんはいつものように踊り場へ腰掛けていた。


「ほら、おいでヨシくん。おすわり」


「犬じゃないんだから……」


 自分の隣をしきりにポンポン叩く芽依さんにため息を吐きながらも、俺は言われた通りの場所に座る。


「えらいねー。よーしよしよし」


「うごごごご」


 頭をわしゃわしゃ撫でられた。まだ続くのか犬と飼い主ロールプレイ。

 嫌でもないし、芽依さんが楽しそうなのでそのままにしつつ煙草をくわえ火をつける。


「犬が煙草吸っちゃダメじゃない?」


「新種なんです。むしろ吸わないと死ぬ」


「遺伝子改造されてそうだね……でも私はヨシくんが怪物だとしても最後まで面倒みるよ」


「犬どころの話じゃなくなってらぁ」


「無理に作り替えられた種は短命なのがこの世の常だからね……悲しいお話だよ……」


 そこまで言って満足したようで。芽依さんは撫でる手を止めて灰皿に避難させていた火のついた煙草を持ち直した。


「ふぅ……」


 煙を吐きながら、内心胸を撫で下ろす。気まずくなるかと思っていたけど、今日は今までと同じ精神的『距離感』だ。


「犬と遊ぶの好きだし、メイド辞めてドッグブリーダーにでもなろうかな」


「俺は犬じゃないっすけどね」


「知ってるよ、遺伝子改造された犬のような風貌の怪物だよね」


「その設定引っ張るんだ」


 思ったより気に入っているらしい。たまに変なツボに入ることあるな、芽依さんは。


「しっかし、ブリーダーかぁ……」


「ん。楽しそうじゃない? 犬のしつけしたり芸仕込んだりさ」


「でも……多分そういう仕事って禁煙じゃないですか? 犬嫌がりそうだし」


「じゃあやーめた。より一層のご活躍をお祈りしています」


「あんたが祈るんかい」


「禁煙な職場はちょっとね……」


「分かるけど」


 俺も禁煙するなら雇ってやるよと言われても絶対なびかない自信はあるけど。


「んー。ブリーダーじゃないならなんになればいいのかなー」


「え? ガチ転職ですか?」


「あはっ、まっさかー。ちょっとした冗談ってやつだぁよ」


「そりゃそうか」


 一瞬だけでもマジっぽいと思ってしまった自分が恥ずかしい。


「そういえば……芽依さんってなんでメイド喫茶で働く前はなにしてたんすか?」


「……あはは、また急だね」


 一瞬、芽依さんの笑顔がわずかにひきつったのを俺は見逃さなかった。

 職業の話になったからなんの気なしに聞いてしまったが、地雷だったかもしれない。


「すみません、今の質問はなしで——」


「ん。いいよ、別に隠してることじゃないし」


「え?」


「してあげる。私の話」


 さっき一瞬だけ引きつっていたように見えた芽依さんの笑顔は、柔らかい微笑みに変わっていた。

 大事な話が始まる雰囲気を感じて、俺は居住まいを正した。煙草は吸うけど。

 芽依さんは終わりかけていた煙草の火を消して、次の煙草をくわえて火をつける。


「まず……私が美大行ってたのは知ってると思うけど——」


「待ってください、入りから衝撃の事実……普通に知らなかったです」


「あれ? これも言ってなかったっけ?」


「聞いたことなかったですね。精々、進学の時に親と揉めたって話くらいで……」


「そそ。ご飯食べれるか分かんないジャンルだからそれなりに反対されたんだよ」


「なるほど……」


 どんな話が始まるのか想像してなかったけどこれは驚きには事欠かなそうだな。


「昔から絵描くのが特技でさ。進路はそれしかないかなって思ってたんだよね」


 絵か……口には出さないけど、一芸持っているのは羨ましいなと思う。

 俺は紫煙を吹かしながら「うんうん」と頷きながら口を挟まず話を聞く。


「入学した後も運良く上手くいって、イラストとか書いてご飯食べてたんだよ」


「おー。プロだったんですね」


「そ。端くれも端くれだったけど」


「どんなの描いてたんすか?」


「ゲームとか……まー色々。もしかしたらヨシくんも見たことあるかもね」


「ほーーーー」


 そういう仕事でご飯を食べてるって遠い世界の存在かと思ってたけど、案外身近にいるものなんだなぁ。


「んで紆余曲折を経て……イラストレーター辞めて、ここでバイト始めたのさ」


「急に結構端折りましたね」


「ここには語るに値しないしょーもない色々があったからねー」


 そう語り煙を吹かす芽依さんは、どこか寂しげな目をしていた。追求はやめておく。


「あ。だからこの券に描いてあるイラスト、やたら上手なんですね」


 ポケットから取り出した『なんでも言うこと聞いてあげる券』を改めて見てみる。

 そこに描かれているデフォルメされたメイド

イラスト、最初見たときから上手だと思っていたけど、元プロの絵だと思うと合点がいく。


「そーいう目で見られると恥ずいね。……てかそれいつも持ち歩いてるの?」


「常に懐に忍ばせてますね。いつ使うことになるか分からないんで」


「なんか怖いよそれ。本気過ぎて」


「……マジすか?」


「あははっ、じょーだん。大事に持ち歩いてくれたまへよ」


 煙を吹かしながらケラケラ笑う芽依さん。使い道は思いつかないし、このまま保管用にしてしまおうか。


「……いいように語ったけどさ」


「はい?」


「結局私は何者にもなれなかったから、ここまでの過程に意味なんかないんだよね」


 悲しそうで、寂しそうな表情。最近の芽依さんはこういう顔を見せてくる。

 きっと……以前よりもさらに、俺に心を開いてくれているんだろう。

 それを見せられるたびに俺は、最後の半歩を踏み込んでしまいたくなるが……


「……」


 寸前のところで、やっぱり動けない。だから俺は黙って燃え尽きた吸殻を捨て、もう一度煙草をくわえる。


「ねーねー。ヨシくんはどんな人生を歩んできたの?」


「俺……ですか?」


 振り返ってみるが……芽依さんの話を聞いた後だと、特筆すべきことがなさ過ぎる。


「普通に地元の高校でて、大学もいかずフリーターやって……それだけっすよ」


 得意なことがあったわけでも、なりたい何かがあったわけでもない。


「まぁ、つまり……俺は何者にもなろうとしなかったわけです」


 そんな自分に若干の後ろめたさを感じつつ、俺は延々と同じところで停滞している。人生もそうだし……芽依さんとの関係も。


「じゃあ一緒だね」


「何がですか?」


「私とヨシくん」


「……どこかですか?」


「世の中結果が全てだもん。今ここにある今だけが、今なんだよ」


 寂しそうな微笑みは崩さないまま、芽依さんは薄い紫煙と共に呟いた。


「芽依さんってたまにめっちゃドライなこといいますよね」


「そんな私は嫌い?」


「……」


 だらだらヤニ吸いながらくだらない冗談言って楽しそうに笑う芽依さんもいれば、悲観的で諦観を是とする芽依さんもいる。


「いいと思いますよ。……ただやっぱり、一緒だとは思えませんね」


 何者かになろうとした芽依さんと、何者にもなろうともしなかった俺には天と地ほどの差があるとしか思えない。


「いーっしょ。私たちは……そだね、うん、何者でもない同盟なんだよ」


「……俺たち、いろんな同盟を掛け持ちしてますね。部屋干し同盟とか」


「あははっ。どれも私たち2人だけしか在籍してないけどね」


 笑いながら煙を吐く芽依さんに釣られて、俺も小さく笑った。

 笑いながら……考える。生き様が同じだとは思わないが、芽依さんの持つ悲観や諦めは俺も持ち合わせているな、と。


「まぁ、ある意味は一緒かもしれませんね」


「そうそう。それゆえの同盟結成だよ」


 俺が肯定すると、芽依さんの表情がパァっと明るくなった。


「これからも傷を舐め合おうよ。だらだらと、ペロペロってさ」


「……そうっすね、それがいい」


「でもそうなっちゃうと、どっちも犬ってことになっちゃうね?」


「まだ引っ張ってたんかい!」


「あはははっ!」


 漂っていたじめっとした空気は、芽依さんの快活な笑い声でどこへやら。


「はーあ。……やっぱり、ヨシくんとお喋りしてるのが生きてて一番楽しいよ」


 ひとしきり笑って、芽依さんはそうこぼしながら燃え尽きかけた煙草を灰皿に押し付けた。


「もう戻るんすか?」


「ん。よく考えなくともここ4階だもん。職場は遥か高みだからね」


「あー、忘れてた」


「灰皿持って帰っちゃうから、ヨシくんももう煙草捨てちゃいましょうねー」


 言われた通り、芽依さんの差し出した灰皿で火を消して吸殻を投げ込む。


「じゃーね、ヨシくん。また——」


「そういや……なんで昔のこと話してくれたんですか?」


 最後にひとつ。上階に消えていこうとした芽依さんを引き止めて、ずっと引っかかっていたことを尋ねる。

 芽依さんが……その、俺との距離を詰めようとしているのは分かっている。

 だが過去の話がその文脈とどう関係あるのかは、いまいち分からない。


「んー。心境の変化、かな。ヨシくんには私の全部……知って欲しくなっちゃった」


「……なるほど」


 出し惜しみはしない、ということか。いよいよ覚悟を決めなきゃ——


「…………まだ……だけどね」


「え?」


 ぼそりと呟かれた最後の言葉は、よく聞き取れなかった。


「またね」


 しかし、聞き直す間もなく芽依さんはさっさと昇っていってしまう。

 灰皿も無くなったしもう煙草は吸えない。後は帰るだけなんだが——


「はぁぁぁ……」


 改めて自覚させられてしまった。俺は芽依さんのことが好きなんだと。

 一緒に煙草を吸いながらしょーもないことを言い合っているときはもっとこうしていたいと心から思う。

 それだけじゃない。悲観的なところも、何かを諦めたようなドライなところも、愛おしく思えてしまう。

 芽依さんが悲しそうに遠い目をしているときは抱きしめたくなる。

 ……芽依さんからの好意が伝われば伝わるほど、そんな気持ちを誤魔化すのが難しくなる。


「……」


 お膳立てはされている。芽依さんはきっと俺が踏み込むのを待っている。半歩前に進むのは簡単なことだ。


「でも……」


 それだけじゃ駄目だ。傷を舐め合うだけの関係では足りない。

 もし芽依さんが何かを諦め、悲観しているのだとしたら俺は……慰めではなく救いになりたい。そう在れる『何者』かになりたい。

 どうせ踏み込むのなら——


「半歩じゃ足りないな」


 俺は重い腰を上げ、階段を降り始めた。半歩で足りないなら一歩、二歩……いや——


「3段飛ばしくらいで」


 飛び降りるように勢いよく進む。今日ここまで昇ってきた時よりも……足は軽く感じた。

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