第14話 誰が為のメイドさん

「……」


 非常階段を昇ると、眉間に皺寄せながら口を尖らせて一服している芽依さんが待ち受けていた。

 その姿は見るからに不機嫌そうで、声をかけるのが憚られ……俺は何も言わずに隣に腰掛けて煙草をくわえる。


「ぶぅー……」


 ホッと一息……煙を吐いていると呻き声が聞こえた。ぶーたれるとは言うけれど、本当に声に出すなんて。


「なんかあったんすか」


「聞いてくれるのかい、優しいヨシくん」


「そりゃあ……聞かなきゃずっと黙ってそうな不機嫌加減ですし」


「あと10秒聞かれなかったら自分から話始めようと思ってたよ」


「聞かせる気満々じゃん」


 こういう時って聞かれるの待ちだと思ってたのにそうでもなかったみたいだ。


「言ってみたもののさ、そんな面白い話じゃないんだよね」


「不機嫌な理由が面白いほうが稀有でしょ」


「そーなんだけど。ヨシくんにとっても面白くないどころじゃないかも……」


「こわ……聞きたくなくなってきた」


 もうこの時点で突然の身内の不幸ぐらいしか思い浮かばないけど……なんだ……?

 それなりに覚悟して言葉を待っていると——


「久々に厄介なおじさん客に粘着されちゃってさ」


「……」


「その歪んだ顔はどういう感情の表れ?」


「考えてたよりはマシだけど確かに嫌だなという顔です」


 煙を吹かしながら想像してみる。接客中の芽依さんが脂ぎったおじさんに絡まれる光景を。


「……」


「わ。腐った梅干し食べさせられたみたいな顔になってるよ?」


「すみません、今脳内で腐ったおじさんを咀嚼してるところなんで」


「あははっ。言わんとしてることは分かるけど表現がグロテスク過ぎるでしょ」


 芽依さんは楽しそうに笑ってくれるが、俺はイマイチそんな気持ちにはならない。

 別におっさんに粘着されるなんて、芽依さんの仕事柄ままある話だろう。


「うーむ……」


 そんな光景を想像して嫌な気持ちになっている自分にゲンナリせずにはいられないのだ。

 つまり……図々しくも俺は、芽依さんに独占欲のような感情を覚えている証明だから。


「なに唸ってるの? 大丈夫?」


「大丈夫っす。厄介客って具体的にはどんなことしてくる存在なんですか?」


 平静を装うためにあえて話を広げる。それはそれとして純粋に興味もあるし。


「つまんない話延々としてくるとかかな。聞いてもないのにベラベラと」


「あーそういう感じ」


「自分語りしてくるとかなら、ニコニコしながらうなずくだけでいいんだけど……お説教みたいなことされると流石にね……」


 芽依さんは遠い目をして呟きながら、ゆっくりと煙を吹かす。その姿に哀愁を感じずにはいられない。


「知らない人に説教されるほど不愉快なことないっすよね」


 コンビニで働いていてもたまにある。頭のおかしくなった年寄りにわけわかんないことで怒鳴られまくるだとか。


「それよ。私なんて知ってる人にも怒られたくないもん」


「流石っすわ」


「ただの客のくせにやれ学歴がどうの、やれ正社員がどうのだの、年収がどうの……」


「他人に言われたくないことランキング上位のラインナップじゃないですか」


「ほんとね。それよりにもよってメイド喫茶のメイドに言うことかよって感じでさ」


「ご愁傷様です……」


「最初は愛想笑いして聞いてたよ? でも流石に生き方否定されたらさぁ……」


「んなもん誰だって怒りますよ」


「でしょ? 思い出すだけでムカついちゃう」


 イライラが背中を押すせいか煙草のペースが早く、芽依さんはさっさと吸殻を投げ捨て次の煙草をくわえていた。


「あれ……火が——」


「どうぞ」


 ライターを見失ったようでポケットを漁っていたので……芽依さんの口元に火を近づける。


「ん……」


 目を細め、煙草の先を火に当ててゆっくりと吸い込む芽依さんの姿はやはり絵になる。


「ふぅ……ありがと」


「いえいえ、従者の役目ですから」


「うむ。苦しゅうない」


「やっぱりメイドより主人のが似合いますよ」


「じゃあヨシくんがメイドね」


「だからせめて執事とかにしてくださいって」


「あっはは」


 いつものようなくだらないやり取りを済ませると、芽依さんはおいしそうに煙を吸い込みながら微笑んだ。


「……どーしよ。ヨシくんの優しさに触れて怒りがおさまってきちゃった」


「普通にいいことなのでは?」


「んーんー。今ヨシくんと憎しみを共有しとかないと1人で思い出しちゃうもん」


「そりゃあたしかによくないっすね。思う存分吐き出してください」


 と言っても、もう既にこの話のイライラポイントの頂点は過ぎたように思えるけど——


「滅茶苦茶言われて頭きたから反論したら、逆上したおじさんに手首掴まれて——」


「俺の芽依さんになんてことを!!!」


「俺の??」


「……」


 しまった。つい動転して思っていたことを口走ってしまった……馬鹿か俺は……


「……忘れて話を続けてくだい」


「でも——」


「続けて」


「う、うん」


 自分の迂闊さがあまりに恥ずかしくて芽依さんのほうを向けず、自分の吐く煙を眺めつつ促す。


「流石にそこまでいっちゃったらもう追い出せるから、店長が叩き出してくれてことなきを得たんだよ」


「最悪のおっさんですね……全国指名手配して見つけ次第射殺すべき」


 芽依さんの精神に負荷をかけただけでは飽き足らず、体に触れるなど……万死に値する。


「うちの店長顔広いからもうこの町では社会的には死んだも同然なんだけどね」


「朗報だけど店長の怖さが気になりすぎる」


「ヨシくん、飲食店を経営するっていうのはそういうことなんだよ」


 そのおじさんは死ぬべきだが、人を社会的に殺せる店長さんって一体……


「と、いうことがあったから。今日の私はイライラモードだったんだよね」


「……芽依さんのいう通り、俺にとっても面白くない話でしたわ」


「ごめんね、付き合わせちゃって」


「これで芽依さんのストレスが軽減されるならお安い御用ですよ」


「ありがと。やっぱり、人生持つべきものはヨシくんだね」


「一家に一台オススメです」


「じゃあお持ち帰り用に分裂して?」


「そういうサービスはやってないっすね……」


「あは。始まったら教えてね」


 話がひと段落し、芽依さんは微笑みながら紫煙をくゆらせている。そんな姿を見ながら、俺も2本目に火をつけた。


「まったくさ、メイド喫茶のメイドはみんなのメイドさんなのにね。そこ勘違いするお客さんがきちゃうのは困っちゃうよ」


「…………そうですねぇ」


 と、肯定しつつも。内心では芽依さんが「みんな」のメイドであることに胸をチクチクと刺す違和感を覚えていた。

 今日の俺はおかしい、話題に引っ張られているのだろうか。

 クソ……どこの誰だかも分からないおじさんのせいでこんなモヤモヤするなんて。


「ね、ヨシくん」


「はい?」


 名前を呼ばれ視線を向けると……芽依さんが澄んだ瞳で俺を見つめていて——


「今はみんなのメイドだけど……『君の』メイドになら、なってもいいよ?」


「っ……」


 完全なる不意打ち。死角から放たれた一撃は見事に後頭部へクリーンヒットし、目眩すら感じる。


「だって私、ヨシくんのなんでしょ?」


「ぅ、あ……」


 紫煙越しに見える芽衣さんは、いたずらっぽく……静かに微笑んでいる。


「ふふっ、さっき言ってたもんね」


「そ、それは……」


「実はけっこー嬉しかったりして。今日あった嫌なことなんて忘れちゃうくらいに」


 囁くような音量……なのにとても近くに聞こえるように感じる芽依さんの声に、心臓の鼓動が早くなる。


「お……俺は……」


 言葉が続かない。正解がわからない。どう動くべきか。もうここで……いくべきか、いやそれとも。しかし……でも俺は——


「なんてね。そもそも私はメイド服着てニコニコするメイドもどきだし」


 俺が情けなくも固まってる間に、芽依さんは立ち上がった。気の利いたことを言おうとして口をパクパクするが……何も出ない。


「ばいばいヨシくん。ヨシくんも悩みとか怒りとかあったら、なんでも話してよね」


 結局俺は去っていく芽依さんの背中が見えなくなるまで、煙草も吸えずに呆けていた。

 その後もしばらくそうしていた。さっきまでの出来事を飲み込むには時間がかかる。

 どれくらい時間が経っただろうか、ようやく動けるようになり、指に挟んでいた煙草を口元に運ぶも……


「あ」


 煙草はとっくに燃え尽きていた。吸い込めたのはフィルター越しの空気だけだ。

 仕方なく本日3本目に火をつけて、肺を満たせるように一気に吸い込む。


「けほっ……」


 少しむせたが、クラクラするくらいニコチンは摂取できた。おかげで少しは冷静になれる。


「悩みが……か」


 なんでも話してね、なんて言われても。


「悩みもなにも。あなたが一番の悩みの種ですよ、芽依さん……」


 少し前から分かってる、今の距離感を越えて芽依さんは『先』へ進みたがっていると。

 そしておそらく、決定権は俺に委ねられていて……もう半歩……いや、少し足を動かすだけで完了する。


「だけど……」


 咄嗟に動けない。踏ん切りがつかないのは俺の問題だ。

 この期に及んて俺は恐れているのだ。どれだけお膳立てされても、今の『心地よさ』を壊してしまう可能性を。


「情けねえぞ、俺。シャキッとしろ……」


 ……紫煙をくゆらせながらなんとか自分を鼓舞してみるも。結局腹は括れないまま、夜は過ぎていくのだった。

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