第13話 一人暮らし事情
「あれ? いつもと煙草違いません?」
ダラダラ煙草を吸って過ごすいつもの夜。芽依さんが見覚えのない煙草を吸っていることに気がついた。
「ちょっと金欠でね、安いのにしてるんだ」
そう言って芽依さんが見せるのはラクダの絵が書かれた箱。なるほどこれなら確かに他のより100円くらい安い。
「まー味は悪くないし、少しの辛抱だよ」
「ご愁傷様です……なんか入り用だったんすか?」
「住んでる家の更新料だぁよ……毟り取られちゃった」
「なるほど……そりゃ確かに痛いっすね……」
「わかってた出費ではあるけどいざその時がくるとね……」
賃貸の更新料がある月は単純に家賃が倍になるようなものだし、痛手になるのは仕方ない。
「そういや芽依さんってどこ住んでるんでしたっけ」
「えー。どーしよっかなー」
「む……渋るような質問でしたか」
ならば。あれを使う時が来たようだな。俺はポケットに忍ばせていた例の券を取り出した。
「これ使うんで教えてください」
芽依さんがなんでも言うこと聞いてくれる券を差し出す。
「……ヨシくんってエリクサー躊躇せず使えるタイプ?」
「とっといてもどうせ使わないことがほとんどなんで」
まじでここで使うのかよと芽依さんが呆れた顔をしているが、どうせ使いどきも分からないんだしこういう切り方が一番だ。
「まーヨシくんがそれでいいならいいや、受理しましょう」
「やったー。で、芽依さんはどこ住みなんですか?」
「ここから駅挟んで反対側だよ、歩いて15分くらいかな」
受け取った券をポケットにしまいながら芽依さんは答えた。
「へー。徒歩圏内なんですね、俺と一緒だ」
「そーじゃないと深夜まで働けないよ」
言われてみれば確かにそうだ。電車通勤だとしたら終電後の街に放り出されることになる。
「そうなってくると家賃高そうっすね」
俺たちの職場が入っているこの雑居ビルは駅前から少し歩いた繁華街の端っこに位置している。付近の地価も安くはない。
「まー……それなりに? フリーターにしちゃ貰ってるしね」
「羨ましい……」
「ふっふっふ……人気商売だから多少はね」
そう呟いてニヤリと笑う姿に言い知れぬ陰を感じ、これ以上の追求はやめておく。
「自炊とかするんですか?」
「話が飛んだね」
「これを気に芽依さんの1人暮らしに迫ろうかと」
思えば、くだらない話ばっかりしているのでこういうパーソナルな部分の話はあまりしたことがない。
「すると言えばするし、しないといえばしない?」
「曖昧すぎる……哲学的っすね」
「仕事ある日はしないだけだよ。帰っても深夜だし」
全然哲学的じゃなかったし、なんなら現実的だった。そりゃそうだという感じだ。
「休日に興がのったらするから趣味に近いかな」
「なるほど?」
「生きるためにじゃなくて楽しむために作ってるよ」
「そう聞くとだいぶ有意義ですね。出来る女だ」
「真の出来る女はきっと毎日作ってるでしょ」
「……違いない」
「そもそも出来る女はメイド喫茶でバイトしないんだよ」
「自虐がキツ過ぎる」
聞いてて悲しくなってきた。
「お客さんに笑顔で愛想振り撒いて、帰ったら真顔でコンビニ弁当食べるのが出来ない女の人生なのさ」
「1人でニコニコしながら弁当食ってたらむしろ怖いですけど」
「あっはは、たしかに。私がそんな悲しきモンスターになったらヨシくんの手で殺してね……」
「そんな日がこないことを祈ってます」
自室で虚空を見つめて笑いながら飯食ってる芽依さんを殺しに行く自分を想像して少し吐きそうになった。どんなホラー映画だ。
「一応女子力アピールしとくけど、料理はそこそこ出来るよ?」
「ほう。どんな腕前なんですか」
「自分ではおいしく食べられる程度の仕上がりになる」
「……爆然とし過ぎてて力量測れませんわ」
「人に食べさせたことないから相対的な評価は謎なのです」
「へえ」
その答えは少し意外だった。
「ホームパーティーとかしてるもんかと思ってました」
「そんなアメリカンなことしてないよ」
「え? ホームパーティーってアメリカンですか?」
「わかんない。適当に言っちゃった」
「なんやねん」
俺がツッコミを入れると芽依さんはケラケラと笑う。
「家に呼ぶような友達いないしね」
「社交的だし友達多いのかと思ってました」
「私が明るく楽しく話すのはヨシくんにだけだよ?」
「……」
これは喜ぶべきところだろうか。それとも芽依さんに友達が少ないことを嘆くべきなのだろうか。
「ヨシくんになら食べさせてあげてもいーよ。私の手料理」
「それは無茶苦茶に興味ありますね」
「ヨシくんなら煙草吸いながら料理しても怒らないでしょ?」
「いやそれは怒るでしょ」
「ヨシくん煙草大好きだし灰がちょっと落ちちゃうくらいは許容範囲かと思ってた」
「んなわけあるかい」
「あっはは」
芽依さんは煙を吐き散らしながら、楽しそうに笑う。俺が煙草をムシャムシャ食ってるとでも思ってるのか。
「ヨシくんは料理しないの?」
「まったくしないっす」
「わお。堂々としてるね」
「コンビニ弁当とカップ麺で体作ってるんで」
「ストイック風な表現だけどただの不養生じゃん」
「まじでしたことないんで。しろと言われても出来ないですね」
「開き直ってるー。逆に尊敬しちゃうよ」
「とはいえパスタ茹でたりは出来ます」
「んー。まー最低限……かな」
どう思われようとこればっかりは仕方ない。出来ないものは出来ないんだから。
「たまにはちゃんとしたもの食べたほうがいいよ。私が作ってあげるからさ」
俺を心配してか、優しく微笑む芽依さんの言葉。喜んで飛びつきたくなる提案だが……
「いつかお願いします」
いつか。そうぼかすのは踏み込みたくないから。俺たちの距離感は「いつか」の話を楽しく夢想するくらいが丁度いい。
いつ来るかも分からない「いつか」の話をして笑う。本当にただそれだけで——
「いつか……ね」
しかし。いつもなら笑っている流すはずの芽依さんは、どこか不服そうな……寂しげな顔をしていた。
「ヨシくん、好きな食べ物はなに?」
「好きな……うーん、オムライスとか。子供舌なんで」
「あはっ。煙草吸ってるのに舌はお子ちゃまなんだ」
「子供の好物を堂々と食えるのが真の大人っすよ」
「おー。いいこと言うね」
感心している様子の芽依さんを見て、内心でしてやったりとほくそ笑む。
「芽依さんオムライス作るのうまそう」
「なして?」
「メイド喫茶といえばじゃないですか」
「あーね。でも私、店で料理したことないよ。うちの店では全部店長が作ってるから」
「なるほど……メイドさんが作ってるんじゃないんですね……」
言われてみればメイドさんってのはウェイトレスな訳だし、違う人が作ってるのは当然か。
「ケチャップで文字書くやつはしてるよ」
「おぉ。やっぱそういうのはあるんですね!」
「なんで嬉しそうなのさ」
「行ったことない分、夢だけは広げてるんで」
「なら来ない方がいいかもね……夢、壊れちゃうと思うよ」
「そんな悲しいこと言わないで……」
お金に余裕があるときシレッと芽依さんの勤めるメイド喫茶に
行ってみるのが密かな夢なのに。
「その。お店なんて、来なくてもさ……」
俺が落ち込みながら煙を吹かしていると、芽依さんがいつになくもじもじと歯切れ悪く言葉を紡ぎ始める。
「オムライス、私が作ったげるよ。文字も書いたげる」
そう呟いた芽依さんの顔が赤い気がするのは、煙草の火に照らされているせい……だろうか。
「あんまり作ったことないけど、練習しとくからさ」
「ありがとうございます、いつか——」
「いつかじゃなくて。上手になったらすぐ呼ぶから」
「っ……」
茶化すようじゃない、芽依さんの真剣な声音に心臓が跳ねる。これは一体どういう……
「……じゃ。楽しみにしててね、なんて書いて欲しいのかでも考えながら待っててよ」
俺が唖然としている間に、芽依さんは吸い殻を灰皿に放り込み、早足で去っていった。
「……あ」
気がつくと、くわえていた煙草が燃え尽きていた。それを灰皿に捨てて、手癖で2本目をくわえて火をつける。
「これは……うーむ……」
こういうとき、早合点するのはよくない。よくないが、よくないがしかし。芽依さんのあの態度は……
「これは……これはなぁ……」
寒い夜だから、自分の頬が熱いがよく分かる。熱を抑えつけるようにパシンと両頬を叩くが、痛いだけだ。
「うううう……」
何かが変わろうとしている。いや、おそらく芽依さんが……変えようとしている。
「どうすりゃいいんだ……」
距離感を守るために動くか、それとも……
「いや、まだ早い……まだ分からん」
深い悩みの坩堝に落ちていきそうな思考を、肺いっぱいに煙を吸い込むことで引き止める。
「うおほっ!! げほっ!!」
思いっきり咽せたが、それくらいが丁度いい。冷静な状態でいたら考え過ぎてしまいそうだったから。
咽せる俺の脳裏には何故か、オムライスを前にケチャップを構える芽依さんが立っているのだった……
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