第11話 11月下旬のある日 0:30


「芽依ちゃん」


 営業終了後、テーブルを拭いていると急に名前を呼ばれた。


「はい?」


 店長がカウンターの向こうで皿洗いをしながらこちらを心配そうに見ている。


「休憩終わってからずっと浮かない顔してるわよ。何かあったのかしら?」


 ボディビルダーも真っ青なムキムキの肉体と鬼も泣き出しそうな強面。そんな容姿からは想像出来ない優しい声音で語りかけてくれる。


「あはは……なんでもないです。心配かけてごめんなさい」


 そっか、顔に出ちゃってたか。ちゃんと気をつけとかないと。


「そう……ならいいけれど。困ったことがあったらなんでも相談するのよ?」


「ありがとうございます」


「今日はもう上がっていいわよ。いつも遅くまでごめんなさいね」


 その言葉に釣られて壁に掛かった時計を見ると、閉店から既に30分経っていた。

 私の家が近いのと、残業代欲しいからという理由で最後まで残って掃除を手伝ってる。


「はーい。お先に失礼しますー」


 台布巾を店長に渡して、バックヤードの誰もいない更衣室に引っ込む。


「ふぅ……よーやく終わった……」


 ロッカーを開いてすぐに開いて、手ぐせでスマホを確認。特にめぼしい通知は来てない。


「ま。いつもどーりと」


 すっかり着なれてしまったメイド服を手際よく脱いで、私服に着替えていく。

 ずっと着てるせいでだるだるになりつつあるセーターに袖を通し、最近ちょっときついジーンズに足をねじ込む。


「下半身太りかな……最悪……」


 明日から食事制限でもしようかなと出来もしない夢物語を想像しながらスニーカーに履き替え、キャップを被りマスクも装着。


「早着替え選手権優勝ですよーと」


 間違えて買っちゃった少し大きめの黒いダウンに袖を通し、なんかの雑誌の付録だったトートバッグを肩に提げ、完全体に至る。

 ロッカーの扉にくっついた姿見に写る完全体美原芽依の姿はなんとも野暮ったい。


「……はぁ」


 臭いものには蓋をっと。ロッカーの扉を閉めて更衣室を出て、バックヤードの廊下から鉄の扉を開けていつもの非常階段に出る。


「……」


 当たり前だけれど、ヨシくんの姿はない。分かってはいるのに少しさみしい。


「いやいや」


 か弱い乙女じゃないんだからそんなことでさみしくなるな私。

 気を取り直していつもの踊り場に腰掛け、煙草に火をつける。


「ふぁぁぁぁ……」


 休憩中の煙草もいいけど、退勤後の一服は格別に染みる。変な声が出るくらいに。


「ダメダメだったなぁ……」


 ニコチンが行き渡りクールダウンしてきた頭で始まるのは今日の反省会。

 仕事にも身は入らなかったけど。何よりもダメだったのはヨシくんとのやり取り。


「我ながらキモ過ぎるよ……」


 さっきから自己嫌悪で独り言が止まらない。誰かに聞かれてたらこのまま飛び降りよう。

 今日の私は、めんどくさい嫉妬の仕方をするしょーもない女そのものだったなぁ。

 別にただの『友達』の男の子が知らないうちに後輩と知り合ってて、ちょっとお茶したって話を聞いただけなのに。


「……」


 しょーもないと思いつつ、今思い出してまた少しモヤッとしてしまった自分が嫌だ。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 特大のため息と共に紫煙を吐き出す。この自己嫌悪も煙と一緒に出ていけばいいのに。


「なんであんな態度取っちゃったかな……」


 いつもみたいに茶化して楽しい話題にすることも出来たはずなのに。ヨシくん、嫌な気持ちになっただろうな。


「なのにさぁ……」


 私は人に嫌みったらしく当たってしまったのに。私は去り際に「可愛い」と言われてちゃっかり喜んでしまったのがまた嫌だ。


「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 呻きが止まらない。煙草も止まらない。吸っては呻いて煙を吐くを繰り返す。

 どれくらいそうしてたかな。丸々1本吸い終わり、2本目を咥えて火をつけたところで再び冷静になれた。


「……ほんと、どうなりたいんだろ」


 ヨシくんの言ってた通り、私たちは煙草友達でしかないのに。勝手に嫉妬してめんどくさい態度取っちゃったりして。


「やっぱり私、嫌いだなぁ……」


 明るく振る舞ってるくせに、薄皮めくったら出てくる根暗な自分が嫌い。

 優しくて気の合う男の子に寄りかかって、あやふやな関係を享受する自分が嫌い。

 こうやって1人になるとうじうじしちゃう情けない自分が嫌い。


「はぁ……ヨシくんには見せらんないね……」


 ただでさえ感じ悪いことしちゃったのにもっと嫌われそう。次会う時はちゃんとニコニコ笑えるようにしないと。


「こんな気持ちでも煙草は美味しいや……」


 こんな日は、風に揺られて消えてく白煙を羨ましく思う。私の嫌いな私も、薄れて消えてくれればいいのに。


「でも……」


 ヨシくんはこんな私もひっくるめて、仲良くしてくれるかもしれないな……なんて。思わないこともなかったり。


「もっと踏み込めたら……変われるかな」


 色々なことを鑑みてぬるま湯みたいな距離を保ってきたけれど。

 何者にもなれず、流れ流れてメイドをしている私だけけれど。

 せめて……ヨシくんにとっての『何者』かにはなりたいな、と強く思う。


「……頑張っちゃおっかな」


 根っこまで吸い切ってしまった煙草を灰皿に放り込み、ゆっくりと立ち上がる。

 もう半歩、いやもう一歩。うぅん——


「2段とばしくらい目処で」


 油断すると程よい距離でだらだらしちゃいそうな自分への決意表明を込めて。私は2段飛ばしで階段を駆け下りた。

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