第9話 プリン欲の成れの果て
勤務終了後。今日は芽依さんの出勤日じゃないからまっすぐ帰ろうと店を出た途端――
「あ」
芽依さんの後輩に遭遇してしまった。一度しか会ったことはないけど、この整った面立ちは脳裏に焼き付いている。
スルーしてくれればいいのに、俺の方を見て苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「チッ……最悪な日ですね」
「言い過ぎじゃない?」
品のいいお嬢様という言葉が相応しい後輩さんに舌打ちされると、人間の尊厳を失ったような気分になるな。
「今日は美原先輩居ないんですけど。なんでいるんですか」
「そりゃあ……ここでバイトしてるからな。今終わったとこなんだよ」
「この時間に退勤、それで美原先輩と煙草を……合点がいきました」
納得したようにうんうんと頷いて、険しい目つきのまま再び睨みを効かせてきた。
この子と一緒にいるのはとにかく居心地が悪すぎる……さっさと帰ろう。
「お目汚しすんのも悪いですし、わてくしはこれで失礼しますわね……」
「なんですかその気色悪い喋り方は」
「いや、スルーしてよ……お互い関わる必要ないでしょ……」
しょーもない冗談を拾って「うげぇ」という顔されると素直に辛い。
というかさっきから店内の安中がこちらをチラチラと見ている。俺が女の子と話しているのが気になるのだろう……尚更早く行かなくちゃ。
「じゃあこれで――」
「ちょっと待ってください」
「待たないです――」
「いいえ待ちなさい」
「命令形!?」
立ち去るつもりで歩き出していた俺だったが、思わぬ言葉に足を止めてしまう。
振り返ると、後輩さんはこちらをジッと見つめていた。
「行きたいところがあるのでついてきてください」
「なんで?」
「あなたくらいの丁度いい話し相手が欲しいところだったんです」
「いや、俺じゃないほうが――」
「めんどくさい人ですね。早く行きますよ」
「えぇ……」
イライラした様子で吐き捨て、後輩さんは歩き出した。俺がついてくるのを疑っていない堂々とした足取りだ。
「うーん……」
悩んだ末、俺は後輩さんの背中を追う。これでついていかずに後からガチャガチャ言われるほうが怖いという判断だ。
「歩くの遅いんですけど」
「すみません……」
年下の女の子にどやされ、どこに行くのかも分からないまま背中を丸めて歩くのは酷く情けない気分だ……
~~~
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「2人です」
連れて来られたのはなんの変哲もないファミレス。良かった……普通の場所で。
「あ、喫煙席で」
「チッ……勝手なことを」
そうなってくると心にゆとりが生まれる。煙草でも吸ってゆっくりしよう。また舌打ちされた気がするけど気にしない。
「申し訳ございません、全席禁煙となっております」
「なっ……」
そんな馬鹿な話があっていいのか。ランチタイムならともかくこんな夜遅い時間にまで禁煙のファミレスなんて……
「ふっ、時代の勝利です。残念でしたね。……禁煙席で大丈夫です」
「そんな……俺たちの居場所は……」
「何をアホ面で呆けているんですか……キモいですね」
衝撃の事実に愕然としている俺に白けた視線が突き刺さった。呆けている内に店員さんの案内が始まっていたようで、後輩さんは既に離れたところに。
なんとか追いかけ始めるが、煙草も吸えない席に通されると思うとその足取りは重い。
「ノロノロと……禁煙なのがそんなにショックなんですか」
「ちょっと好きだった程度のアーティストが引退したときくらいショック」
「分かりづらいですね。たとえのセンスゼロですか」
煙草吸えない上にたとえのセンスまで否定されたらもう泣くしかない。
「立ち尽くされていると私がアホの連れだと思われてしまうので座ってください」
「はい……」
こんなショックを受けてるのに徹底して辛く当られると逆に立ち直れるわ。
気持ちを切り替えて席に座る頃には、後輩さんはコートを脱いでメニューを見ていた。
「俺にも見せて」
「ダメです」
「え? メニューを見る権利もないの?」
「当然ありませんね」
「当たり前にあるはずのものでしょ」
「あなたの食事に来たわけではないので」
キッパリ言い捨てるとまじで俺が吟味する前に店員さんを呼ぶボタンが押される。
客も少ないためか、店員さんはすぐに飛んできた。
「プリンアラモードひとつください」
「以上でよろしいですか?」
「はい——」
「あとオムライスお願いします」
「チッ……」
滑り込みで絶対あるものを注文したら見事に舌打ちされた。店員さんは苦笑いで立ち去る。
しかし今日の俺はこれ以上メンタルダメージを受けない。カンストしてるから。
「プリン食いに来たの?」
待ってる間、黙っているのも退屈だし適当に話を振ってみる。
「はい。悪いですか」
「いや別に。最近俺も食ったなと思って」
「……まさか美原先輩とですか?」
後輩さんの目の色が変わる。気軽な雑談のつもりが、ここから先は地雷原らしい。
「どこで。どんなプリンを。どのように食べたんですか?」
「階段でヤニ吸いながらコンビニのやつ食っただけだよ」
「……」
「だからほら、怒られるようなことは——」
「なんてことを……! とんでもない悪行を働いてくれましたね……!」
「ええ!? ダメなの!?」
ごく普通の当たり障りない行為を告白しただけなのに、後輩さんは怒りに震えていた。
「あなたのせいで私は……私はこんなところでプリンを食べる羽目に!!」
「話が見えてこねえ……」
俺は何を糾弾されているんだ。ただ普通にプリン食べただけなのに。
「……プリンを食べたということは、あの事件については知っていますね」
「事件?」
「美原先輩のプリン残ってない事件です」
言われてようやくピンと来た。
「あーね。でもそれ事件ってほどか?」
「美原先輩が楽しみにしていたプリンにありつけなかったんですよ? 世紀の大事件です」
そうか? うーん、そうなのかもしれない。そういうことにしておこう。
「うん、教科書に載るレベルの事件だ。でもそれと何の関係があるわけ?」
「私は事件直後、美原先輩のケアのためにとある計画をたてていたのです」
「なるほど?」
「プリンを食べられず傷ついた美原さんを美味しいプリンのお店誘うという計画を……!」
「なるほど……」
「先輩が休憩に行っている間に下調べをし、ここなら最適だという店を選びすぐ誘ったというのに……!」
大体話は見えてきたと同時に、俺へ向けられている怒りは完全にとばっちり、だろうなとあらかじめ覚悟しておく。
「なのに『さっき食べたからプリン欲もう消えちゃった』と断られる始末……!」
「気の毒だとは思うけど俺悪くなくない?」
「悪いです。短い休憩時間のうちに先輩がプリンを食べられたのはあなたの存在があったからでしょう」
「別に俺がいなくても——」
と言いかけたが、たしかに俺がいなければメイド服姿だった芽依さんはコンビニには行けなかっただろうし、プリンは手に入っていなかったはずだ。
「悪いとは思わんけど関係なくはないな」
「認めましたね、己の罪を。ではこのまま自首しましょう」
「何罪で捕まるんだよ!」
「私より先に先輩とプリン食べた罪です」
「そんな罪状はねえ!」
それで捕まるようなら俺はこの国を法治国家だと認められなくなってしまう。
「……ともかく。先輩のプリン欲が無事発散されたのは私としても良いことではあります」
「ならいいじゃん。誰も不幸には——」
「お店を調べる過程に私の中で膨れ上がったプリン欲は行き場を失ったんですよ!?」
「おおう……」
「自然と霧散するまで耐えていたのですが、今日いよいよ限界がきてしまいました」
そう語る後輩さんの目から光が消えていく。行き過ぎたプリン欲とはこうも人をおかしくしてしまうのか。
「それでファミレスに来たと」
「はい。とりあえずちゃんと食べないとおかしくなりそうだったので」
……芽依さんのことになるとおかしくなるタイプかと思ってたけど、そもそもおかしいタイプの人かも知れない。
「お待たせしましたー」
そうこう話しているうちにプリンとオムライスが運ばれてきた。
伝票を置いて去っていく店員さんを見送りながら、スプーンを手に取る。
「「いただきます」」
同じくプリンを食べようとしていた後輩さんと声が被る。それが嫌だったのか、後輩さんから冷たい視線が飛んできた。
無視無視。そんなことよりオムライスだ。
「……」
「……」
かたやオムライス。かたやプリン。会話なく黙々と食べる2人組はどう見えるんだろうか。
当事者としては、だいぶ気まずい。早くなくなってくれオムライス。
「……プリン欲は消えましたが、そのかわりに虚しさが残りました」
量的に俺より先に食べ終えた後輩さんが、紙ナプキンでお行儀よく口元を拭いつつ呟いた。
「芽依さんと食いたかったわけだもんなぁ」
「嫌味ですか? 勝者の余裕ですか?」
「うん。俺は一緒に食べたし」
「……チッッッ!」
……怖ぁ。今までの人生で聞いた舌打ちの中で一番大きな音だったぞ。
「せめて1人できてりゃそんなイライラすることなかっただろうに」
「終わってみればそうですが。予定ではあなたをサンドバッグに諸々発散するつもりだったんですよ」
「裏目に出たな」
「まったくです。あなたも呼ばれたからといってノコノコついてこないでくださいよ」
「俺も裏目ってたのかよ」
良かれと思ってついてきたのに。
「発散するにしても、他の人選もあっただろ。職場の同僚とかさ」
「こんな話同僚にするわけないでしょう。変な女だと思われるじゃないですか」
「俺は初めて会った日からそう思ってるけどな」
「馬鹿ですね。だから遠慮なく発散できるんですよ。普通に考えればわかるでしょう」
……毒を食らわば皿まで理論か。思い切りが良すぎるだろ。
「それにしたって、あけすけに話せる友達くらいいるだろ。学校とかに」
顔も良くて、話に聞く限り普段は外面も良さそうだし、友達は多そうだと思っていったんだけど。
「……」
「あれ?」
帰ってきたのは苦い顔と重い沈黙だった。これはもしかして……
「友達いないの?」
「……」
「1人も?」
「いませんけど?」
涼しい顔でシレッと言い放つ後輩さん。開き直ったらしい。
「なんですか? いないとダメですか?」
「ダメじゃないけど意外だなと」
「意外ですか? 何がわかるんですか?」
「いや知らんけど、イメージの話」
「偏見なんですけど? 全然友達いないんですけど? ぼっちをやってるんですけど?」
淡々と言葉を続ける後輩さん。よくわからないテンションのモードに入ってしまった。
「いいんです、ぼっちで。私には清く正しくかっこよく、尊敬できる美原先輩がいるので」
どうしたもんかと思っていると、芽依さんのことを思い浮かべて冷静になったようだ。ありがとう芽依さん。
これ以上友達のこと話すのはまずそうだ。なんか違う話題を振ろう——
「なんで芽依さんをそんなに慕ってるの?」
ということで、一番気になっていたことに踏み込んでみる事にした。ダメな話題なら冷たく切り捨てられるだけだろうし。
「愚問ですね。語るまでもないでしょう」
「確かに俺も芽依さん好き——」
「は?」
「……人として好きだけど。ならいいか」
「まぁいいでしょう。それで?」
「君の慕い方は過剰すぎると思ってさ」
「……」
後輩さんは少し考え込むと……
「美原先輩は昔から私の救いでしたから。ずっとずっと」
今までに聞いたことのない真剣なトーンでそう答えた。
「つまり……?」
「これで察せられないのなら、あなたに語ることはもうありません」
「えー。教えてくれても——」
「というか会うの2回目なのに馴れ馴れしいですね。キモいんですけど」
「今このタイミングそれ言う!?」
この子、どんな距離感で接すればいいのか難し過ぎる!
「そもそもあなたがだらだらオムライス食べるのを待つ理由なかったですね」
気づきを得た後輩さんは立ち上がりさっさと立ち上がりコートを羽織る。
「もう二度と会うことはないでしょう」
「そうであると助かるよ」
芽依さんの後輩さんと険悪になり続けるのはごめんだし、何より大の大人としてあんまり罵倒されたくない。
「それでは」
最低限の軽い会釈をして後輩さんはさっさとファミレスを出ていった。
「あ。あいつ金置いてってねえじゃん」
ココアの時に多めに置いてった分で補填しろということなのか。
「ちゃんとしてるんだかしてないんだか……よく分からん子だなぁ」
まぁ、流石にもう会うことはないだろうし、名も知らぬ芽依さんの後輩との不思議な思い出として胸にしまっておこう。
「とりあえず——」
さっさと店を出て煙草を吸うために、俺は残ったオムライスをかきこむのだった。
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